イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

夜間歩行

2009年02月28日 22時25分59秒 | Weblog
昨日の夜9時。ふと思い立ち、ウォーキングを兼ねて久々に「イワシる」ことにした(つまり、ブックオフに行った)。片道4キロほどの、夜のピクニックだ。

人気の少ない多摩湖自転車道を行く。右足と左足を交互に前に出し、闇のなかを進む(余談だけど、人の目があまりないのをいいことに、右手と右足、左手と左足を同時に前に出す、「ナンバ歩き」をやってみる。歩けないことはないけど、楽ではない。昔の人は、本当にこんな歩き方をしていたのだろうか?)。

歩くことは心地よい。まとまった距離を歩くと、気持ちも前向きになれるし、体に心地よい疲れを感じる。自分でも「おっ」と思うような、いいアイデアが1つか2つ、自然と湧いてくる。

黄色い看板が見えてきた。平素は自他ともに認める常識人間、まとも人間であるクラーク・ケントのような私が、古本超人、無苦小富夫(ブクオフオ)に変身するときだ。店に一歩足を踏み入れると、自分のなかでスイッチが入るのがわかる。ブックハンターに豹変してしまうのだ。

『夜間飛行』サン・テグジュペリ/堀口大學訳
『人間の土地』サン・テグジュペリ/堀口大學訳
『闇よ、我が手を取りたまえ』デニス・ルヘイン/鎌田三平訳
『たったひとつの冴えたやりかた』ジェイムズ・テイプトリー・ジュニア/朝倉久志訳
『もしもし』ニコルソン・ベイカー/岸本佐知子訳
『ウルトラマリン』レイモンド・カーバー/村上春樹訳
『夏服を着た女たち』アーウィン・ショー/常盤新平訳
『松田聖子と中森明菜』中川右介
『天使に見捨てられた夜』桐野夏生
『ひきこもれーひとりの時間をもつということ』吉本隆明
『醍醐の桜』水上勉
『The Dilbert Principle』Scott Adams
など、20冊

歩くことでいい具合に脳が冴え、嗅覚が鋭くなっていたようだ。今日は、いい本がたくさん見つかった。なんだろう、この豪華な布陣、この充実感は。日本翻訳史におけるヒクソン・グレイシーこと堀口大學、饒舌なニコルソン・ベイカー(いつもながらここまで「日本語になっている」訳にはめったにお目にかかれないと思わせてくれる、岸本さんの訳)。吉本隆明は風呂で一気読みした。さっそくいくつか読んでみたレイモンド・カーバーの詩が、ものすごくいい。桐野夏生はトイレに格納した。

本を読みたい、本が面白いと感じるときは、自分の調子もよいときなのだ。面白い本にたくさん出会い、楽しんで読める自分であるために、毎日をきちんと生きていきたいものだ。本という天使に、見捨てられないようにするために。

雪の日のソナタ

2009年02月27日 19時34分37秒 | Weblog
雪です。この冬は降らないかと半ばあきらめていたのに、空からは綺麗な白い結晶がヒラヒラと舞い降りてきました。しんとした世界。冷たいけれど、凛とした厳しさと清廉さを感じさせてくれる雪が、僕はとても好きです。

雪はけがれなく、静かに天から地上に降り立ちます。窓の外を眺めながら、去年のある雪の日のことを思い出しました。

会社の昼休み、ご飯を食べようといそいそと外に出ようとしたら、同じく昼食をとりに行こうとしていた同僚とエレベーターの前ではち合わせました。同僚は、僕がラーメン好きなのを知っていて、一緒にラーメンを食べましょうと誘ってくれました。

外に出ると、降り積もった雪が綺麗に白く輝いていました。僕の行きつけの、おすすめのラーメン屋に向かいました。せっかくだから(僕の方がかなり年上なので)同僚にはラーメンをご馳走してあげようと密かに考えました。ところが、財布を開いたら自分のラーメン代にすら満たない額しかありません。冷や汗を流しながら同僚にそれを伝えると、まったく気にしない様子で、優しく笑ってお金を立て替えてくれました。思いきりかっこ悪い自分に恥じ入りながら、なんていい人なんだろうと思いました。その人が見せてくれた、混じりけのない素朴な小さな優しさが、なぜだか今でもずっと心に残っています(それにしても、その日僕がひとりでどこかのお店に入っていたら、どうなっていたのでしょう。無銭飲食で逮捕されているところでした)。

それから桜色の春がきて、真っ赤な夏がきて、切ない茶色の秋がきて、冷たく白い冬が訪れました。そして今日、またあの日と同じように雪が降りました。ラーメンも美味しく温かかったけど、人の小さな優しさをやけに温かく感じたあの日のことを、僕に思い起こさせながら。

今の僕には、大きな愛、大きな優しさを語ることはできません。僕にできることは、これからの日々のなかで、小さな優しさや愛情をまた誰かに届け始めることです。そのひとつひとつは雪の一片のように小さなものかもしれないけど、いつか誰かの心に降り積もってくれたらいいと思います。あのとき同僚が見せてくれた優しさが、いまでも僕の心に残っているように。



「雪ね! 冬彦」
「うん」
「ママはね、正直もう今年はあきらめてたのよ...あんた、やればできるじゃない」
「降らせよう、降らせようと頑張っていたときには、できなかったのに」
「人生、そんなものかもしれないわね。でもね、あんたがずっと願い続けてきたからこそだと思うわ」
「肩の力を抜いて生きることが大切なんだね」
「それにしても雪ってきれいね。神秘的だわ。そういえば、昔ね。パパが言ってくれたわ。雪もきれいだけど、ママの方がもっときれいだって」
「へえ。パパもロマンチックなとこあるじゃない」
「それが今じゃ、日がな一日ブックオフに入り浸りだわ...」(ため息をつく)

「ただいま」
「おかえり、パパ。何その荷物は。今日もブックオフで無駄遣いしてきたのね」
「冬彦のお祝さ。『冬のソナタ』のDVDセット、安かったよ」
「もうパパったら! でも今日は特別ね。さっそくみんなで鑑賞しましょ」

挿入歌:『冬のソナタ』



問題は、雪が積もったらランニングができなくなること。あと、マラソン本番に雪がふったらおそらく死ぬほど体が冷えて、冗談抜きで死ぬかもしれないことです。でもともかく今日は、雪が降ってくれて本当によかったです。

お礼とお知らせ

2009年02月26日 16時31分05秒 | Weblog
翻訳を担当させていただいた本が先日出版されました。『グローバルアカウントマネジメント入門(英治出版様)』です。ひとえに、諸方面の方々の並々ならぬご協力を得たおかげでございます。皆様、ありがとうございました。そして、関係者の皆様にはご迷惑をおかけしましたこと、あらためてお詫び申し上げます。

書籍を手に取ってみて、「言葉」という二次元の情報が「本」という形になるのは、本当に素晴らしいものだと改めて思いました。今回、様々な人の協力によって本が生まれ出る瞬間を目の当たりにし、翻訳者としてあらためてその責任の一部を担っていることの重大さと、ありがたさを実感しました。今回の経験、反省点を活かして、これからも精進していきたいと思います。出版に携わった皆様、そして僕の身の回りの皆様に感謝し、この本を訳していたときの思い出を大切に心の中に残していきます。

この素晴らしい本が、読者の皆様のお役に立てますように!

Talk the talk, walk the walk, and run the run.

2009年02月25日 20時10分12秒 | Weblog


自分の考えをきちんと言葉にして、他者に伝え、自らに言い聞かせる。やるべき仕事をする。起きる、歯を磨く、食べる、新聞を読む、働く、掃除する、洗濯する...。毎日の暮らしのなかでやるべき仕事を、ひとつひとつ丁寧に行っていく。すべてが完璧にできなくてもいい。とりあえず、目の前の仕事をきちんとしよう。茶碗を洗うのも、ゴミを出すのも、お風呂に入るのも、きちんとやれば、それなりに楽しく気持ちの良いものなのだ。それが今、自分に一番大切なことではないかと思う。

そして、走る。荒川市民マラソンまで、3週間を切った。最近はいろいろと思うこともあって、レースに対する気持ちがあまり盛り上がっていなかったのだけど、せっかく申し込んだのだから、これを目標にして毎日の生活に張りを持たせていきたい。正直、今時点の自分は、とてもフルマラソンを走れるような精神状態、肉体状態ではないけれど、本番に向けて、コンディションを高めていこう。

しばらくは天気がよくないみたいだ。だけど、あと1月もすれば、本当に春が来る。ずっと待ち望んでいた春ではあるけど、今は、まだ来ない春を恋うことよりも、目の前の仕事を大切にすることを優先させよう。自分のやるべきことを大切にするということは、自分自身を大切にすることでもあると信じて。

心から愛したもの、そのひとまずの終焉

2009年02月24日 01時26分34秒 | Weblog
日テレがプロレス中継を終了したというニュースが飛び込んできた。プロレスファンの僕としては感慨深いものがある。以下、時事通信配信のニュースを引用させていただきます。

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日本テレビの久保伸太郎社長は23日の定例記者会見で、開局直後から55年間にわたって続けてきた全国ネットのプロレス中継を今春で打ち切ることを明らかにした。CSの有料放送「日テレG+(ジータス)」では引き続き放送する。

同局のプロレス中継は、開局翌年の1954年2月からスタート。街頭テレビの時代から国民的人気を集め、63年5月のデストロイヤー対力道山戦では視聴率64.0%(ビデオリサーチ調べ)を記録するなど、テレビの普及に大きな役割を果たした。

しかし、近年は格闘技の種類も増えて人気が低迷、視聴率は深夜枠ということもあって1~2%台が続いていた。久保社長は「時代の変遷とともに(視聴率の)極端な落ち込みもあり、コアなファンに見ていただける有料課金放送に移すことになった」と述べた。

地上波でプロレスを放送するのはテレビ朝日系だけとなるが、同局では「今のところ、打ち切りなどの予定はない」としている。
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実に55年の同局のプロレス中継の歴史に終止符が打たれる。しかし、デストロイヤー対力道山の試合が64%の視聴率を記録したというのはすごいことだ。幸せな時代だったのかもしれない。みんな暇だったのかもしれない。他にすることがなかったのだろうか。ともかく今、プロレス中継に同じ視聴率を期待することはほとんど不可能だ。文化が成熟し、価値観が多様化した。プロレスという「野蛮なショー」を見ることは、ごく限られたファンによるマニアックな行為になってしまった。それにしても、1~2%しか視聴率がなかっただなんて、ファンとしてはさびしい。小学生のころはゴールデンタイムでやっていたし、放送時間がどんどんテレビ欄の後ろに下がっていっても、深夜テレビにかじりつくようにして、四角いリングで繰り広げられる戦いに胸を躍らせていたものだった。

今でこそ、真剣勝負の総合格闘技が人気を博しているけど、僕はずっとプロレスは真剣勝負だと思っていた。猪木こそが世界最強だと信じて疑わなかった(ただし、本当に一番強いのはアンドレ・ザ・ジャイアントかもしれないとも思っていた)。プロレスがエンターテインメントの世界だとはっきりと悟ったのは、世間では十分大人として見なされる年齢になってからだった。「サンタさんはいない」と知った時より、衝撃は大きかった。

だが、プロレスは単なるショーではない。いかに観客を楽しませるか、いかに鍛え上げられた肉体と技で観る者を魅了できるか、という意味においては、「真剣」な世界以外の何物でもない。たとえ筋書きがあったとしても、それは必然的に存在しているものなのであり、誰かをだまそうとしているわけではない。その点、同じ格闘技でも、世間一般からは真剣勝負、スポーツと見なされている相撲で八百長があるのだとしたら、その方がかなりたちが悪いのではないだろうか。

プロレスは虚実が入り混じった闘いの世界だ。たとえるなら、演劇だ。芝居を観るとき「これはしょせん作りごとの世界だから」といってしまったら何も始まらない。虚構の世界のなかで、どれだけ真実に迫れるか、どれだけ観る者に何かを伝えることができるか。そして観客はどこまでそれに乗ることができるか。それがエンターテインメントの世界なのだ。

テレビ中継が終わってしまったことは残念ではある。だけど、時代の流れにはさからえない。いちファンの僕でもそう思う。長いあいだ斜陽だと言われ続けた何かが、あるとき遂に終焉を迎える。「やはりか」と誰もが心の中でつぶやく。プロレス中継も、その例にもれなかったということなのだ。

ただし、55年の歴史は簡単には消え去らない。メジャーな存在ではないかもしれないけれど、僕をはじめプロレスLoveな人間は世の中にたくさんいる。今では昔ほど積極的なファンというわけではないけれど、これからも僕はプロレスを観続けると思うし、昔からのファンは根強く残っていくはずだ。

プロレスに限らず、自分の好きなものがどんどん世の中の表舞台から消え去っていく。年をとっていく過程で、それは避けられないことなのかもしれない。新しい何かを好きになれる自分ではありたいとは思うけど、これまで愛してきたものをずっと忘れずにもいたい。そもそも、子供のころに心から愛したものをすっかり忘れられるほど、人生は長くはないのだ。

テレ朝、がんばれよ~!


7分の7のブルー

2009年02月23日 03時18分56秒 | Weblog
会社員だった頃、土日の2日間があっという間に過ぎ去ってしまうのがとても嫌だった。

月曜日から金曜日までの間は、一週間めいっぱい働く。早く週末にならないかなあと、指折り数えながら毎朝出勤する。あるいは仕事中に心のなかでひそかにカウントダウンをする。あと何日、あと何時間働いたら週末なのだと、バーチャルな算盤をはじく。ときには、エクセルで実際に計算したりする。ひたすらに耐え忍んだウィークデーの日々もやがて佳境を迎え、金曜日の夕方になる。妙に嬉しい。会社を出るとき思わずにやける。ただし、大人の遊びなるものを知らない僕は、金曜日の夜だからといって、行きつけのバーにいってバーボンを飲んだり、ディスコ(死語)にいってジョン・トラボルタみたいにフィーバーしたりはしない。いつもと同じように、混雑した電車に乗って家に帰るだけだった(ブックオフには寄っていたかもしれないけど)。ともかく、フライデーナイトはちょっとした解放感を味わいながら床に就いた。

土曜日の朝は少々遅めに目を覚まし、午後はそれなりにリラックスして過ごした。夜の気分は悪くなく、酒も適度に入ったりしてちょっとした楽土を味わった。あと一日休みがあると思うと、なんだかやけに贅沢な気分になった。でも一夜明けて日曜日になると、午後も早いうちから憂鬱な気持ちを感じ始めた。明日はまた会社にいかなくてはいけない――、そんなこと考えなくてもいいのに、考えてしまう。日曜日の午後のテレビが憂鬱さを助長させる。そして言うまでもなく、その名状しがたい憂鬱さが頂点に達するのは、漫然とした風情の父親が、居間で「笑点」を見ているときなのだった(父親は実家にいますが)。やがて日が暮れて、あきらめにも似た感情を胸に押し隠しつつ床に就く。そして地球は回転し、月曜の朝がやってくる。限りなく陰鬱に近いブルーの色合いとともに。

会社員ではなくなった今、上記のような「基本的には幸せなんだけど、そこはかとないブルーに彩られた2日間」が毎週やってくることはない。曜日の感覚は、以前の3分の1くらいに薄まってしまった。今日が何曜日かはうっすらと把握しているけれども、金曜日だからハッピーだとか、月曜日だからブルーだとか、各曜日がかつては持っていたそんな自己主張のようなものは、すっかり強度を失って単なる記号と化してしまっている。

月曜の朝は、世間の人は重たい腰を上げ、自分に鞭を打って会社に向かっているのかという思いがかすかに脳裏をかすめる。金曜日の夜は、みんなが解放感にあふれて街に繰り出している様を想う。だが、自分はこの部屋にいて、目の前にある仕事を淡々とこなしていくしかない。曜日よりも、納期が書き込まれたカレンダーの日付の方がはるかに大きな意味を持っている。

かつて束の間の幸福とともにかすかな不幸を背負っていた土日は、ウィークデーとほとんど変わりのない2日間に姿を変えた。わずかだが解放感はある。取引先の会社が休みだということは、新しい仕事の依頼が舞い込んでくることがまずないということだからだ。だけど今の僕にとって、土日は平日と同じくいつものように仕事をする日なのであり、週末だからといってとりたてて生活や感情が変化することはない。

会社が特別嫌だったわけではない。長い会社員時代の歴史のなかには、出社拒否してしまいたくなるほど相当に嫌だった時代もある。だけど、会社にいけばそれなりに一生けん命に働いていた。特に去年まで勤めていた会社の仕事はとても楽しかったし、大好きな仲間とも毎日会えた。だけどやはり会社はどんなにいい会社であってもストレスを発生させる場所なのであると思う。だからこそおしなべて、月曜日は青く、金曜日はゴールドに輝いていたに違いない。だが、そうした日々が過ぎ去った今、すべては等しく輝いて見える。会社という場所に所属していた自分が、嘘のように思える。

わずか7分の2の自由を得るために、残りの7分の5を犠牲にし、切り売りしなければならないなんて不条理だとずっと思っていた。だけど、会社を辞めたら、7分の7を仕事に費やさなくてはならない日々が待っていた(涙)。だが、これこそが自分が望んでいた生活なのだ。確かに僕は日々の時間を労働に費やし、その対価としての報酬を受け取ることで生活をしている。だが、そこにあるのは以前のような「切り売り」の間隔ではない。自分と仕事が一体化したような、生きることと働くことが合体したような、そんな感覚に支配されている。すべてがプライベートな時間だともいえるし、起きてから寝るまでが仕事時間だともいえる。少なくとも今、丸一日休みという日はまったくといっていいほどない(涙)。だけど、ほんのごくわずかな時間とはいえ、仕事をしていないときに思うのは、それが真の意味での休息かもしれないということだ。昔みたいに、ほとんどの時間を何かに束縛され、土曜と日曜だけ、そこからわずかだけ解放されている自分という感覚はない。自分は本来あるべき場所にいて、今はそこからちょっとだけ外れている。そんな気がする。

仕事のとらえ方は人それぞれだから、会社員がいいとか、フリーランスがいいとか、絶対こうだと言い切れるものではない。だが少なくとも自分にとっては、これでよかったのだと思う。孤独や不安に苛まれることは多いけど、それはこのライフスタイルを獲得するために支払った大きな代償だと考えよう。これから先に僕を待っている7日間は、すべてが淡いブルーに彩られているのかもしれない。だけどそれは、束の間の解放を待ち望んでいるがためのブルーではない。この今を黄金に染めることができない、ただそれだけの理由によるものなのだ。そしてそれができない理由は、ただ自分のなかにしかない。今、すべては自分次第、なのだ。

Que sera, sera

2009年02月22日 02時30分13秒 | Weblog
「人生、なるようにしかならない」――。最近、何気なくインターネットの掲示板の書き込みを読んでいて出会ったこの言葉が、妙に心にひっかかった。

よく眼にするセリフだ。とりたてて瞠目すべきほどのことでもない。だけど「なるほど、そうだよな、人生、なるようにしかならないよな」そう心の中で小さくつぶやいていた。どこでどうやって身につけたのか知らないけど、そのセリフの背後にある達観には、納得させられる何かがある。

ケセラセラ、Whatever will be will be…

人生に対して投げやりになったり、無責任な気持になったりしているわけではない。ただ、人生が人智を超えた何かに突き動かされているのを、この頃やたらとリアルに感じてしまうのだ。

なんらかのインプットがあり、それが自己の内部にあるプロセスを経過する。そしてアウトプットが産出される。単純化してしまえば、人生とはそういうものだ。

インプットにはまったくの外的要因からくるものもあれば、自からが望んだもの、招き入れてしまったものもある。プロセスは過去の集積から成る現在の自己そのものだ。アウトプットは己そのものである。だがそれはまぎれもない己でありながらも、ときに「これが己か」と思わず客観的に距離を置いてしまうほど、自己とはかけ離れたもののようにも思える。

この一連のフローには、自我あるいは自意識なるものが相当に関与してはいる。だがそれ以上に、自己によってコントロールできない何かが大きな影響を与えている。人生とはわずかばかりの自己と、それを下から突き上げるマグマのように強力で巨大なエネルギーの総体のことをいうのかもしれない。

突然お腹が痛くなる――。これも人生だ。「ラーメン」を食べようと思っていたのに、なぜか指が勝手に券売機の「チャーシュー麺」のボタンを押す――。これも人生だ。どれだけ綿密に人生設計をし、自らが敷いたレールの上を走っていようとも、どれだけ算盤をはじいていても、あるときすべてに対して疑問を感じてしまう、何もかもが嘘だと感じてしまう――。それも人生だ。空を見上げたら、なんだか妙に切なくなった。海を見ていたら、突然誰かが愛しくなって涙がとめどなくあふれてきた――。それも間違いなく人生だ。

僕は、僕が僕であることに対して何の疑いも持ってはいない。だが、昨日の自分と今日の自分が微妙に異なることに対しては、いまだに戸惑っている。1年前の自分、3年前の自分、10年前の自分と今の自分を比べては、それがまったく同質のものでありながら、あまりにも異なっていることに対して驚いている。自分が年をとっていくことを、いまだに上手く受け入れられない自分がいる。年を取るのも自分の責任だと頭ではわかっていても、心が素直に頷いてくれない。過去があまりにも早く遠くにいってしまうことも、未来があまりにも予測不可能なことも、上手く処理できていない。人がなぜそれをごく自然に受け入れていることができているように見えるのか、あるいは見えるだけなのか、理解できるようで、理解できない。

今、目の前にある現実は、自分が望んだことの答えであり、自分にはどうすることのできない力が「偶発的に」具現化した結果でもある。そして、そのふたつが化学反応を起こすことによって生じた「必然的な」アンサーでもある。その当たり前すぎる「答え」をまじまじと見つめて驚いてしまうのは、おかしなことなのだろうか?

僕には夢があり目標がある。それに向かって毎日、必死に悪あがきを続けている。だが、眼の前にあるすべてを、自らの人生をすべてコントロールしていると思うことに、あるいは思いこむことに、どれだけの意味があるのだろう。

言葉にしてしまえば、あまりにも平坦で欺瞞に満ちた「愛」なるのものを、誰かに届けたい――それが僕の人生のミッションだと信じてはいる。だがそれすらも、あくまでもなるようにしかならないものとしてしか存在しうることができないことは、あきらかなのだ。どれだけ自我なるものを信頼していたとしても。

名前のない誰かが、通りすがりに言う。「人生、なるようにしかならない」。無責任なセリフだ。だがそこには一片の真実がある。嘘でも誠でも、夢でも現でも、どれだけ何かを信じていようとも、イワシの頭ほどのものですら信じていまいとも、「結果としての人生」は悲しいほどにすぐ目の前にある。真実を追い求めているようでいて、その実、嘘に満ちた生を生きるこの僕にも、思いきりフィジカルな光を当てれば、リアルとしか呼びようのない黒く濃い影が浮かび上がるだろう。痛々しくて、目も当てられないほどの「リアル」がそこにはあるだろう。


僕はまぎれもなく僕の人生を生きている。だがそれは同時に、僕などとても及びもつかない巨大な力を持ち、ポジティブな生のエネルギーにあふれた「人生」が、僕を生きていることでもあるのだ。



サウスポー投入

2009年02月21日 20時25分20秒 | Weblog
マウス操作のしすぎが原因と思われるのだけど、右手の肘周りと親指の付け根が痛くなった。腱鞘炎の予兆的症状にちがいない。

そこで、今日からしばらくはマウスをキーボードの左側に移動させて左手で扱うことにした。理由は何だったか忘れたのだけど、左手でマウスを操作していた時期があったので、右手に比べると自在感は劣るものの、それほど苦にはならない。

マウスを左手で使うことのささやかなメリットは、右手で書きものがしやすくなるという点だ。左手でマウスを操作しながら、右手にペンを持ちメモがとれる。つまり、どちらの手も遊んでいない。まあ、あんまり書きものなんてしないので、大したメリットではないのだけど、左右の手を同時に動かしていると、急に自分が勤勉になったような気がする。いっそのこと、ドラムセットでやるみたいに両足をつかった入力機能があれば、さらに無駄がないのにと思う。両手でキーボードを操作して、両足でマウスを動かすのだ。想像しただけで、足がつりそうだ。

逆にささやかなデメリットとしては、会社とか周りに人がいる状況でマウスを左側においていると、他の人が自分のマシンをちょっとだけ操作する状況の時に(意外と多い)、その人が戸惑ってしまうということだろう。切迫した状況だったりすると、その人が左マウスを上手く使えなくて、「イラッ」とするのを感じることもある。ただし、この問題は、家でひとりで仕事をしている今の僕にとっては関係のないことだ。あとは、右手に比べて少々操作の速度は落ちるけど、これはほとんど気にならない。

この処置で腱鞘炎の症状がうまく治まってくれますように。

キーボードは両手をほぼ等しく使うから、どちらかの手に過剰に負担がかかることはないけど、手書きだった時代は、腱鞘炎になったら大変だったと思う。右手が痛くなったからといって、左手で字を書くわけにはいかない。ただし、コンピューター以前の人は、今みたいにテクノストレスに悩まされることもなかっただろうから、その分、体にかかる負荷はすくなかったのかもしれない。

腱鞘炎に限らず、疲れ目とか腰痛とか、張り切って仕事をしているときには忘れたころに体に職業病的な症状が出てくるので、注意しないといけない。幸い、右手以外は今のところ問題ない。

右のエースが故障してしまったので、すかさず中継ぎの左投手を投入する原監督の心境なのであった。

餃子の王将で考える人生の先発ローテーション問題

2009年02月20日 21時50分32秒 | Weblog
ローフードをダイエットに取り入れてから、しばらくたつ。といっても、朝はフルーツ、午後はサラダ山盛りを基本にして、ご飯は玄米、動物性タンパク質は少し、を心がけている程度だ。あとは自由。料理の腕がないためバリエーションに乏しく、毎日同じようなものを食べていることもあるし、肉をあんまり食べていなかった反動もあってか、最近少々お肉が恋しくなり、ここ数日ランニングの帰りにお肉屋さんによって豚肉を買うことがお約束になってしまった。トン汁にしたり、鍋風にしたり、炒めたり。今日は恋放浪じゃなくってホイコーローを作った。炒め物はたまに食べると美味しい。毎日じゃないのだからそれほど気にしなくてもいいかと自分に言い聞かせながら、胃袋に放り込んだ。

ところで、この手のお肉と野菜の炒め物風な料理を食べると、京都に長く住んでいた僕としては、「餃子の王将」を思い出してしまう。京都にいたとき、昼ごはんを外で食べようと思って頭の中に候補の店を浮かべるとき、王将はかならずといっていいほど候補のなかにノミネートされていた。当時も今も、京都在住の男性諸氏の多くが僕と同じで王将をお昼の「先発ローテーション入り」させているのではないかと思う。それくらい王将の店舗はたくさんあった。街中だけじゃなく、市内のあちこちにあまねく分布していて、どこにいてもちょっと歩けば行ける距離に店を見つけることができた。

店内には、日本と中国・香港の文化が融合しているような独特の世界があった。客層もどちらかというと少々荒っぽい雰囲気があって、いなせなトラックの運転手とか、近場の現場でいい汗流してきたようなおっさんとか、体育会系の学生とか、ともかくそういう食欲旺盛な、まさに腹の減り具合が王将級な男っぽい人たちであふれていて、その光景は同時になんというか「仁義なき闘い」のようなかなり日本っぽい和の空間であり、さらにそこで飛び交う関西弁が輪をかけてコテコテな日本を感じさせるのだけど、店のコンセプトの根底にあるのは実は中国四千年の歴史であり、中華料理であるという、考えてみればさまざまな歴史・文化が混然一体となった奥深い世界だった。厨房にいるお兄さん、おっさんたちのワイルドな働きぶりを見ているのも楽しかった。

僕が好きだったメニューは、ラーメン、チャーハン、餃子、鶏のから揚げであり、自分のなかではこの4つを密かに「王将四天王」と名付けていた。ホイコーローとか、天津飯とか、他の人にしたらこれぞ王将っていうかもしれない料理は、僕にとってあくまでわき役だったのだ(好きだったけど)。ラーメンは好きだけど、ラーメンだけしか注文しないのではせっかく王将にきた意味がない。でも、チャーハンだけというのも嫌だ。チャーハンは好きだけど、僕の中ではチャーハンはあくまでも助演男優なのであって、主演男優ではない(なぜだかはよくわらからない)。だから、どちらかを頼んだら半ラーメンか半チャーハンを加えるようにしていたし、ラーメンとチャーハンがコンビを組んでいるセットメニューがあったらだいたいそれを選んだ。で、王将にきたからにはやっぱり餃子は外せない。なので、から揚げは好きなんだけど、組み合わせ的に上手く入り込む余地がなくて、毎回注文するわけにはいかなかった。ラーメンとチャーハンのセット+餃子を頼んで、そこにから揚げを加えるのは、さすがにまだ若くてよく食べていた僕にとっても勇気がいった。だから、から揚げはその実力を高く評価されていながらも、止むを得ず先発ローテーションには入れなかったのである。

というわけで、先発には「ラーメン」と「チャーハン」の左右本格派の二本柱を擁し、中継ぎには「から揚げ」、「餃子」を抑えの切り札とするのが長嶋茂雄風に言うと基本的なピッチングスタッフであったわけなのだけど、他にも「酢豚」とか「ニラレバ炒め」とか「カニ玉」とか、とにかく投手陣が充実していて、原監督ならぬ腹監督としては毎回頭を悩ませてしまうのが常だったのである(原監督が出てきたついでに、頑張れ!原ジャパン!)。

このように、僕という小さな人間の世界のなかにおいてさえ、昼飯の先発ローテーションが決まっており、その王将のメニューのなかでも先発ローテーションが決まっていた。それはお昼だけの問題にとどまらず、あらゆる事象にあてはまる。誰もが自分なりの先発ローテーションをいくつも持っている。つまり、世界には無限の先発ローテーションがあるわけだ(推定3兆6000億個)。そして、僕にとって「何か」あるいは「誰か」が先発ローテーションであるように、僕は誰かにとっての先発ローテーションにもなり得る。もちろん先発ローテーションに入るためには相当の実力と安定感がないといけない。それに、いったん決まってしまったローテーションの一角を崩すこともとても難しい。その壁は果てしなく高い。だからこそ、ピッチャーとしての自分は、その一角を目指したいと思う。仕事においても、人生においても、ごくわずかでいいから誰かにとっての先発ローテーションとして活躍していきたい。なんだか話が脱線しまくってしまってすみません。

トランスレーティングオールナイト

2009年02月19日 18時54分02秒 | Weblog
昨昼、公園でジョギングしていたら携帯電話が鳴った。新しい仕事の発注の連絡だった。かなり大きめの案件だ。ありがたい話である。家に戻ってからさっそくメールをチェックし、翻訳会社の方が送ってくれたファイルを見てみる。少し特殊な内容だったので、これは勉強が必要だと思って、参考文献を数冊みつくろってAmazonで注文した。それから、今朝の午前中納期の別案件を再開した。昨夜中に終わらせようと頑張っていたら、どんどんと時間が過ぎてまい、気がついたら日付が変わってしまった。続きは朝起きてやればいいのだけど、なんだか眼がさえて眠れないし、いったん眠ってしまったら、万一寝過ごしたときが怖いと思った(午前中納品というのはこれが恐怖)。なので、起きている間に意地でも終わらせようと思ってそのまま作業していたら、ドツボにはまってエンドレスとなり、朝の5時までかかってしまった(涙)。原文が英語ネイティブが書いたものではなく、内容の理解が一筋縄ではいかなかったのだ(と、原文のせいにしてみる)。それにしても、ハードなオールナイトだった。

納品を終え、そのまま布団にへばりつくようにして、泥のように眠った。まるで、尾崎豊の「ドライビングオールナイト」のような一夜だった。



さまようように Googleをたどり 無関係のサイトにころがりこむ
広げっぱなしのランダムハウスを押しのけ 英辞郎にしがみついた
この部屋にいることすら俺をいらつかせたけど
納品を終え 床にへばり付き 眠った

ちっぽけな日々がありあまる壁から逃れるように 会社社会をとびだすと 冷えきった風に取り残されちまった
街角の白い街燈がとてもやさしかった
負けないでってささやく あの子のように見えた
納期までのハーフマイル アクセル踏み込む 眼精疲労で目をやられ 8ポイントの文字が見えなくなるまで
少しくらいの時は 無駄にしてもいいさ
色褪せた日常につぶやく 俺にとって翻訳だけが すべてというわけじゃないけど 今夜俺誰の為に 生きてるわけじゃないだろ
Wow wow 行くあてのない translating all night
Wow wow 慰めのない translating all night



11時ころにチャイムがなった。飛び起きたわたしは、パブロフの犬的に無意識にハンコをもって扉を開けた。殺人鬼が、ナイフを持って立っていた。じゃなくて、昨日Amazonで注文した本がもう届いたのだった。はやっ!

さっそくそのままトイレに駆け込んで、本を開いてみた。専門分野ではないので理解するのに少々時間がかかりそうだが、Amazonでの評判もよかっただけに、なかなか読みやすそうだし、内容もとても面白そうだ。さあ、今日もやるか! でも今日はさすがに早く寝ます。

オペレーティングシステムとしての出版翻訳

2009年02月18日 23時19分31秒 | 翻訳について
作業マシンのOSはVistaなのだが、最近やたらと重たく感じる。セキュリティソフトを昨年末に導入して以来、動作が少し遅くなり、今年に入ってTRADOSをインストールしたところさらにスローになったような気がする。でも、それだけが原因ではないとは思う。立ち上げるアプリケーションの数が多い。基本的なものだけでも、WordにExcel、PDF、辞書ツール、ブラウザ(Youtube専用インスタンスを含む)、メーラーなどなど。

起動時間も長い。きりのいいところでこまめにリブートするようにはしているのだけど、立ち上げているソフトとファイルが多いので、元の状態に戻すのも大変だから、そうしょっちゅう再起動するわけにもいかない。高速化のあれこれはネットで調べたりして以前からいろいろ実施してみているのだが、どうも抜本的に速くなってはくれないようである。とはいえ、作業をしていてそれほど苦になるほどのレベルではないので、特にストレスを感じているわけではない。

このマシンはもうすぐ2才になる。そろそろいろんな面で少しだけ疲れてくるころだし、スペックも最新の市販マシンよりは落ちてきている。だけど、買い変えるにはまだ早い。少なくともあと1年はがんばってほしい。予算のこともあるけど、メインマシンだから、新しいマシンを買ったら環境構築にかなり手間取るだろう。それを考えると気が萎えるので、しばらくは元気に動いてほしいとなおさら思ってしまう。

Vistaの後継OS、Windows 7にはかなり期待している。評判もかなりよいようだ。Vistaを反面教師として、動作を軽くするための工夫が随所に凝らされているらしい。

Vistaはあんまり評判がよくないし、依然としてXPに踏みとどまっている企業も個人も多いわけだけど、僕は意外とこの少々重たいVistaを気に入っている。高速化のカスタマイズをした過程で、当初のウリだったヴィジュアル的な効果はほとんどオフにしてしまったけれど、それ以外にも細かいところでかゆい所に手が届くような仕組みがいろいろとあって、「なるほど、こういう風に改善したのか」と思わせてくれるところがたくさんある。ただし、過ぎたるは及ばざるがごとしで、XPからの改善を意図したつもりが、そこまでやらなくてもいいのに、という風になってしまっているところもある。

でも、もしWindows 7が評判通りとても優れたOSとして受け入れられるとするのであれば、それはVistaという鬼っ子OSがたたき台になったことも大きく影響を与えることになるのだと思う。だから、Vistaの死は決して犬死ではない(まだ死んではいないけど)。Vistaユーザーとしては少しだけVista君の肩を持ってみたいのである(ただし、もちろん、7が普及したら乗り換えるつもりではある)。

僕はごく数冊しか出版翻訳の経験がないので、こんなことを言うとなんだかエラソーではあるのだけど、出版翻訳の仕事はOSの開発と似ていると思う。完成までに長い時間がかかり、じっくりと取り組める分、その成果にはその時点の翻訳者(開発者、またはベンダー)の力が大きく反映されたものになる。前回の反省点を活かし、持てる力をすべて出し切ろうとして、モチベーション高く仕事に挑む。いったんリリースした内容は、しばらくの間その翻訳者の実力を判断する基準になる。そのあたりが、OSと同じではないかと思うのだ。

これに対して、実務翻訳で行う短めの仕事は、ある目的に応じて作る小さめのプログラムかもしれない。毎回異なる仕様書に応じて作業する。瞬発力とか、臨機応変な開発力とかが求められる。実務翻訳でも同じタイプの仕事を繰り返すことが多いから、その場合はアプリケーションのバージョンアップにたとえられるかもしれない。僕はこちらの仕事もとても好きだし、大切にしていきたいと思っている。

で、OSのように以前のバージョンの様々なフィードバックを反映し、新たなアイデアをたくさん盛り込み、満を持してリリースする製品が、かならずしも以前のバージョンと比べて優れたものになるかというと、そうでもない。前述したように、「やりすぎて」失敗することもあるのだ。ユーザーからは、「前のままでよかったのに」と言われてしまう。同じく翻訳だって、新しい本のなかで、以前よりもすべての面において優れた訳を毎回作れるわけではない。本人はいろいろと趣向を凝らしたつもりであっても、周りからは「前みたいな訳のほうがよかったのに」と思われてしまうこともあるわけだ。

それに、それがリリースされた時代に上手くフィットできるかどうかという点も重要だ。Windows 95はVistaと比べれば機能的にはかなり落ちるだろう。だが、95発売当時は基本的にみんなそれでハッピーだったのだ(そういえば、ブームに乗せられて、パソコンを持っていないのにWindows 95のCDを買った人もいた)。95には95の、XPにはXPの持ち味があって、それがその時代に持っていた有効性、良さは、永遠に消えることはない。ユーザーの各OSへの愛着も、OSが使われなくなったとしても、ずっと記憶のなかで生き続ける。少し例えがずれてしまうかもしれないけど、翻訳も同じだと思う。その本が出版されたときに、どれだけ時代が求める訳文が創れているか。あるいは、その翻訳者がその年齢のときにしか出せない力を出し切っているか。年齢を重ねることで、翻訳者は「巧く」はなっていくかもしれないけど、初期のころのけれん味のなさ、瑞々しさが失われていく可能性だってある。もちろん、年をとっても「瑞々しい訳」訳を意識的に作り上げることができるのが、本当の巧さなんだろうけど。

毎回ベストな力を発揮すること望ましいのは確かだ。けど、もしそれができないとしても、少なくとも長い目で見て、漸進的には成長していきたいと思う。巧くなることも必要だけど、大切なのは、時のユーザーが何を求めているのかに敏感になり、それに応じた仕事をすることなのであり、そのときの自分でしか達成できないベストを発揮することなのだ。工夫したつもりが、「いらぬ工夫」と言われることのないように。「重い」と言われることのないように。


翻訳者の「卵」

2009年02月17日 21時08分34秒 | Weblog
昨日深夜、実弟からメールが。件名:「初めて見た」。本文:「動いている春樹さん」

「動く春樹さん」は、カフカ賞の受賞のときの映像で見たことがあったので、今回のエルサレム賞の映像は2回目だった。ただ、どちらも英語のスピーチだったので、日本語をしゃべる「動く春樹さん」はまだ見たことがない。

あらためてしみじみとしてしまうのだけど、彼ももう還暦である。月日の経つのは恐ろしく速い。日本語をしゃべる動く彼を見ることがもしできたとしても、もはやそれは晩年の彼でしかない。「若き日の動いている彼」は一生見る機会がないのかも知れないのだ。ともかく、年齢を重ねた今だからこそ、彼も今回のようなアクションを起こせたのかも知れない。そしてだからこそ、僕たちは「動く彼」をようやく観ることができたのだ。

あっちを立てればこっちが立たない。それが今回の彼が置かれていた立場だろう。受賞を拒否することだってできたはずだが、結果として世界に平和的なメッセージを伝えることには成功したという意見もある。だが、賞を受けた時点で、イスラエルを政治的に肯定したことになるという厳しい見方もある。賞をもらっておきながらイスラエルに批判的なスピーチをすること、そもそも文学賞の受賞式で政治的なメッセージを発言することについての是非もあるだろう。

僕にはそうした様々な意見のなかで、特定のどれかのみに与することはできない。それぞれ一理あると思う。ただ、春樹さんは自分が「巻き込まれた」シチュエーションのなかで、最善とは断言できないまでも、かなりベターな言動をとったのではないだろうか。今回の彼を批判することはたやすいことだ。だが、そもそも彼にしたって、エルサレム賞の受賞は、よいニュースとよくないニュースが同時に飛び込んできたようなものだと思う。誰だって、彼の立場に置かれたら、相当に悩むと思う。外野は、外野だからこそ好きなことを言えるのだ。そのなかで彼なりに何らかの決断をしなければならなかった。それは彼が村上春樹であるから起こった出来事なのであり、彼が置かれたような状況にいきなり襲われるようなことない我々が、高みからああだこうだというのは無責任なことでもある。

本件を報じるニュースの中でも、ネットニュースという観点から見ると、ITmediaのそれが特によかった。記事にはリンクが張られ、スピーチの内容の翻訳を試みたブロガーのサイトにジャンプできるようになっている。オーセンティックさには欠けるかもしれないが、大手新聞のサイトがとおりいっぺんの報道しかしていないのに比べて(ていよくスピーチの内容を当たり障りなく小さくまとめている)、その気になれば読み手が情報を掘り下げられる点に好感をもった。英語の原文やブロガーによる訳文の全文を読むことができる。また、イスラエルの新聞の記事を参照することもできる。

ブロガーなる人々(しかし、ブロガーの定義ってなんだろう? ブログを書いている人はみんなブロガーなのか?)の翻訳の質には見るべきものがある。そもそも、こうして速報的な情報にすぐさま反応して訳文をサイトにアップするという行為自体は、むしろ本来、翻訳者が率先してやるべきことなのかもしれないのだから、翻訳プロパーではない人たちが早々に行動を起こしていることについては、自分も翻訳者である以上、多少後ろめたい気持ちになったりもする。

彼らの翻訳の質は決して悪くはない。むしろ、かなり良い方だと思う。部分的に見れば、プロと自称する人でもここまでできる人はそうそういないだろうというものもある。もちろん、翻訳慣れしていないだけに、慣れていればそうは訳さないだろうという点も散見されるが、プロではない彼らの訳文の一字一句をあげつらって、どうこうしようという気持ちにはならない。むしろそこからプロが学ぶべきは、彼らが翻訳が持つべき本来の役割――すなわち多くの人々が知りたがっている情報を、タイムリーに、原文の意味をできるだけ損なわないように、母語に変換すること――を、軽やかにやってみせたことだ。そういう意味では、彼らこそ真の翻訳者だと言ってもいい。彼らを見ていて思うのだが、そもそも私などが翻訳のプロと名乗るはおこがましい。実際は、翻訳を「専業としている」だけの話なのだ。

ブロガーの訳文から感じられる「ハルキ的なナイーブさ」には(僕自身もかなりかぶれていることは認めるとしても)、若干鼻白むものは感じるし、そう感じている人も多いかも知れない(それにそもそも春樹さんの今回のスピーチだって、かなりナイーブだったと言えなくもない)。だけど、「遠い」イスラエルの問題を身近に感じさせてくれたこと、そして個人的には翻訳が持つ本来の役割をあらためて考えされてくれたことについて、今回の春樹さんのスピーチに対してと同様、ブロガーたちにもに心から拍手を送りたい。

文責:「イ」

ゆでたまご先生とイワシ先生

2009年02月16日 22時11分07秒 | Weblog


さきほど、冷蔵庫を眺めていたら、卵が2個あまっていたので、茹でて食べました。ひとつは塩で、ひとつはそのまま食べました。家にはマヨネーズがないのです。

ところで、茹で卵を食べると、どうしても「筋肉マン」の作者のゆでたまご先生を思い浮かべてしまいます。「ゆでたま」先生と「ご」先生です。このふたりで、「ゆでたまご」と名乗っているわけです。

実は、「イワシ」もひとりではありません。「イ」先生と「ワシ」先生のふたりで、このブログを執筆しているのです。どうです、おどろきましたか? 今日これを書いているのは「ワシ」の方です。

「イ」先生の方はときどき暗くなったり必要以上にシリアスになったりします。妙にセンチメンタルになって自分に酔っていることもしばしばです。たまに短歌を作ったりします。最近は創作意欲が落ちているようですね。

そしてワシならぬ私、つまり「ワシ」先生の方は、かなりゆるい精神構造をしています。くだらないことばっかり書いてしまいます。妄想するのが好きです。人生をいかに無駄に過ごすかという点では、人後に落ちません。

なぜ今までこの事実を隠していたかというと、「ふたりもいるのに仕事は半人前だな」と人からいわれるのが嫌だったからです。実際、ふたりして一生懸命仕事をしているのですが、お互いが助け合うどころか足を引っ張り合い、効率がまったく上がりません。ときどき、相手の顔を見るのも嫌になるので、忙しいのに思わず息抜きに公園に走りに行ったりします。でもそろそろそんな風にばっかりもしていられないので、もうちょっとお互い仲良く、がんばって仕事をしようじゃないの、と先ほど「イ」先生と腹を割って話し合いまして、それで今、こうして皆様に驚愕の事実を公表しているというわけなのです。

というわけで、今、わたしがブログを書いている間にも、「イ」先生が着々と仕事を進めてくれています。どうです、すごいでしょう? これからは仕事がじゃんじゃん進むのではないでしょうか。

ところで、さっき食べた卵は賞味期限が少し切れていたのですが、大丈夫でしょうか? お腹の調子はわるくないのですが、なだか妙に脳みそがウズウズします。でも大丈夫、こんなときこそ、ふたりでひとりは心強い。「ワシ」がダメでも「イ」が代わりに仕事をしてくれるでしょう。よかったですね。それでは皆様、おやすみなさい。


夢のなかで

2009年02月15日 12時52分39秒 | Weblog
毎日毎日ほとんど独りっきりでアナのなかのムジナみたいな暮らしをしているのに、夢のなかでも独りということはほとんどない。毎回、これでもかっていうくらいたくさんの人がでてくる。新旧入り乱れて現れる実際の知人や、有名人や、僕が夢のなかで創造したと思われる人々。設定は、学校らしき場所、職場らしき場所、よくわからない場所、あるいはそられが混合しているような場所であることが多い。夢の内容は、もう勘弁してくれというくらい、決まって支離滅裂な展開だ。

人の夢の話なんて他人にとってはまったく面白くないものだとは思うけど、いかにわけのわからない夢を毎日のように見ているかということを示すために、昨夜の夢の内容を書いてみる。

***

舞台は、学校と職場の一体型だった。知ってる人も知らない人もたくさんいる。教室らしき場所で、みんな忙しそうにしている。僕は安藤優子さんらしき上司から急な仕事を依頼される。色つきの大きな画用紙に、文章を写し書きするのだ。マジックを手に取り、昼休みをつぶしてなんとかそれを仕上げる。クラスメートからも割り込みの仕事を依頼されて(学校なのになんで仕事をしているのだろうか)忙しくしていたらいつの間にか夕方になる。あわてて安藤さんに画用紙を提出したのだけど、これじゃダメと言われる。僕は字が上手くないから、人前に出せるようなものに仕上がっていなかったのだろう。自分でもこんなんでいいんだろうかって思ってたからしかたない。彼女は渋い顔をしている。タイプすればよかった。でも内心、こっちは昼休みまでつぶして頑張ったのに、人にいきなり仕事を頼んでおいてそんな顔しなくてもとちょっとむっとする。すかさず「パソコンで打ち直します」と申し出る。彼女は「そうしてちょうだい」といって、さっそうと外出の準備を始める。どこかで会食がありそうな雰囲気だ。彼女は僕に名札のようなものを渡して「残業するならこれをつけてね」という。何を書いてどこにつければいいのか、よくわからないので戸惑っていると「そんなことも知らないの?」と睨まれる。あわてて、クラスメートの方を向いて助け舟を求めると、クラスメートは自分の仕事に必死でこっちを向いてくれない。さっきまで彼の仕事を手伝ってあげてたのに、ひどい。なので僕は「知ってます」と嘘をついて名札に名前と適当な番号を書いてバッジで胸のところに留めた。すると安藤さんはそれでいいのよ、という表情を作ると、その場を立ち去った。なんで残業するときに番号をつけた名札をつけなくてはいけないのか。よくわからない。なんだか監獄にいるみたいだ。よくわからないな~と思いながら、仕事を再開する。

***

と、こんな風にわけのわからない話が、延々と続く。夢疲れしてしまうのか、朝起きると、ちょっとぐったりしていることも多い。夢の中で僕はいつものように狼狽しているが、昨夜のはかなりマシな方で、もっと追い詰められていたり、もっと悲惨な目にあっていたりする。ともかく、これだけ独りでいることが多い僕の夢のなかに、毎回こんなにたくさん人が出てくるっていうのは、やっぱり人間は他者との関係性のなかでしか存在できないものなのかな、と思う。最近あまりに忙しくて生活リズムが乱れているので、来週からは立て直して、すっきりいい夢を見れるようにしたい。追い詰められたり、悲しんだり、後悔したりしないように。夢のなかの住人のみなさん、どうかよろしく!




え? こんなところにコジマが...

2009年02月14日 17時37分03秒 | Weblog
いつものジョギングコースを走っていて、ふと、石川島播磨重工業の田無工場跡地の方を見ると、遠くにある建設中の大きな建物の頭に「コジマ電気」の看板が見えた。ちょっとびっくりした。跡地にはマンションだけを建設するのだと思っていたから、他の建物が作られるなんて想像もしていなかったのだ。帰ってからネットで調べてみると「コジマ」だけではなく「サミット」も建設されるらしい。

びっくりしたのは僕がそれを知らなかっただけなので、知っていた人には当然のことなのだろうけど、その巨大なコジマが、なんだか突然出現した一夜城のように見えて、ちょっと恐ろしい。これが戦国時代なら、イワシ軍は相当に大きな心理的なショックを受けていることだろう。

というわけで、こんな風に人生にはハプニングがいろいろ起きるわけだけど、それをすぐに受け入れてしまうのも人生。明日からは、コジマの看板が遠くに見えるのを当たり前のようにして、僕はジョギングをしているにちがいない。

ともかく、コジマが完成したら、これからはそこでパソコン関係の商品をいろいろと購入しようっと。そして仕事を頑張って、幅広く活躍して、たとえば、意外な内容の訳書を意外な出版社から出してもらって、ある日誰かに書店とかネットとかで僕の名前を見つけてもらって「え?こんなところにコジマが...」って思われるようになろう(僕の名字は「コジマ」なのです)。最初は驚かれるだろうけど、次の日からは僕がそこにいるのは当たり前になっているはずだ。人生とはそういうものなのだ。