イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

とかくこの世は住みにくい

2010年04月30日 18時25分41秒 | Weblog
体調がいまいち優れないと、仕事の能率はあがらない。

体調が並だと、並みの仕事しかできない。

ものすごく体調がいいと、元気すぎて、仕事以外のことがあれこれとしたくなる。

結局、いつも仕事、はかどってないやん!

社会のひと

2010年04月29日 22時09分20秒 | Weblog
4月の都会は、真新しいスーツを着た人であふれていた。

新入社員を「新社会人」と世間は呼ぶ。

しかし、私はかねてから「社会人」という言葉に若干の違和感を覚えてきた。

あらたまって「社会人」ってなんだ? 就職してれば社会の人なのか? 働いていなければ社会の人じゃないのか? 就職してなくたって、学生だって、未成年だって老人だって、みんな社会の人じゃないか。君たちは「社会の人」になったんじゃない。「会社の人」になっただけなんだ。

単に「新会社員」あるいは「新会社人」でいいじゃないかとだから私は思う。

強いて言えば「新会社人間」でもいいではないかとすら思う。

それくらい、自嘲気味に会社員生活を始めたっていいじゃないか。これから君は、朝から晩まで会社で働いて、会社に人生を捧げて、いきていくんだ。すくなくとも会社にいる間は、「会社人間」を演じるんだ。いやならやめればいいじゃないか。それくらいの余裕と、客観性を持っているのなら、その人を実質的な「社会人」と呼んだってかまわない。

もちろん立派な人だってたくさんいる。真の社会人はたくさんいる。だが、私には新卒で就職した人々を表現する際の「新社会人」なる言葉に、あまり高貴な響きを感じることはない。学校を卒業した。就職した。だから無条件に「社会人」になった。安っぽさが鼻につく。社会人と呼ぶ側も呼ばれる側も、あまりにも容易に「社会人」という言葉を使っていないか。自分はもう「社会人」であると自覚することで、立派な人になれるチャンスも広がる。そいういう意味では、一律に彼らを「社会人」と呼ぶことの価値もあるのだろうけど。

正社員として就職できなかった人は、晴れがましく大ホールで入社式を迎えることができなかった人は、社会人じゃないのか。んなこたあない。「会社」という組織に身をおもねることの優位さも愚かさも嫌と言うほどその身で実感し、人生の酸いも甘いもかみ分けて、挫折し、転職し、失業し、堕落して復活して、何年も何十年もあくせく働き、右往左往して無駄金使って無駄足踏んで、人はようやく世の中の日の当たらないところに優しいまなざしを向けられるようになる。自分ばかりを中心に据えるのではなく、人の気持ちも考えられる人になる。時にはエゴを捨てて、影で社会を支える人になれる。それで始めて社会人と呼べるんじゃないのか? ハードル、あげすぎかもしれないけれど。

自分の弱さを受け入れ、人の弱さも受けとめて、それを揺るぎのない強さに変えられる人。それが真の社会人なのだ。そういう意味では、私は少なくとも真の社会人にはなれていない。ひょっとしたら、一生なれないかもしれない。

今月、久々にスーツを着て、あるところで数日間だけ働いた。新入社員みたいだねぇと、知り合いに言われ、笑われた。そう呼ばれるにはあまりにも年を取りすぎた私だが、そろそろ本当に社会の人になるべきときがきたのかもしれないと思う。なんつったって、5月には二度目の成人式を迎えることになるのだから。







サラリーランス仙人

2010年04月23日 11時09分53秒 | Weblog
昨日は雨がふったので、会社に行くのをサボって家で仕事をした。

自主的に会社に行き、作業スペースを使わせていただいている身なれば、
「サボる」は適切ではないのかもしれない。
だが、窓の外に降りしきる雨をみて、
「今日会社に行きたくないなあ」と思う気持ちは
サラリーマンの時代となんら変わりない。
会社にいかないことで罪悪感も感じるところも同じだ。

フリーランスでありながら、毎日会社に行って仕事をするサラリーマン的ワークスタイルをしているわたしは、フリーランスなんだけど心はサラリーマンという、新種の生命体、

「サラリーランス」

へと進化しつつあるのかもしれない。シーラカンスみたいですが。


ところで、僕にとって非常に珍しいことに、昨日はお金をまったく使わなかった(家賃とか水道光熱費とかの引き落とし系を除く)。

すっきりとして気持ちがいい。ご飯は手持ちの材料を使って自炊したけど、お金を使わないと、霞を食べて生きている仙人になったような気がする。

そんなわけで、やっぱり今日も、自分が誰だかよくわからないまま、生きています。








ただいまトン活中!

2010年04月21日 22時45分25秒 | Weblog

新宿トンカツ探検隊は、今年一番の陽気を感じつつ、午後一時過ぎに南口付近にある目的のお店に向かった。新宿のとんかつ店を食べ歩くことだけに人生のすべての情熱(のうちの10パーセント=トンパーセント)を捧げてきたとんかつ隊員K(私)の一押しのお店。

ひとくち頬張ると、肉の甘味と旨味がくちいっぱいにひろがった。

This is it! This is meat! これが肉や!

探検隊の新メンバーOさんと、ひとしきりトンカツネタで盛り上がった。新宿トン活道はガチンコラーメン道に匹敵するほど厳しくも奥深い世界なのだ。

同業者同士で真面目にいろいろと話をした。仕事の話、日常生活の話。とても有意義で、ためになる話をたくさん聞けた。Oさんありカツとう! 暗い話題の多い業界にいて、久しぶりに希望に満ちた話が聞けた。夢がひろがり、活(カツ)力がみなぎってきた。Oさんの話を聞きながら、いったい1ワード12円で何ワード訳したら、ロースカツ120グラムの定食を食べられるのか、そんなことを考えたりもした。

よいトンカツを食べるためには地道な調査が必要なように、よい翻訳者になるためにも情報収集と戦略は不可欠(ふカツけつ)なのだ。そして、more importantly(さらに重要なことに)――よい友も。

ナカメミラクル!そぞろ歩きの会8 中目黒編 4/18(日)の報告

2010年04月19日 23時09分00秒 | Weblog
昨日、中目黒を散策してきました。

参加いただいた皆様、そして地元在住で中目黒をご案内いただいたHさんのおかげでとても楽しい一日を過ごすことができました。

そぞろ歩きの会のブログにレポートをアップしました。

次回は5/23(日)にお台場編として開催する予定です。みなさままたそぞろ歩きましょう!

そぞろ歩きの会8 中目黒編、4月18日(日)開催直前告知

2010年04月17日 09時53分53秒 | Weblog
翻訳関係の仕事、勉強をしている人たちが、ただ歩いてしゃべるだけという「そぞろ歩きの会」、今月は明日4月18日(日)に中目黒を散策いたします。

4月18日(日)朝10:00にJR目黒駅中央改札口出口に集合、寄生虫博物館を見学後、目黒川沿いをあるいて中目黒にいき、午後1時ごろからランチをして2時すぎに解散予定です。現在のところ9名が参加予定です。

今回は中目黒在住の翻訳コーディネーターの方に、中目黒散策をコーディネートしていただく予定です。みなさまぜひこの機会にお気軽にご参加くださいませ!

詳しくはそぞろ歩きの会のブログをご覧ください。

ご連絡をお待ちしております。

馬のように働け

2010年04月16日 20時25分48秒 | Weblog
自分を馬だと考えて、川まで連れて行く。水を飲んでくれるかどうかはわからないけど、とにかく川まで連れて行く。川までいかなくては、水を飲んでくれる(仕事をしてくれる)可能性がなくなるからだ。

そういう風に、自分を「自分と馬」のふたつにわけて考える。

で、やっぱり今日の馬も、あんまり水を飲んでくれなかった(仕事をしてくれなかった)。昨日、家に帰ってワインを飲みすぎたからかなあ。

サンキュー! ~結婚します~

2010年04月15日 00時52分13秒 | Weblog
と、紛らわしいタイトルにしてみましたが、結婚するのは僕じゃなくてLove Psychedelico のKumiさん。おめでとう!と思いつつ、大ファンだったのでちょっと心境は微妙なのです。
ちょっとネタは古いけど。これ→「ラブ・サイケデリコのKUMIが結婚 10歳上の一般人男性と

===
 2人組ユニット「LOVE PSYCHEDELICO(ラブ・サイケデリコ)」のボーカルKUMI(33)が、一般人男性Aさん(43)と3月9日に結婚していたことが分かった。

 関係者によると、Aさんは音楽業界とは関係がなく、約1年前に知人の紹介で知り合い、交際に発展。今年2月、KUMIが米ロサンゼルスでのレコーディングから帰国したのを機に「2人で相談して、何となくこの日がいい、とひらめいたようだ」(同関係者)という日に婚姻届を提出した。KUMIは9日、公式サイトで「相手の方は、とても信頼のできる一般の方です。音楽活動は、これまで同様変わらずマイペースに行っていきます」と報告した。

 先月末には親族だけのシンプルな結婚パーティーを開催。KUMIが多忙なため新婚生活はまだ始まっておらず、現在は新居を探している最中という。KUMIは今後もコンサートなどで忙しく、8月いっぱいまで休みが取れないことから新婚旅行なども未定。妊娠はしていないという。
===

>「2人で相談して、何となくこの日がいい、とひらめいたようだ」(同関係者)という日<
>に婚姻届を提出した。

何となくこの日がいい、といいつつ、
3月9日でサンキュー(ありがとう)ってことじゃなのかな...?

だとしたら、なかなかしゃれがきいてるね。

ともかくkumiさんおめでとう!

循環

2010年04月13日 18時35分34秒 | Weblog
一年前の今日。

家でひとりで仕事をしていたら、
小学校のクラスメートだったエイコちゃんから、
28年ぶりにメールがきた。

びっくりした。

-----------------------------
件名:こんにちは
送信日時:2009/04/13 (月) 20:52

人違いだったらごめんなさい。
長浜小だった児島修くんですか??
3,4年一緒だったxxxです。
もしそうならメールした経緯を改めて書きますね。
-----------------------------

それがきっかけで、夏に島根県の浜田市を28年ぶりに再訪することができた。
懐かしい友、師、町との再会。

その興奮の模様は、東京に戻ってからとりつかれたようにして書いた、異常に長い旅行記に記したとおりである。旅行記はこちら


今日、昼間会社で仕事をしていたら、エイコちゃんからメールが来た。



あれから一年やなあ。

早いような長かったような、めっさ濃い一年やったなあ、と。

うん、ホンマにそうやなぁ。当時は緊張して、○○○さんなんて敬語使っとったもんなあ(笑)

と、返した。

***

年を取れば取るほど、時の経つのが速く感じられる。
一年なんてあっという間だ。一日なんて、口を開けてる暇もないくらい速い。

だが、幸か不幸か、記憶が薄れていくスピード(すなわち老化)も加速している。
だから、たった一年前の、あのメールを受け取った日のことが、
はるか遠くの出来事のようにも感じられてしかたがない。うまくできているのだ。

というわけで、いくら考えても、この一年が短かったのか、長かったのかがさっぱりわからない。

でもまあこのメールを基準にして今日までの一年を振り返ると、ともかくとてもすばらしい体験ができたことだけは間違いない。ホンマにありがとう。

あっという間に過ぎていくような毎日ではあっても、実はいろんなことが起こっているし、起こりうる。いくら年をとっても、人は変わり続けているのだ。

だんだん天気がよくなってきて、今日は本当に気持ちがよかった。嬉しくてハッスルして歩いていたら、犬のうんこを踏んでしまった。

ほんのわずかだけだが、夏の背中が見えた。去年のあの熱い夏が、近くにあるような気がした。


サイコの闘い ~戸田・彩湖フルマラソン・ウルトラマラソン激走レポート~ 第二話

2010年04月12日 21時54分28秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
フルマラソンの部は10時にスタートする。9時半までに受付を済まさなくてはいけない(といっても、ほとんどのレースでは少々遅れても受付をしてくれるのだが)。逆算すると、遅くとも9時過ぎには武蔵浦和駅に到着しなければ。僕の住む武蔵境から武蔵浦和までは、中央線と武蔵野線を乗り継いで1時間弱で行ける。

経験から学んだことだが、「家から近い」というのは、マラソンの大会に参加するうえでとても大きなメリットになる。レース前日は少しでも多く眠っていたい。それに、2時間も3時間もかけて会場に行くとなると、体力も消耗する。ランナーは、走り始めるまでは一歩でも無駄にしたくはないと思うものなのだ。レースの当日はいつも、どこでもドアがあったらいいのになあ、と夢想してしまう。

朝7時に目覚まし時計で目を覚まし、7時45分頃に家を出た。駅までは徒歩20分くらいなのだけど、今日はバス。8時2分の電車に乗れるといいな、と思っていたのだけど、例のごとく時すでに遅し。西国分寺の駅で降りて、こんどの武蔵野線の発車時刻を確認し、ギリギリ間に合うかと思って腹ごしらえのために駅蕎麦のお店に飛び込んだ。駅蕎麦のメニューでは肉うどんが一番好きなのだけど、券売機を見るとそこの店の一押しは「肉そば」らしい。そんなところで悩んでいる場合でもないのに、どっちのボタンを押すべきか、人差し指がしばし左右を行ったり来たり。肉そばにしようか肉うどんにしようか、う~ん、やはりここは長いモノに巻かれておくべきか、そうだともオススメの肉そばにしよう、と思ってボタンを押した。が、食券が出てこなかったのでやっぱり肉うどんにした。

肉うどんを食べていたら、「誰か食券取り忘れてますよ」と、後から入ってきた男性が言った。もしや、と思ったがどうしてよいかわからず肉うどんを食べ続けていたら、「SUICAで肉そば買った人いませんか?」と店内に響き渡る声で店のおばさんが言った。もちろん、買ったのは僕である。食券は出ていたのだ。申し訳ないと思いながら、そしてその正直者の男性に感謝しながら、「あ、それ僕です」と言った。

おばさんが嫌な顔ひとつせず、食券機を開けてレシートを確認し、払い戻しをしてくれた。男性にしても、おばさんにしても、優しい人だ。人の情けが身にしみた。ありがとう! そうこうしているうちに、電車はとっくの昔に出発してしまっていた。ああ今日も、「まさに俺、これが俺」的すぎる展開!

やばい。でも、まあなんとかなるだろう。すべての局面において「なんとかなるだろう精神」でこれまでの人生を歩んできた僕だ。その結果、「なんともならなかった」「いかんともしがたかった」状況に陥ることも頻繁にあるわけだが、僕の力で電車の運行時間を変えることはできない。すべては因果応報なのだ。

ようやく来た次の電車に乗って、武蔵浦和に向かった。武蔵野線にはめったに乗ることはないが、常々とても興味深い経路だと思っている。東京の西側から埼玉に向けて出発したと思ったら、いつの間にか千葉に着いているのである。要は、東京のぐるりを走っているのだ。それを知らなかった東京に不慣れな頃、なんで府中本町を出発した電車が西船橋に着くのかがわからず、不思議な感覚に襲われたものだ。異空間を駆け抜ける武蔵野線。

前日にブックオフで買った何冊かの本をリュックに入れてきたのだけど、どれもピンとこなかった。最後に手に取ったのが、五木寛之著『人間の覚悟』。読み始めたら面白くて、とまらなくなった。親鸞のことが書いてあった。

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自分の信心に、特別な極意などはない。師である法然上人のいわれたとおりに信じて、ついていっているだけだ、と、いうのである。その後につづく言葉は、おそらく目にした人は絶対に忘れることのできない文句だろう。

自分が法然の言葉を信じてついていき、もし師に欺かれて地獄におちたとしても、自分は決して後悔したりはしない、と、親鸞は断言するのだ。

「地獄は一定すみぞかし」

すなわち、自分がいまいるのは、悟りすました解脱の世界ではなく、常に人間としての生きる悩みにとりかこまれた煩悩の地獄である、というのが親鸞の覚悟なのである。

念仏をすれば地獄からすくわれるのだ、と親鸞は言わない。自分にとって、

「地獄は一定すみぞかし」

だから念仏を信じ続けるのだ、師、法然を信じるのだ、と彼はいう。地獄は一定、と覚悟したところから、親鸞の信仰は出発するのである。
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この世を地獄とまでいいきっていいものか、僕にはわからない。だが、悩みにとりかこまれた煩悩の世界であることだけは間違いない。親鸞は、地獄であるからといってニヒリズムに陥るのではなく、そこが地獄であったとしても、信じた道を究めようとした。それにしても――自分が信頼していた人に欺かれて、地獄に堕ちたとしても、後悔はしない、の一節は重い。深く共感はするが、今の僕がこの言葉の意味を理解できたと言ったら、それは嘘になるだろう。

***

そんなこんなでついに武蔵浦和。かっこいい駅名だ。駅から会場までは、大会がシャトルバスを出してくれている。乗り場はどこかなあと思って駅の階段を下りたら、係の人が僕の出で立ち(上下のウインドブレーカーにジョギングシューズ)を見るなり、「サイコ? サイコですか?」と訊いてきた。つまり「彩湖(マラソンに参加する方)ですか?」。定食屋でうなぎを注文するときに「僕はうなぎです」と言ってしまう、うなぎ文。まあ確かに僕は「psycho」な人でもあり、「彩湖」フルマラソンに参加する人でもあり、これから走るのが「最高」に辛い42キロになることを予感しているのであり、そしてシャトルバスの列の「最後」に並ぶ人でもあるからにして、まさにサイコなのである。「はい、僕はサイコです」と心の中で呟きながら、礼を言って列に並んだ。シャトルバスが出ているということは、受付にも間に合うはずだ。これで少なくともワーストケースシナリオ(出場できず)は、避けることができた。この時点でかなりの達成感。ハードルが低いなあ。近くにスターバックスがあったので、今日のコーヒーを買った。

バスはすぐにやってきた。相当数の人が列に並んでいたけど、乗ることができた。目の前に若い女性が座った。僕は立ちながら『人間の覚悟』の続きを読み進めた。これからマラソンを走る。相当にハードな闘いになる。覚悟を決めるのだ。女性が、後から入ってきた年配の女性に席を譲ろうとした。これからフルマラソンを走るのだから、彼女とて足は消耗したくはないだろう。だが彼女の表情に迷いはなかった。とっさにこういうことができる人は、えらい。素敵な人だなぁ。レースになったら、この人の後ろをついて走ろうかなぁ。それなら、頑張って走れそうな気がするなぁ(と、スケベな気持ちをモチベーションに変える)。年配の女性は丁寧に申し出を断ったのだけど、それもまた凜として見ていて気持ちよかった。こんな風に頭で考えるよりも速く、一歩行動に踏み出せる人はいい。マラソンを走ることが、人生のさまざまな局面において、そういう一歩につながればよいのだけど。

バスの運転手が、バスが右折、左折するたびに、「曲がります。おつかまりください」という。ここでも見事に主語がない。武蔵浦和には主語が少ないのか。それとも、ひょっとしたら何をつかんでもいいということなのか。そうなのか。何をつかんでもいいのなら、目の前の女性につかまりたい。がっしりとつかまりたい。そのまま二度と離したくない。いや、離しはしない。そんな気持ちを抑えてとりあえず目の前のポールをつかんだ。
***

五木さんは、40代後半から50代前半にかけて、そして60才前後でひどい鬱に悩まされたのだという。五木さんほどの巨人にして、人生にはこんなにも浮き沈みがあるのだ。まったく人生という野郎は、やっかいだ。生きている限り、僕も当然これから年を取っていく。もともと浮き沈みが激しい人間だから、これからも沈んだり潜ったり、打ちのめされたりしていくんだろう。そして、たまには浮上したりということもあるのだろう。そのときに、どんな覚悟ですべてを受け入れられるのか。五木さんは今年で78才になられる。それでいて、この旺盛な筆力はなんだろう。ふと、老いるというのは人生の最先端を行くことなのではないかという気がした。老いるということは、常に未知との遭遇なのだから。

――人はいつか必ず発現する死のキャリアである

というパスカルの言葉がやけに胸に突き刺さった。誰もが死にゆく運命にあると透徹に見通せたとき、よいもわるいもひっくるめてすべてを受け入れる覚悟ができるのかもしれない。

***

車内を見渡すと、みんなそれぞれマラソンに向けて気持ちを高めているような顔つきをしている。やはり誰であれフルマラソンのレースに出場するのは緊張するものなのだ。コーヒーを飲みながら五木寛之を読んで黄昏れている自分が場違いな輩のように思える。

ここにいる全員が、共に同じレースを走る仲間でもあり、またライバルでもある。日頃は思い思いに家の近所やジムでトレーニングをしている人たちが、何の因果か今日は同じ道を走る。不思議なことだ。ふと足下をみると、全員がジョギングシューズを履いている。ポーカーフェースを演じつつ、尻隠さず。自分はランナーですという正体をあらわにしているのである(誰も隠してないか)。ともかく、周りの全員がジョギングシューズを履いているという光景は、ちょっと異様であった。俺は騙されない。平静を装っているが、お前ら全員ランナーだろ。なんだか「お前ら人間のふりしてるけど、全員宇宙人だろ!」と叫びたい衝動にかられた。

バスが、目的地に到着した。体調にはあまり自信が持てない。無理して走ったら心臓が止まるかもしれない。下手をしたら今日が人生最後の日になるかもしれない。まあそれはそれでいいだろう。読みかけの『人間の覚悟』をリュックに戻すと、僕はこれからレースを走る自分のことを赤の他人のように感じながら、「サ、イコか」と呟いて会場に向かって歩き始めた。

(第三話に続く)



翻訳関係の仕事、勉強をしている人たちが、ただ歩いてしゃべるだけという「そぞろ歩きの会」、4月18日(日)に中目黒を散策いたします。今回は中目黒在住のお方に参加いただけることになり、地元目線で中目黒を堪能できると思います。パラサイト博物館も見学。みなさまぜひお気軽にご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに告知を記載しています。





サイコの闘い ~戸田・彩湖フルマラソン・ウルトラマラソン激走レポート~ 第一話

2010年04月11日 16時48分54秒 | 怒涛の突撃レポートシリーズ
――少なくとも最後まで歩かなかった。

「息子から”読んでみて”、と言われたその本に、こんな言葉が書いてあったんです」と、金曜日、僕がオンサイト勤務をさせていただいている翻訳会社にふらりと挨拶にこられた男性翻訳者は言った。「墓碑銘に、こう刻んでほしいって書いてあって、なるほどって思ったんです」

彼とお目にかかるのは初めてだった。50代後半にしてすでにお孫さんもいらっしゃるというが、見た目はとても若々しく精気にあふれ、そしてハンサムだ。2、3年前に大手企業を退職し、今は自然の豊かな静岡県のS市に住み、晴耕雨読ならぬ「晴耕雨訳」な日々を送られているとのこと。同僚のコーディネーターたちからの信頼、人望も厚く、いい噂を何度も聞いていた。海が近くて、魚が美味しくて、緑も多い。そんな場所に住んで、健康的に暮らし、働く。フリーの翻訳者はメールでの仕事のやりとりがほとんどだから、どこに住んでいても働ける。いきおい、南の島だとか、外国だとかに住んで悠々自適な生活をしている自分の姿を妄想してしまいがちだ(今の自分にとっては妄想以外の何ものでもない)。

もちろん彼の場合も現実的にはいろいろ大変なことはあるのだろうけど、やっぱりそのライフスタイルはとても魅力的に思え、僕も年をとったら彼のような暮らしができたらいいなあと、密かに憧れていた。思いがけずそのお方とご挨拶でき、しばし歓談する機会に恵まれてとても嬉しかったのである。

件の村上さんのエッセイ集、『走ることについて語るときに僕の語ること』を息子さんにすすめられて読み「少なくとも最後まで歩かなかった」という言葉に触発された彼は、それ以来、週に2、3回、家の近くの海岸線のジョギングを楽しむようになった。息子さんと参加した先日の青梅マラソンでは、なかよく同時にゴールした。

「息子を立てるために、一緒にゴールラインを踏もうと言っておきながら、ゴールの瞬間はちょっとタイミングを遅らせたんです」彼は笑った。1秒ほど父親よりも早くゴールした息子さんは、きっとこんな素敵なお父さんを誇りに思っているに違いない。本当はワインでも飲みながらもっとたくさんお話したかったのだけど、彼は僕に会いに来たわけではない。せっかくの機会なのだから、営業的に他のコーディネーターと人たちと仕事の話も含めながらコミュニケーションするべきなのだ。あまり時間をとらせてはいけないと、数分間で話を切り上げた。最後に「将来、○○さんのような翻訳者になりたいです」と言って握手した。柔らかく、温かい手だった。社交辞令じみたセリフだなと我ながら恥ずかしくも思ったが、紛れもない本音だった。たった数分間、話をしただけですっかり彼の魅力にひきつけられてしまった。

**********

僕にとってその日は、奇しくもフルマラソンのレースの前日だった。5年くらい前からほぼ毎年参加している『荒川市民マラソン』に今年も申し込もうとしたら、すでに定員に達していて、あわてて申し込んだのが『戸田・彩湖フルマラソン&ウルトラマラソン』。もちろん申し込んだのはフルマラソンの方である(42.195キロだって練習不足で相当に不安だったのに、70キロのウルトラマラソンなんて走れるわけがない)。

申し込みはしたものの、大会名も場所も、直前まで覚えられず、誰かに「何のレースに出るの?」と言われる度に「ええっと、埼玉の方である『彩の国なんとかマラソン』みたいなやつだったと思う」と相当に適当に答えていた。

気がつけば、翌日がそのレース本番なのである。

年始に申し込みをしたときにはいっちょう気合いを入れて走ってやるか! と意気込んでいたものの、会社帰りの通勤ウォーキングの楽しさに目覚めてしまい、走ることに情熱を見いだせないまま時間だけが過ぎていった。毎日通勤するようになったから、走る時間を作れなくなってしまったということもある。いや、それは言い訳だ。会社で働いていても、本当に走りたければいくらでも時間は作れる。だが、3時間もかけて会社から歩いて帰ってきた後で、さらにジョギングをしようと思うような気力と体力は僕にはなかった。おそらく僕だけじゃなくて普通の人間なら誰でもそうだと思う。

思い出したようにたまに走ってはみたものの、あまりいい走りはできず、「レース本番は、そうとう大変なことになるだろうな」と不気味な予感をひしひしと感じていたのだった。「4月10日にマラソンを走る」という事実を、人ごとみたいにタスクリストの片隅に放置したまま、いつものように忙しい日々に流されていった。

過去に何度かフルマラソンに出たことはある。はっきりとは覚えていないのだけど、たぶん完走2回、リタイア2回、(申し込んでおきながら)怪我のために不参加1回というなんともなさけない成績である。42.195キロを走るというのは、とんでもなく苛酷なことである。調子が最高によくても相当にしんどいのだから、調子がよくないとそれはもう最高にしんどい。僕のようなはしくれランナーの場合、それは心肺機能がどうこうというレベルではなく、それ以前にまず筋肉が、関節が悲鳴を上げる。70キロ弱の重さの物体を、42キロも運ぶということが、僕の身体のスペックを越えているのだ。いつも痛くなるのは、左足の甲、右の膝、腰(ぎっくり腰に近い状態)。ちなみにほぼ毎回、途中でう○こに行きたくなるという問題もあるのだが、用を足してしまえば走り続けられるのだから大きな障害ではない。

今回もおそらく相当に痛みを感じることになるだろう。いつぞやの大会では、20キロ地点で膝が痛くなって一歩も一歩も動けなくなった。あまりむきになってタイムを競うことは元々好きではないといえ、完走することが美徳とされるマラソンの世界で、途中棄権することはやっぱり悔しい。頑張って走れるものなら当然走り続けたいと思う。だが、その時の痛みは、頑張ればなんとかなるというレベルのものではなかったし、リタイアする以外に選択肢はなかった。途中棄権する多くのランナーも、同じように精神力ではどうしようもない痛みや辛さに直面しているのだと思う。

でもまあいいのだ。普通に暮らしていたら、なかなかこんな痛みを感じる機会はないし、こんな恐怖を覚えることもない。それもまた逆の意味で楽しみではある。かっこいい先輩翻訳者のさわやかなランナー生活の話を聞きながら、僕はまるで戦場にいく前の兵士になったような不安な気持ちに襲われていたのであるが、いくら考えたってしょうがない。出たとこ勝負、いきあたりばったりでいくしかないのだ。バッタリ倒れて天国に旅立ってしまったとしても、それはそれで人生じゃないか。

===============
村上春樹
作家(そしてランナー)
1949 – 20**
少なくとも最後まで歩かなかった
===============


途中でリタイアしてしまった経験のある僕には、墓碑銘に春樹さんのようなかっこいい言葉を記すことはできない。おそらく後半は歩きながら、制限時間の7時間以内でなんとかゴールできるかどうかが関の山だろう。途中でう○こもするだろう。もともと便意が多いほうで、7時間も「大」を我慢することは普通に生活していてもあまりない。ましてやアドレナリンを大量に分泌しながら全身に刺激を与え続け、給水所で大量の食料を摂取しながら走り、歩き続ける6~7時間の間に、一度も便意を感じないわけがない。

しかし――。

誰でも、自分の人生にあっては欲しくないこと、あったかっこ悪いこと、できれば避けて通りたいことのひとつやふたつはあるだろう。そして、「スポーツの試合の最中にう○こをすること」も、できれば人生のなかで避けて通りたい道である。

中村俊輔が、フリーキックを蹴る直前に、「ちょっとう○こをしたいのでタイムお願いします」と言うだろうか?
アイルトン・セナは、レース中にハンドルを切りながらう○こをしたのだろうか?(尿瓶を使っていたりして)
ベン・ジョンソンンは、100メートルを走りながらう○こをしたのだろうか?(名前が「ベン」だけにあり得たりして)

いったいどこの誰が、スポーツの真剣勝負の試合の最中のあの緊迫感と、う○こが同じ時空に存在しうるものだと想像できるというのだろう?

だが、我慢はしまい。大便を催したら、トイレに駆け込むだけだ。

「少なくとも最後まで歩かなかった」ことを誇りにする人がいるならば、「少なくとも最後まで我慢しなかった」ことをささやかな誇りに感じるランナーがいてもいいはずだ。う○こがしたければする、歩きたくなれば歩く、どうしても痛みを我慢できなければ、勇気を持ってリタイアする。

===============
イワシ
翻訳者(そしてランナー)
1970 – 20**
少なくとも最後まで(う○こを)我慢しなかった
===============


なんの自慢にもならないかもしれないが、そんな気持ちで戦場に赴くことに決めた。

明日4月10日、埼玉で何かが起こる。その日も仕事に追われ、家に着いたのは12時前、眠りについたとき、すでに午前1時を過ぎていた。

(第二話に続く)



そぞろ歩きの会、第8回目の今回は、中目黒を散策したいと思います。現在まで6名が参加予定です。みなさまこの機会にぜひお気軽にご参加くださいませ!

そぞろ歩きの会のブログに告知を記載しています。よろしければご覧ください。

チャンスの神様

2010年04月09日 23時57分51秒 | Weblog
チャンスの神様には前髪しかないっていうけど、
今回の神様には前髪はなく、
側頭部から後ろにかけて綺麗な直毛の金髪が生えていた。
だからなのだろう、当時も今も、神様はいつもバンダナを巻いている。
それでも、2メールトルを越える長身と超人的な肉体美と、
人間的な魅力のおかげで、
前髪の薄さなんてまったく気にはならなかったし、
実際とてもかっこいい人だったのだ。

昨年末、忘れかけていた神様と出会って、僕の心は燃え上がった。

一度はもうダメかと思ったけど、少し前にまた彼は僕の前に姿を現し、
「チャンスをやるよ」と言ってくれた。

それをものにできなかったのは、すべて僕に力がないからだ。
とっても残念だけど、今回、本当にいろんな人のお世話になったし、
自分のやりたいことが何かも大きな手応えとともにつかめたような気がする。
この教訓を活かして、次こそは前髪でも後ろ髪でも背中やお尻に生えてる毛でもいいから
がっしりとつかんで離さないようにしたい。

もしチャンスを得られていたら、100%のモチベーションで、
自己最高のパフォーマンスを出してやるつもりでいた。
だけど、何かが足りなかった。それは実力であり、実績であり、運であり、
その他もろもろであり、つまるところ僕の総合力なのだ。

そんなわけで、僕の夢ははかなくも消えてしまった。
お世話になったみなさん、本当にありがとうございました。
いい経験になりました。次のチャンスの神様との出会いを求めてまた明日から頑張ります。

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いよいよ明日はマラソンの日。朝10時にスタートだ。
今回はほとんどランの練習ができなかったので、ぶっつけ本番。
ウォーキングで足は多少作っているものの、42.195キロは常識を越えた距離なのであり、
そうとう苛酷なレースになりそうだ。

楽しんで走ろうとは思っているけど、楽しいだけじゃ終わらせてくれないのがフルマラソン。
辛さとか苦しみとか疲労骨折とかそのへんも含めてすべて受け入れるつもりでいかないと!

生きてたらレポート書きます。ではみなさま、よい週末を!