イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記パートII ~いつまでも、僕は君を待っている~ その2

2010年10月25日 06時56分57秒 | 旅行記
8月13日。JR中央線「武蔵境駅」4時45分発の中央線に乗った。目指すは。浜田駅。広島から高速バスに乗り、予定通りなら到着は1時頃になるはずだ。駅ではイットマンが待っていてくれることになっている。

こんな早朝にもかかわらず、電車内は混んでいた。ガラガラの電車での快適な東京駅までの旅を予測していたので少々面食らう。こんなに朝早いのに、なぜこんなに混雑してるのだろう? みんないったいこれからどこに行くのだろう? でも考えてもしょうがない。行く先まではわからないが、ともかく今はお盆。全国津々浦々からやってくる人々が多く暮らす東京では、誰もが故郷を目指す時期なのだろう。それに、そう考えているのはみんなも同じかもしれない。僕だって車内のスペースを狭くしている要因のひとつなのだ。

中央線の車窓に映る見慣れた光景を長めながら、一年前の自分を思い出さずにはいられない。去年は、ものすごく気分が高揚していた。たしかあの時は前夜にほぼ徹夜してしまい、何が何だかわからないままダッシュして怒濤の中央線に飛び乗ったんだっけ。緊張のあまりスペースシャトルに乗り込む宇宙船の船員のような心境だった。浜田は、一年前の自分にとっては宇宙に匹敵するほどの未知の世界であり、ホームに佇む出発前の新幹線が、「スーパーおき」が、時空を超えて異次元に旅立つタイムマシンか銀河鉄道999のように見えた。実際、広島から高速バスにのるべきところを新山口経由の「スーパーおき」というアホなルートを選び、さらには新山口で3時間も待たされたあげく、ようやく夜の7時に浜田駅に到着したときは、月面に降り立ったアームストロングのような気持ちになったものだ。それが今や、社員旅行先の熱海に温泉旅行に出かける勤続18年目のサラリーマンのようなくつろいだ気持ちでいる。あまりにも緊張感を失いすぎだろうか。

一年前と、何が変わったのか? 何も変わってはいない。相変わらず僕は日々の暮らしに翻弄され、些末なことに視野を奪われながら、迷いの多い毎日を生きている。強いて言えば、変わったのは、ひとつ年をとったこと、そしてお腹周りの贅肉が増えたことくらいだ(推定、約5キロ増)。たしかに去年みんなと再会して、素晴らしい体験をして、僕は有形無形の大きな力を得た。だが、一年ぶりにみんなと会って、どんな気持ちになるのかはわからない。その答えは、数時間後に降りたった浜田の地が教えてくれるだろう。

去年の旅が、28年という長い年月をかけて氷のように固く冷たく風化させてしまっていた記憶を溶解させるものであったのならば、今回は、まだまだフレッシュな味わいが感じられるボジョレ・ヌーボーを、1年ぶりに解禁させる気分。前世での出来事かと錯覚するほど時間的隔たりのあった懐かしい友との幼少時代の記憶を辿るのではなく、昨夏の楽しい思い出が蘇る。僕は昨年のような決死隊のような心境ではないが、そもそも前回と同じように緊張するほうがおかしいのだ。

あっという間に東京駅。新幹線の切符を買ったのはほんの数日前だった。6時00分発のグリーン車。去年の浜田再訪では、もちろんグリーン車などには乗らなかった。だが、今年は経済的にもかなり余裕ができたので、迷わずグリーン車のチケットを購入した。というのは嘘で、前々から浜田に行くことはわかっていたはずなのに、ギリギリになってようやく切符を買いにいったので、指定席も自由席も満席で、グリーン車しかなかったのだ。

構内で弁当とお土産を買った。前の晩にタイミングよく見たテレビの駅弁特集で予習していたので、買うのは「深川めし」に決めていた。改札をくぐり、この際だから「毎回グリーン車に乗っている然」をさりげなく装って、さっそうと『のぞみ』に乗り込んだ。グリーン車はやっぱり何かがちょっと違う。何かが少しだけ違う。嫌味なくらい違う。スペースが広い。おしぼりも出てくる。飛行機みたいに前の座席の背面の網目のラックに雑誌も入れてある。僕はこの手の雑誌がとっても好きで、旅をすると荷物になるのがわかっていながら必ず旅の間中ずっと旅行鞄に入れて携帯する。光り物を好んで収集するカラスと同じだ。

前の席で携帯型のゲームに興じているは子どもをぼんやりと眺めながら、博多に向かう列車に充満する「西日本の気配」を感じた。東海、関西、中国、そして九州。僕の父親の故郷は福岡市の大名で、母親は山口県の向津具という辺境の地の出身だ。僕自身は鹿児島で生まれ、5才で浜田に越し、その後、金沢、舞鶴、京都市、大津市と転々として、10年前に上京した。つまり、僕の人生を地図上で辿れば、西から東への民族大移動なのであり、東京から福岡へと走り出そうとしている列車は、さながら僕の半生を時系列に沿って回顧する絵巻物のようにも思える。車内で人々が話す関西弁、広島弁、九州弁的な言葉が懐かしい。やっぱり自分は西の人間なんだとあらためて感じる。何しろ、茨城以北には行ったことがないのだ。

6時ちょうど、西日本軍団を乗せたのぞみ1号が走り出した。車窓に映る模型みたいな街並みが次々と過ぎ去っていき、徐々にリアリティが失われていく。これが僕の生きている場所なのか? 都市でのうたかたの日々を生きる僕のスイッチはオフになり、西の地で過ごした時代にいつも身近に感じていた、いにしえの自分に立ち戻っていくような気がした。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記パートII ~いつまでも、僕は君を待っている~ その1

2010年08月31日 23時36分40秒 | 旅行記
「ピンポーン」

緊張の面持ちで、イットマンが呼び鈴を鳴らした。

海に面した旧道沿いにある大きな家の広い庭には、夏の強い日差しが燦々と照りつけていた。高まる鼓動をなだめようとするかのように、通りの向いにある日本海から、静かに打ち寄せる波の音が聞こえてくる。沈黙が続いた。近所に住んでいた気になる女の子、Kちゃんの家の前に、僕たちはいた。

子供の頃、よくこうやって誰かの家の呼び鈴を鳴らした。鍵のかかっていない玄関の引き戸を開け、子供っぽさを強調するような声音で、「○○君、遊ぼう~」って、思い切り叫んだ。あてどなく町をぶらぶらし、ふいに誰それの家に寄ろうと思いたち、歩を向けおもむろに呼び鈴を鳴らす。なんという自由さ、なんという信頼関係、なんという開けっぴろげさ。この「隣の晩ご飯」的な自由さは、今の僕の暮らしでは想像できないものだ。だが、この場所では例外的にそれが許されている――そう、ここ浜田では。

小学校の同級生だったイットマンと僕には、転校生という共通点があった。僕が小学4年生の終わりに転校したように、イットマンも中学1年生だったの年の6月、お父さんの仕事の関係で浜田を去ることになった。そのまま転移先の松江で学校を卒業し、住居を構える雲南市から今も松江にある会社に通勤している。浜田には高校3年生のときに一度だけ戻ってきたことはあるけど、それ以来、ずっとご無沙汰していた。

去年の夏、28年ぶりに浜田を再訪した僕とは、そのときは会えなかったけれど、ノリちゃんのお母さんがイットマンのお母さんに連絡をしてくれたことがきっかけで、今年の春に東京で再会できた。お互いランナーだったから、再会ついでに皇居を走ろうということになった。有楽町で待ち合わせ、29年ぶりの再会に興奮しながら、ともかく走った。心地よい汗を流した後、焼き鳥屋で乾杯した。思い出話に花を咲かせながらのビールが、最高に美味しかった。夏に浜田で会おう、今度は浜田の町を走ろう! そう誓い合って別れた。

そして約束通り、いま僕たちはお盆の浜田市にいる。

午後1時半、浜田駅に到着した僕は、イットマンに愛車「デロリアン」で拾ってもらった。予定通り、僕たちはエイコちゃんの家に行き、一年ぶりの感動の再会の挨拶もそこそこに、ランニングウェアに着替えさせてもらって、午後2時過ぎにさっそく走り始めた。ここは熱田と呼ばれるエリアで、イットマンが住んでいた家もすぐ近くにある。僕が住んでいたのは長浜と呼ばれるエリアで、熱田と長浜は小学校を境にして地域を二分していた。長浜が古くからある漁村をベースに広がっていった地域だとすれば、熱田はさしずめ新興住宅地という位置付けだ。

去年の僕と同じように、イットマンがまっさきに歩いて(正確には「走って」)みたいと言ったのは、住んでいた家の周りと、通学路だった。走り始めてすぐ、彼の全身を飲み込むようにして、強烈な懐かしさが洪水のように押し寄せてきた。イットマンの足は自然とKちゃんの家に向かっていた。

イットマンのドキドキが伝わってくる。彼の胸に去来しているであろう甘酸っぱいセンチメンタルな気持ちが、僕にも乗り移ってくるようだ。誰だって子供の頃、近所に気になる異性のひとりやふたりはいたはずだ。ほとんど話す機会はなくても、帰り道に姿を見かけたり、クラス替えで別のクラスになって、ちょっとだけ寂しい気持ちを感じたり。だけど結局、それっきりで、いつのまにか転校して離れ離れに。そこまで詳しくイットマンに確認したわけじゃないけど、なんとなくそんなことを想像してしまった。

今はもう、ウン十年経って、お互いに大人になっている。人としての核みたいなものは、たぶんあの頃と何も変わってはおらず、面影だってはっきりと残っているはずだ。これまでも、これからも、僕たちは何度も誰かの家の前で「ピンポーン」をするだろう。だけど、こんなに胸がドキドキするピンポーンはそうそうない。

懐かしすぎるあの人が玄関先に登場し、目と目があったら、その瞬間に大人である彼は子供に逆戻りし、子供だった彼は大人へと急成長する。ふたりの彼とふたりのあの人が、時空を駆け巡る。こんな瞬間は、人生でもめったに訪れない。この局面で、ドキドキしない男はいない。

沈黙が続いた。

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一年ぶりに、僕は浜田に帰って来た。懐かしい友達と会うために、去年は会えなかった友達と会うために。大好きな清君夫妻の家に泊めてもらい、えいこちゃん家の庭で去年と同じようにかぺ君たちとみんなでバーベキューをするために。

だけど、実のところ、なぜまた浜田に来ようと思ったのか、その理由を正確に説明することはできない。ここには僕の家はない。僕にとって浜田は帰省先でもなく、単なる旅行先でもないのだ。だが、ここには過去の自分が今も生きていて、大人になった大切な友人たちがいる。故郷とは呼べないかもしれないけど、どこよりも懐かしい、自分の原点のような場所。

そんなわけで、少し逡巡はしたけど、やはり今年も来ずにはおられなかった。そして、ともかく僕は来た。今回は、「スーパーおき」で遠回りすることなく、ちゃんと広島からの高速バスに乗って。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ エピローグ

2009年10月19日 22時58分29秒 | 旅行記
もし本当にタイムマシンに乗って、長浜小の四年二組に通う十才の自分に会いに行けるとしたら、僕は彼に向かってどんな言葉を伝えることができるのだろう? いたいけな少年を捕まえて、「これからのお前には、あんなこともこんなことも待ち構えている。あれをするな、これをするな、もっと行儀よくなれ、もっと計画的になれ、もっと――」とでも言うべきなのだろうか? いや、違う。おそらく、僕に言えることは何もない。あったとしても、言いたくない。ただ遠くで彼を見つめながら、「そのままでいい。くたくたになるまで思い切り遊び回れ」とだけ心の中でつぶやくのだろう。そんなこと言われなくても、彼はくたくたになるまで思い切り遊び回っているのだろうけど。

想像力を全開にし、持てる限りの体力を使って日が暮れるまで遊んでいた浜田での子供時代。それは僕にとって何にも替えがたい、幸せな思い出だ。これから先の人生で何があろうがいつまでもこの身を支え続けてくれるであろうもの、それは浜田の町を友達と駆け回ることによって培われた、この幸せな記憶だ。挫折多き半生ではあったが、ギリギリのところでなんとかやってこられたのは、友達の投げるゴムボールをギリギリのところでよける日々から得たあの感覚のおかげだ――28年ぶりの浜田で、あらためてそんなことを実感した。

むしろ僕は今回、あの頃の自分から多くのことを教わったのだ。「もっと自分らしく、もっと心の赴くままに、時間を忘れて目の前の何かに熱中してみろよ」十才の自分から、そう言われているような気がした。東京に持ち帰った宿題のひとつが、この旅行記だったのかもしれない。

時計の針は巻き戻せない。だけど、過去の記憶に別の角度から光りを当てることはできる。旅立つ前の浜田は、とてつもなく大きな幸福さを想起させるものでありながら、あまりにも長い時間を経過させてしまったことですっかり凍りつき、色あせてしまっていた。だが、再び訪れたこの土地で、潮風に晒されながら懐かしい景色を見渡し、浜っ子の温かい心に触れて彼らの心のなかに自分がまだ生きていると知ったとき、たしかに過去と、過去の持つ意味合いは変わった。雪解けの春を思わせる鮮やかな輝きのなかで、十才の僕はまた生き生きと躍動を始めたのだ。実際、本物のタイムマシンに乗って過去の自分に会いに行けたとしても、今回の旅ほど大きな何かを得ることはできなかっただろう。

この旅行記で浜田は、あくまでも部外者の視点で書かれている。わずか五年でこの地を去り、それ以来ずっと別の場所で暮らしてきた僕には、浜田の本当の姿はわからない。そもそも、今回の旅は3泊4日でしかなかったのだ(考えてみたら2日と20時間しか滞在していない。それなのに40回も書いてしまった)。約30年ぶりの故郷を訪れた者の眼に、この町は美化されたり、現実とはかけ離れたように映ったりした面もあるだろう。僕にできることは、そうした偏りがあることを認めたうえで、ひとりの「風の又三郎」として、浜田のありのままの姿とその素晴らしさを描くこと、自分が感じたことをそのまま表現することだった。

僕はたしかにこの夏、特別な体験をした。だが同時にそれは、決して僕ひとりだけに還元できるようなものではない。僕は、誰の心の中にも存在する懐かしい記憶の扉を、たまたま開けてしまっただけなのだ。そしてだからこそ、すべてがこんなに懐かしかったのだ。

謝辞
浜田のみんな――エイコちゃん、エイコちゃんのお父さんお母さん、いとこの晴美さん、マキちゃん、マキちゃんのお父さんお母さん、清君、清君のお父さんお母さん、靖子さん、かぺ君、コマッキー、タバサさん、由美ちゃん、紀ちゃん、紀ちゃんのママ、坂本君、ゆうすけ君、ナットミ、ヒロシ君、僕のお父さんお母さん、姉、弟、校舎の当直の先生、そして景山先生夫妻と、景山クラスのみんな――すべては書ききれないけれど、浜田への訪問中および旅行記を書いている間にお世話になったすべての方々――本当にありがとうございました。みなさんがいなければ、浜田への再訪はあり得ませんでした。みんなの協力がなければ、絶対にこの旅行記は書けませんでした。エイコちゃんには連日の電話取材で本当に大きなサポートをいただきました。ありがとね!

マリオさん、kameさん、山男さん、そして夏目先生を始め、コメントをいただいた方、そして旅行記を読んでいただいたすべての方々に感謝の意を捧げます。ありがとうございました。

最後に、あの頃の自分へ――ありがとう、お前は幸せ者だよ!

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その38

2009年10月15日 23時46分03秒 | 旅行記
第5章「28年目のグッドバイ」


眠りから覚めたら、目の前に三原順子がいた。そうだ、ここはエイコちゃんの家なのだ。携帯電話で時間を確認したら、九時を少し過ぎていた。慌てて服を着替え一階に降りる。お母さんが朝ご飯の準備をしてくれていた。お早うございます。昨日は本当にお世話になりました。大騒ぎしてすみません。お母さんは優しく笑ってうなずいてくれた。すでに起きていたエイコちゃんが、こっちゃんシャワー浴びんさい、と言ってくれたので、昨日、汗と酒と涙でドロドロになった身体をお湯で洗い流した。それにしても、女子の実家でお風呂に入るのって、なんだか不思議だ。緊張してしまう。

再び二階に戻って荷物をまとめ下に降りると、居間の食卓のうえにエイコママが作った美味しそうな朝ご飯の用意ができていた。お母さんは後で食事をされるのか、すでに済ませておられたのかわからないけど、エイコちゃんと僕の分だけが用意されていた。お母さんに見守られながら、ありがたく、遠慮なく、そして恐縮しながらいただいた。隣に座っているお母さんが、まるで食いしん坊万歳に出てくる料亭の女将さんに見える。山下真司な気分で黙々と箸を進めた。お母さんに、ブログの話を訊かれた。エイコちゃんから伝わっているのだろうけど、やっぱり恥ずかしい。ご飯がなくなると、エイコちゃんがおかわりをよそってくれた。お父さんが部屋から出てきて、別の部屋で新聞を読み始めた。お父さん、昨日はありがとうございました、と言うと、いやいや構わんよ、といった顔でうなずいてくれた。

温かいもてなしを受けて、とても嬉しい。しかし緊張する。エイコちゃん一家に囲まれて迎える朝。お父さんもお母さんも、娘の知り合いの男子がひとり家に来て泊まり、朝ご飯を食べているというのはなんとなく心中穏やかではないだろう。僕も落ち着かない。なんだかまるで、あらたまってご両親に挨拶に来たみたいな気持ちになってしまう。わずかでも沈黙が訪れてしまうと、次にどう口を開けばいいのかがわからくなる。なぜだか「お父さんお母さん、娘さんを僕に…」と思わず切り出してしまいそうな気分になってしまうのをぐっとこらえながら、おなか一杯ご飯をいただいた。お母さん、ご馳走さまでした。

今日はもう、午後に浜田を去ること以外は何も予定がない。「散歩にいこう」とエイコちゃんに誘われ、喜んで十時頃に家を出た。行くあてもなくブラブラしようということになった。

ヒロシ君の家の前を通り、元左君の家の前を通った。花岡君の家も近くだ。コマッキーの実家もこの辺り。エイコちゃんはマキちゃんの家の方に向かおうとしたのだけど、突然訪問したらせっかくの休日の朝にみなさんに気を使わせてしまうからええよ、と僕は言った。歩いていると、記憶が蘇ってくる。エイコちゃんの住む熱田という地域は、僕が住んでいた長浜とは学校を挟んで反対側の方角にあり、子供の足では放課後に気軽に来られるような距離ではなかったが、それでも気合いを入れて何度も遊びに来たものだ。土地勘はないけど、目に入る光景のなかに、かつてここにいた自分の姿を描くことができる。

「イットマン」こと伊藤君が住んでいた家の前にきた。イットマンのお父さんは自動車関係の仕事をしていて、その大きな施設のなかに彼の家はあった。今はもう、当時とは建物の感じも変わってしまっていたけど、施設内に足を踏み入れたとたんに懐かしさが込み上げてくる。ここでよく野球をやった。切り崩された丘の側面を固めているコンクリート。この壁に、ボールをぶつけたんだ。大型トラックが何台も停められていた、公園でもグラウンドでもない固いコンクリートのうえでの遊びには緊張感がともない、障害物の多い場所で野球をしていると、ホームランや特大のファールを打ったらボールの行方がわからなくなってしまうこともあった。しかしそんな危険さが、たまらないスリルでもあった。傍目からみたら、こんなところで子供が遊ぶなんて危ないと思われていたかもしれない。もし僕が、ここがイットマンたちとよく遊んだ場所だということを覚えていなければ、目の前にあるのは単なる自動車関連の施設だと思うだろう。だが、ここは夢のような遊び場だった。あの頃の僕たちは、大人たちが普段出入りし仕事をしている場所を自分たちも同じように使えることに喜びを感じていた。なんとなく少しだけ大人になったような気がしたものだ。当時の僕には、大人はすべて立派に見え、同時にうまく理解できない存在でもあった。今ここで夢中になって野球をしている子供がいるとしたら、その子供の眼に、僕はあの頃僕が見ていた大人と同じように映るのだろうか。後に転校し、今では松江に住んでいるという彼には今回会えなかったけど、この場所にはイットマンの思い出がたっぷりと詰まっている。僕が住んでいた家が僕にとって特別な場所であるように、彼にとってもここは永遠に特別な場所であり続ける。彼の言葉はなくても、僕にはそれがとてもよくわかった。目の前の国道を、何台もの車が通りすぎていく。だがその騒音がまったく気にならないほど、そこには静謐な空気が流れていた。四日間、感じ続けてきた「懐かしさ」が、最終日の今日は少しだけ今までと違う意味合いを帯びてきていることに気づいた。

そのまま歩き続けた。十前君の家の前を通りかかったら、エイコちゃんがまた、挨拶してみよか、と言って玄関のチャイムを鳴らした。もう、突然すぎて彼だって驚くだろうに、と小心者の僕はハラハラしたけど、不在だったらしくどなたも出てこなかった。何となくホッとした。彼にはまたの機会に会えたら嬉しい。エイコちゃん、ちょっと突発的すぎるで、と僕は言った。

「そうや、浜田カントリークラブに行ってみいへん? ちょっと距離はあるけけど、このまままっすぐ行ったら着くで」彼女がこっちを見た。そう言われて見上げると、目の前の丘陵には深々とした緑が広がり、遠くにそれらしき施設の一部が見える。歩いたら気持ち良さそうだ。おお、ええよ、ぜひ行こう。ちょっとした食後の散歩のつもりが、かなり本格的な散策になってきた。「今頃、清君、清君のお兄さん、かぺ君、コマツの四人がゴルフしとるはずやけ、会えるかもしれんよ」エイコちゃんが笑った。「そうやな、クラブハウスで待ち伏せしてびっくりさせたろか」僕は言った。

徐々に強まってきた陽射しの下で、なだらかな坂道をゆっくりと歩いた。人家の少ない山道に耳をつんざくようなセミの鳴き声が響き渡っている。歩を進めていくほどに、見下ろす浜田の街並みが大きく広がっていく。歩き始めてすでに、一時間半ほどが経過していた。

カントリークラブが徐々に近づいてきている。気がつけば、路上から見渡す浜田湾はますます大きなものになっている。果てしない海と、それに負けないくらい巨大な陸地。昨日までのまるで祭のような日々も終わり、これから小さな日常に帰って行かなければならない僕に対し、その雄大な光景が少しずつ距離を取り始めたようにも思えた。

「わあ、こうしてみると浜田ってこんな町やったんかちゅうことがようわかるな」エイコちゃんが眼前の景色に見とれるようにして言った。「この景色を見とると、うち思い出すことがあるんよ。小学六年のとき、友達と錦町の「アカマツ」の二階にあった「プリティ」までキキ☆ララとかマイメロのグッズを買いに行ったんよ、荷物がたくさんになったんやけど、おしゃべりに夢中で、それを全部バス停のベンチに置き忘れてしもたん。柿田のお面屋さんの前のバス停で降りたときにそれに気づいて、もうめっさ気が動転して、錦町まで相当距離があるのにダッシュして走っていったん。もう焦りまくってたから、バスに乗って戻るってこと考えつかんかったんよなあ。子供なのにあんなに遠くまで走ってったんやって、ここから見てたらわかるわ」懐かしそうに笑った。今でも小柄だが、当時はさらに小さな小学生バージョンのエイコちゃんが、忘れ物を取りに全力で浜田の街を駆け抜けていく姿が心に浮かんだ。錦町には、毎週土曜日の夜の「土曜夜市(どよよいいち)」に、家族でしょっちゅう出かけ、出店で仮面ライダーのお面を買ったり、金魚すくいをしたりした。東映の映画館で、父親と一緒に大人向けの一般映画を観たこともあった。『スターウォーズ』も観たのもここだったよな。

ちょっと気になっていたことがあった僕は、思い切ってエイコちゃんに聞いてみた。

「エイコちゃん、なんだか元気がないみたいだけど、大丈夫?」

山道を歩いていたからではない。初日と二日目はあまり気づかなかったけど、昨日あたりから、彼女がときおり疲れているような、悲しそうな表情を見せているのに気づき、どうしたのだろうと思っていたのだ。夕日パークでみんなで海を眺めていたときも、昨日のバーベキューで宴たけなわのときも、ひとりだけぽつんと寂しそうに佇んでいる風な様子がうかがえた。僕はそれを彼女に伝えた。

「え? そういう風に見えとったん? やっぱりわかるんかな」エイコちゃんが言った。「心配かけたくないからあんまりみんなには言わんようにしとるんやけど、実はね」ゆっくりとしゃべり始めた。

聞けば、ここ数年ちょっと辛いことがあり、それに耐えているうちにストレスが積み重なったのか、ここのところ身体の調子があまりよくないのだという。普段はあっけらかんとして天真爛漫なところもある彼女だが、同時にものすごく繊細で優しい心も持っている。自らに我慢を強いることで、傍目かもわかってしまうくらいの辛さを抱えながら過ごしてきた彼女の大阪での日々を想像し、僕も心が痛んだ。僕は28年ぶりの再会に浮かれ、祝祭的なムードに浸るばかりに、彼女が誰もと同じように様々な日々の出来事に翻弄されながら生きているひとりの人間であることをうまく想像できず、彼女が感じていた心の痛みに気づけなかった。

「でもね、もうその辛さからは解放されたん。だけどこれまで我慢してたことがまだ心に残ってるみたいで、ここにきてどっと疲れがでてしもたみたいなんよ」深い悲しみを経験したひとがときおり見せる表情に、それを見るものにはけっしてわからない、そのひとだけが通過してきた悲しみが宿っているような気がすることがある。エイコちゃんはうちは大丈夫やよ、と言って笑ったが、鈍感な僕にそれを気づかせるくらいに大きな辛さを体験してきたのだということが、そのセリフの後ろから伝わってきた。

かつて、バス停のベンチに置き忘れたキキ☆ララの筆箱を取り戻しに少女が全力で駆け抜けた町。信じられないことに、彼女は本当にはるか先にある錦町まで走り続けた。だが、筆箱は待っていてくれなかった。どれだけ探しても、ベンチには買い物袋は見あたらなかったのだ。だがそれでも、浜田が少女時代のエイコちゃんを優しく見守り続けてきたことには疑いの余地はない。今、浜田から遠く離れた関西で、大人の女性として生きる彼女に、浜田は何を語りかけているのだろうか。あのとき失ってしまった買ったばかりのキキ☆ララの筆箱は、まだこの町のどこかにそっと隠されているのではないのか。

そして僕にも悲しみはあった。あまりに大きいので未だにその本当の大きさがわからないくらいの、人生と同じくらいに長くて不可思議で、この手と頭ではすべてを把握することができないくらいの悲しみが。だがすべては自業自得だ。誰を責めることもできないし、責めたくもない。その時々を懸命に生きてきた、そのすべての答えとしての僕が今ここにあり、それを否定するつもりはない。折に触れて流れる涙が、悲しみの底深さとともに、忘れかけていた温かい心をも目覚めさせてくれるものであることを、浜田に来る直前に、僕は実感していた。

「なあ、そんなに心配せんでも大丈夫やで、ちょっと疲れてただけやし。今回ええこともたくさんあったから、すぐまた元気になれる思うけえ」エイコちゃんがニッコリと微笑んだ。ごめん、妙にシリアスになってしまうのは僕の悪いクセなのだ。そうだよね、ちょっと疲れてただけだよね。きっとすぐにまた元気になるよ。

彼女の胸の内を聞けて、嬉しいような悲しいような気持ちになった。だが、もういたずらに過去を振り返る必要はない。浜田という原点に立ち返った今、僕たちの目の前にあるのは、今日という日と未来だけなのだ。やさしく僕たちの過去を包む浜田湾が、ただすべてを受け入れて、前に進めばいいんだと言ってくれているような気がした。明るい笑顔でこの町を駆け回っていた少女は、きっと同じ笑顔で軽やかに明日を駆け抜けていくはずだ。みんながそれを後押ししてくれるはずだ。そしてこの僕も――。

カントリークラブに到着した。すでにお昼どきになっていた。エイコちゃんと僕は、清君たちがいることを期待しながら、クラブハウスの中に突入していった。


(続く ~次回、ついに最終回!~)


始めから読みたいと思ってくださった方は、どうぞこちら(その1)からご覧ください~!



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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その37

2009年10月11日 23時59分06秒 | 旅行記
庭でのバーベキューを終了し、部屋に上がってさらに宴会は続いた。柱時計を見ると、すでに時刻は十時を回っていた。

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※注:そのとき酩酊状態にあった僕の記憶は、この辺から途切れ途切れになっています(笑)。ここからは主としてエイコちゃんへの電話取材から得た情報を元に執筆しています。
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みんなで車座になって話を続けた。今日はマキちゃんの誕生日だ。昼間ショッピングセンターで買ったケーキを前にして、ハッピバースデーの歌を歌った。マキちゃん、おめでとう。そして、二日前に同じく誕生日だった清君に対しても、みんなでハッピーバースデーの歌を歌った。清君、おめでとう。

僕は五月にすでに今年の誕生日を終えていた。昭和四十五年生まれの僕たちは今年、三十九才になる。信じられないけど、時間だけには誰も逆らうことはできないのだ。だけど同い年だからか、みんなといるとあんまり年のことは気にならない。お互いの子供時代を知っているからこそ、よけいに自分たちがまだ子供であるような、子供でいてもいいような気がする。あの頃の自分たちは、いつかこんな年齢になるなんてことを想像できなかった。今、実際にそんな年に達しても、人生はまだまだこれからだと、そんな気がする。そう思えるのは、この場にいる限り、きっと本質的なところで僕たちがあの頃と何も変わっていないことを信じられるからだ。今夜は、強くそんな気分にさせられる、特別な夜だった。

にむしの話が止まらない。今回は残念ながら参加できなかった元佐君というクラスメイトがいたのだけど、彼がいかにこの遊びの達人であったかという話題がなぜか異常な盛り上がりを見せた。小柄な元佐君が、野ウサギのようにジグザグに素早くダッシュし、ボールを当てられそうになるとムササビのようにジャンプしてそれをかわした。その光景が、僕たち男子の間に強烈によみがえってきた。あれはすごかったわ、ガンサはものすごうジャンプしよったろう、自分の背丈以上の高さまで跳ねあがっとったけえ。今度またガンサを入れてにむしをやろう、思い切りボールをぶつけてやるけえね、きっとえらい盛り上がるわ。

そんな話をひたすらに男子は続けていた。その他にもいろいろ話題はあったはずだが、やはり30年近くぶりのにむしはそれだけ元少年たちの心に大きなインパクトを与えたということなのだろうか。ちょっと話が他の方向にいっても、すぐにまたにむし話に戻ってくるので、またその話しとんか、とエイコちゃんがあきれて言った。ともかく、酒は注がれ続け、酔いはしたたかに回り、話は一向に止まることなく延々と続いた。

台所で、お母さんが何も言わず黙々と後片付けをしている。その後ろ姿に、何とも言えず暖かいものを感じだ。お母さん、ありがとう。僕はプラスチックのバットを振り回し、今度にむしをするときには、このバットでジャンプした元佐君をたたき落とす、とかなんとかわけのわからないことを口走っていた。危ないなあ、と由美ちゃんが言った。台所で、なんだかよくわからないけど、エイコちゃんがバッター、僕がキャッチャー、マキちゃんが審判のポーズをして、タバサさんに写真を撮ってもらった。今回たくさん撮った写真のなかでも、特にお気に入りの一枚だ。まさかふたりとこんなに打ち解けて、こんな冗談みたいなポーズをして写真が撮れるなんて、来る前は思ってもいなかった。メールでも僕は敬語を使い続けていたし、電話をかけることすら緊張してできなかったのに。

気がついたらもう十二時になっていた――そろそろ、帰らなくては。

エイコちゃんのご近所のみなさんには、遅くまでワイワイ騒いで迷惑をかけてしまった。お父さんお母さん、何から何まで本当にお世話になりました。どんちゃん騒ぎしてごめんなさい。みんなまた会おうな、全員の住所とメールアドレスをマキちゃんがまとめてくれて、携帯に送ってくれた。「二虫会ご一行様(名簿)」メールの件名には、そう記されていた。

近所の人は歩きで、遠くから来ていた人はタクシーや迎えの車に乗り込んで、それぞれ岐路に着く。最後に写真を撮った。全員での記念写真。コマッキー、ヒロシ君と肩を君でのスリーショット。その後、僕はヒロシ君と新婚旅行のカップルみたいに熱烈に抱き合ってツーショットの写真を撮った。お互いの身体をまさぐり合うようなあまりの密着度に、周囲からどよめきが起こった。かなり危ない写真だった。ヒロシ君、思いがけず君に会えてめちゃくちゃ嬉しかった。こんなに久しぶりにあったのに、自然と昔のことを話し合えて最高の気分だった。コマッキーと固く握手を交わした。こっちゃん、明日何時頃帰るん? オレ車で送っていくけえ。ありがとう、でもまだ時間は決めてないから、どうなるかわからないし、気持ちだけ受け取っとくよ。言葉少ない彼が見せてくれた優しさにグッと来た。また会おう。可愛い奥さんと娘さんを大切にして、仕事、頑張ってくれ。

そうだ、ついにみんなとのお別れの時がやってきたのだ。

紀ちゃん、魔物に気をつけて帰ってね。景山先生との楽しいひとときを一緒に過ごせて夢のようだった。お母さんとの楽しいひとときをありがとう、オレもたまには京都に帰るから、そのときは食事でも! タバサさん、素敵な写真をありがとう、生涯忘れられない思い出になったよ。娘さんにも会えてよかった。これがコマッキーとタバサさんの愛する娘さんなんだって、しみじみと可愛いりおんちゃんを見つめてしまったよ。会えて本当に嬉しかったです――どさくさに紛れてタバサさんと熱い抱擁を交わした。そしてマキちゃん、君への感謝は言葉にできない。本当にありがとう、また会おうね、手を握りしめて言うと、うん、でもうちは明日もこっちゃんを見送りに行くけん、と言ってマキちゃんが微笑んだ、ええ、そんな、ええのに。いいや、見送るけん、また明日ね。ほろ酔いではあっても、強い目力(めじから)で、何かを僕に伝えるように、あるいは自分自身に言い聞かせるようにして、彼女はそう言った。わかった、ありがとう。じゃあまた明日ね!

清君、本当に、本当にありがとう。別れは寂しいけれど、でも絶対にまた会えるという気持ちの方が強くて、しめっぽい気持ちにもならない。それくらい、暖かく強い絆を感じることができたから。君が昔とちっとも変わっていなくて、本当に嬉しかった。最愛の靖子さんにもどうぞよろしく! また来るけん。かぺ君と固い握手をした。わし、こっちゃんの東京の家に魚送る気満々やけえね、ええ、そんな気ィつかわなくてもええよ! いやいや友人に魚を送るんはかぺ家の伝統やけえね、潜ってとったサザエを送るけえ楽しみにしといてね、こっちゃんと会うの、これが最後やとはまったく思っとらんけえね、また必ず帰ってきんさい。うん、かぺ君も東京に遊びに来てね、本当にありがとう。昔と同じだ。君があまりにも愛すべき存在なので、僕はもうどうしていいかわからないよ。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

みんなと手を振って別れた。ぽっかりと心に穴が空いたような気がした。寂しかったけど、でも、心の底から寂しいとは思わなかった。これは「別れ」ではない。いつか近いうちに会えることを知っている者同士が交わす「バイバイ、またね」なのだ。小学生だった僕たちが、夕暮れ時に元気よく手を降って別れたときと同じような。

由美ちゃんとエイコちゃんと僕の三人だけになった。由美ちゃんを送っていくことになり、僕も女性だけでは危ないからということでついて行くことにした。しかしながら、酩酊していた僕はむしろ彼女たちを守るというより、彼女たちに守られながら前に進んだ。

ごく近くに住んでいるはずの由美ちゃんの家に着くまでに、いろんなことを話した。というのも、途中で僕が座り込み、延々と話しを続けたからだ。僕は熱く喋った。浜田という地元に住んでいる友達、あるいは地元に深く根ざしている友達は、みんな大人に見える。僕だけがまだ子供で、大人になりきれていないんだ、故郷を持たない自分が寂しいよ――そんな話を、僕はふたりに語り続けていたらしい。なして? そんなことないやん、こっちゃんだって十分立派な大人になっとろうが、エイコちゃんはそうやって慰めてくれていた。僕は友達と会えて本当に、純粋に、嬉しかった。友達が、浜田という土地を愛し、浜田という土地に守られて、たくさんの仲間に囲まれて暮らしていることを知って、とても嬉しかった。だけど心の中では、少しだけ寂しさを感じていたのかも知れない。彼らと、彼女たちと、この場所で同じ時間を過ごせなかったことを、後悔していたのかもしれない。もちろん自分でもそんな風に思っていることはわかっていたけど、そんなに熱く語り続けていたなんて、後でその話を聞かされて、なんだかとても恥ずかしかった。ともかく、ふたりには迷惑をかけてしまった。本当にごめんなさい!

由美ちゃんの家の近くに来た。由美ちゃん、君が僕のブログを見つけてくれなかったら、今回の旅はありえなかった。本当にありがとう。賢治の風の又三郎、帰ったら読むよ。うん、ブログ楽しみにしとるけえ、頑張って書いてな、じゃあね! おう、書くで、鹿児島にも遊びに行くからね! 酔っぱらっていて、すまん! 

エイコちゃんとふたりで彼女の家に向かった。今日もエイコちゃんには、長い一日を付き合ってもらった。エイコちゃん、今回はホント世話になったよ、感謝してる。最高だったよ。エイコちゃんはまだ酔い覚めやらぬ僕を上手くあしらいながら、玄関につくと、もうお父ちゃんとお母ちゃんは寝とるけえ、静かにしてね、二階に行って早う寝んさい、布団はひいてあるけえね、と言った。うん、おやすみ。小声で言った。

廊下を忍び足で歩いて、階段を上り、かつてお兄さんが住んでいた部屋に入ると、布団の支度ができていた。お母さん、ありがとう。今日も本当にいろんなことがあった。横になっても、まだ頭がクラクラする。あまりにも多くの三日間の出来事が、頭のなかでグルグルと渦巻くようにして回っている。天井に貼られた「コーク大好き三原順子」のポスターを見つめながら、今晩もまた、深い眠りに落ちた。浜田最後の夜が更けていった。

第4章 「宴」~完~

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その36

2009年10月10日 22時30分59秒 | 旅行記
炭は真っ赤に燃え上がっている。コンロの網のうえで、次々に肉や野菜が焼かれていく。紙カップには次々とビールが注がれていく。みんなと一緒に外で食べるバーベキューの味は最高だ。

ヒロシ君はさっき来たばかりなのに、にむしに参加してくれた。突然の展開を受け入れてくれた彼の粋な心意気が嬉しい。にむしが終わってあらためて話をした。休み時間になると校庭に飛び出してボール遊びに熱中していた小学校一、二年のころ、大活躍していたのがヒロシ君だった。僕の心には、真っ青な空を背景にグラウンドを躍動する彼の姿が残っている。ヒロシ君、運動神経がよかったよね~。ボキャブラリの少ない僕の口からはそんな淡泊なセリフしか出てこないのだけど、それでもやっぱり言葉を越えて感じ合うものはあった。少し話しただけで、彼がとってもナイスガイだということがわかった。今ではもう高校生の息子さんがいるそうだ。エイコちゃんと彼みたいに、目と鼻の先に実家があってもめったに会う機会はないという場合は多い。他のメンバーも同様だ。それぞれに最後に会ったとき以来だね、という話をしながら、懐かしい過去を確かめ合っている。ヒロシ君も僕のことを覚えていてくれた。面影がよく残ってるね、と言われた。とても嬉しかった。

飲んでも飲んでも、紙カップには次々とビールが注がれていく。いくら食べてもお肉は次々に網のうえに乗せられていく。タバサさん、コマッキー、りおんちゃんの一家、清君、紀ちゃん、由美ちゃん、エイコちゃん、マキちゃん、かぺ君。あちこちで話が盛り上がっている。うちらが高一のとき、浜商は甲子園に出たんよ、中二のとき誰々が何々しよったろう、高校卒業してから誰それがどこに就職して、などなど、などなど、話は止まらない。そう言えば、浜田出身の有名人と言えば、近鉄の梨田監督、元プロレスラーのアニマル浜口さんなどがいる。景山先生はふたりが小さいころのことも知っていて、こんにゃく打法で有名だった梨田さんがソフトボールの試合に出たときはすごかった、とか、浜口さんは相当にやんちゃだったとか、そんな話をしてくれたこともあったっけ。かぺ君が、ヒロシ君たちに今回の経緯を説明している「こっちゃんがブログをやっとって、それをたまたま女子が見つけて…」「『イワシの翻訳LOVE』ゆうんよ」「え?なんて?イワシの...?」「そう、グーグルで『イワシの...』と検索したら出てくるけえ」みんな、真顔で話している。なんだか妙に恥ずかしい。ともかく話は延々と続いた。かなり酔いが回ってきた。

庭に面した部屋ではエイコちゃんたちがせっせと台所との間を行き来しお酒や食材の用意をしてくれている。そうだ、思い出した。例の作戦を実行しなければ。かぺ君、今日はワインもあるんだよ。かぺ君のためにフランス産の高級ワインを用意したんだよ、そう言って、さっき買った「いい方のワイン」をちらっとかぺ君に見せて、こっそりメルシャンのワインをカップに注いでかぺ君に差し出した(かぺ君、ごめん)。かぺ君は、ものすごく嬉しそうな顔をして、カップを受け取り、美味しそうにワインを味わった。

「これは美味い! 全然ちがうわ!」かぺ君がこれはびっくり、といった感じで首を伸ばし、眼を丸くして興奮している。予想していた以上に見事にだまされてくれたので、マキちゃんとエイコちゃんと僕は部屋のなかでお腹を捩って爆笑した(かぺ君、本当にごめん)。たちまち空になったカップを受け取り、もう一杯注いでかぺ君に渡した。かぺ君は清君やヒロシ君にもワインを勧めている。美味しいけん、飲んでみんさい、昨日「ビストロセゾン」で飲んだワインより旨いわ。あまりにも絵に描いたような展開に、笑いが止まらない。清君も一口味わい、これは美味いと唸った。フランス産の高級ワインやけえ、香りが違うわ。僕たちは笑いを抑えきれず、部屋の陰で呼吸困難になるほど笑い続けた(みんな、ごめん)。ヒロシ君は、そんな僕たちの様子に気づいたのか、疑わしそうにワインを口にしていた。マキちゃんたちは、とっさに平然を装った。

もう一杯、おフランスのワインをくださいな、と部屋の入り口にやってきた上機嫌のかぺ君に、メルシャンの紙パックを目撃されてしまった。

一瞬ですべてを悟ったカペ君が、思いっきり嵌められたな、と言って笑った。マキちゃんはそれでもめげずに、ええ方のワインボトルを上品に手に取って「こちらをお出ししてま~す」と可愛い声でいった。エイコちゃんもそうそう、メルシャンなんて使ってないよ、ええ方のワインを注いどるんよ、というそぶりをした。ふたりの仕草が面白くて、僕はまた爆笑してしまった。こういうときに、ふたりはものすごく息が合う。打ち合わせなんてしてなくても、アドリブがどんどんと出てくる。長年のコンビだけに許された絶妙の技だ。かぺ君はええ方のワインを見て、でもそっち、まだコルクを抜いとらんやろう、と言った。またみんなで笑った。こんなに笑ったのは、本当に久しぶりだというくらいに笑った。

そんなこんなでついに「ええ方」のワインも開け、お徳用のメルシャンのワインも飲み続け、ビールもひたすらに飲み続けた。酎ハイも、ハイボールも飲んだ。途中で小雨が降ってコンロを家のなかに戻したりもしたけど、すぐに止んでくれたから、支障なく続けられた。どれだけ食べたか飲んだかわからない。僕はさらに酔っぱらってしまった。

気づいたらエイコちゃんは庭には出ず、「本部席」と彼女たちが呼んでいる部屋のなかで座り、ちょっとだけ疲れたような、そして幸せそうな顔をしてみんなの様子を見つめていた。エイコちゃん、ちゃんと食べてる? 飲んでる? 心配になってそう聞いた。うちはここでええんよ、と少しだけ寂しそうに彼女が言った。どうしていいのかわからなくて、僕も本部に残り、みんなの様子を眺めながら飲み続けた。マキちゃんも上がってきて、三人でしばらくそこにいた。宴会はさらに盛り上がっている。夢のような光景。

そうだ、今がチャンスだと思って、僕は立ち上がり、あらためてふたりに感謝の言葉を伝えた。こうしてみんなと会えたのも、エイコちゃんとマキちゃんのおかげです。どうもありがとう。浜田に帰ってこれて本当によかった。本当に、ありがとう。酔いも手伝って、しゃべりながらちょっとジーンとしてしまった。ふたりもちょっと驚いていたけど、僕の言葉をしっかりと受け止めてくれた。後で聞いたのだけど、ふたりはこっそり二階にあがり、窓からみんながバーベキューを楽しんでいる様子を眺めながら、お互いを称え合い固い握手を交わしたのだそうだ。明日になれば、もう浜田を去らなくてはならない。さよならの瞬間がもうすぐそこまで近づいていた。

記憶が途切れて断片的にしか覚えていない。結局六時半頃にはじまったバーベキューは夜十時に終了した。その後もみんなで部屋に上がって、さらに宴席はエンドレスに続いたのだった。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その35

2009年10月09日 22時28分44秒 | 旅行記
由美ちゃんの運転で、エイコちゃんの家に向かった。家に着くと、エイコパパがバーベキューの準備をしてくれていた。エイコママが野菜を切ってくれていた。今宵もまた、宴が始まるのだ。そんなワクワクする空気がみなぎっている。

紀ちゃんはすでに到着して、夕日パークに寄っていた僕たちの帰りを待っていた。これから続々とみんなが到着するはずだ。何から手を付けていいのかわからないけど、とにかくみんな宴会の準備を始めた。僕はさっそくにむしの準備をするべく、エイコちゃんの家の前にある浜田商業高校のグラウンドに出て、土の状態を確認したり、肩を温めるために軽い運動をしたりした。女性陣の冷ややかな視線を感じた。

コマッキーとかぺ君が到着した。ふたりはさっそく慣れた手つきでコンロの炭に火を起こし始めた。かぺ君はこういうときにものすごくハッスルする人なのだということがわかった。もうわし、この夏だけで何度バーベキューやったかわからんくらいなんよ、とかぺ君は言った。コマッキーも黙々と着火作業に集中している。こういうとき、浜っ子は実に男らしく、頼もしいものなのだ。なかなか上手く火は付かなかったのだけど、しばらく遠くで様子を見守ってくれていたエイコパパがさりげなく手伝ってくれたおかげもあって、無事に炭は燃え始めた。

そうこうしているうちに、清君がやってきた。愛娘のりおんちゃんを連れてタバサさんもやってきた。バーベキューの準備もだいぶ整った。かぺ君とふたりでグラウンドに行き、ゴムボールでキャッチボールをした。にむしのために、足の先で地面に土俵のような円をふたつ描いた。この円の間を攻めのチームが往復するのだ。かぺ君にあらためてにむしのルールの説明を受けながらキャッチボールをしつつ、冗談みたいに言っていたにむしが本当に実現しそうになっていることへの興奮を抑えきれなかった。

あまりにむしに気を取られていると、なんだかバーべーキュー隊に申し訳ない気がしたのでさりげなく庭に戻ってまた準備を手伝っていると、突然の参加者が訪れた。首にタオルを巻いて、手土産のビールを持っている。ヒロシ君だ。ヒロシ君とは小学校の1、2年で同じクラスだった。スポーツも勉強もクラスで一番の男前で、クラスのヒーローだった(ちなみに、かぺ君のアゴが血だらけになった事件のとき、かぺ君と休み時間に相撲を取っていたのがヒロシ君である)。エイコちゃんの家のすぐ近所に住んでいるので、せっかくだからと彼女が声をかけてくれたのだ。ヒロシ君自身も自宅で家族のみなさんとバーベキューを始めようとしていたところ、エイコちゃんとマキちゃんの突撃訪問のお誘いをもらってこちらに急遽参加することにしてくれたのだと言う。

突然のことにびっくりしてしまった。ヒロシ君自身も、中学や高校を卒業して依頼、他のメンバーともめったに会う機会はなかったようだったし、ちょっと面食らっているようだった。僕がいることにも驚いただろう。懐かしく、とても嬉しい。そしてまたまた、何を喋っていいのかはわからない。ともかく、バーベキューは始まろうとしている。だがその前に、僕たちにはやるべきことがある。そう、「にむし」だ。

全員でグラウンドに出た。すでに時刻は六時を過ぎ、日が暮れ始めている。かぺ君と清君が守備のふたりになり、残りが攻撃チームになって、さっき描いた輪の中に入った。タバサさんがビデオを回してくれている。エイコちゃんとマキちゃんを除いて、反対側の輪のなかに全員が入った。ヒロシ君も、さっきみんなと再会したばかりなのに、参加してくれた。いったい何がどうなっているのか、戸惑っているかもしれない。でもそれがおかしく、そして嬉しかった。

夕焼け色に染まり始めたグラウンドのうえで、かぺ君と清君がキャッチボールを始めた。

一回、二回、三回。攻撃側のチームは、息を殺して20メートルほど離れた反対側の円に行く気配を伺う。こっちにいる清君に向かって、かぺ君がボールを投げた。その瞬間、僕を含め何名かが盗塁をするランナーのようにサッと走り出した。ボールをキャッチした清君が、すかさず誰かに向かってボールを投げる。当たればアウトだ。ボールは外れ、遠くに向かって転がり始めた。そのスキに、かぺ君側の円に無事到達した僕たちは、また清君側の円に向かって走り出した。この感覚! 子供の頃に幾度となく味わった、スリルと興奮。

もういい年をした大人になった仲間たちが、こんな子供の遊びに興じてくれていることがたまらなく嬉しい。まさか浜田に来て、みんなとにむしができるなんて思わなかった。走り出したら、あっという間にあの頃にタイムスリップした。清君がボールをキャッチすると、獲物を狙うハゲタカのような眼で僕にボールをぶつけにくる。至近距離から、独特の小さなモーションで放たれるボール。当時とまったく同じだ。実は清君は手加減してくれていたのかもしれないけれど、うまくジャンプしてかわし、どんどん先に進む。一往復したらいちむし。二往復したらにむし。とうとうはちむしまで行った。「はちむし!」と宣言したら、清君とカペ君の目つきが変わり、緊迫感がますます高まった。じゅうむしまで行けば攻撃チームの勝利だ。すでにダッシュしすぎで足がフラフラだった。でも気合いを入れて、もういっちょう! 走ったところで清君に思い切りボールをぶつけられた。アウト。コマッキーも、ヒロシ君も、紀ちゃんも由美ちゃんも、途中から参加したマキちゃんも全員アウトになったところで、にむしは終わった。子供の頃は延々と続けていたゲームも、一回やったらもうみんなクタクタで、お開きにしようということになった。

楽しかった。夢みたいだ。『フィールド・オブ・ドリームス』のトウモロコシ畑の世界にいるみたいだった。

エイコちゃんの家の庭に戻った僕たちは、ビニールシートのうえに座り、コンロで肉や野菜を焼き始め、そしてビールで乾杯した。一汗かいた後だったから、格別に美味しかった。肉の焼ける美味しそうな匂いが、すぐに漂い始めた。こうして、僕にとって浜田最後の夜の宴会が始まったのだった。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その34

2009年10月04日 17時47分27秒 | 旅行記
エイコちゃんの家に戻るにはまだ早い。とりあえず元来た道を熱田方面に進み、海沿いの道に車を停めた。長浜小にも程近いこの道は、僕の通学路コースの1つでもあった。こういうとき海が近くにあるといい。湾を眺め潮風に吹かれているだけで、気持ちが満たされる。由美ちゃんは家にちょっと用事があるからとそのまま車を出発させた。たぶん30分も経たないうちに戻って来られる。町が小さいと、こういう風にすぐに家に帰れるのがいい。3人で海岸線をそぞろ歩いた。静かな波の音を聞いていると、たちまち意識の淀みや心のざわめきが消えていき、何かに執着することなくゆっくりとした時の流れに身を委ねることができるような気がした。海を見ていると、人間を含め生物はみんな海から生まれたものなんだよなぁと感じてしまう。

ずいぶん前に閉店したと思われる「サンキュー」という店名の喫茶店の店舗がそのまま残っていた。当時は子供だからお店のなかに入ったことはなかったけど、店の前は何百回となく通った。知っているお店が30年近く経っても残っているのを見ると嬉しい。眼前の海は堤防で囲まれた貯木場として利用されており、当時はいつも大きな材木がいくつも浮かんでいた。コンクリートで固められた海岸から真下の海面を覗くと、ボラがスイスイと泳いでいた。昔と同じだ。サヨリやカワハギ、触ると指が腫れてしまうアイタロウなんかをよく釣ったものだ。コンクリートの波打ち際を大量のフナムシがうろついている。まるで海のゴキブリ。ちょっと気持ち悪くて、昔からあんまり好きになれなかった。薄い緑色の透明な海水の2メートルほど下に海底が見える。ウニがいた。マキちゃんが真剣に捕まえて食べたいと言った。ここにかぺ君がいたら、まよわずザボンと飛び込んで採ってくれるだろうに…。

そうや、紀ちゃんの家に行かん? とエイコちゃんが言った。紀ちゃんの家はすぐ近くにある。町が小さいと、思いついたらすぐに友達の家に遊びに行けるからいい。エイコちゃんはさっそく紀ちゃんの家の方に向かって歩きながら、彼女に電話をかけている。ものすごい行動力だ。うちら近くにおるんよ、今から行くけえね。この気軽さがすごい。ヲイヲイ「隣の晩ご飯」じゃないんだからそんないきなりな展開はありなのか、思いながらも、小学校のときは一度もお邪魔することのなかった紀ちゃんの家に向かって僕もヨネスケな気分で歩き始めた。

すぐに紀ちゃんの家に着いた。地元の郵便局を営んでいた彼女のお父さんは地元の名士的な存在だった。家もすごく立派な豪邸だ。玄関は反対側の通りに面しているから、海側から来た僕たちは庭の方から入れてもらった。綺麗に手入れされた庭園に足を踏み入れると、すでに僕たちが来ることを知っていたお母さんが待ちかねたように縁側に立っていて、エイコちゃんいらっしゃい、あらマキちゃん懐かしいわね、まあ児島君、久しぶりね~、よく面影が残ってるわ、と言った。お母さんも久しぶりに会う僕たちを見て嬉しく感じてくれたのだろう、縁側に立ったまま、児島君、あなたのお母さんのこともよく覚えてるわよ、PTAでも一緒だったしバザーの出店品を作ったりしてたのよ、と懐かしそうにひとしきりしゃべり続けた。まさか僕のことを覚えてくれているなんて思ってもいなかったし、しかも流れるように鮮やかに昔の逸話が出てくるものだから、ちょっとびっくりしてしまい、その場に立ち尽くしてそのまま話を聞いた。

家に上がらせてもらって、お茶とお菓子をいただきながら、紀ちゃんのお母さんの話を聞いた。由美ちゃんも戻ってきた。娘の同級生のことをこんなにしっかりと覚えてくれているなんて、すごい。人間の記憶って、いつまで経っても完全には色あせたりしないものなのだ。覚えてくれていて嬉しい。僕の母のこともはっきりと覚えていてくださった。バザーに出す洋服を作るために、この家でウチの母を含め数人で刺繍などの作業をしていたこともあったのだそうだ。紀ちゃんのお姉さんと僕の姉も同じ学年で、紀ちゃん一家とは何かとご縁があったということも知った。

不思議だ。僕の知らないところで、こうして人の記憶のなかに自分が存在しているのだ。せっかくお互いがお互いことを思い出していながらなかなか実際に会ったり連絡を取り合ったりすることができないのが辛いところだけど、きっとそういう「想い」は有形無形のエネルギーになって、想われる人に何かを与えているのだと思う。エイコちゃんたちが僕のことを覚えてくれていたのを知ったときにも感じたのだけど、こういう風に人の記憶のなかで生き続けているということは、直接相手に伝わることはなくても、大きな力になってその人を守っているのではないだろうか。28年ぶりに突然訪れた友達の家で、そのお母さんから懐かしいねと言われるなんて、なんとも嬉しいことじゃないか。

郵便局長だった紀ちゃんのお父さんは、地元でとても有名だった。僕の母に後で聞いたところによると、紀ちゃんのお母さんは当時も行動的でテキパキとしておしゃべりも上手で、母親たちの間で中心的な存在だったそうだ。いろんな話が次々と出てきて面白く、僕たちは紀ママの語る当時の様々なエピソードや昔話に楽しく耳を傾けた。目の前の貯木場にはもうあまり材木が置かれなくなってしまったこと、この辺りの家の海側に面した造りが独特なのは、昔は道路がなくて直接海に面していたからであるということ、郵便局営業の傍ら何かをやってみたいと思った紀ママが「花束書房」という素敵な名前の小さな書店を始めたこと、景山先生のこと、などなど。子供の視点ではない、大人の視点で当時の様子を伺うことができて面白かった。それにしても、紀ちゃんにこんなに魅力的なママがいるなんて知らなかった。

紀ちゃんも後でエイコちゃんの家にきてバーベキューに参加する。帰りに誰に送ってもらうかを話していたら、紀ちゃんが、近いから歩いて帰るよと言った。するとママが、誰かに送ってもらいなさい、魔物が出るから、と言って笑った。それが面白くて僕も笑ってしまった。ずいぶん長居をしてしまったので、ではそろそろということでおいとますることにした。思わぬ再会に感謝をしなければ。お母さん、楽しい時間をありがとうございました。

帰りの車のなかで話に気を取られていたら、エイコちゃんの家に向かう道に入り損ねてしまった。なので、せっかくだからその先にある「ゆうひパーク」という展望台のあるドライブインに行くことにした。僕がいたころにはなかった施設で、レストランやフードコート、土産物売り場などがある。

車を降り、展望スポットに立って、紺碧の浜田湾をしばし眺めた。夕刻が近づき、みんなと一緒にいることや、浜田に戻ってきていることに少しだけ慣れ始めたと同時に、もう最後の夜が近づいて来ていることを実感する。でもみんなのおかげですっかり浜田を満喫できたから、とても充実した満腹感のある気持ちだ。由美ちゃんがお土産物を買いに行った。愛する旦那様への品だろうか。

綺麗な景色を見つめるマキちゃんとエイコちゃんは、幼稚園で一緒になって以来、ずっと一緒に時間をすごしてきた親友だ。ふたりの間にはツーと言えばカー、山と言えば川の、熟年の漫才コンビにあるような、あうんの呼吸が感じられる。兄弟とも夫婦とも違う、親友だけにしかない絆。それは見えない糸で確かにふたりをつなげている。わずかでも沈黙が訪れると、その見えない糸で結ばれたふたりの存在感が、じわじわと僕の心に迫ってきた。高校卒業と同時に浜田を出たふたりには、この雄大な景色はどういう風に映っているのだろう。湾内に浮かぶ二つの島、馬島とやな島。青い空と海が、浜田に暮らす人々、浜田を巣立っていった人々すべてを優しく包み込んでいる。ふたりの後ろ姿をフレームに収め、こっそりシャッターを切った。

旅の終わりを感じ始めた心境とも重なって、ふたりにあらためて今までのお礼を言いたかった。だけど周囲には人がたくさんいてワイワイ言っているし、ふたりもごく普通に振る舞っているので、いきなりしみじみしてお礼を言うのもなんだか気が引けて、上手く切り出せなかった。黙って景観を眺めた。僕を浜田に導いてくれたエイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん。この28年、彼女たちがずっと仲良くしていたことを知り、そしてそれを身近に感じられたことが嬉しかった。帰ってきた場所が、人と人との深いつながりで支えらえた、温かいところで本当によかった。そんなことを思いながら。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その33

2009年10月03日 18時24分08秒 | 旅行記
浜田に来る前、マキちゃんやエイコちゃんからどこか行ってみたいところがある? と訊かれて真っ先に思い浮かんだのが宝憧寺山(ほうどうじやま)公園だった。公園は、僕が住んでいた地域を見下ろす宝憧寺山の頂上にある。山の麓から二、三キロくらいの曲がりくねった坂道を上ると綺麗に手入れされた公園の芝生が開け、滑り台などの遊具やキノコを象ったベンチなどが設置されている。見晴らしのよい場所に立つと、真っ青な浜田湾や市内の街並みを一望できる。学校の遠足でもよく行ったし、母が作ったお弁当を持って家族でもしょっちゅうピクニックに出かけたりもしていたから、僕のアルバムにはこの公園で写した写真がたくさん貼られている。

だから自分にとってはとても印象深い場所であったのだが、エイコちゃんもマキちゃんも僕がこの公園の名前を出したことにちょっと驚いていた様子だった。浜っ子の多くは小学校のとき以来あまりこの公園を訪れる機会はなく、彼女たちにとっても記憶のなかに埋もれかけていた場所になっていたようなのだ。まあ確かに言われてみればそうかもしれない。特に目立った特長のない公園だし、浜田湾の景色を眺めたいなら、「夕日パーク」などの新しい施設の方がアクセスも便利だし売店もレストランもある(ということは後で知ったのだけど)。でもみんなは春先に僕が伝えた希望を覚えていてくれて、一緒に公園に行こうと言ってくれたのだった。

住宅地のすぐ近くにある山の麓の道を、由美ちゃんの車がゆっくりと上っていく。こんなに細い道だったとは知らなかった。対向車が来たらどちらかがバックしなければ通過できない。幸い一度も他の車に遭遇することなく頂上付近に達し、公園まであと百メートくらいのところからは車を降りて徒歩で進むことになった。

真夏の山頂でセミが激しく鳴いている。アブラゼミ、クマゼミ、ツクツクボウシ。道の両脇にある雑木林の葉が鬱蒼と茂り、ヤブ蚊もウヨウヨしている。人気もまったくない。なんとなく予感はしていたけど、当時に比べこの公園の利用者は減っているのだろうという気がしてきた。マキちゃんが買ってくれたプラスチックのバットで虫をはたきながら前に進んだ。

公園に着いた。想像していた光景とは違った。敷地内全体にかなりの高さの雑草が生い茂っている。公園の中心を貫く舗装路沿いには進入禁止のロープがわたされていて、「マムシが出るので注意」と書かれた板がぶらさがっている。少し下にある駐車場には廃車が1台停まっていて、屋根の上や車体の下に痩せた野良猫が何匹もいるのが見えた。僕たち以外には誰もいない。

スーパーマリオに出てくるような大きなキノコ型のベンチが記憶に鮮明に残っていた僕にとって、この公園はディズニーランドみたいなファンタジー溢れる場所だった。だが今は、友達や家族と何度となく遊びにきたこの公園も「寂れた」と形容するしかない状態になっている。またまた浦島太郎な気分。でもまあいいのだ。

夏草や強者どもが夢の跡

マムシが出るかも知れないから、女性陣はやはり怖くて夏草エリアには入れないようだ。藪を睨んでいると、ムカデにサソリにツチノコと、マムシ以外にも何がいるかわからないという気配をヒシヒシと感じる。クマもいそうだ。僕もどうしようか迷っていたけど、エイコちゃんたちに「せっかくやからキノコのところまで行きんさい」とけしかけられたので(と人のせいにする)、死を覚悟して突入した。この2日間、みんなにも会えたし先生にも会えたし嬉しいこともいっぱいあったし、なんだか思い残すことももうないような気もしていたので、ここでマムシに噛まれて死んでも今だったらあんまり悔いは残らないかもしれない。「こっちゃん、バットで草を叩きながら行きんさい」、とアドバイスをもらい、みんなの期待に応えるべく激しく藪を突きながら果敢に前に進んだのだが、今にして思うとむやみに草を叩いたりしたら逆にマムシの逆鱗に触れていたかもしれない(まさにやぶ蛇)。ともかく無事にキノコのところまでたどり着いた。大きなキノコがニョキリと屹立し、その周りを切り株みたいなベンチがいくつか囲んでいる。うわぁ懐かしい。でもこんなのだったっけ? 間違いなく当時と同じキノコではある。だけど僕には、実物の持つ質感を正確に記憶することはできないのだ。

少し離れたところにシマウマがいた。背中に乗って遊ぶための置物だ。おお懐かしい。再び夏草をバットで切り裂きながらダッシュして進み、小さなロバくらいの大きさの白い馬に跨った。元々はシマウマだったのだけど、色がはげて「シロウマ」になっているのだ。まさに白馬の王子ここにあり! だが乗ったはいいが、そこから先、何をしていいのかがわからない。ウマは足が地面に着きそうなくらい小さいし、隣には牛がいる。マムシにおびえる王子は、汗だくだし手にはなぜかバットを握りしめている。あんまりカッコよくないけど、まあいいか。これが現実だ。

そう、これが現実。でもそれでいいのだ。たとえ思い出のディズニーランドが今はうらぶれたゴーストパークになっていようとも、ミニチュアのシマウマに騎乗したまま藪へびのマムシに噛まれて息絶えようとも、それでいいのだ。美化した思い出などもう要らない。振り返ると、由美ちゃん、マキちゃん、エイコちゃんたちも公園の変わりようにちょっと驚きながらも、決して悪くはないといった表情で辺りを眺めている。遠くにいて、昔の美しい思い出にずっと浸っているより、今こうして同級生と同じ時間を共有できていることの方がよっぽど大切だ。わざわざ僕のわがままに付き合ってくれる友が、すぐ側にいてくれることの方が。白馬にまたがりながら、僕はしみじみそう思った。

夏草に阻まれて絶景ポイントには行けなかったけど、それでも十分に嬉しかった。公園にみんなと来れただけで満足だ。これは「夢の跡」なんかじゃない。つい数ヶ月前を思えば、これは確かに「新たな夢」じゃないか。夢の時間よ、まだ続いてくれ。


友の笑む宝憧寺山の夏草の夢はたしかに今ここにあり


※ネットで調べたところによると春先は公園の芝も綺麗に整備されていました。夏場は特に雑草が茂るためか(あるいはマムシ対策か)特別な処置として囲いがしてあったのかもしれません。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その32

2009年10月03日 00時15分45秒 | 旅行記
今夜のバーベキューの食材を購入するため、由美ちゃんの車でショッピングセンターの「YouMeタウン」に行った。僕はまずおもちゃ売り場までダッシュし、「にむし」用のゴムボールを買った。今時ゴムボールなんて売っているのかな? と思ったけど、当時とまったく変わらない、縫い目と凸凹を使って野球の軟球を模倣したカラフルな2個のセットを見つけた。そうそう、これこれ。これでにむしだけじゃなく、草野球もしたし「死刑」という遊びもしたし、ともかく毎日、本当にいろいろ遊んだ。今の子供たちも、このボールを使って空き地を駆け回っているのだろうか。ずっと同じボールを作り続けているこのメーカーは本当にえらい。造りはチープだしどことなくちょっと怪しいこのボールだけど、本当にこれは宝物だった。個人的には野球博物館に飾ってあげたい。

食品売り場までダッシュして戻った。マキちゃんも合流していた。彼女も、ボールを手にしている。プラスチックのバットまで買ってくれたみたいだ。あ、かぶっちゃったね。男子がやたらと盛り上がっていたにむしの件なのに、気遣って購入してくれてたんだ。優しい人なんだなぁ。そのさりげない心配りが嬉しく、そしてなんだか申し訳ない。でもバットもあれば野球もできるかもね。ありがとう。僕はバットを預かった。

4人で手分けして食材を買う。かなりの人数が来るからお肉もたくさん必要だ。かごを2つ載せたカートにどんどんパックが入っていく。ええ肉、それなりの肉、バランスを考えていろいろと買わなくてはならない。食材を選ぶ女性陣の目はさすがに肥えている。だが僕にとってもスーパーはホームグラウンドである。日頃の鍛錬の成果を発揮するときだ。お買い得の品を求めてハンターのように肉売り場をうろついた。野菜、タレ、お菓子、そのほか諸々も購入し、カートが山盛りになった。

もちろんお酒も要る。エイコちゃんの家でもたくさん用意してくれているみたいだけど、とりあえずビールをかごに入れる。そしてワイン。今日はなんとマキちゃんの誕生日なので、マキちゃん用に高級赤ワインを一本買おうということで、彼女自身の見立てでよさげなのを選んだ。ワインはこれだけでええよ、とマキちゃんは言ったが、とんでもない。ボトル一本なんてみんなで呑んだらあっという間になくなっちゃうよ、だからボリューム重視で他のも買っておこう、と僕が主張し、メルシャンの2リットル入り紙パックの赤ワインもかごに入れた。これはかぺ君用やな、と言ったら女性陣が笑った。この2日間ものすごい勢いでワインを呑んでいたかぺ君も、これだけあれば十分だろう。その瞬間、みんなの胸のなかにいたずら心が沸いてきた。かぺ君にはこれ高級ワインやゆうてだそうな、とエイコちゃんが瞳の奥を不気味に光らせながら言い、にやりと笑った。マキちゃんも無邪気に笑っていたが、顔には「いっちょ騙したるか」と書いてあるようだった。

荷物をいっぱい抱えて車に乗り込み、いったん食材を冷蔵庫に保管するためにエイコちゃんの家に向かった。僕が住んでいた長浜とは学校を挟んで反対側の方向にある熱田という地域に彼女の家はある。小学生当時は、熱田の方にもよく遊びに来て、このあたりの男子の家にはお邪魔させてもらったけど、女子の家にはほとんど上がった記憶がない。ちょっと緊張しながら中に入れてもらった。寡黙なお父さんと優しそうなお母さんに挨拶をする。大きな犬が元気よく吠えていた。すでにさりげなくバーベキューのための準備がされていた。庭にはビニールシートが引かれ、コンロも外に出してある。娘のためにご両親がしてくれたのだろう。泉のごとく湧き出る親の愛。じんわり心に響く。

こっちゃん荷物は2階に置いときんさい、そう言われて案内してもらう。昔、エイコちゃんのお兄さんの部屋だったところで、お兄さんが18才で家を巣立っていった当時そのままの状態で残してある。僕は今日、この部屋に泊めてもらうのだ。

お兄さんの部屋は昭和で時間が止まっていた。壁のあちこちに貼られたアイドルのポスター。薬師丸博子、川島なお美、伊藤麻衣子、石野真子、「コーク大好き」三原順子、なぜかYMOのもある。まだ髪の毛がフサフサな松山千春もいた。ステッカーもある。「近藤真彦」、「本命」、「横浜銀蠅」….懐かしい。勉強机も当時のまま。本棚にも、30年前にお兄さんが読んでいた本がそのまま残っている。なんとも言えない気持ちになる。今はすっかり立派な大人になったお兄さんの可愛らしい子供時代のことを、こうして部屋をそのままにしておくことでいつまでも記憶しておきたいという、これも親心なのだろうかと思わずにはいわれない。ご両親が、いかにお兄さんとエイコちゃんを大切に思っているのか、その愛が、家のなかに染みついているようだ。

エイコちゃんの家は浜田商業高校のグラウンドに隣接している。僕が遠く金沢で高校生をしていたとき、16才のみんながここに通っていたのだと思うと、なぜ自分は転校してしまったのだろうと少しだけ寂しくなってしまった。でもいい。僕には僕のかけがえのない10代の青春があり、みんなにも同じく人生に一度だけの高校生活があった。ただその場所が違っていたというだけのことなのだ。昭和博物館のようなお兄さんの部屋に置かれた様々なモノたちを4人しばし眺めながら、小学校の校舎にいるときとはまた別のタイムトリップをしてしまった。

そろそろ行こか、うん、そうやね。浜田にいられる時間もだんだん残り少なくなってきている。でもまだまだ、何かを見つけることができるはずだ。次の目的地である宝憧寺山公園を目指して、由美ちゃんの車が出発した。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その31

2009年10月01日 21時57分41秒 | 旅行記
時刻は12時半を過ぎたところで、由美ちゃんに車で迎えに来てもらう予定の2時まではまだ時間があった。お魚センターに行く前に、漁港をひとりで歩いてみることにした。

浜田といえば漁港。浜田のことを思い出すといつも、帰港した大きな漁船が、揚げてきた大量の魚を網から降ろしている光景が目に浮かぶ。早朝、父親と一緒に港に行き、漁師たちが市場に運ぶ魚を仕分けするために威勢よく働いている様を見学したことも何度かあった。水揚げされたばかりの様々な魚がキラキラと輝き、おこぼれを狙ってトビやカラスが忙しく飛び交っていた。新鮮な魚を見るのはいつだって本当に楽しい。小学校に上がるか上がらないかくらいのとき、港に行って箱から逃げた大きな蛸がもがくようにして海の方に進もうとしているのを見つけ、「タコのおなかはどこにあるの?」と言ったら漁師の人たちに大笑いされたことがあった。今でも蛸のグロテスクなあの動きをみると、そのときのことを思い出す。

漁港は閑散としてほとんど人気がなかった。お盆だから営業日ではないのかもしれないし、朝の早い業界だからお昼時はもう仕事を終えているということなのかもしれない。港に停泊している漁船がチャプチャプと静かな音を立てる波に揺られ、強い潮の香りが漂う漁港には、静かではあるが男っぽい荒々しさを感じさせる空気がみなぎっている。「水産物入荷量表示」と書かれたその日の漁獲状況を伝えるボードには、まいわし、きす、いか、はまち、こういか、ばとう、ひらめ、かれい、うるめいわし、しいら、するめいか、のどぐろ、たち、あじ、かたくちいわし、さば、ぶりなどの魚の名前が記され、「ザ・ベストテン」の順位表みたいに、入荷量、高値、低値などを示す数字が自動的に表示されるようになっている。だが今はどこにも魚はいないし、真っ黒のボートには何の数字も記載されていない。

浜田が日本有数の漁場であることはこれからも変わりないと思うし、そうであることを願っている。だが、漁獲量も以前と比べればかなり少なくなったと聞く。あの熱い時代の、むせかえるような活気はもうなくなってしまったのかもしれない。当時は、家が漁師だという友達もたくさんいた。かぺ君の家もそうで、お父さんが漁から帰ってきた日には、お裾分けの魚を僕の家にたくさん届けてくれたものだ。かぺ君が僕の家に魚を運んできてくれるときに使っていたのと同じ箱(トロ箱と呼ばれているそうだ)が山積みになっているのを見つけて、懐かしさが募った。

それにしても、つかの間ではあるが旅先でひとりになると、またあらためて様々な想いが込み上げてくる。春先、「旧友」と呼ぶにはあまりにも時間を隔てすぎた同級生から突然の連絡が入り、何かに導かれるようにしてここまできた。気がついたら僕は、自分の記憶のなかに封印していた「故郷」を象徴する場所である漁港にいて、こうしてひとり潮風に吹かれている。優しい友がたくさんいて、これ以上ないほどよくしてもらっているから、浜田に着いてからは孤独をまったく感じはしなかったが、もし友との再会をあえて選択せずに、ひとり浜田を訪れていたのだとしたら、こんな風に哀愁を漂わせながらただ街をさまよい、夜はビジネスホテルでコイン式のテレビを見ながら缶ビールを空けたりして、ひとり寂しく1泊2日のセンチメンタルジャーニーを終えていたのかもしれない。ブログに旅行記を書いたとしても、せいぜい2,3回で終わっただろう。誰かが側にいてくれるってことがこんなにも暖かいものなんだということを、ひっそりとした漁港のなかでしみじみと実感した。わずかでも離れてしまえば、昨日までみんなといたことが、さっきまで清君と靖子さんと一緒に楽しく過ごしていたことが幻のように感じられ、心細くなってしまった。

ひとりの時間は、僕にいつもの東京の日々を彷彿とさせた。これだけたくさんの人が住む大都会で、あまりも多くの時間を自分自身と過ごすことが多い毎日のことを。誰とも会うことのない月日が続けば、きらびやかな都会も砂漠に変わる。満員電車にどれだけ揺られようとも、すれ違うひとがどれだけ多くても、心をすっかり許せるひとがいなければ、愛の人口密度は減少していく一方なのだ。だが、僕には孤独を愛する志向もある。現在の僕の寂しい日常は、僕が選んだ結果でもあるのだ。あらゆる矛盾をひっくるめた存在、それが自分なのだ。

旅は人の一生にも似て、その始まりと終わりに小さな生と死を予感させる。幼き日々を過ごした土地を訪れ、子供だった自分を客観的に見つめながら、大人になった友と会う。これほど僕のこれまでの人生をダイジェストして伝えてくれる場所もないだろう。そして明日の今頃、浜田を去る頃に僕の胸に去来するのは、記憶新しい旅の思い出と、おそらくこれから帰るべき場所での日々。過去と今をこれだけ強く感じることができたからこそ、明日とその果てにある終わりは明確になり、そしてその終着点から聞こえてくるカウントダウンのリズムは、より鮮明なものになるだろう。ありていな表現になるけど、つまり僕はこの旅を通して自分を「再発見」したのであり、そして一歩またリアルへと近づけたのだ――まだ旅の途中でありながら、そんな結論めいた考えが浮かんでしまう。過去に鮮やかな光を当て、再構成することで未来を蘇生させる。僕はこの旅を通して、小さな生と死を体験しようとしている。なんだかひとりになると暗くなってしまうのだけど、要はそれだけすべてが嬉しかったということなのだ。

漁港をブラブラと歩いていたら、黒の子猫が死んでいるのを見つけた。誰もいない構内で、路上に冷たく乾ききった身体を横たえていた。小さな命は、死がこれほど身近なものであることなど、想像できなかったに違いない。だがこれが現実なのだ。過去と同じくらい脆くはかない現在という時間がもたらした、非情な結末。甘い思い出に浸っているだけでは見えない、厳しいリアリティが迫ってくる。子猫の死が象徴する「こちら側」の現実を、忘れてはいけないのだ。水平線の向こうから運ばれてくる風が、切ない。

自動販売機でカップのブラックコーヒーを飲み、気が済むまで港をぶらついた後、そこから歩いて5分ほどの距離にあるお魚センターに入った。中規模のスーパーくらいの広さの建物のなかにいくつもの店が連なり、色とりどりの鮮魚や海産品がところ狭しと並べられている。元気な浜田が伝わってきた。

実家と自分へのお土産用に、いわしの干物を買った。後でラベルを見てみると、いわしは浜田産ではなく、鹿児島でとれたものを浜田で加工したことがわかった。ちょっとがっかりしたけれど、よく考えたら鹿児島で生まれた僕が浜田で幼少期を過ごしたのと同じだ。鹿児島産浜田育ちのいわしとは、まさにオレのことやないか。

今風の人たちが溢れる館内を汗だくになりながらしばらくウロウロしていたら、いつの間にか約束の時間になった。エイコちゃんから電話が入った。聞こえてくる彼女の声が、すでにもう懐かしい。


どこにおるん? うちらはもう、お魚センターの前についたで。


温かい気持ちがよみがえる。あと一日しか一緒にいられないけど、僕には大切な友達がいる。嬉しくなって、由美ちゃんの車に小走りで向かった。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その30

2009年09月30日 22時31分59秒 | 旅行記
旅先3日目の朝――徐々にその土地のリズムに慣れ、いつもと違う場所にいることへの戸惑いが少しずつ収まりを見せ始める頃だ。目覚めたときに、ここが自宅ではなく清君の家であるということを昨日よりはすんなりと理解できた。それでも、窓の外に映るどんよりとした曇り空を眺めながら、この1日半の間に遭遇したあまりにも多くの出来事のことを、半ば信じられない気持ちであらためて思い返したりもした。リビングには清君、靖子さんがいる気配がするし、かぺ君もマキちゃんもエイコちゃんもみんなも、ここ浜田にいて、同じように朝を迎えているのだ。それが不思議でならない。

それと同時に、早くも旅の日程の半分が過ぎ去ってしまったことにふと気づいて、少しだけ寂しさを感じてしまったりもする。清君とは今晩も一緒にエイコちゃんの家でバーベキュー大会を楽しめるけど、靖子さんとはもう少しでお別れなのだ。3泊4日って、あまりにもあっけない。明日の昼過ぎにはバスで浜田を去る予定だから、明日の今頃はもっと痛切に旅の終わりを感じていることだろう。だけど今日は、来るべきラストシーンをひとまず忘れて浜田をもっと体験することができるはずだ。

おはようございます、と言いながらリビングルームに入ると、清君と靖子さんが笑顔で挨拶してくれた。土曜日の朝は、幸せな夫婦にとってもっともくつろげる時間帯なのかもしれない。靖子さんが用意してくれている朝食のよい香りがする。暖かい部屋の空気を心地よく感じながら、新聞を広げテレビのニュースに見入っていた清君に昨日の出来事を報告する。デジカメで撮った学校の写真を見て貰い、先生の様子を伝えた。先生からいただいた茶碗も披露した。清君も景山先生を思う気持ちは僕と同じだし、校舎の内部の写真にも目を輝かせてくれた。靖子さんも同じ教師として興味深く僕が語る先生の話に耳を傾けてくれた。

清君夫妻はゴルフが共通の趣味で、テレビが伝える石川遼選手の試合の結果にとても関心を持っていた。かぺ君もコマッキーもゴルフが大好きだ。僕は一度もプレーしたことはなく、唯一、小学生の頃に『プロゴルファー猿』を熟読していたことくらいしかゴルフとは関わりを持たないのだけど、ふたりの話を聞いていると、とても面白そうだなあと思った。仕事と翻訳の勉強、ランニングでもういっぱいいっぱいだから、当面はゴルフを楽しむ時間もお金もない生活が続きそうだ。だけどもし僕が浜田に住んでいたら、きっとみんなと一緒にプレーしたいと思って始めていただろうな、と思う。きっとそれは、ものすごくいい人生だ。

靖子さんが作ったものすごく美味しそうな朝食を載せたお皿が、テーブルに並べられた。食べる前から満ち足りた気持ちになりそうなご馳走だ。一宿一飯の恩義は一生忘れられないというけれど、もう来世まで忘れられないくらいのおもてなしを受けている。美味しいご飯を食べ終わると、ちょっと近所を散歩しようということになった。ふたりがよく歩いている45分くらいのコースで、靖子さんはジョギングすることもあるらしい。ここに来る前、清君からは、よかったら家の周りを散歩したりジョギングしたりしましょうと提案されていたこともあり、ジョギングシューズを履いて来ていた僕は、喜んで一緒に歩かせて貰うことにした。

ふたりが住んでいるのは、美川という地名の山合の地域だ。地名の通り美しい大きな川がエリアの中心を流れていて、静かで落ち着きのある少数の家並みが豊かな自然に囲まれている。歩き始めてすぐに鮮やかな緑が目の前に広がり、濃い空気が全身に染み入ってくる。

ふたりについてゆっくりと歩を進めた。清君が歩きながらいろいろとこの土地の説明をしてくれる。同級生や同級生の家族の家もあり、ここは誰それ君、誰それさんの家だよ、という風に教えてくれた。靖子さんはここ美川で生まれ育ち、ご両親もすぐ近くに住んでいる。出身の小学校、中学校の前も通った。生まれ育った愛すべきふるさとに、こうして愛する人と住んでいる。彼女にとってこの土地はどれほど大きな意味を持ち、大きな愛を感じさせるものなのだろうか。身近なものを愛せることは素晴らしい。だからこそ、彼女自身もまた周囲から愛されているのだ。

清君と靖子さんは一度もケンカらしいケンカをしたことがないそうだ。お互いが譲り合い、相手の存在すべてを認め受け入れているからこそ可能なのだろう。夫婦間の諍いもたまにならお互いの関係を見つめ直すための妙薬になることもあるだろうけど、できれば不要なエゴのぶつかり合いは避けた方が賢明だ。友達だからこう書くのではない。真剣に、真面目に、僕はこのふたりから本当にいろんなことを学ばせてもらった。夫婦の、人間関係の、理想的なあり方のひとつの形をみた。ふたりに引き合わせてくれたのも、天の思し召しなのだろうかと思わざるを得なかった。

靖子さんの実家のお墓がコースの近くにあったので、そこに寄ることになった。清君が目を瞑り、神妙に手を合わせていた。彼の心に、大きくてまっすぐな強い芯のようなものがあるのを感じた。こんなにも近くに幸せがあり、暖かい家族がいる。だからこそそれを守りたいと思うのだろうし、こうして常にそれを願っているからこそ、幸せもまた彼の下を訪れてくれているのだ。

家に戻り、1時間ほどくつろいで過ごした後、時刻は11時過ぎだからまだ少し早いけど、お昼を食べに行こうということになった。今日は午後からはエイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃんと軽くどこかに行き、夕方からはエイコちゃんの家でみんなが集まりバーベキューをしてそのままエイコちゃんの家に泊めてもらうことになっているから、清邸とはこれでお別れだ。短い間だったけど、本当にお世話になった。なんだかもう他人の家とは思えない。いっそ、ここに住みたい。カペ君がここで我が家のように寛いでいたわけがわかった。目の前に空き地があったので、とりあえずは一坪ほど購入して犬小屋ならぬイワシ小屋を建ててみようかと妄想してみた。畳一畳分のスペースがあれば、きっと生きていけるはずだ。

お出かけの時間になった。荷物をまとめたらなんだかちょっと寂しくなってしまったけど、また必ずふたりに会えることを信じて、靖子さんの運転する車に乗り込んだ。そうだ、わしの実家に寄っていこう。清君がそう言い、昔しょっちゅう遊びに行っていた彼の家に行くことになった。清君の実家はJRの線路の近くにあるので、浜田に着いた日の夜、スーパーおきの車窓からもその懐かしい姿を見ることができた。お父さんとお母さんに会うのも本当に久しぶりだ。緊張する。

車が止まり、小高い丘の上にある家を眺めた。かつて何度となく往復した家の前の階段を三人で上った。家の前の溝を見て、ここでザリガニ飼いよったろう、と清君が嬉しそうに笑った。突然の訪問だったけど、家に上がらせてもらって、お父さんお母さんに挨拶した。おふたりの姿を拝見したら、昔の記憶がたちまち蘇ってきた。元気で豪快なお父さんと、ものすごく優しくてしっかりとしたお母さんだった。おふたりとも変わっていない。僕のことも覚えてくれていた。僕の顔を見つめながら、昔のこっちゃんを思い出してくれているようだった。お父さん、その節はクワガタの角を送っていただいてありがとうございました、と言ったらお父さんが笑った。子供の時は気づかなかったけど、清君ととても似ている。明日は清君のお兄さん、清君、コマッキー、そしてかぺ君でゴルフをするとのこと。みんな幼なじみとこうやって今でも楽しく暮らしているのだ。靖子さんはご両親ととても仲がよさそうで、その様子がとても微笑ましかった。お茶とお菓子をいただき、楽しくおしゃべりをしてお別れした。短い時間だったけど、会えて本当によかった。お父さんお母さん、いつまでもお元気でいてください。

車の窓から見える浜田の町並みを見ながら、清君が浜田の今を語ってくれた。少子高齢化が進み、地元でなかなか職が見つからないこともあって、市の人口は昭和50年代当時の5万5千人から4万5千人に減った。公共事業関係の優良企業に勤める彼だから、そのあたりの人口動態にも詳しいのだ。そういえば、長浜小学校の職員室近くの廊下に飾られた歴代の卒業生の記念写真も、年々減少する生徒の数を如実に表していた。最近の卒業写真に映る六年生の数は、えっ?というくらい少ない。だがこの状況は浜田だけのものではない。右肩上がりの時代は終わった。経済が果てしなく成長を続け、すべては膨張し続けていくだろうという幻想を抱くこともなくなった。無限だと思われたものは実は有限で、ひょっとしたらすべての終わりすら非現実的な妄想とは言えないところまで、人類は来てしまった。それはちょうど、僕たちの世代の成長とも重なっている。豊かな自然と暖かい大人たちに囲まれて、疑うことなく明るい未来を信じることができた子供時代を終え、大人になって直面した現実は、かつて感じていたような絶対的なものではなかった。近くには越えてはならない臨界点がいくつもあり、その瀬戸際に立たされている未来を決めていくのは、自らの意志と行動にほかならない。

「どさんこ」でラーメンを食べようと清君が提案してくれたのだけど、店が混んでいたのであきらめて、別の店に行くことになった。そうだ、「再来軒」ちゅう、ちゃんぽんの美味しい店があるんよ、そこにしよう、と清君が言った。仕事場が今の場所に移転する前に、昼食時に足繁く通った店なのだそうだ。市街地の駐車場に車を停め、路地を歩いて店の前に着いた。清君が、この扉は「押す」ゆうて書いてあるけど引かんと入れんのよ、と言って笑った。そして「PUSH」と書いてあるのに「PULL」しないと開かない扉を引いて中に入った。多分、蝶番の調子がおかしくなってそうなっているのだと思うが、それをずっと放置しておく店もすごいし、それを普通に受け入れているお客さんたちもすごい。浜田スタイルの真髄とは、すべてをありのままに受け入れるLet it beの精神なのだ。

ちゃんぽんはとても美味しかった。二日前の夜は興奮していたけど、今日は少しだけ落ち着いて、自然とお互いの日々の暮らしについて訊ねたりしながら麺をすすった。お店の名前が「再来軒」っていうの、今回の再会を表しているような気もするし、また浜田に来いよってことなのかもしれないね。ちゃんぽんはご馳走してもらった。何から何までお世話になりっぱなしだった。本当にありがとう。

店を出て、浜田の新名所、「お魚センター」まで送ってもらうことにした。そこでしばらくひとりで過ごした後、みんなと合流することにしたのだ。車が浜田川の脇を通ったとき、靖子さんが教えてくれた。昔は公害ですごく汚れていたんですけど、市民の努力でずいぶんきれいになったんです。魚も戻ってきたんですよ。静かな川の流れが土曜日の落ち着いた午後にさらなる安らぎを与え、さざめく水面はこれからのふたりと浜田の未来を映し出しているようだった。ゆっくりと確実に進んでいく川の水は、昔も今も決して途絶えることのない時の流れを感じさせ、あらためて僕はふたりから、今を生きることの大切さを教わったような気がしたのだった。人は過去の世界に生きることはできない。人には何よりも大切な今があり、これからの人生がある。過去に対する過剰な憧憬も、冷ややかな態度も要らない。ただ過ぎ去ったすべてを愛おしみ、こころにそっとしまい込んでおければいい。いつかまた、それをみんなと分かち合えるときがくるから。

お魚センター付近で車が止まった。靖子さんとはここでお別れだ。ありがとう、また遊びに来てくださいね。はい、ぜひまた戻ってきます。再来します。握手をして、そう言った。靖子さんたちも東京に来ることがあればぜひ案内させてください。僕のうちは豪邸ではないけれど、畳6畳の寝室はあります。本当にありがとう。切ない気分に襲われた。なぜなんだ、せっかくみんなに会いに来たこの場所で、また別れの時間を味あわなくてはいけないなんて。

手を振って見送った車がだんだんと小さくなり、やがて見えなくなった。

ふたりには、ふたりにしかわからない哀しみも寂しさもあるだろう。だけど、清君と靖子さんがいることで自然にわき上がってくるような相手を思いやる愛情は、日々を新しく、輝けるものに変えていく。その力があれば、今ここにいることに疑いを感じる必要もない。何も心配はいらない。明日も明後日も、きっと素晴らしい一日になる。今日と同じように。

これからのふたりの人生に、幸あれ。僕は、漁港を目指して歩き出した。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その29

2009年09月26日 13時33分53秒 | 旅行記
明日はエイコちゃんの家でバーベキューをする。エイコちゃんからは、よかったら泊まっていって、と言われていた。みんなお酒もはいるだろし、車で来とる人はうちの二階があいとるから、そこで雑魚寝したらええし。僕はお言葉に甘えて、明日はエイコちゃんの家に泊めてもらうことにした。今晩は昨夜に続いて清君の家にお世話になるから、結局ホテルには一泊もしないことになる。なんだか申し訳ないけど、本当にありがたい。それにしても、こんなに久しぶりに会った友達を家に泊めようなんて思ってくれる浜っ子って…(いつものパターンなので以下省略)。エイコちゃんありがとう!

というわけで僕はその日の午後、浜田に来る前に予約していたホテルをキャンセルしたのだけど、一次会の「ビストロセゾン」というお店を出て二次会の場所に行く途中、駅前をみんなで歩いていたらそのホテルを偶然見つけた。オレ、あのホテルに泊まる予定だったんだよ、というと、あそこは昔「一番街」があった場所なんだよ、と坂本君たちに教えてもらった。「一番街」は当時、その名の通りおそらく浜田で一番のデパートというかショッピングセンターで、家族で買い物に行くといえばそこしかなかった。だから浦島太郎は「一番街」にも行ってみたいなあと思っていたのだが、すでに一番街がなくなっていることは、昨夜、清君たちに教えてもらっていた。でも予約していたホテルがあの一番街があった場所に建てられたものだったなんて、昭和50年代の浜田を求める僕の霊感はなかなかのものじゃないか。

二次会は駅前のお洒落なバーだった。
今日は朝から通学路をひとり歩きし、正門でみんなと再会して校舎を見学し、先生のご自宅を訪問し、と本当にいろんなことがありすぎて、なんだか感覚が麻痺してしまっている。そのせいなのか、昨日と同じく、いくらでもお酒が入る感じだ。それにしても浜田で生まれ育った仲間たちは、本当にいい感じで年齢を重ねている。慣れ親しんだ土地、すぐ近くにいる家族や友達。地元があるっていいことだ。そこには幼なじみが集合することによって醸し出される濃い空気が溢れている。その輪のなかに加えてもらっていることが嬉しかった。もうビールを何杯飲んだだろうか。自分ではそれほど酔っていないと思っていたのだけど、実はかなり回っていてあまりこのときのことを覚えていない。ともかくみんなと会えて本当によかった。ゆうすけ君、坂本君、本当にありがとう!

エイコちゃんとナットミと由美ちゃんは一次会で引けたのだけど、僕が行きたいと言っていた宝憧山公園まで車で行って、公園の入口の写真をメールで送ってきてくれた。明日みんなで行くことになってるのに、わざわざ山の奥まで行ってくれたのか。ありがとう。でも、ひょっとして酔ってるのか(笑)。

そろそろお開きの時間が近づいてきた。かぺ君たち男子4名は、これから麻雀をしにいくといって盛り上がっている。元気だなあ。明日にむしをしよう!と言い続けているかぺ君が、紀子ちゃんに「明日絶対にボールをぶつけるけえ!」とかっこよく捨て台詞を吐いて店を出た。

靖子さんが車で店の前まで迎えに来てくれた。今日はありがと! みんなと別れて、清君と車に乗り込んだ。今日はどうでしたか?と靖子さんに聞かれ、何から話していいのかわからなかったけど、とにかく充実した一日であったことを報告した。飲み会も大いに盛り上がった。浜っ子たちはこれからもみんなこうやって機会があれば集まり、50になっても60になっても昔話に花を咲かせることができる。素晴らしいことだ。僕もできればまたその場に居合わせてみたいと思った。家族こそ住んでいないものの、僕にとって浜田はやはり故郷と呼べる場所ではないかと思った。こんなにいい仲間がいるんだから。これからは、浜田に行くことを「帰省する」と臆せず言ってみたい気がする。今日は緊張してしまったけど、もう必要以上に構えたり気兼ねしたりすることもないだろう。みんながそうであるように、ありのままの自分を気軽にさらけ出せたらいいな。

靖子さんの安全運転であっという間に清邸に着いた。布団は綺麗に用意され、洗濯物も丁寧に折りたたんでいてくれた。ありがとう靖子さん! 疲れていたのか泥のように眠った。

こうして、長い一日が終わった。

(続く)


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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その28

2009年09月25日 20時59分22秒 | 旅行記
第4章「宴」

車内で話が弾んだ。今日の先生との対話を通じて、初めてあの頃の先生の気持ちがわかったという思いもあった。あの頃、先生は大人で、僕たちは子供だった。だからこそ成立する関係があり、結ばれた絆があった。だが、こうしてお互い大人になり、熱い日々を振り返ったとき、ようやく気づくこともあるのだ。

そう、僕たちにとって景山先生がいつまでも大切な先生であるように、先生にとっても僕たちはいつまでも可愛い教え子なのだ。僕たちにとって先生の存在すべてが「先生」であったと思えたのは、僕たちが子供だったからなのだ。当たり前だけど、先生は僕たちのためだけに存在していたのではなく、僕たちと同じようにひとりの人間としての生を生きていた。当時あれだけ「先生」としてのオーラを放っていた先生も、大切な家族もあれば自分だけの趣味もある、今の僕たちと同じひとりの大人だったのだ。完璧な人間などありえない。先生だって、いろんな葛藤や悩みを抱えていたこともあっただろうし、人に言えず辛いときもあっただろう。

今、教師を引退し、学校という舞台を降りて、静かに自分の心と体に向き合って暮らしている先生は、僕たちにとっての永遠のヒーロー「景山先生」であると同時に、等身大の人間でもあるように思えた。それは言葉を通してではなく、先生の表情や雰囲気から伝わってきた。子供は、すべてを自己中心的に考えがちだ。だから、先生もまた自分と同じひとりの人間であることをうまく想像できなかった。先生には常に全能のスーパーマンでいてほしかったのだ。景山先生という役を必死に演じてくれていた先生のことを、あるいは子供という役になりきっていた自分たちのことを、今ようやく客観的に捉え直すことができたということなのかもしれない。

先生は教師であること卒業し、僕たちは子供であることを卒業した。毎日のように熱いドラマが繰り広げられた4年2組という舞台は遠く過去のものとなり、僕たちはステージから離れて、それぞれが今という日々に向かい合わなくてはならない。先生はまだまだご健在だが、時代のバトンは僕たちに渡されている。あのときの先生と同じくらい立派な大人になって、周囲の人に何かを与えていくことができるか? そう問われているのだと考えて、僕はしっかりと生きていかなくてはならないのだ。それは大きすぎる宿題ではあるけれど。

先生からもらった辞書を車の中で眺めながら、みんなで同じ日に漢字検定を受検しようという話題で盛り上がった。立派な大人になるために、まずは漢字から勉強してみよう。先生に会えたことで、ついさっき28年ぶりに会ったメンバーもいる僕たちの、クラスメイトとしての連帯感は高まった。あらためて驚く。昨日がこんなにも近くにあるということに。

+++++++++

地元の人たちが「イズミ」と呼ぶショッピングセンターに到着し、由美ちゃんの車に乗り換えて、清君たち男子チームが待つ浜田駅前のお店に向かった。清君が男子に声をかけてくれ、店の予約もしてくれていたのだ。

昨夜から懐かしすぎる再会を何度も体験してきた僕ではあったが、車を降りて駐車場からお店のところまで歩きながら、やはりまたまた緊張してしまった。女子と会うときとはまた違った緊張感がある。

坂本君、佐々木君、かぺ君、清君が待っていてくれた。清君はお店を6時から予約していてくれ、みんなずっと待っていてくれたらしいのだが、僕たちが店についたのは6時半くらいだった。エイコちゃんもマキちゃんも特に悪びれる様子もなく、ああ、そうやったっけ、ごめんごめん、と言った。このファジーな時間感覚は、浜っ子タイムと呼んでもよいものなのだろうか? 清君はじめ男子は苦笑いをしている。まあええよ、みたいなおおらかな空気が感じられて、やっぱり浜田っていいな~と思ってしまった(とういか、単にさすがの清君たちも女子パワーの前では沈黙せざるを得なかったという気も...)。かぺ君とも昨夜、代行運転で去って行くのを酩酊しながら見送って以来の再会だ。かぺ君はあんなに呑んだ後に早起きして仕事をし、今晩もまた駆けつけてくれたのだ。なんてタフな人! かぺ君と目が合う。また、眼光が鋭く光った(「なして遅れたか!」と眼が語っているような気もしたが...)。今日も相当呑みそうな勢いだ。なんというか、頼もしいぜ!

坂本君、佐々木君とは小学校1,2年のクラスで一緒だった。もう30年も前の話なのに、僕のことを覚えていてくれて、今日、忙しいお盆の最中にわざわざ来てくれたのだ。本当に嬉しい。がたいのいい地元の男子がずらっと並ぶ様はちょっと壮観で、迫力があった。やっぱり僕は都会のもやしっ子なのだろうか。ともかく僕たち女子チームもフィーリングカップル5対5みたいにして対面の列の座席に腰を下ろした。ちょっと緊張してしまって、何を話してよいのかわからなかったけど、ともかく乾杯だ! 坂本君も佐々木君も見た目はごつい立派な大人だけど、子供のころは本当に優しくて可愛い雰囲気だった。少し話しただけで、彼らが昔のままであることがよくわかった。来てくれてありがとう! 会えて本当に嬉しいよ!

タバサさんもお店に顔を出してくれて、また写真を撮ってくれた(本当にありがとね!)少し遅れて、彼女の旦那さんで、景山学級だったカリスマ美容師、コマッキーも到着した。同じくナットミもやってきた。ふたりとも昔とまったく変わっていない。むしろあまりにも変わっていなさすぎで驚いた。あらためて乾杯! コマッキーとナットミは、高校のときサッカー部でフォワード、ツートップを組んでいたらしい。ふたりとも運動神経が抜群によかったから、きっとすごくいいコンビだったに違いない。僕も高校のときはサッカー部だった。同じ時期にみんなサッカーをしてたなんて、不思議だなぁ。パラレルワールドだ。もしふたりのいるチームと試合をしてたら、きっと点取られてたと思う。相手にはしたくないタイプだもん、ふたりとも。

ナットミが、こっちゃん、オレの家でパッチンして、すっごい負けたん覚えとる? と言った。すっかり忘れていたけど、そういえばそんなこともあった気がする。こてんぱんに負けて、たぶん半泣きで家に帰った。コマッキーは家が美容院をしていたけど、自分も同じ道に進んだんだね、手に職を持って、エラいよ! マラソン、めっちゃ速かったよね、と言うと、コマッキーは、そんなの昔のことさ、みたいに不敵な表情を浮かべてにやりとした。そう、男の子たるもの、昔のことを妙に懐かしがってセンチメンタルになったりはしない。そもそも、浜田で大人になったふたりにとっては、過去は説得力と必然性を持って連綿と今とつながっているものなのであり、決してミステリアスなものではないのだろう。僕みたいに断絶され、凍らされた過去を持つ者の方が珍しいのだ。とはいえ、やっぱりふたりも僕という異次元からの珍客を前にして、少々戸惑っていたようではあり、そしてまた僕と同じように少しだけセンチメンタルに過去を思い出してくれていたようではあった。それが嬉しかった。僕はふたりがまったく昔と変わっていないように思えて驚いたのだけど、ふたりも僕のことを昔と変わってないと言った。自分ではよくわからないけど、やっぱりそんなものなのかもしれない。

宴席は続き、あちこちで話が盛り上がってきた。この日の僕はかなり特別に扱ってもらってはいたけど、僕以外のみんなもかなり久しぶりに会う組み合わせが多いようだ。中学や高校を出て以来の懐かしい再会、普通の同窓会という趣もある。僕は小学校4年で浜田の歴史がストップしているけど、みんなは当然その後、ここで小学5年生になり、中学生になり、高校生になって、大人になった。だからみんなの口からはいろんな時代の話が出てくる。僕の知らないエピソードが山ほどあり、知らない人たちがたくさん登場する。僕にはわからない話も多いけど、面白く聞くことができた。あの時代、日本全国で誰もが経験していたような、同じ青春がここにもあったのだと思う。ともかく、そんな「普通の」の同窓会に、僕も一員として参加させてもらえた。それが何より嬉しかった。100%の浜っ子じゃないけど、5年分、僕も浜っ子なんだ。ハーフとまではいかないけど、クォーターは浜田の血が流れているんだよ僕にも。

かぺ君が赤ワインを美味しそうに呑んでいる。かなりのハイペースだ。かぺ君はにむしの話題に夢中になっている。にむしやりたいよね、明日エイコちゃんの家でバーベキューやるだろう~、そのときに浜商のグランドでにむしやろうよ! と熱く語っている。そうやね、にむしやろう、何人かが賛同した。僕もかなり本気で、伝説の遊び「にむし」を実現させたいと思った。かぺ君の眼がまた鋭利な光を放った。この男、本気(ルビ:マジ)だ!

美味しい料理とお酒にしたたかに酔った。懐かしさとアルコールで、ああ、やっぱり今夜も何がなんだかわからない。ともかくあっという間に時間になり、二次会の会場に向けて僕たちは移動を始めたのだった。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その27

2009年09月21日 13時22分16秒 | 旅行記
小さな村にある小さな小学校に風のように現れ、地元の生徒たちの心に様々な印象を与えて、また風のように去って行った転校生の又三郎。僕は転校生だったから、よく「お前は転校生か、風の又三郎やな」みたいなことを言われたものだ。たぶんこの地方でずっと教師を続けてきた先生にとっても、数年間だけその地域に暮らし、突如として去って行く生徒たちのことが、又三郎のように見えていたのかもしれない。少々こじつけだけど、だから先生は又三郎のことを思い出したのだろうか。

僕にとって、地元で生まれ育ち、確固とした故郷がある人たちの気持ちがいまでも実感として上手く味わえないのと同じく、地元の友達にとっても、転校生であることがどういうものなのかは上手く想像出来ないものなのかもしれない。今回の旅を通じて、僕はあらためてそんなことを感じた。自分が転校生という少数派の存在で、それによって辛い思いをしたりすることもあったのかなあとは思っていた。だけど、この童話が雄弁に物語っているように、友達を見送る方の地元の仲間たちにとっても、別れはものすごく辛く、寂しいものであり、大きな喪失感を味わっていたのだということが理解できたような気がした。だからこそみんな、こんなにも暖かく僕のことを迎え入れてくれたのだろう。これまでの自分のものの見方が、とても偏ったものであることに気づかされた。また先生に大切なことを教わったような気がする。

すでに先生のご自宅にお邪魔してから、一時間ほどが経過しただろうか。エイコちゃん、マキちゃん、由美ちゃん、紀子ちゃん、みんなそれぞれ先生との思い出を反芻しているに違いない。誰にとっても、先生は特別な存在だ。自分と先生の間だけにある、特別な絆のようなものがあるはずだ。

先生は表情をほころばせて、暖かく教え子たちのことを受け入れてくれた。僕たちは先生に再会できることで感激し緊張もしていたけど、先生は大人になった僕たちが目の前にいることを、当たり前のように受け止めてくれた。僕たちもずいぶん年は取ったといえ、まだ先生が生きた時間の半分に到達したかどうかの位置にいる。僕たちの二倍の長さを生きてきた先生の目には、教え子たちは今どんな風に映っているのだろうか。それは今の僕たちにはまだわからないことだ。まだまだ人生の折り返し地点。先生と同じだけの長さを生きたとき、僕たちには今日の日の先生の気持ちがわかるのかもしれない。かつて子供だった僕たちが、大人になった今、あの頃の先生の言葉の意味を噛みしめることがあるように。先生の優しげな表情の後ろで、長い人生の様々な思い出が駆け巡っているように思えた。

名残惜しいけど、そろそろ帰らなくてはならない。お礼を言って、家を出た。お体の具合のこともあり、普段は客人を玄関で見送るという先生が、靴を履いて表に出てきてくれた。奥さんが少し驚きつつも嬉しそうに、これは珍しいことなんですよ、と言った。

先生はそのまま、駐車場のところまで僕たちを送っていくと言う。奥さんはさらに驚いていたけれど、先生の意志を尊重し、ふたりで手をつないでゆっくりと歩き出した。先生にとってはちょっとした冒険だ。

僕たちの少し先を行く先生と奥さんの後ろ姿が、とても美しく感じられて、はっとした。夕暮れ時の柔らかな陽射しが、ふたりを照らす後光のようで、まるで手をつないだ先生夫婦が別世界にいるように感じられた。ふたりが歩んできたこれまでの長い人生を表しているようで、あまりにも神々しくて、僕たちは圧倒された。

駐車場に着くと、みんなで写真を撮った。ひとりひとり先生と握手をした。先生、ありがとうございました。それしか言葉が見つからない。会えてよかった。本当によかった。またいつか会う機会はあるかもしれない。だけど、その機会に期待してはいけない。今日この日、先生と会えたことに感謝し、しっかりと手を握りしめた。僕は東京に戻って、これからまた自分の道を歩んでいきます。先生の教え子であることを誇りにして。ありがとうございました。

奥さんが握りしめるようにしてひとりひとりと握手をしている。僕も握手をした。奥さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。みんなも感極まっている。車に乗り込み、マキちゃんが走らせ始めた車の窓から、先生夫妻に向かって手を振った。先生が、おどけた様子で、マキちゃんに「オーライオーライ」と合図を出している。その様子があまりにもおかしくて、みんな涙が止まらないのに、思い切り笑った。奥さんも涙を流しながら笑っている。さようなら、先生。さようなら、奥さん。さようなら。マキちゃんがカーブを曲がると、ふたりの姿は見えなくなった。

*******************************


暮れ始めた江津の町を、5人を乗せたマキちゃんのヴァンが走り出した。先生に会えて本当によかったね。興奮しながら口々にそう語る僕たちは、ついさっき28年ぶりに再会したばっかりだということも忘れて、懐かしい思い出を語った。6時からは、浜田駅の近くのレストランで男子たちと合流し同窓会をする。清君が段取りをしてくれたのだ。盛りだくさんの一日のフィナーレを飾る、楽しみなイベントだ。

僕たちは過去の世界のぬくもりを確かに感じ、先生への感謝の気持ちを新たにした。僕たちはあのとき先生からもらった大きな愛情に、今もしっかりと守られている。車は浜田に向かって快調に走っていく。だがそれと同時に、忘れ物をしっかりと取り戻したという思いに包まれた僕たちは、自分たちが住むそれぞれの世界に向かって、明日に向かって、また走り始めたような気もしたのだった。

第3章 「再会 ~学級の歌~」完

(続く)

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