イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その3

2008年05月31日 23時18分58秒 | 旅行記
母親と、近所のスーパーで買い物する。昔から、母親は買い物するときあまり躊躇せずに欲しいものを買い物カゴに入れていく。父親もそう。そして、二人の血を受け継いだ僕も同じだ(先立つものがないのでかなり制限されているが)。そんなに裕福な家庭でもなかったはずなのに。当時の母親を突き動かしていたのは、おそらく三人の子どもにたくさん美味しいものを食べさせたいという気持ちだったのだろう。食材を選んでいくときのそのテンポのよさが今も変わらないように見えるのは、当時の名残なのかもしれない(実は、単に母親の食い意地が張っているだけという気がしないでもないが...)。レジではちょっと息子風吹かせて、支払いをする。老いたる母にお金を使わせるわけにはいかないのだ。今まで、この何万倍も、お世話になってきたのだから。

家に戻る。あらためて家の中を見回すと、いろいろなモノがある。子どものころから変わらずにあるモノには懐かしさを覚える。なんでもない置物とか、本棚にずっと鎮座している百科事典とか、食器とか、爪切り入れとか。逆に、新しいモノからは今は知らない父と母の今の生活が伝わってくる。新聞の切り抜き、生けたばかりの花、可愛らしい人形。日々を生きるということは、毎日変化していくということだ。それにしても、ゴチャゴチャとたくさんのモノがある。還暦を過ぎても、いっぱいのおもちゃに囲まれて毎日を楽しく過ぎている子どもと、基本的には何も変わらない。そんな気がしてくる。油絵が趣味の母親の絵を見せてもらう。もうすぐ展覧会があるらしく、そこに出展するいくつかの作品を鑑賞した。作風は、昔と変わってない。人って、変わらないものなのだ。

驚いたのはカブト虫の幼虫がいたこと。母親が嬉しそうに見せてくれた。ベランダに置いた鉢にエサとなる腐葉土を入れ、そこに25匹ものイモ虫たちが暮らしていた。僕も昔同じようにカブト虫を卵から成虫まで育てたことがある。幼虫は腐葉土をたくさん食べるので、何度か入れ替えてあげると、だんだん大きくなり、こんがりとした茶色のさなぎになって、やがて美しきカブト虫に変身するのだ。この幼虫、花か何かを鉢ごと買ったら土の中にいたので、育てることにしたのだそうだ。母親の意外な側面を見た(まさか、食用に飼っているのだとは思いたくはないが......)。

本棚を物色する。母は、林芙美子、樋口一葉、長塚節などが好き。母親のエッセイの先生によると、川端康成は、「文章の達人」なのだそうだ。そういわれると読みたくなってしまった。隅っこの一冊の背表紙から「山頭火」という文字が目に飛び込んできたので「へぇ、三頭火、好きだったんだ」。と言ったら、山頭火は人間的にだらしないところがあるからあまり好きではないのだという。俳人で好きなのは、尾崎放哉なのだと。吉村昭が尾崎のことについて書いた『海も暮れきる』という作品がいいのだそうだ。これは読まなくては。

父親が仕事から帰ってきて、しゃぶしゃぶを食べながらいろいろと話をした。ビールを飲み、赤ワインを一本空けた。父親はやはり、八時半になったら眠りに落ちてしまった。そのまま、母親と話を続け、そして夜は更けていったのだった。

久しぶりの息子の帰省にスーパーのカゴいっぱいの過去蘇り

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その2

2008年05月31日 15時09分30秒 | 旅行記
携帯の電源が切れてしまったのは、何かのお告げかもしれない。これは東京の知人にメールしたり電話したりしないで、今を引きずらないで、しっかり親と、関西と向き合えという天の声なのかもしれない。そんなことがちらっと脳裏をよぎる(実際はそんなカッコいいものではなく、単に不便だったのだが、その分、開放感を味わえたのは事実だった)。

両親は、数年前から膳所の団地に移り住んでいる。迷いながら家に着いたら、もう12時近くになっていた。母親が起きて待っていてくれた。お風呂を沸かして、ビールと刺身とエビのてんぷらと、そのほかもろもろが用意されていた。ありがたい。懐かしい。湯に浸かり、パジャマに着替えて、乾杯する。母親と二人きりで話すのは本当に久しぶりだ。思っていたよりもずいぶんと元気そうにしている。嬉しい。僕のことも元気そうだといって喜んでくれた。30分も経てば、すっかりその場の空気に馴染んでいる。これが家族なんだ。何から話していいかわからないけど、こっちが何か言おうとする前に、向こうが話題を切り出してくる。話好きの母親といると、いくらあっても時間が足りない。僕の唐突な話題の変え方、笑い上戸なところは、母親譲りなのだ。それをあらためて実感する。明日も早いので、寝ることにした。

父親は3年ほど前に銀行を定年退職してから、大津市で仲間と総菜屋さんを始めた。浜大津に昔からある商店街に、店を出したのだ。それまでは主として小規模ビジネスや自営業の人たちにお金を貸し、支援する側として40年以上働いてきたわけだけど、今度は自らが商売をする側に立ったことになる。長年の夢を実現できたこと、そして自分でビジネスをしているという充実感がそうさせるのだろう、ものすごく一生懸命に働いている。母親によると、朝3時半に起きて仕事をしているらしい。土日も丸一日休むことはないということだ。朝、5時頃になると、母親も起きて、お店で出すために前の晩から炊いていた「たけのこご飯」をパックに詰め始めた。そうやって、母親も出来る範囲で店を手伝っているのだという。母親の手料理が売り物になっているなんて、なんか不思議な気がする。父親と挨拶する。久しぶりだ。朝早いといっても、夜寝るのも早い(8時には寝るらしい)から睡眠は十分にとっているみたいだし、生活に張りもあるのだろう、とても元気そうだ。はっきりいって、人生に対するひたむきさ、気力、継続力では僕を数倍上回っている。父親みたいに、決めたことを倦むことなく毎日やり通す根気があればいいのに、と思う。いや、僕のなかにもそんな気質はあるはずだ、だからよけいに見習わなくては、なんてことを考える。

にぎやかな朝ごはんを食べて、10時に家を出る。このブログにもリンクを張っている、「願いを叶える写真家」ことなお湖さんと京都駅で待ち合わせをしているのだ。大学のゼミで同級生だった彼女に会うのは7年ぶりだ。何年も顔を会わせていない人と待ち合わせるのは、ちょっとだけ緊張する。最近久しぶりに電話で話したら、全然昔と変わっていなかったのだけど、会ってみたらやっぱり全然変わってなかった。向こうもそう思ってくれたらしい。もちろん、お互いにその間にいろんなことがあって、ずいぶんと成長しているはずなんだけど、見た瞬間にお互い変わってないな~って言い合えるのって、とってもいいことだなと思った。彼女いわく、僕は昔、待ち合わせの場所によく遅刻してきたらしい。だから時間前に到着している僕のことを見て、彼女は開口一番「遅刻するかと思てたわ」と言って不気味に笑ったのだった。ふふふ、俺も東京に行って変わったのさ(携帯がないから遅刻できないだけだったりして)。

そんなこんなで小雨の降る中、彼女お薦めで知り合いがやっているというTARO CAFEに行き、チーズケーキのセットを食べる。美味しい。とてもユニークなお店。お店の人の感じもとてもよかった。京都は時間がゆっくり流れている。そして、その落ち着いた時間のなかで、肩の力を抜いて面白いことをやっている人たちがたくさんいる。そういう空気を、気を、ひしひしと感じるお店だった。

なお湖さんの写真集を一部買わせてもらった。「心に聴く写真集」。本当に文字通り、心が語りかけてくるような写真と、彼女のメッセージで構成された本だ。とてもいい写真だと思った。大学を卒業してからも、バックパックを背負って世界中を放浪していた彼女が各地で取り溜めた写真だ。カンガルーがいて、ラクダがいて、鹿がいる(奈良公園?)、たくさんの花、交通標識、青信号。僕が持っていた大きなバックパックをよく彼女に貸したのだけど、それを背負って彼女はこんなところに行っていたんだ。それにしても、これは普通の写真じゃない。想いが伝わってくる写真だ。

自分の心の声に耳を澄ませること――。それが、願いを叶える基本なのだそうだ。僕が翻訳を続けられたのも、そうなのかもしれない、彼女にそう言われてみて、確かにそんな気がした。ところで、彼女に言わせれば、僕は昔からずっと「自分に厳しかった」のだそうだ。そうなんだろうか? 自分に厳しいだなんて、思ったことない。むしろ、「自分が今おかれている状況が(常に)厳しい」くらいの感じなのだが(笑)。

カフェを出て、彼女と鴨川を北上する。京都は盆地で山に囲まれている。街を歩くと目に入ってくる山々の姿が、京都に帰ってきたという気持ちを実感させてくれる。鴨川沿いって、こんなにワイルドだったけ? 草は青く生い茂り、鳥たちが舞い、空気は濃い。京都に短期間滞在して、街を練り歩き、そして翻訳するという生活もしてみたい、そう思った。彼女とは、三条で別れた。また会おう。前に会ったときからイロイロあった。お互い夢に向かって一歩大きく前進した。少しトシはとったけど、まだまだこれからたくさんいろんなことに挑戦できるはずだ。何にもとらわれることなく自由な発想で、自分のやりたいことを形にしていくこと。彼女の生き方を見ていると、その大切さを強く感じたのだった。ありがとう。

え~、ごほん。気がつけば、そこはブックオフ京阪三条店。これは運命のいたずらか。不可抗力だ。

『英単語のあぶない常識』山岡洋一
『文蔵』2005年12月号
『SHUNSUKE 中村俊輔 イタリアの軌跡』アルフレード・ペドゥッラ著/片野道郎訳
『40代からの知的生活術』現代情報工学研究会
『大人のためのスキマ時間勉強方』和田秀樹
『ICON』Frederick Forsyth

いかん。母親が待っている。二時くらいから、三井寺にでもぶらりと行ってみようという話を朝していたのだ。約束の時間が過ぎようとしている。慌てて公衆電話から家に連絡する。そして、京津線で浜大津まで向かった。懐かしい京津線。途中からは路面電車になるのだけど、車窓の光景は、まさに田舎。まさに自然。まさに日本の原風景。そういえば、京津線は昔はもっとロートル感があって、たまに駆け込み乗車しようとする人がいると、走り始めていても止まってくれたりした(バスじゃないっつーの)。それにしても、改札に機械がなくて、車掌がその都度電車から降りて切符を切るあたり、のんびりしている。山手線でそんなことやっていたら、大変だ。

浜大津で降り、父親のお惣菜屋さん『森田屋』に行ってみた。手作りのお弁当、お惣菜、母親のたけのこご飯もある。父親があんなに一生懸命になって働いているお店。父親は実際厨房に立つわけではなくて、経営面を担当している。だから店全体をどうやってプロデュースするかを絶えず考えているのだ。想い、は十分に伝わってきた。お弁当とお惣菜をいくつか買った。浜大津で母親と待ち合わせ、三井寺にいき、眺めのよい場所にあるベンチに座ってお弁当を食べた。美味しかった。琵琶湖を眺めながら、母親と積もる話をした。なんというか、気分は東京タワーならぬ、琵琶湖タワーなのだった。

若き日の友の写真に写りしは昨日の迷いと明日への未来図

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その1

2008年05月30日 23時16分20秒 | 旅行記
京都にいるときゃ~♪コジコジと呼ばれたの~♪

久々に滋賀県大津市の実家に帰省しようと思った。金曜日の夜の新幹線に乗って、日曜日の夜に戻ってくるという、二泊三日、二拍三連の一人旅(ヨメは諸般の事情によって、同伴せず)。実は、実家に帰るのは二年半振りという親不孝をしていて、いつか帰らねば、とずっと思いつつ伸ばし伸ばしに今日の日を迎えてしまっていたのだ。ともかく、軽い気持ちでぶらり、大津&京都。友達と会っている暇もないので、親とご馳走を食べながら話でもできればいいなというのと、ついでに懐かしい京都&大津をぶらっと見たい、あとは、琵琶湖の湖畔に立ち、風に吹かれながらいろんな意味で自分を見つめ直したいというというあたりが今回の旅の目的なのであった。

いちおう旅の準備はして出社したのだけど、ちゃらんぽらんなわたしは当然というか、新幹線の切符は予約していない。何時発の電車に乗れば間に合うのか、それすらも知らない。そのうちなんとかなるだろう、と人ごとみたいな気持ちで日中を過ごしていたのだけれど、夕方頃になってだんだんと気持ちが焦ってきた。最近、仕事がやたらと忙しいので、その日のうちに実家にたどり着ける列車に無事に乗れるのかどうか、激しく不安になってきたのだ。まあ、諦めて明朝の電車に切り替えるという手もあるし、深夜バスに乗るという裏技もある。だけど、やっぱり心情的には、7時台とはいわないまでも8時台くらいの「のぞみ」に乗って、久しぶりの駅弁&ビールを味わいながら東海林さだお的な旅情に浸りつつ世知辛い東京の暮らしから逃げ出したいという思いがあり、なんとしてでも8時前には会社を出なければという気持ちが高ぶってきた。でも6時を回っても納品は残っているし、やらなければならない作業もたくさんあるし、なぜか突然無情にも7時から会議が始まったりするし、もうやぶれかぶれだわい、と思っていたのだが、なんとかして今夜、東海林さだおになりたいという想いというのはものすごく人にパワーを与えてくれるみたいで、奇跡的に仕事を片付けることができて、気がついたら8時前に会社を出て、大きな希望を胸に新宿駅に向かってダッシュしていたのだった。

8時40分台の新幹線の切符を購入。京都駅には11時前に到着する。そこから大津市にある最寄り駅「膳所(ぜぜ)」までは15分くらい。なんとか当日中に家にたどり着けそうだ。よかった! 安心すると、すっかり旅行満喫気分にモードが切り替わってしまった。駅でちょっとしたお土産を買い、そしてわくわくした気持ちでビールと駅弁を購入。イカめしが食べたかったのだけど、見当たらず。結局「夕刊フジ 特選おつまみ弁当(千円)」なるものを購入。それにしても、久しぶりの新幹線。なんだか心躍るものがある。いいもんですな。間違えて東北新幹線の改札をくぐろうとしてしまった。

「のぞみ」に乗り込む。通路側の席に座ると、隣の窓側の二席には、サラリーマン風の関西人男性二人が座っていた。ようしゃべっとる。これは、漫才や。この漫才聞きながら、二時間半、電車に乗るんやな~。すっかり関西モード。まだ新幹線は動き出していない。東海林さだお的には、駅弁というものは電車が走っているときに食べてこそ美味しいのであるからにして、じっと我慢の子となる。電車が動き出した。さようなら、東京。さようなら、武蔵境。つかの間、俺は東京を離れる。「特選おつまみ弁当」は、めちゃくちゃに美味しかった。隣の漫才を聞きながら、弁当はたちまちなくなってしまった。ふと携帯電話の画面をみると、充電が残り少なくなっている。しまった。充電器持ってきてない。まあいいか。

ともかく、こうして旅は始まった。と思ったら、あっという間に新横浜についた。ちょっと待て、早過ぎないか??? と一人びっくりしていたら、そこは品川だった。そうか、品川でも止まるようになったんやね。新幹線。車中では、ずっと本を読む。気がつけば、名古屋。そして、携帯の電源は、無情にも消えた。この用意不周到さ。まさに俺だ。実家とも、連絡取れへんな~。まあいいか。親父はもう寝てるはずだけど、母親は起きて待ってってくれてるはず。ご飯の用意もしてるって言ってたけど。。。

携帯の充電名古屋で切れて今 二年ぶりの母待つ京都近づく




もっと乳酸を!もっと匍匐前進を!

2008年05月29日 01時00分43秒 | 翻訳について
翻訳という仕事に携わる人たちは、確固とした「モノ」を作るわけじゃない。つまり、鉄とか車とか野菜とか、そういうずっしりとした手ごたえのあるモノを生産するのではない。翻訳が生み出される「場」は、建築現場とか、マグロ漁船とか、そういったマッチョで汗臭い「現場的な」世界ではない。どちらかというと、それは古くは清少納言にまでさかのぼる、雅でいとおかしな「枕草子的な」世界なのであって、箸より重たいものは持たないといったら言いすぎだけど、実際、広辞苑とかランダムハウスの辞書とか、それ以上に重たいものは持たないでキーを打ち続けるのがトランスレータなのであって、ちょっと仕事場から離れてみれば、現場仕事の人達が汗水たらして働いているのだけれど、それを横目に、カチャカチャとキーボードを叩いて「おかしなもの」を言葉にするということで一日を過ごしているというのが、ちょっと極端ではあるけれど、翻訳者の世界なのだ。

目の前にある重たいものを散々運び倒したオッサンたちが、乳酸のたまった筋肉に心地よい疲れを感じながら、缶コーヒーとタバコで一服しているのが「リアルワールド」だとするならば、それとは対極にあって、ボールペンよりも重たいものをもたずに天下国家を、世界のグローバル化を語ってしまうという「虚」の世界にいるのがわれわれだ。僕は自分が男だからそう感じてしまうのだとは思うけど、やっぱり重たいものを持ってる人って、偉いと思ってしまう。汗をキラキラさせながら、二人一組で大型冷蔵庫なんかを運んでいる引越し屋さんとかをみていると、なんというか、まっとうな仕事をしてるな~、としみじみしてしまうのである。だからといって、僕は翻訳という仕事がとても好きなのであり、この仕事に誇りを持っているのであり、やりたくてこの仕事をやっているのであるからにして、そういったいいアセ掻いている人たちのことをただ単にうらやましいと思っているわけではないのだけど、なんとなく仕事をやってもやっても筋肉に響かないというか、乳酸がたまらないというか、そういうフィジカルな物足りなさをやっぱり少しは感じてしまって、それでついつい、仕事の合間に腕立て伏せをしたり、腹筋をしたり、そこらを歩き回ったりするのだけれど、そういったトレーニングによって感じる疲労感と、仕事によって感じる疲労感というのはやっぱり違うものであって、肉体労働をした後のあのなんとも言えない心地よい疲れというのは、やはり働くことによってしか得られないのではないだろうか、などと思ったりするのである。ともかく、翻訳はマッチョな仕事でもないし、ずっしりとした物体を作る仕事でもない。生み出しているのは言葉という二次元の情報なのであって、成果物を量りに載せることもできないし(紙を載せることはできるけど)、なんとかしてそこから「リアル」な何かを作り出そうともがき苦しんでいるのが我々翻訳者なのではないだろうか。

だけど、翻訳にも、やった仕事を「モノ」として感じる瞬間がある。翻訳したデータを、プリントアウトする。環境のことを考えると、あんまりむやみには紙に出力したくはないのだけど、やっぱり紙に打たれた訳文を読むのは楽しいし、嬉しい。あるいは、訳したものが書籍になる。これも言葉にならないくらい嬉しい。訳した文章が、ウェブサイトに掲載されている。それも嬉しい。なにより、ギャラが振り込まれたら、汗水たらして働いた成果や~、なんやその辛気臭い顔は、酒や酒、酒買うて来い~と、思ってしまうのではないだろうか。

言葉はそれを吐いたもののモノでもあるが、いったん世に出てしまえば社会の共有物となるとも言える。自分の脳内にあった言葉が文字という形になり、紙なりウェブサイトなりに掲載されて、不特定多数の目に触れる。そのときに感じる喜びの源泉となっているものは、自己顕示欲だとも言えるけど、それとは別に、個を超えて社会と通じている、言葉=コードによって社会と互換されることの喜びを感じているのだと思う。それは大工さんが自分が建てた家をみて喜んだり、引越し屋さんが荷物をすべて運び終えた後に充実感を感じたりするのと似た感情なのかもしれない。そうしていったんは形になったものも、やがてはどこかに消え去ってしまう場合も多い。だけど、そこにも滅びの美学といったものがある。精魂こめて何かを作り、社会に投じる。それが一過的なもので、すぐに消え去ってしまうとしても、だからこそ感じる喜び、自己を無にする悦楽というものがあるに違いない。一生懸命に作った料理を、誰かが美味しい美味しいといって食べてくれるときのように。

というわけで、何が言いたいのかまったくわからないまま今日もつらつらと思いつくままに駄文を書いてしまったのだけど、結論的には、翻訳は一件ソフトで非肉体系で、指先一つで心にもないこと、知りもしないことをああだこうだともっともらしく書き連ねてお金を稼ぐ「いやらしい」職業だともいえるけど、実はガテンの人たちに負けないくらいハードな仕事をしているともいえるし、何かを形に残すことだって十分すぎるくらいにできるし、とっても素敵な職業ではないかと思うわけなのだけど、やっぱり筋肉が疲れない、そして肩がこったり目が疲れたり腰に激痛が走ったり胃が荒れたりといった嫌な体への響き方をするあたりがなんとも陰鬱に感じられるので、もっとあっけらかんと厳しくも爽快感のあるマッチョな翻訳の方法はないものかと考えてみたいところなのである。

というわけで歩きながら翻訳するとか、走りながら翻訳するとか、空気椅子に座るとか、キーボードがものすごく重たくて入力するのに腕力がものすごく必要になるとか、辞書が鉄で出来てて引くとものすごく大胸筋が鍛えられるとか、誤訳をしたら無条件にスクワット100回その場でやらないといけないとか、プリントアウトした用紙を廊下に一直線にならべて匍匐前進しながらつき合わせチェックしていくとか、そういったいい汗掻きながら翻訳できる方法というのを模索してみたい今日この頃なのである。

手に触れえぬ言葉だけ書き連ねており熱き血潮流れる君の横で

『風味絶佳』山田詠美
『臨床恋愛病講座』フランク・タリス著/春日井昌子訳
『輝ける日々』ダニエル・スティール著/畑正憲訳
『会いたかった』向井亜紀


友達の友達はみな、

2008年05月28日 09時03分19秒 | Weblog


知人と話をしているとき、「その知人は知っているけど、僕は知らない誰か」の話題になることがある。つまり、その人にとっては身近な人なんだけど、僕は会ったこともないし話したこともない人。たとえば、友達の家族とか、友達の友達とか、知り合いの知り合いとか、友達の奥さんとか旦那さんとか、友達のお父さんの親戚の友達の有名人とか。

そういうとき、こっちは実物を知らないから、勝手にその話をもとにその人物のイメージを頭に思い浮かべるのだけど、なぜかそういう人たちはみな、すごくまともで普通な人たちに思えてしまのだ。当然その人だって生身の人間なんだから、悩みもあるし機嫌が悪いときもあるし寝不足のこともあるし二日酔いのときもあるだろうし551の蓬莱があるときとないときがあるだろう。たぶん一度知り合いになってしまえば、「僕が知っている誰か」と同じように、その人も顔を持った一人の人間として認識できるようになるはずだ。だけど、まだ会ったことがない人というのは、そういった生々しさが捨象されて、美化され、まっとうに生まれてまっとうに人生を歩んでいる「世間の人」という存在に思えてしまうのである。

たとえば、「○○さんの彼氏」とか「○○ちゃんのパパ」とか「○○のサークルの先輩の商社マン」とか、そういう話を聞くだけで、なんとなく自分とは住む世界の異なる、優雅でまっとうでキラキラした世界を想像してしまうのだ。彼氏はきっとすごくかっこよくていけてる奴で大学時代はテニスサークルで青春を満喫して今は社会人として着実に人生を歩んでいて、パパは立派な企業の部長さんで仕事もできて部下の信頼も厚くちょっと怖いけど家庭でもよい父親で、先輩は男気があって苦労人だけに人の情けがあって体育会系だけにガッツもあって外国人との交渉にもなかなかしぶといところをみせる、そういう人たちなのではないのか、という想像が、ビッグバンのように瞬時に脳内に拡がっていくのである。

それは僕の単なるコンプレックスなのかもしれないし、想像力が足りないということなのかもしれない。要は、人間に対するものの見方が浅いのだろう。他人を尊敬する気持ちは大切だ、だけど過剰なまでに抽象化し、美化してしまうことは、現実に対する目を曇らせる。実際に「いつも話を聴いていただけの人」と知り合いになることもある。その人の人間らしい部分を知って、情がわき、みんな同じ人間なんだとも感じる。だけどやっぱり誰かの話のなかの誰かは、前向きにまっすぐまっとうな人生を歩んでいると思えてしまうのだ。

友達の友達がみな我よりもえらく見ゆる日 一人ラーメン啜る

その男、俺につき

2008年05月24日 21時59分11秒 | Weblog
休日になると、午睡を取ることがある。普段は気が張っているのかあまり昼間に眠くなることはないのだけど、休みの日はリラックスしているのだろう、特に昼食後は自然と眠りたくなって、横になって一時間くらい軽く睡眠状態に陥る。たぶん、こうやって眠くなるのが自然なことで、普段眠くならないのはどこかで無理したり我慢してるということなんだろう。昼寝をした後は調子もよくなるし、本当は毎日シエスタしたいんだけど、今はできない。しかたない。

で、そうやって昼寝して、ゆっくりと目が覚めてきて、ちょうど夢と現実のはざまくらいの意識状態にあるときに、なぜかふと突然「俺ってよく何十年も俺をやってるな」としみじみしてしまうことがある。眠るのは、俺であることをいったん休むという意味もある。そして夢を見て、目が覚めて、そしたら、やっぱり自分は自分。そんなことを無意識が感じてるんだろう。やっぱり、俺か。俺は俺であることは嫌じゃないんだけどさ、俺は、ず~っと俺なのよ。たまには別人になってみたいのに、いつでも俺。絶えず俺。絶え間なく、とめどなく、途切れなく俺。100%俺、濃縮還元しても俺。

俺であることに疲れて横になり夢から覚めてそしてまた俺

同じ文字を凝視しているとだんだんその文字が見知らぬ記号のように見えてくることがあるけど、そんな感覚か。俺が俺であることへの、妙な違和感。俺は俺の思考から逃れることはできず、俺の行動パターンも、俺の作る訳文も、この「俺の呪縛」から逃れられないように思える。俺は決して俺が嫌なわけじゃない。誰でもそうであるように、俺には俺のよさがあるはずだから、俺は俺で俺なりに俺であることを満喫すればいいとは思う。だけど、あまりにも俺が身近に感じられると、うっとうしくなってくるのだ。たまには、どこか別な場所に行ってくれ、俺。息が、詰まる。

鏡を見る。そこにいるのは、やっぱり俺だ。年齢とともにその姿は刻々と変化しているにしても、やっぱり俺。俺以外の奴が、鏡の中にいることはない(もしいたら、それはそれで嫌)。しかし、よく飽きもせず、俺は俺でい続けられるもんだ。連続試合出場、何試合目だ? 俺は俺であることにかけて、衣笠であり、金本である。それにしても、そうまでして俺がありつづけなくてはならない俺とは、一体、何なんだ? 俺は何のために製造されたのだろうか? 俺の使用目的は何? 取り扱い説明書は、とっくの昔に紛失してしまったように思える。

俺自身の動かし方がわからずに「トリセツはどこにいった?」と鏡見る俺

土日はまたしても雨。いったん週末の天気が機嫌を損ねると、何週間かそのサイクルで過ぎてしまうことがある。そういうツボにはまっちゃったんでしょうね。それにしても、雨、多くないか? 俺は、俺だ。あんまり俺のこと悪くいうと、俺がすねちゃうからね。さあ、いろいろやるべきことはある。頑張ろう。オレオでも食べながら。

フューチャー・イズ・ワイルド

2008年05月24日 10時08分30秒 | Weblog


ついに、翻訳を担当した書籍が店頭に並んだ。嬉しい! 編集者および監訳者の方の努力の賜物。心より感謝!

ここ三日ほどは天気もよく、昼休みの散策も快調。一昨日は東中野、今日は新宿駅界隈をウロウロ。そして昨日は、ついに高田馬場に。たぶん最長記録。有名店である『俺の空』でラーメンを食べた。おいしかった。

太陽の強い光を浴びて、昼間の東京の街を散策する。歩くことは野生への回帰だとも思える。汗だくになり、お腹が減り、風をさわやかに感じて、そして一日の終わりに心地よい疲労感がある。俺よ、世界よ、未来よ、もっともっとワイルドに!

『オメルタ ―沈黙の掟―』マリオ・プーヅォ著/加賀山卓朗訳
『波のむこうのかくれ島』椎名誠
『ITベンチャーに飛び込んでわかったこと』トム・アッシュブルック著/沢木昇訳
『ザ・フェミニズム』上野千鶴子×小倉千加子
『そうだ、村上さんに聞いてみよう』村上春樹、絵・安西水丸
『ビジネスに日本流、アメリカ流はない』中村健一
『哀愁のストレート』村田兆治
『フューチャー・イズ・ワイルド』ドゥーガル・ディクソン&ジョン・アダムス著/松井考典監修、土屋昌子訳

ぜんぜん大丈夫じゃない

2008年05月21日 23時32分07秒 | Weblog


今日のお昼は久しぶりにいつものとんかつ屋さんに行ってヒレカツ定食を頼みいつものようにごはんとしじみの味噌汁とキャベツをおかわりした。その後、東中野まで歩いてブックオフでなぜか夏目漱石を中心とした数冊を購入した。あまり寝ていなかったのでふらふらになったけど、仕事がやたらと忙しくて大変だった。帰りにブックオフの荻窪店によって十冊強を買い、武蔵境のスーパーで納豆とイワシを買ったのだけど、イワシの丸干しが3匹98円という破格の安さだったので驚いた。こんなに安いと、イワシも天国で浮かばれないのではないだろうか。思わずいじらしくなって「おじさんのお家においで」という心境で救いの手を差し伸べるようにして購入したのであった。そしてしっかり食べてしまった。

もっといろいろ書きたいのだけど、眠い。しんどい。なので、今日はこれで終わりにします。

『葬儀屋の未亡人』フィリップ・マーゴリン著/加賀山卓朗訳
『東京23区動物探検』泉麻人
『短歌入門』小島ゆかり
『Digital Fortress』Dan Brown
『食卓の情景』池波正太郎
『それから』夏目漱石
『行人』夏目漱石
『明暗』夏目漱石
『彼岸過迄』夏目漱石
『道草』夏目漱石
『\999』フレデリック・ベグベデ著/中村佳子訳
『蒼穹の彼方へ』ロバート・ゴダード著/加地美知子訳
『あの子のカーネーション』伊集院静
『半人前が残されて』伊集院静
『神様は風来坊』伊集院静
『ぜんぜん大丈夫』伊集院静+西原理恵子

借りてきた猫、猫舌にはには、鶏が獲れすぎ

2008年05月21日 08時46分44秒 | ちょっとオモロイ
台風一過のお昼休み、腰の痛さにもめげず、初台に行った。初台に行くのは、生まれて初めて。そう、初台が、初だい! さすがに昨今の歩き込みで鍛えているせいか、歩くのが楽。そして速い。自分でも驚く。必要は発明の母ということか。そこらへんをゆっくりと歩いている、いかにも「今日もいつもの店で昼飯」的なサラリーマン男四人組が、止まって見える。川上哲治ですなこれは。もはや、通行人に敵はいない。恐ろしいことに、ランナー、いやひょっとしたら自転車にすら、対抗意識がめばえ始めている。

距離にして片道二キロ弱。今の私には物足りないくらいの距離だ。オペラシティのまわりをウロウロして(ウロウロするしかやることがない)、事前に調査しておいたラーメン屋「嗟哉」でつけめんの昼食。ネットではここの女将さんは無口(で美人)だということが書かれてあったのだが(註:女将さんが美人だから行ったというわけではなく、ラーメンが美味しいと書いてあったから行ったのだ、と言い切ることはできないけど、美人の女将がいる美味しいラーメン屋と言われた日には、行かざるを得ないというのが人情なのだ)、実際無口だった(そして美人だった)。無口といっても、不愉快になる類のものではなかったので、気にはならなかった。というか、客の野郎どもは、そんな彼女の気高さにちょっと惚れてるような顔をした常連風な奴らばかりだった。心の中でつぶやいた。ヲイ、お前ら、彼女に恋してるだろ。正直に言ってみろ。ちくしょう。バカヤロウ。よくわからないけど、なんだか悔しい。男って、悲しい生き物だな~。で、ラーメンも、「濃い」の味がした(なんて)。美味しかった。

無口なる女将が差し出すラーメンの濃い味に恋する野郎どもよ来い

そんなわけで、バーチャルなネットで情報をアレコレ調べて、リアルなラーメン屋でそれを確かめるという、中途半端なゲームみたいな現実。ともかく、本当に贅沢。昼休みに、運動と、東京散策と、ラーメンの食べ歩きがすべてできるのだから。一石三鳥。鳥、獲れすぎ。バチが当たりそうで怖い。

それにしても、「ラーメンの食べ歩き」っていったいなんだろう。なぜ「歩き」がつくのだろう。まさか、「食べながら歩く」ってことじゃないよね(ちがうか)。まあこれは、「ラーメンを食べに、遠くまで行く、あるいは数件をハシゴする、いつもラーメン食べにどこかをフラフラしてる」ような意味だと思うけど、その際、どれだけ歩いてるのかは怪しい。ちなみに、さすがに私も一日二杯以上はラーメン食べたくない。それから、いくら好きだといっても、休日にラーメンのためだけに遠出する気にもならない。ということは、「ラーメン食べ歩き道」的には、私なんてぜんぜん邪道というか、認められない存在なんだろうな~、と思う。名店といわれる店だって、そんなに行ったことない。というわけで、そういう「見る人からみたら、俺はホンマモンじゃない」というよくわからない負い目もあって、ラーメン屋ではいつまでたっても借りてきた猫みたいな顔して大人しくラーメンを食べてる私なのだった。

ラーメンの食べ歩きは楽し だけど「歩き食べ」はイヤ



便乗イワシ

2008年05月19日 23時25分18秒 | Weblog
昨日、回転寿司のお店に行ったのだけど、生まれて初めてイワシの握りを食べた。けっこういけた。びんちょうマグロも美味しかった。十皿食べたら、かなり苦しくなった。ガリが好きなので、うれしくなって最初にガリを山盛り小皿についでしまった。全部食べなきゃと思って頑張ったのだけど、ちょっとだけ残してしまった。ごめんなさい。無理して食べたので、冗談抜きで最後の一口のときに、涙が出た。ガリの食べすぎには気をつけよう。

最近、あちらこちらを歩き回っているのだけど、生まれて34回目くらいの腰痛を感じている。けっこう痛い。運動のしすぎなのだろうか。電車でじっと立ってたら、かなり辛かった。それでも歩くのが好きなので、「歩けば腰痛も治る」と自分に言い聞かせて今日も歩いてしまった。本当はこんなときは安静にしておいた方がいいのだろうけど、性格があまのじゃなくなのだ。ごめんなさい。無理してスタスタ歩いてたら、冗談抜きで突然腰に激痛が走って、涙が出た。腰への過度の負担(運動のしすぎ、または椅子に座りっぱなし)には気をつけよう。

またまた、新しい翻訳Loveの活動が始まったのだけど、ひとりプロジェクトを立ち上げてすぐに壁にぶち当たってしまった。けっこう気分が萎えた。これから先のスケジュールを考えたら、かなりブルーになってしまった。厳しいな、と思いはしたのだがチャンスがきたからうれしくなって迷わず食いついてしまった。でも自分なりに決意して、無理を承知で挑戦しようとしているのだ。だから、怒らないでください。ごめんなさい。だけどやっぱり楽しくて、この緊張感が、きっと僕を成長させてくれると思ったら、冗談抜きで朝翻訳しているとき、涙が出た。長丁場を無事乗り越えられるようすべてに対して気を配ろう。

こうやって、あと十パターンくらい書いてみたいのだけど、時間がないのでこれでやめる。けっこうアホらしい。そろそろ寝ます。明日も早起きかとおもったら、かなり眠たくなった。台風が大好きなので、うれしくなって外を駆け回りたい衝動にかられた。なんて、本当はブログなんて書いている場合じゃないんだけど、書いてしまった。ごめんなさい。どうしてこう自己コントロールができないのか、冗談抜きで情けなくて、涙が出た。ブログの書きすぎには注意しよう。

腹中のエイリアン

2008年05月18日 17時33分19秒 | Weblog
昨日は月例のあさま組勉強会の日だった。集合場所は、青山一丁目の『246カフェ』。調べてみると、新宿駅からは4kmくらいの距離だ。ウォーキングに飢えている今の自分にはまさにおあつらえ向きのコースなので、ここぞとばかりに歩いて行った。国立競技場を越え、神宮外苑を抜け、緑も多く落ち着いた雰囲気の一帯を進んで行く。青山に入ると、普段歩き回っている新宿界隈とはかなり違った世界を感じる。青山一丁目にくるのはいつも夜だから、新鮮だ。強い日差しに照らされた街並みは、よけいに普段とは異なって見えた。

今回の勉強会では僕が当番だった。つまり、僕の訳文を俎上に乗せて、各人が意見を述べ合うのだ。勉強会では毎回多くを学び、刺激を受けるのだけど、いつも決まって、読み、訳すことの絶対量が自分にはまったく足りないという結論に行き着く。腰をすえて土台をしっかりと作り上げる作業をしなければ、いつまでも僕の翻訳はぐらついたままだ。繰り返すけど、必要なのは「本物の力」なのだ。

体を動かした後はお腹が減るし、何を口にしても美味しいので、ついつい多めに食べてしまう。食後に満腹のお腹を鏡でみると、自分でも意外なほどぷっくりとしている。まるで、いつのまにか、エイリアンの子どもを孕んでしまったみたいに。あんまり食べ過ぎると眠くなるし、体もだるくなるから、よくない。「仕事する気しない」という名のエイリアンがこれ以上腹の中で成長しないように、むやみに量を摂らないようにしよう。と思いつつ、最近は書店に入るとついついラーメン本を立ち読みしてしまっている。「行動範囲が広がったから、いける店も格段に増えたネ」と、無意識が秘かな喜びを感じているらしい。ページを捲るたびに、どこからともなく「この店に行け」という声が聞こえてくる。――ひょっとしたら、あの声の持ち主は、この腹のなかにいるエイリアンなのかもしれない。

エイリアンに導かれてラーメン屋

誕生日、歩く歩道、原点という名の「のり弁当」

2008年05月16日 23時42分07秒 | ちょっとオモロイ
「歩く歩道」じゃなくて「動く歩道」の速度は普通、分速50m程度なのだという。分速50mというのは、どのくらいの速さかというと、つまり時速3kmだ。時速3kmというと、どのくらいの速さかというと、実はよくわからない。だけど、なんでも人間の歩行速度は、だいたい時速4kmらしいから――人間の歩行速度といっても相当人それぞれという気がするけど――、だいたい想像はつく。つまり、普通に道歩いている人より、ちょっと遅いくらい。で、ということは「動く歩道の上で歩いている人」というのは単純計算したら3+4で時速7kmくらいで歩いているということになるのだけど、動く歩道の上にいる人の心理というのは、「『地面それ自体が動いているのだからそんなにあくせく歩かなくてもいいとは思うのだけど、やっぱり人間の習性というのか本能というのか、ぼーっとつっ立ってるのもそれはそれでなんとなくかったるいので、まあ気持ち足を動かしてます』という程度には歩いてます。急いでいるときは速足で歩いたりしますけどね」という程度のものではないかと察するのだけど、そうすると普通に道を歩いている人よりはやや緩めに前に進んでいるように思え、というわけでそれを差し引くと時速3kmとなり、結果3+3で時速6kmくらいで移動しているのではないかと考察したりしてしまうのである。

と、そんなことを考えてしまったのは、最近昼休みにかなり遠くまで散策をしている自分としては、やっぱり遠くにいくのであればそれなりに速く歩かなくてはならないし、距離を計測して何キロ程度だったら時間内にそこにいって帰ってこれるかというのがとても気になるし(所定の昼休みである1時間は軽くオーバーしているということはこの際言いっこなしで、と同じネタを繰り返しつつ)、そうすると一体自分は時速何キロで歩いているのだろうか、ということがやたらと気になる木なのであって、結果的にいろいろ計算してみた結果、どうやら時速6kmくらいで歩いているのではないかと踏んでいるのだけど、それをあとづけるように、「歩く歩道」じゃなくて「動く歩道」の脇を歩くときに、何気にそこを歩いている人(前述したように、「止まっているのもアレなので歩いてます」モードの人は時速6kmで歩いているのではないかと思われる)とほぼ同じ速度で歩いている自分を発見して、ああやっぱりオレは時速6kmの人だったのだとハタと膝を打ちながら、妙なシンクロナイズドウォーキングをその「動く歩道を歩く人」としてしまっている自分がなんだか妙に恥ずかしいというか、マラソン中継でランナーと同じ速度で沿道を進むチャリンコ少年になった心境というのか、なぜ君はそこまで速足で歩いているのか、そしてその割にはなぜ動く歩道を利用しないのか、なぜ「動く歩道を高速で歩く人」という合理的な選択をせずに、「あえて地面を高速で歩く人」という頑に文明の利器を否定するようでいて、しかしあくせくとした現代社会に追い立てられているというパラドキシカルな振る舞いをするのか、という世間様からの冷たい視線を自意識過剰的に感じつつ、スタスタと歩いていたりするからなのであった。

昨日は明治神宮まで歩いた。今日は展示会を観にビッグサイトに行ったのだけど、そこでもかなり歩いた。三鷹駅から家までも、歩いた。距離にして3km。所要時間は30分弱。やっぱり時速6kmペースだ。キロ10分というのは、歩くスピードとしてはマックスに近い速さなのかもしれない。というのも、それを少しだけ推し進めて、キロ8分になった場合、それはもはやランニングの世界でも「一応スローではあるが走るスピードではある」として認知されているからなのであった。つまり、これ以上速く歩こうと思ったら、ほとんどジョギングに近い速度になってしまうというわけ。まあ、昼休みにもっと遠くに行きたければ、歩くのを止めてジョギングにしなければならないというのは事実なのだけど、そうしてしまうとやっぱり歩くことでしか感じられない風情というか、滝田ゆう的な路地裏散策感が失われてしまうような気がして嫌なのだ。

とそんなことを考えているうちに、今日5月16日、誕生日が来て、38歳になってしまった。実は、職場で「都庁探検隊」というのを結成していて、昼休みに都庁に行って食堂でご飯を食べたりしている。一応私は年功序列的に「隊長」と呼ばれているのだけど、その隊員たちから思いがけずお祝いをしてもらった。スターバックスのタンブラーと、オーガニックのチョコレートケーキ。可愛い隊員たちからお祝いしてもらって、隊長は感無量である。ますます匍匐前進じゃなくてウォーキングに情熱を注いで心身を鍛え、皆を引っ張っていかなくてはならいと決意したのであった。それから、念のために書きますが、歩くことは健康のためでもあり、それは翻訳のためでもあるのです。歩くことで培った土台の上に、翻訳という巨大なコクーンタワーを建設中なのです。工事は着々と進行中です!

ちなみに、誕生日の今日、お昼ご飯はオリジン弁当の「特のり弁当」にした。390円。破格の安さじゃないか。思うに、日本はのり弁当が安すぎる(日本以外じゃ売ってないだろうけど)。こんなに安くていいんだろうかというくらい、安い。そしてありがたい。のり弁当は、私の原点だ。ジェームス・ディーンにとってのリーバイスのジーンズと同じ。昔、金が無いころ、しょっちゅうのり弁当を食べていた――といいつつ、今も金は無い。今の方がないかも(泪)。ともかく、僕はのり弁当が好き。これからも、のり弁当を食べ続けたい。原点を忘れずに、これからも頑張りたいのだ。

というわけで、明日はあさま組の勉強会があるのだけど、待ち合わせ場所である青山一丁目の246カフェまで、JR新宿駅から歩いたろうかと計画している。明日も晴れるといいな。



「ダブルのスーツの持ち主を探しています」

2008年05月15日 01時52分29秒 | Weblog
「ダブルのスーツの持ち主を探しています」――仕事をしていたら、そんな件名のメールが届いているのに気づいた。スパムかと思ったのだが、よく読むと、前の職場でよくしていただいていた総務の方からのものだった。なんでも、ロッカーにずっと放置されていたスーツが発見され、持ち主を探していたところ、そのスーツにO.Kojima(つまり、私)というイニシャルが刺繍されていたので、もしや(というかまず間違いなく)私のものではないかということで、わざわざ連絡してきてくれたのだった。お礼をいい、まだその職場に在籍している親しい先輩(美しき通訳者Tさん)の預かりという形で、しばらくロッカーを使わせてもらうことにした。次に彼女と飲みにいくときに、そのアルマーニ(というのは嘘)を持ってきてもらうことにしたのだ。おそらくそのままゴミ箱に捨ててもかまわないような代物だったにもかかわらず、わざわざ連絡してくれるなんて、なんていい方たちなのでしょう。あらためて、そんな心優しき人たちに恵まれていたことに感謝。実は自分がスーツを置き去りにしていたことにも気づいていなかったし、それがどのスーツかということもよく覚えていないのだけれど、ともかく人生、何があるかわからない。というか、無くしてしまったものは、日々に疎しということか。

ときを同じくして、ある翻訳仲間が東京を去ることになったので、そのお別れ会をやる、という連絡が入った。翻訳に対してものすごい情熱を持っていた彼女は、もともと体があまり丈夫ではなかったのだけど、それでもいつも、とても頑張っていた。強い気持ちを持っていた。僕はリーダーとして彼女になるべく無理をさせまいと思っていたのだけど、結果的にいろんな負担をかけてしまったことも多々あった。今となっては懐かしい思い出ではあるけど、当時は彼女含めチーム全員、相当大変なことも何度も経験した(大変なことになってしまったのは、僕の責任が大きいのだけど)。ともかく、みんな一生懸命だった。なぜあそこまで必死になれたのかというくらいに、頑張っていた。頑張りすぎた先に、何があるのかを知ることもなく、ただひたすらに頑張っていた。お別れ会では、そんな積もる思い出話の一つでもできればいいと思う。

翻訳とは、訳すことである。だけど、大きく言えば、それは読むことであるとも思う。読むことがまずあって、そこから訳すことが生まれる。そして読む対象は、訳される対象のテクストだけではない。分母が1のところから生まれてくる翻訳より、10から生まれてくる翻訳の方がいい。「書く」ように訳すことが望ましいことなのだとすれば、本を書く人が巻末の参考文献リストに書物の名前をリストするように、訳者も同じく訳出のための参考文献リストを列挙できるくらいたくさんの関連書籍を読み込むことが望ましいのだ。時間の制約はかなりあるにしても、できればそのような意図の下に翻訳をしてみたい、などと考えている。

遅刻魔オレ、ググってびっくり(カフェイン断ち)

2008年05月13日 00時07分47秒 | ちょっとオモロイ
僕にはやるべきことがたくさんある。これから数ヶ月は、朝早く起きて一仕事をしたい。そのためには体調管理が大切になるので、家酒断ちだけじゃなくて、以前何度かやったことがあるカフェイン断ちもしてみようかと検討中だ。その方が実感として寝つきがよくなるし、眠りも深くなるからだ。でも、コーヒーとしばらくさよならするのはなかなか勇気がいる。寝起きの一杯、食後の一杯、一仕事終えた後の一杯、ドーナツをかじりながらの一杯。違いのわかる男としては、やっぱりコーヒーは捨てがたい。だから、自分を洗脳させるために、ネットにカフェイン断ちのメリットを書いた何かよさげな情報がないかと思って「カフェイン断ち」とGoogleに入力して検索してみた。そしたら、なんとこのイワシブログがかなり上の方にヒットしたので、びっくらこいた。

そういえば、たしかに「カフェイン断ちを開始」というエントリで何ヶ月か前に記事を書いたことがあった。だから、それでヒットするようになったらしい(それにしてもこんなマイナーブログが、なぜ?)。でも、たいしたことは書いてない。「カフェイン止めてみた~」くらいのゆるいことしか記していない。だから、カフェイン断ちの有効な情報を求めてイワシブログにたどり着いた人には、なんだか申し訳ない気がする。ところで、このブログにアクセスしている人の数は、平均すると一日だいたい百人くらいなのだけど、実はそのうちの何割かは、カフェイン断ち情報を求めている人だったのかもしれない、なんてことを思った。意外な真実。そんな人は「なんじゃこのブログは」と0.3秒くらいで見切りをつけて、二度とここを訪れないのだとは思うが。というわけで、カフェイン断ちをするかどうかはまだ考え中。コーヒーでも飲んでゆっくり考えよう(なんて)。

カフェインを止めるかどうかを真剣に考えたいから濃い目のコーヒー

今日は、先週のリベンジということで、昼休みに国立競技場まで歩いた。高校生のとき、サッカー部では果たせなかった国立という夢の実現を、二十年越しで果たすことができた(門の前をちょっとウロウロしただけだが)。感無量だった。本当は、無人のピッチの上に立って、ボールを蹴るふりなんかして、そしてちょっと青春したかったのだけど、やっぱり競技場の中には入れなかった。ひょっとしたら、ピッチの上には立てなくても、スタンドには入れて、そこで、高校のときにひょっとしたら立っていたかもしれないこの夢舞台(実際は県予選早々で敗退)を、はるか頭上から眺めることができるかもしれない(このとき僕の頭のなかで鳴り響くBGMは、クイーンの『We are the champion』と、高校のブラスバンド部が奏でる『イノキボンバイエ』)と思っていたのだが、競技場はおろか敷地内にも入れず、門の前を動物園のゴリラのようにウロウロしただけだった。でも、満足。

薫風の香る五月の国立の無人のスタンドに立ち(たかったけど入れず)

歩いたり走ったり自転車に乗ったりして、街中を移動するとき、いったい自分はどれくらい移動したんだろう? ということが知りたくなるものだが、直線距離ではなく辿った道を指定して、その合計距離を計測できるサイトにキョリ測というのがある。それで今日の経路を測ってみると、中野坂上の職場から国立競技場までは、約4キロちょっとだった。職場から新宿駅までは1.5キロくらいなので、帰りは千駄ヶ谷から新宿まで総武線に乗ったのだけど、それを差し引いて合計6キロくらいは歩いたことになる。つまり、帰りの一部を電車利用にすれば、職場から4キロ前後先のところまでなら昼休みに歩いていけるということが判明した。これから夏に向けて、毎日小旅行を楽しめそうだ。馬場、目白、四谷、原宿、初台。次は、どこに行こうか。いきたい場所は目白押しだ。やっぱり、まずは目白?

今日は行きも帰りも武蔵境の自宅から、三鷹駅まで歩いた。三鷹駅までは3キロ、新宿から職場まで1.5キロ。合計片道4.5キロだから、往復で9キロ。これに昼休みの6キロを足して、一日合計15キロ歩いたことになる。このくらい歩くと、さすがに歩いた!という気持ちになる。一人お遍路という気分になる。清々しい気持ちがする。歩いて歩いて、煩悩を打ち消し、煩悩と一体化し、煩悩の数だけ行った先でラーメンを食べたいと思う。翻訳も、これくらい順調に距離を伸ばせればいいのだけど。

倦まず弛まず前に出るこの脚のように指よ動けそして訳せお願い

『どすこい(仮)』京極夏彦
『ウルトラ・ダラー』手嶋龍一
『ミルクから逃げろ!』マーティン・ミラー著/村井智之訳
『愛という試練』中島義道
『生活習慣病を予防する 新ヘルシーウォーキング』工藤一彦監修
『30分から始める ウォーキング』海老原修監修
『BECKHAM MY WORLD』David Beckham
『Where or When』Anita Shreve
『アメリカ「対日感情」紀行』横田増生
『禁煙 レストラン&カフェガイド』レストラン・プロジェクト編
『Caribbean Poetry』Selected by Ian McDonald & Stewart Brown
『A Passage to India』E. M. Forster
『The Romanov Propehcy』Steve Berry
『贅沢韓国』河村佳
『首都圏 絶対食べたいラーメン220軒』成美堂出版編集部編
『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』穂村弘



昭和五十七年の超獣コンビ、あるいは五月の狂詩曲

2008年05月11日 23時17分13秒 | ちょっとオモロイ
しとしとと雨が降り続けた週末。肌寒さを感じつつベランダからおそらくはしばらく変わりそうにない空模様を眺めていると、季節が逆戻りしたかのような錯覚に陥る。外を歩き回る気にはならない。今日の夕方に軽くジョギングした以外は、二日間、ずっと家にこもっていた。それでも、天気予報を見ると以前よりもお日様のマークが増えている。悪くない兆候だ。今週も、たくさん歩けますように。そして願わくば、お昼時、ちょっとだけでもいいから晴れてくれますように。

これから夏に向けて、公私共にかなり忙しくなりそうだ。で、このまま今までみたいにチャールズ・ブコウスキー的な気分で過ごしていると、仕事はもちろん私生活にも支障をきたしそうなので、自分を律することが必要だと感じている。ビールが美味しい季節ではあるけど、平日は家では飲まないことにする。なるべく朝早く起きて、生産的な時間を過ごしたい。たくさん歩いて、たくさん食べて、たくさん仕事しよう。目標に向かって着実に前進して、一山超えた後に、振り返って自分自身に納得できるようにしたい。今回も、かなり大きな山だ。逃げずに闘って、そして確かなものをつかみ取りたい。決意を固めよう。プロの訳文とはなにか、あらためてそれを追求したい。

大き山完訳までが遠ければまだ踏みもみずプロの訳文

と真面目なことを考えつつ、GYAOに『昭和TV』というコンテンツがあって、全日本プロレスの懐かしの名勝負をやっていることに気づいたので、ついつい往年の名勝負の一つジャイアント馬場&ジャンボ鶴田組vsブルーザ・ブロディ&スタン・ハンセン組を観てしまったのだけど、やっぱり......面白かった。すべてが懐かしい。プロレス黄金時代のど真ん中って感じがする。あっという間に、この試合をリアルタイムで観ていた十代のころにタイムスリップする。いい試合だ。ただ、悲しいことにこの四人のなかで今も生きているのはスタン・ハンセンだけだ。馬場、鶴田、ブロディ。わずか二十年前、あれだけ溌剌とファイトしていたのに、三人は天国に逝ってしまった。嘘みたいだ。

人間、死んだら終わりなのか? いや、そうじゃない。最近少しずつ考えが変わり始めてきたのだけど、死ぬってことは決して悲しいことじゃない。ある意味、めでたいことなんだ。そう考えたら、生きていることそれ自体も、なんだか祝祭に思えてくる。四人の激しい闘いを見つめながら、自分も生きている間にもっともっと頑張らなくてはと、熱いものがこみ上げてきた。

ちなみに、よく「理想の上司を芸能人でいうと」、みたいなアンケートをやっていて、所ジョージさんとか、黒木瞳さんだとか、そういう人が必ず上位にくるけれど、僕の場合、なんといっても理想の上司はスタン・ハンセンである。たぶんこっちが生意気なこというと、エルボーが飛んでくる。それだけじゃない。ボディ・スラムでマットに叩きつけられた後、間髪いれずに全体重を乗せたエルボーが打ち下ろされるだろう。そしてそのまま太い腕でスリーパーで締め付けられる。反論をするタイミングは一切与えてくれない。さらに歯向かえば、ウエスタン・ラリアットで叩きのめされるだろう。さすがにラリアットをまともに喰らってしまったら、カウントスリーは免れないだろうなと思う。だけど、だからこそこっちもぶつかってやろうというファイトを持てるんじゃないかと思う。そこまで激しく叱咤してくれたら、気持ちいい(念のため、暴力を肯定するわけじゃないし、実際暴力を振るわれるとは思わないけど、あくまで人間としての迫力があるということで)。逆に、そこまでタフな上司だからこそ、いざというときは頼りがいもある。実際、リングを降りたハンセン氏はとてもいい人だという評判なので、気持ちよく働けそうだ(例によってよくわけがわからなくなってきたので、この辺で終わりにします)。

ボディ・スラム→ニードロップ→エルボー→スリーパー→ラリアットまで息もつかせず