イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

からかい半分

2007年12月04日 23時03分47秒 | ちょっとオモロイ
深夜二時。電話口で、さっきから三十分以上、ひたすら謝り続けている。
「ごめん、本当にごめん。そんなつもりじゃなかった。悪かった。もうし訳ない」
今から十年以上前のことだ。彼女、つまり僕が話していた相手は、大学のサークルの仲間だった。

当時、京都のとある大学の学生で、映画研究会に所属していた僕たちは、そのとき制作していた八ミリ映画について毎日のように連絡を取り合い、撮影スケジュールの打ち合わせをしたり、新しいシーンのアイデアを練ったりしていた。僕が監督で脚本を書き、彼女が助監督。なかなかの名コンビだった。

映画のあらすじは、こうだった。人間の記憶を操作するという研究に取りつかれたマッドサイエンティストが、ある男の記憶を入れ替え、まったくの別人を恋人だと思わせてしまう。ところが、男は彼女に振られたばかり。別れの悲しさに打ちひしがれながらも、心を整理し「偽の」彼女に最後の別れを告げにいくが、偽の彼女にはなんのことかさっぱりわからず、しかしやがて真相が明らかになり…ついに博士との対決というクライマックスを迎えて…とこれだけではどんな話かまったくわからないだろうが、ともかくなんともハチャメチャなストーリーで、でもコメディタッチななかにもちょっとしんみりとさせるシーンもあったりして、撮影は快調。手ごたえ十分。素人の自己満足の世界であるが、若さもあって、とにかく大きな盛り上がりを見せていたのだった。

打ち合わせという目的はあるものの、撮影中に次から次へと起こる面白おかしい出来事を話題にしていると、彼女とはいくらしゃべっても時間が足りなかった。僕の話の内容の七割は冗談だったような気がする。だから、たぶん何気なくいったその一言が、これほどまでに彼女にショックを与えるなんて、まったく予想外の展開だった。彼女は、ずっと沈黙したまま、一言もしゃべってくれないのだ。

告白すれば、実は、そのとき何を口走ったのか、まったく覚えていない。覚えてはいないが、からかい半分で何か言ってしまったことが、こんなにも人を傷つけてしまうということが、今でも忘れられないのだ。覚えていないくらいだから、おそらくそれほどたいしたことは言っていないはずだった。たわいもない冗談。少なくともそうだったのだと思いたい。なのに、なぜ?

彼女は、電話の向こう側にいて、黙ったまま何もしゃべってくれない。泣いているのだろうか。かすかな息づかいさえ、僕の耳には聞こえているのかいないのかわからない。

ショックを受けると、呼吸をするのもやめたかのように、沈黙してしまう。彼女にはきっとそんなデリケートなところがあって、きっと何かの拍子でそんな状態に陥ってしまうのだろう。それはなんとなく直感でわかった。それだけに、軽はずみな一言で地雷を踏んでしまった自分のことが悔やまれた。僕はただ、ひたすらに謝り続けた。もうとりかえしがつかないかもしれない。そんな気持ちになりながらも、どうすればこの場を切り抜けられるのかを必死に考えた。これまでの二人の関係が、こんなことで崩れていいのか。ありとあらゆる話をして、彼女を「こちら側」に呼び戻さなければ。

どれくらい時間がたったのだろう。ふとこう思った。このままいくら謝り続けても、もうこの場を収めることはできないだろう。ここは受話器を切って、明日また謝ればいい。勇気を出して、電話を切ることを次げ、最後にもう一度詫びを入れると、ぼくは受話器を置いた。


翌日、恐る恐る彼女の家に電話してみた。意外なほど明るい声で彼女が出た。拍子抜けすると同時に、すこしだけほっとする。一夜明けて、落ち着きを取り戻したのだろうか。
「昨日は、本当にごめん」
「え? なんのこと? そういば、電話、途中で切れたよね」
「……切れたって、いつ?」
「普通に話してたら突然切れたでしょ。そのあと何度もかけなおしたけど話中だったから」
「……」

つまり、沈黙していたのは彼女ではなく、電話線の方だったということらしい。何かの拍子で突然通信が切断され、無音と化した受話器に向かって、昨夜の僕はずっと謝り続けていたというわけだ。そんなわけで、この件は一転してすっかり笑い話になってしまった。そうこうしているうちに、映画も完成し、内輪での上映会も大盛況に終わった。この逸話は、映画作りの楽しい思い出の一つとして今でも心に残っている。あまりにも間抜けな自分の伝説がまた一つ増えたというだけではなく、口は災いのもと、ということわざをあのときほど実感したときはなかったという意味で、いまでも忘れられないのである。

ただ、たまにふと想像してしまうことがある。彼女、本当はやっぱりあのとき沈黙していたのではないだろうか…。まさかとはとは思うが、ついそんなことを考えては、背筋をぞっとさせてしまうのだ。
それにしても、あのとき、僕は彼女になんて言ったのだろうか?

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FアカデミーでSさんの授業。
今日のエントリは、S先生の授業で提出したエッセイを掲載してみました。
駅前のブックアイランドで5冊。

『深い河』遠藤周作
『若き実力者たち』沢木耕太郎
『図書館の親子』ジェフ・アボット著/佐藤耕士訳
『図書館の美女』ジェフ・アボット著/佐藤耕士訳
『図書館の死体』ジェフ・アボット著/佐藤耕士訳