イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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津々浦々

2006年09月11日 23時02分09秒 | Weblog
日曜日はいつものように近所の公園(といっても都内で有数の広さ)を走る。
団地住まいだから犬は飼えないのだが、夫婦ともども柴犬が大好きで、
いつも柴犬ウォッチングをしながら走っている。
柴犬といえば普通は茶色だが、黒い柴犬がたまにいて、これがまた可愛い。
我々は彼らをそのまんま、「黒柴」と呼んでいる。

その公園にはドッグランがあって、金網で囲われたエリアには休日の昼間ともなると
これでもか、というくらいたくさんの種類の犬達が自由に走りまわっている。
たいていは、品評会さながらの(おそらくは血統書付きの)高級犬で、
柴犬はパッと見どうみても見劣りするのだが、我々にとってはもう他の犬が
眼中に入らないくらい柴犬が可愛い。
以前田園都市線沿線に済んでいたとき、よく駒澤公園を走ったが、
ここのドッグランはまさに高級犬コンテストのような様相を呈していた。

ちなみに黒柴をみるとなぜかこれも大好きな黒ビールを連想してしまう。
帰りにコンビニで黒ビールを買う。
家に帰ってシャワーを浴び、黒ビールを飲む。トマトを齧る。
走ってクタクタになった後では、何を飲んでも異常に美味しいが、
ビールに勝るものは無いような気がする。
本当は水で済ませたいところなのだけど(ビールの次に美味しいものは水だ)。

走りながら、いろいろなことを考える。
そういえば、京都にいた頃は、朝、哲学の道をよく走ったものだった。
まさに逍遥という感じで、そこを走っていると様々なことが想起されたものだ。
孤独なランニングというスポーツが、メンタル的にも、肉体的資質としても、
性に合っている。ランニングと翻訳は、とてもよく似ているのだ。
走っている間は、自由だ。僕は、この非日常の空間を心から愛している。

月曜日になり、日常が始まる。
通勤の電車の中で、「朝日新聞の用語の手引き」を読む。
毎年、読まなきゃいけないリストに入っている本だが、
拾い読みばかりで、通して呼んだことが無い。
その中に、ふと「津々浦々」の文字が。

翻訳をしていて、訳文の意味をピタッと
日本語に置き換えることができるときがある。
上手く言えないが、おそらく言語には、この文脈で、この意味がきたら、
これ、という言葉がたくさん用意されていて、
それはパズルのピースのように他に代わりの効かないものなのだと思う。
日本語という言語を母国語として生きてきた人には、
感覚的にそういう言葉がわかるはずだ。
翻訳と言う作業の中でも、辞書に乗っている訳語をそのまま使うのではなく、
原文の意味を的確に捉えて、この文脈なら日本語ではこの言葉だろう、
というものを迷いなく選べるとき、とても良い訳文が作れる可能性がある。
でも、あまりにも日本語的過ぎて、それを翻訳の言語の中で使っていいものか、
日本語に訳し過ぎではないか、という言葉も中にはあり、
「津々浦々」もその1つだと思う。

辞書を引けば、all over the country とか、throughout the country とかが
例として載っているのだが、どうもしっくりこない。
「アメリカ大陸を津々浦々」とか、「ニュージーランド津々浦々」などと訳しても、
どうも欧米のコンテキストには相応しくない言葉のように思える。

これは僕個人の単なる言語的感覚に過ぎないので、別段なんとも思わない人も
多いかとは思うのだが、そういう感覚的な「ひっかかり」を頼りにすることも、
大事なことなのかな、と感じる今日この頃なのであった。



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百合烏賊!

2006年09月07日 21時28分07秒 | Weblog
その日も、少々翻訳の心得があると思っている僕は、
そそくさと新しい翻訳の仕事に取りかかったのだった。
パリッとした用紙に印刷された原文のマニュアルをおもむろに開いて、
バリバリと翻訳にとりかかるつもりでいた。体調も悪くない。さあ、始めよう。

ところが、何時間か経過しても、進捗は釈然としない。
靴下の上から足を掻いているような気分。
なぜだろう。。。冷静に考えればすぐに分かる。
つまり、原文の意味がよくわからないのだ。
#かなり技術的に難しい内容だった。。しかも、英語にもかなりクセがある。

英語の意味をきちんと取ることができないと、
とたんにいつもの力の何文の1しか翻訳力を発揮できないでいる自分に気づく。
言葉が出てこない。辛い。。。

翻訳しながら、意味を取り違えていないか不安になる。
これを読む人が、マユをしかめるようなことにならないか、
誤訳を信じて、間違ったプログラミングをしてしまわないか。。冷や汗が流れる。

原文を理解することの大切さを、痛感する。
こんなときは、ここぞとばかりに関連する技術の内容を勉強したり、
SEに質問をしたり、書かれてある内容が腑に落ちるまで、
原文を何度も何度も読むしかない。

そうこうしているウチに、上手く行けば、「ユリイカ!」という瞬間がやってくる。
そしたら、いつもの自分に戻って、読み手に内容を説明する気分で文章を
作ることができる。
こうなれば、翻訳は楽しい。多少の遊びを訳文に織り交ぜる余裕も出てくる。

原文の意味がわかるかわからないかで、訳文のレベルは格段に異なったものになる。
そこが、翻訳の分水嶺なのかもしれない。







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