山岡洋一さんが他界された。
まだ62歳の若さだった。すでに途轍もなく大きな仕事を成し遂げてきた氏ではあるが、これから本当の集大成と呼ぶべき時代を迎えようとしていたところであったに違いない。
昨年、山岡さんの講演を聞きにいった。長年続けてきた「翻訳通信」の歩みを振り返るというテーマのものだった。特に明言はされていなかったように記憶しているし、私の主観でしかないのだけれど、話の節々から、後進の育成にかける氏の使命感のようなものが伝わってきた。そこには澄み渡るような純真さがあった。年齢的なものもあるのだろうし、何かを成し遂げた人の心境とはこのようなものかと感じたことを覚えている。
山岡さんは、翻訳を先人達が積み上げてきた巨大な伽藍のようなものだと捉え、過去の資産に最大限の尊敬を払いつつ、その伽藍をさらに高く、豊かなものにするために、日々、鑿を打ち続けていたのだと思う。それゆえ、その伽藍への敬意を欠く浅薄な翻訳への取り組みを厳しく批判した。翻訳への深い愛情と畏怖があればこそであった。
特に晩年は、私欲のためではなく、翻訳の名声を、歴史を守ることが、過去の積み重ねのうえに、さらに良いものを積み上げていこうとすることが、山岡さんの仕事になっていたのだと思う。残されたのは、未完ではあるが、大きな、大きな礎だ。
翻訳者の集まりでは、身の程をわきまえず何度か氏に話しかけたことがあるし、宴席で図々しくも対面に座ったこともある。その度に背筋が伸びる思いがした。どこの馬の骨ともわからない私に対しても、誠実に言葉をかけてくれた。もう10年近く前になると思うが、氏の仕事場に何人かで伺ったこともあった。壁一面の本棚には、専門であるノンフィクションだけではなく、フィクションの原書、訳書も多数並べられていて、あらゆるジャンルから貪欲に学ぼうとするその気概に溢れた姿勢が伝わってきた。第一線で活躍している翻訳者は、なるほどこれだけ研究熱心なものかと思った。
昨年の講演会で挨拶をしたとき、「一流の訳者の訳書を、原書とつきあわせて読みなさい」とアドバイスしてくれた。親が子に言い聞かせるような真摯さがあった。それが氏を見た最後になった。
山岡さんが灯した火を消してはならない。一冊でも多く、先達やいま最前線にいる同業者の方の訳書を読み、そこから学ぶのだ。数多の翻訳者が積み上げてきた仕事をリスペクトし、その伽藍のほころびを修正し、より高く、優れたものに変えていく。それが翻訳への、山岡さんへの恩返しになるのだと思う。
私のような端くれ翻訳者が追悼文を書くのは差し出がましいことではありますが、山岡さんの素晴らしいお人柄、そして残してくれた大きな仕事に敬意を表して、書くことにしました。あらためて感謝を申し上げます。
ご冥福を祈ります。
まだ62歳の若さだった。すでに途轍もなく大きな仕事を成し遂げてきた氏ではあるが、これから本当の集大成と呼ぶべき時代を迎えようとしていたところであったに違いない。
昨年、山岡さんの講演を聞きにいった。長年続けてきた「翻訳通信」の歩みを振り返るというテーマのものだった。特に明言はされていなかったように記憶しているし、私の主観でしかないのだけれど、話の節々から、後進の育成にかける氏の使命感のようなものが伝わってきた。そこには澄み渡るような純真さがあった。年齢的なものもあるのだろうし、何かを成し遂げた人の心境とはこのようなものかと感じたことを覚えている。
山岡さんは、翻訳を先人達が積み上げてきた巨大な伽藍のようなものだと捉え、過去の資産に最大限の尊敬を払いつつ、その伽藍をさらに高く、豊かなものにするために、日々、鑿を打ち続けていたのだと思う。それゆえ、その伽藍への敬意を欠く浅薄な翻訳への取り組みを厳しく批判した。翻訳への深い愛情と畏怖があればこそであった。
特に晩年は、私欲のためではなく、翻訳の名声を、歴史を守ることが、過去の積み重ねのうえに、さらに良いものを積み上げていこうとすることが、山岡さんの仕事になっていたのだと思う。残されたのは、未完ではあるが、大きな、大きな礎だ。
翻訳者の集まりでは、身の程をわきまえず何度か氏に話しかけたことがあるし、宴席で図々しくも対面に座ったこともある。その度に背筋が伸びる思いがした。どこの馬の骨ともわからない私に対しても、誠実に言葉をかけてくれた。もう10年近く前になると思うが、氏の仕事場に何人かで伺ったこともあった。壁一面の本棚には、専門であるノンフィクションだけではなく、フィクションの原書、訳書も多数並べられていて、あらゆるジャンルから貪欲に学ぼうとするその気概に溢れた姿勢が伝わってきた。第一線で活躍している翻訳者は、なるほどこれだけ研究熱心なものかと思った。
昨年の講演会で挨拶をしたとき、「一流の訳者の訳書を、原書とつきあわせて読みなさい」とアドバイスしてくれた。親が子に言い聞かせるような真摯さがあった。それが氏を見た最後になった。
山岡さんが灯した火を消してはならない。一冊でも多く、先達やいま最前線にいる同業者の方の訳書を読み、そこから学ぶのだ。数多の翻訳者が積み上げてきた仕事をリスペクトし、その伽藍のほころびを修正し、より高く、優れたものに変えていく。それが翻訳への、山岡さんへの恩返しになるのだと思う。
私のような端くれ翻訳者が追悼文を書くのは差し出がましいことではありますが、山岡さんの素晴らしいお人柄、そして残してくれた大きな仕事に敬意を表して、書くことにしました。あらためて感謝を申し上げます。
ご冥福を祈ります。
さすがkameさん、翻訳通信を読まれていたのですね。仁平和夫さんのことは、私も翻訳通信を通じて知りました。素晴らしい翻訳者だったと思います。直接は会えなくても、訳書を通じて私淑できるのが翻訳のよいところかと思っています。