イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

翻訳という名の伽藍

2011年08月21日 20時14分30秒 | Weblog
山岡洋一さんが他界された。

まだ62歳の若さだった。すでに途轍もなく大きな仕事を成し遂げてきた氏ではあるが、これから本当の集大成と呼ぶべき時代を迎えようとしていたところであったに違いない。

昨年、山岡さんの講演を聞きにいった。長年続けてきた「翻訳通信」の歩みを振り返るというテーマのものだった。特に明言はされていなかったように記憶しているし、私の主観でしかないのだけれど、話の節々から、後進の育成にかける氏の使命感のようなものが伝わってきた。そこには澄み渡るような純真さがあった。年齢的なものもあるのだろうし、何かを成し遂げた人の心境とはこのようなものかと感じたことを覚えている。

山岡さんは、翻訳を先人達が積み上げてきた巨大な伽藍のようなものだと捉え、過去の資産に最大限の尊敬を払いつつ、その伽藍をさらに高く、豊かなものにするために、日々、鑿を打ち続けていたのだと思う。それゆえ、その伽藍への敬意を欠く浅薄な翻訳への取り組みを厳しく批判した。翻訳への深い愛情と畏怖があればこそであった。

特に晩年は、私欲のためではなく、翻訳の名声を、歴史を守ることが、過去の積み重ねのうえに、さらに良いものを積み上げていこうとすることが、山岡さんの仕事になっていたのだと思う。残されたのは、未完ではあるが、大きな、大きな礎だ。

翻訳者の集まりでは、身の程をわきまえず何度か氏に話しかけたことがあるし、宴席で図々しくも対面に座ったこともある。その度に背筋が伸びる思いがした。どこの馬の骨ともわからない私に対しても、誠実に言葉をかけてくれた。もう10年近く前になると思うが、氏の仕事場に何人かで伺ったこともあった。壁一面の本棚には、専門であるノンフィクションだけではなく、フィクションの原書、訳書も多数並べられていて、あらゆるジャンルから貪欲に学ぼうとするその気概に溢れた姿勢が伝わってきた。第一線で活躍している翻訳者は、なるほどこれだけ研究熱心なものかと思った。

昨年の講演会で挨拶をしたとき、「一流の訳者の訳書を、原書とつきあわせて読みなさい」とアドバイスしてくれた。親が子に言い聞かせるような真摯さがあった。それが氏を見た最後になった。

山岡さんが灯した火を消してはならない。一冊でも多く、先達やいま最前線にいる同業者の方の訳書を読み、そこから学ぶのだ。数多の翻訳者が積み上げてきた仕事をリスペクトし、その伽藍のほころびを修正し、より高く、優れたものに変えていく。それが翻訳への、山岡さんへの恩返しになるのだと思う。


私のような端くれ翻訳者が追悼文を書くのは差し出がましいことではありますが、山岡さんの素晴らしいお人柄、そして残してくれた大きな仕事に敬意を表して、書くことにしました。あらためて感謝を申し上げます。

ご冥福を祈ります。





長距離半裸ランナーの孤独 ~我の内なるC3POに異状なし~

2011年08月07日 16時13分09秒 | Weblog
すっかりご無沙汰してしまいました。

前回のエントリのときは、それまでの炎天下とは打って変わって3日ほど急に涼しくなって、「たまにはこういう天気もいいなあ」などと思っていたのですが、それからすっかり夏はどこかに行ってしまいまして、この今も、カミナリがゴロゴロいっております。天気予報はここ数日、「明後日くらいから晴れる」という情報がスライド式に毎日報じられているような気がしてなりません。僕の愛する炎天下はどこに~。

もう今年はずっとそうなのですが、ありがたいことに仕事も忙しく、忙殺されているうちにあっという間に日々が過ぎ去ってしまいました。ここ10日ほどで3回ほど大きな山場があって、ちょっと身体を壊しかけてしまいました。久し振りに寝込みました。でも、ようやくこの異常モードからは脱出できそうです。とはいえまだまだ仕事は山積み、追い込まれないように先手必勝で行きたいものです。

そんなわけでここ2週間ちょっとは半裸ランも不完全燃焼だったのですが、一応ほぼ毎日、走っています。減量は、70キロ前後をウロウロ(冷や汗)。いかん、あと6週間で6キロも痩せないと目標に到達できません。気合いを入れなければ!

ところで昨日、公園で半裸ランをしていたら、いました、同類が。半裸ランナーを発見です。変態は僕だけじゃない。そう思うと、妙な安心感がありました。思わずすれ違い様に相手の方に視線をやったら、「こっち見んな、変態」というような顔でシカトされてしまいました。

まるでスターウォーズのC3POが、自分と同じ型のアンドロイドを見つけて「やあ兄弟!」と声をかけたところ、「外見はお前と同じでも、中身はこっちの方が高等なんだから一緒にするな」と冷たく無視されたときのような心境です。でもまあいいんです。変態は変態同士、お互いを突き放すくらいがちょうどいい。だからこそ変態なのです。

しばらくブログを書いていないと、アイツはちゃんと生きているのか、前向きにやっているのか、人生の諸々に流されているのではないのか、などと思われる向きもあるかもしれません。たしかに、色々なものに流され、しがらみに絡め取られ、金縛りにあったように身動きが取れなくなっていたりもしますが、同時に、あれもしようこれもしよう、これからはああしよう、こうしようと、やる気と意欲に満ちて、毎日を過ごしている自分もいます。仕事に限れば、過去にないくらい、充実していたと言えます。ただ、そんな毎日の頭の中のグルグルが、ブログを書くという行為に直結していないだけで、元気です。

正月に書いた同窓会の続き、そして1年前の旅行記の続きも、まだ書いていません。ものすごく後ろめたい思いがあるのですが、書きたい意欲はもちろん持っています。これ以上「近々必ず書くから」と書くと、オオカミ中年になってしまいますので、その言葉はぐっと堪えて、いつか続きを書く日が来るのを待ちたいと思います(そう書くと遠い日の予定のような響きがありますが)。コーナー・レッター博士のこなれた訳研究シリーズで、翻訳についていろいろと思うところを書いてみたいともずっと考えています。読書ブログも始めたい。ここには書けないけど、やりたいことは大きいものだけでも108個くらいあります。

気がつけば会社をやめてもうすぐ丸3年。ようやく、翻訳という仕事のなんたるかが少しだけわかってきたような気がしています。今年は、立て続けに本の仕事をいただいて、それに打ち込むことで精一杯でここまで来てしまいました。まだ振り返るのは早いですが、ともかく目の前に来た球を打ち返す、そういう年だったのかと、そんな風に自分を納得させていたりもします。

やりたいことは目白押しです。仕事にも、もっともっと集中して取り組みたい。もうひとつ上の次元を目指して、とことん極めてみたい。人生の諸々、人間らしい諸々にも、逃げずにちゃんと向かい合いたい。

そんなそんな毎日です。