イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 7

2008年06月29日 23時46分51秒 | 旅行記
 それでも僕はかつての忠実な外野手としてのささやかな誇りを忠実にトランクの底につめ、港の石段に腰を下ろし、空白の水平線上にいつか姿を現すかもしれな韓国行きのスロウ・ボートを待とう。そして韓国の街の光り輝く屋根を想い、その緑なす草原を想おう。
 だからもう何も恐れるまい。クリーン・アップが内角のシュートを恐れぬように、革命家が絞首台を恐れぬように。もしそれが本当にかなうものなら......
 友よ、
 友よ、韓国はあまりにも遠い。

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外国にくると、そこを訪れることがあらかじめ決められていたような、宿命に似た不思議な感覚に包まれることもあるし、来るべきではない場所に間違って来てしまったような、自分のいる場所ではないところに突然放り出されてしまったような、茫漠とした違和感につきまとわれることもある。いったん彼の地に足を踏み入れてしまえば、ここに来ることは天のめぐり合わせだったのだと、後づけで自分を納得させることもできる。だけどやっぱり強烈な異質が迫ってきて、あまりにもすべてが違いすぎて、めまいがしそうにもなる。銀河鉄道に乗って、別な惑星に降り立ったみたいな気持ちがする。

姿を現すことはないと思っていたスロウ・ボートに乗って、ソウルに来てしまった――。

それにしても、僕は韓国のことを知らなさすぎる。路地をしばらく彷徨い歩いて、この国を形作っているものの基礎の基礎、土や石、原料のようなものを目の当たりにし、体で感じたような気がして、頭の芯からしびれてしまった。本当に面白い。

でも、そろそろ戻らなければ、と思って街の方を目指してしばらく進むと、本が、露店形式で売られていた。バーゲンのようだ。思わず本の虫の血が騒ぎ、群がる人の波に身を投じて、本を物色する。ブックハンターとしての本能が目覚める。ヲイヲイ、ハングル読めないッつーの。よく見ると、英語の本もごくわずか売っていた。なので、Esquire誌を一冊購入した。6000ウォン。高い! いや、ウォンは円の10倍くらいの相場なので、日本円の感覚だと、600円くらいか。それでも、韓国の物価にしては、そこそこ高い。レジでは、韓国人と間違われて韓国語で話しかけられる。I cannot speak Korean, I am sorry! で、よく見ると、そこは『KYOBO BOOK CENTER』という大きな書店の真ん前だった。ヤッタ!! 灯台下暗し。これはチャンスとばかり、吸い込まれるように中に入る。キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!! 相当に大きい!! 本もものすごくたくさんある。おそらく数十万冊はあるだろう。面白いのは、本の多くが棚ではなく台の上に平積みされていること。日本の書店だと、基本的にスペースを埋めているのは本棚で、その少し手前に平積みのスペースがある、という感じだけど、ここでは棚のない普通の「ザ・台」みたいな台の上に、本が平積みされている。なぜかは分からないけど、これも文化的な差異なんでしょうね。街を歩いていて、あまり小規模の書店は見かけなかったので、韓国の出版文化にやや不安を感じていたのだけど、どうしてどうしてこれほどの大書店があり、これだけ多数の書籍が出版されているのである。ハングルはまったくわからないので本の内容もほとんど推測するしかないのだけど、ちょっとびっくりするくらい本の数が多く、そして、翻訳本もかなりたくさんあるような気がした。印刷も綺麗だし、装丁にも工夫がこらされている。韓国にも翻訳を生業とする、翻訳LOVEな人たちがたくさんいるのですね。母国語をしゃべる人口が少ない国というのは、翻訳文化も活発になるものなのである(ような気がする)。

 韓国の本屋にいったら、やってみたいことがあった。それは、僕が翻訳をさせていただいたことがある書籍の、韓国語版を探してみることだ。『Head Rush Ajax』を探してみた。これなら、英語でもタイトルが書かれているはずだから、ハングルが読めなくてもわかるに違いない。あ、『Head Rush Ajax』あった、アッター!!!━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━!!!! たしかにハングルで訳されている(当たり前だ)。でもなぜかびっくり。おお、兄弟。翻訳したのが誰かはわからないけど、ともかく、お前もこれ苦労しながら訳したんだね(涙)。俺とお前は、義兄弟だね。酒でも呑もうよ、兄弟!

 Foreign Booksのコーナーがあって、英語の本がかなり充実していた。そこで、Facts about Korea という本を買った。韓国の文化、社会、歴史などについて様々なことが書かれてある。わずかしかここには滞在しないけど、少しでも勉強しておきたい。もっとこの国のことを知りたい。殊勝にもそんなことを思ってしまったのだった。もちろん、『地球の歩き方』は持ってきていましたが。

ハングルの訳本手にとりああ兄弟お前も苦労したんだね(涙)

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 6

2008年06月26日 23時41分20秒 | 旅行記
ずいぶんと遠くまできてしまった。繁華街からもかなり離れている。街並みも落ち着いた感じになってきた。小さな店が居並ぶ通りと一本外して脇道に入ると、それだけでガラッと趣が変わる。ひっそりとした時間の流れ。さらにそこから静かな、地味な方をめがけて歩く。民家の間を縫うようにして続く路地。勾配の多い、石畳の路。

玄関口や店先には、年配の方々が座っている。女性たちは、しゃがむような姿勢で座り、壁や背もたれによりかかっている。日本だったら「女の子なのに行儀悪い」と怒られてしまいそうな座り方だけど、ここではそうではないのだろう。それに、なんといっても楽そうだ。かなり年のいったハルモニが、家の前面にある縁側のようなところにいて、少しうつろな目をしながらも、堂々と座っている。隣では、大人たちが大声で忙しく会話し、子供たちがキャーキャー言いながら楽しそうに走り回っている。

路地には、本当のソウルがある――そんな気がして、本物に触れているような思いがして、ゾクゾクする。街並みは、本当にエキゾチックで美しかった。綺麗な韓国式の民家はもちろん、廃屋のようになっている建物にすら味があって、強烈にひきつけられる。どこでもない場所、なんでもない家、ガイドブックではマークされていない路地。そんなもののなかにこそ、本当の異国があるのだろう。細い路地を行く。道が枝分かれしている。どちらに進もうか。人が一人通れるような狭さの、坂を上るように続く路地を見上げると、十メートルほど先にハルモニが座っているのが見えた。彼女は、見るともなしにこっちを眺めている。目が合う。なんとなくそっちに行くのがためらわれて、別な方角に進んだ。

今日の午前中は日本にいたのに、午後にはこうしてひっそりとしたソウルの路地を彷徨っている。不思議だ。道行く人たちは、僕のことを外国人だと思うのだろうか? 日本人だと思うのだろうか? 見つめられるとちょっと恥ずかしく、目もくれずにすれ違う人がいれば、少しほっとする。

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 5

2008年06月24日 22時05分56秒 | 旅行記
韓国には自動販売機が少ない。コンビニも日本ほど多くはない。コンビニは日本のチェーン店のものも、地元のものもあったけど、店の規模が小さいようだ。韓国のコンビニは、日本みたいに「とりあえず生活に必要なものはほぼひととおり揃う」というコンセプトに基づいているのではないような気がする。どちらかと言えば、キオスクに近い。

そして、路上のあちこちに、キオスク(他に呼び方があるのだろうか?)がある。日本では駅で見かけるあのキオスクが、歩道上にたくさんある。下手をすると、日本の自販機と同じくらいたくさんある。品数は、日本の駅のキオスクに比べると、だいぶ少ない。なんというか、キオスクというよりも、むしろ「よろず屋」かもしれない。売っているのは、新聞、雑誌、飲み物、お菓子、煙草、小物など。キオスクの前面が屋台のようになっていて、ホットプレートなどの調理器具が備わっているタイプのもの多い。そこで、プルコギとか、ゲソとか、ソーセージとかの鉄板モノや煮込みモノの作りたてを、オモニやおっさんが調理して売っているのだ。コンビニのおでんみたいなものか。あるいは、果物を切って食べやすくしたものを売っていたりする。メロンとか、スイカとか、パイナップルとか。これがまた美味しい。面白かったのは、ほどんどの店がミネラルウォーターを氷らせて売っていたこと。冷えているのは嬉しいけど、何も氷らせなくてもいいのに...。溶けるまで、飲めない。

僕はキオスクが大好きだ。僕が「買うもの」といえば、飲み物、食べ物、読み物がほとんどだ。そのほとんどのニーズを満たしてくれるのが、キオスクなのだ。読み物がやたらと大きな顔しているところが、読み物好きにはたまらない。最近、雑誌はあまり読まなくなったけど、昔は、片っ端からキオスクの雑誌を買っては読んでいた。今でも、時間とお金があればキオスクで売ってる雑誌全部買って読みたいといつも思う。駅にいくと、キオスクの前でついついうっとりしてしまうのである。

キオスクは、人間の欲望を具現化した小型の宇宙船のようだ。キオスクにあるのは、「人間がいきるために必要なもの」というよりも、「人間がいきるために必要なものをそれなりに満たしたとき、次にほしくなるもの」という気がする。キオスクにあるのは、つまり、ぶっちゃけあってもなくてもいいものかもしれない。しかし、だからこそキオスクには夢が詰まっている。リッチネスがあふれている。あのコンパクトなボディにぎっしりと詰め込まれた商品群。そして、キオスクは速い。値段を完璧に把握している店員が、将棋の多面差しのように、次から次へと客をさばいていく。

ここ韓国では、キオスクは駅だけではなく、路上にあふれている。中にいるのはおっさんもいるけど、ほとんどはおばさん。オモニとか、ハルモニと呼ばれる人たちだ。たくさんのオモニが、まるでお地蔵さんみたいに、道端に鎮座して商売をしている。自販機が少ないのは、コンビニがあまり目立たないのは、このオモニたちが頑張っているからだ。そういうわけで、このキオスクのことを僕は勝手に「オモビニ」と名づけたのだった。

オモビニにもいろいろと特徴というか個性があって、調理した食べ物を前面的にフィーチャーしているものもあれば、食べ物は扱っていないタイプものもある。煙草とか、読み物とか、何かが特別に充実しているパターンもあるし、とにかく、店によってそのパターンが無限なのだ。売っている品自体はどこでも似たりよったりなのなのだけど、その組み合わせの妙があってとても面白く、見ていて飽きない。まるで、形は似ているけどひとつとして同じ模様をしていない貝殻みたいだ。おそらく、隣のキオスクが食べ物系だから、うちは煙草で勝負しようとか、調理するのメンドクサイから雑誌で勝負しようとか(中にテレビを置いてじっと観てるオモニも結構いた、一日中テレビを観てて、お金も稼げるんだから、いい商売かもしれない)。訊いてみたわけじゃないけど、それぞれに思惑があるのだろう。ともかく、すっかりオモビニが気に入った僕は、前をとおりかかるたびに、じろじろと観察してしまった。ビールも買ったし、英字新聞も買った。串モノも買って食べてみた。ちなみに、キオスクのように固定式の店ばかりではなくて、移動式の屋台もたくさんある。屋台では、やはり食べ物が中心だ。キオスクの隣に屋台があって、タッグを組むように商売をしているところもある。

韓国のサラリーマンはたぶん、朝、キオスクで新聞とタバコを買う。昼間、喉が渇いたら飲み物を買う。老いも若きも、キオスクを活用している。チョコレートを買う。ソーセージを立ち食いする。ビールを飲む。隣の屋台で一杯飲む。そんな具合だ。

オモニたちはとても元気で、威勢がいい。品物の値段を聞くと、一生懸命に教えてくれる。食べ物を頼むと、嬉しそうに手渡してくれる。世話焼きな人が多いのだ。キオスクの中にいるオモニはまるでモビルスーツをコックピットから操っている戦士のようにも思える。オモニという韓国のコアな部分が、むき出しになって街にあふれている。オモニという日常が、突然路上に出現する。まるで、寺山修司の実験映画のようだ。そのオモニたちを、個性的なキオスクが貝殻のように覆っているのだった。

喉が渇いたので、オモビニで缶ビールを買い、歩きながら飲んだ(アル中ですな...)。ひたすらに歩を進めていたら、いつしか繁華街から離れ、住宅街に足を踏み入れていた。ここは、どこだろう.......?





マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 4

2008年06月22日 22時58分51秒 | 旅行記
ソウル駅に出た。駅舎は新しく、躍進する韓国経済を象徴するかのように、巨大で、デザインも洗練されている。まるで空港のようだ。隣の旧駅舎も歴史を感じさせる趣のある建物で、なんともいえない雰囲気がある。駅前はかなりスペースがあり、広場のようになっている。

どこからともなく、ラテンな民族音楽が聴こえてきた。見ると、中南米系のバンドが路上で演奏をしている。日本でもよく見かける光景だ(小金井公園でも、イベント時などに彼らそっくりな人たちがアンデス風の曲を演奏している。ひょっとして、同じバンドがソウルまで営業しにきているのか?)。バンドの周りに集まっている観客は、なぜかおっさんが多い。そのラテンバンドと微妙な距離感を保ちながらも、気持ちよさそうに、あるいはものめずらしそうに、メロディに聴き入っている。くわえタバコの人たちも多い。これが東京の都心とかだと、おっさんたちは、忙しく歩いていた足をつい止めて、二、三曲バンドの演奏に聴き入いると、また現実の島耕作的なサラリーマン世界に戻るために足早に去っていく、という風になるのかもしれない。だけど、土曜日ということもあるのだろう、この駅前にいるオッサンたちはどこかのんびりとしている。別に、このバンドがいなくても、この駅前のあたりをブラブラしていた人たちという気がする。

着ている服も、黒とか茶とかの地味目の色が多くて、なんとなくかつては昭和のプロレス会場にたくさんいた「普段は真面目に働いてるんだけど、休日は特にやることもなくて割とヒマなお父さん」みたいなノリを感じる。そういう昭和なお父さんは、土日になるとありあまる時間と調和するようにスローに行動していたような気がする。釣りにいったり、パチンコしたり、盆栽したり、将棋を指したり、テレビで『笑点』を見たり。そしてお父さんたちは、たまに地元にプロレスが巡業しにくると、そそくさと出かけていき、地味なスラックスととっくりのセーターなんか着て、腕組みして真面目な顔をして猪木とか坂口とか小林とかの正統派ストロングスタイルな試合を観戦していたものなのである。このソウルのおっさんたちにも、同じ匂いを感じる。ヒマなら、パチンコでもやってそうな雰囲気。そういえば、韓国にはパチンコ屋がない。以前はあったものが現在は法律で禁止されているのだそうだ。

ともかく、ヒマそうなおっさんたちがいる。そして、ソウルの駅前には、あるいはソウルの街全体には、そんなおっさんたちがウロウロできるスペースとゆったりした時間の流れがある。そこに生きている人たちの、受け皿がちゃんとある。そんな気がしたのだった。

駅の構内を歩くと、軍服を着た若者が多くいた。兵役に服している人たちなのだろう。この駅から電車にのれば、ソウル以外の都市や地方に行くことが可能だ。もう一度韓国を訪れて、ソウル以外の街を散策してみたい。そんな日が来るといいな、と思った。

駅の隣にある、ロッテマートという大型スーパーマーケットを覗いてみることにした。最大規模のイトーヨーカドーといったところか。欧米のスーパーのようなダイナミックな雰囲気も併せ持っているけど、生鮮食品の豊富さとか、随所にある試食コーナーとか、細やかなレイアウトなんかは、やはり日本と感性が近いものを感じる。スーパーの品物を見て回るのがとても好きなので、ぐるぐると特に買うものもないのに歩き続ける。面白い。魚は、日本で売っているものととても種類が似ている。キムチはさすがに種類が豊富だ。調味料もかなりバラエティが豊富だ。日本の食材もたくさん売られていた。お菓子とかビールなんかは、人気があるようだ。確かに、日本ほど手を変え品を変えしてこれらの新商品を市場に投入している国もないのかもしれない。ちなみに、韓国産ビールの銘柄は、僕の見る限り、CASS、HITE、OBの3つがメジャーらしい。日本ではあまりお目にかからないような気がするが、どれも美味しかった。

店内のフードコートでトッポギを食べ、お菓子とか、韓国のりとか、ビールとか、ホテル用の食材を少々買う。もう、3時間近く歩き続けていた。少々疲れたので、ヨメはホテルに戻るという。僕はまだ歩き足りないので、一人で歩き続けることにしたのだが、とりあえず、ヨメと一緒にタクシーでホテルまで戻ることにした。駅の裏のタクシー乗り場にいくと、六十代と思わしき運転手さんが車の外でタバコを吸っていた。僕たちが日本人だと分かると、足でタバコをもみ消し、片言の日本語で話しかけてきてくれた。「ロッテデパートの近く? OK」とおっさんは少し嬉しそうに言うと、車を走らせ始めた。

道すがら、運転手のおっさんはあちこちを指差しながら、「あれはソウル駅」、「あれは南大門(南大門は焼失事件の後、四方が壁で覆われていて、その壁に元の門の姿がほぼ同じ大きさで描かれている)」、「あれは韓国銀行」、と教えてくれる。ただ、単語以上のことを説明しようとすると上手言葉がでてこないようで、もどかしそうに何かを言いかけては、韓国語で続きをしゃべってくれる。それでも、少しでも日本語で何かを伝えようとしてくれただけでも十分だ。彼の気持ちが感じられるから、それだけでうれしい。こっちも韓国語がしゃべれたら、もっといろいろと話せるのに。片言とはいえ、地元の人と言葉を交わすと、外国に来た実感が沸き、急にその国を身近に感じる。そしてこのときは、おっさんの口から聞こえてきた日本語に、韓国と日本の歴史が、ずっしりとした手ごたえとともに、ぐっとこちらに迫ってきたような気がした。

彼がどこで日本語を覚えたか、どういう心境で日本語を日本人に対して使ってくれているのか。彼個人が体験してきた歴史、日本人に対する感情の複雑さ、それらは、決して軽はずみに僕などが理解できると思ってしまえる類のものではないはずだ。彼と僕とでは、生きてきた時代の厳しさが違いすぎる。救いなのは、少なくともこの目に映っているこの体躯のいいおじさんが、今この瞬間、人が良くて、サービス精神があって、知っている外国語をしゃべるのが楽しくて、という人であることが、嘘ではないということが直感としてわかることだ。その背後に、とてつもなく大きなものが隠されていようとも。タクシーはホテルに着いた。おっさん、カニサムニダ。おつりはいらないです、と言ったら、嬉しそうに、恥ずかしそうにおっさんは笑った。

ヨメはホテルで少し寝るという。まだ五時。晩御飯までに戻ってくると約束し、僕は一人でソウル散策を続けることにした。

ドライバーの片言途切れ日暮れゆくソウルの街をタクシーは行き

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昨日はあさま組の勉強会でした。夏目さんに最新訳書『知をみがく言葉』をいただきました。先生、ありがとうございました!

帰り道、中野で降りて、ブロードウェイに行き、以下を購入。ひさびさに手ごたえを感じる充実のセレクション。さすがブロードウェイ。

『黒猫・黄金虫』ポー著/佐々木直次郎訳
『地底旅行』ヴェルヌ著/石川湧訳
『むさし走査線』かんべむさし
『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』トーマス・マン著/高橋義孝訳
『本業』水道橋博士
『えっ、これを食わずに生きてたの?』寺門ジモン
『猿を探しに』柴田元幸
『中原中也詩集』大岡昇平編



マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 3

2008年06月21日 11時12分42秒 | 旅行記
街を行くと、思った以上に日本語の文字が多く眼に入ってきて、驚く。店の看板や商品説明の写真に、ハングルや英語と並んで日本語が表記されている。観光客の多いエリアに限ったことなのだろうは思うけど、意外に感じてしまう。日本食のレストランの看板も多い。寿司、フグ料理、とんかつ(なぜかやたらと多い。たしかにとんかつは韓国にとって盲点だったのかもしれない)、しゃぶしゃぶ、たこ焼きやなど。ラーメン屋はあまりない。微妙におかしな日本語も散見される。しゃぶしゃぶを『しぶやしぶや』と表記している看板もあった。だけど、笑えない。日本に氾濫している英語を始めとする外国語の表記だって、似たようなものだと思うからだ。日本にきた外国人は、きっとおかしな英語の嵐にさらされて、外国語表記をしてくれる親切さ(商魂?)をありがたく思うと同時に、笑うに笑えない、妙な疎外感も味わっているのだろう。

とはいっても日本語が使われている比率はかなり小さく、たいていはハングルだけで、たまに英語が併記されている、といった具合だ。ハングルがまったく読めないだけに、英語のアルファベットがあると助かる。ちょっと話はずれるけど、日本のテレビとか雑誌とかで、よくいたずらに人の名前とかをローマ字表記にしたりすることがあるけど、普段はそういう「英語アルファベットを使えばとりあえず、なんとなくかっこいいかも」みたいな安直な文字の用いられ方をみるにつけ、なんでいちいちローマ字にするのか、と心のなかでツッコミを入れていたりするのだけど(そういう単なるかっこつけローマ字が実際に誰かの役に立つかどうかは別として)、案外日本語が読めない人にとっては、英語あるいは日本語のローマ字表記というのは便利なものなのだな、ということが実感できた。

たとえば、ソウルの街を歩いていて、ビルや建物を見る。表札の多くは、ハングルだけだ。レストランとか商店なら、文字がわからなくても外観でそれがどんな店なのかを判断することができることが多いけど、見た目ではこれといった特徴がない建物の場合は、それを利用しているのがどんな人や会社や団体なのかということが、まったくわからない。これはけっこう不気味なものである。その表札が意味しているのは「○×地区商工会議所」なのかもしれないし、「ソウル翻訳連盟」なのかもしれないし、「ジャッキー・チェーン・ファンクラブ・ソウル支部」なのかもしれないのだ。

もちろん、だからといってこの状況が嫌というわけではない。ハングルが読めないのは僕の非でもあるし、そもそも、こうしたギャップがあるからこそ、海外旅行は楽しいのだ。それに、ハングルのフォントは美しい。当たり前だけど、韓国の街の、韓国の建物のなかにあると、よけいに美しい。ハングルの美しさは、機能美でもあり、雑味のないシンプルな美しさのようでもあり、どこか古代文明を思わせるその記号的な象形が、なんともいえず街と人と見事に調和していて、しばしば見とれてしまいそうになったのであった。

言葉が通じないのは不便だ。だけど、わざわざ外国まできて、日本語の看板のある店に飛びつき、店員には日本語で話しかけられ、日本語のメニューを見せられ、隣の席に座っているのも日本人観光客で、とやっていたら、なんだか海外旅行をした楽しみが半減してしまうと思ってしまう。必死に日本語を覚えて話しかけてくれる韓国の人の努力には頭が下がるし、嬉しさも感じるのだけれど、旅の始めから終わりまでそれじゃあ、つまらない。圧倒的なディスコミュニケーションを味わうのも、海外の醍醐味だ。推理を働かせたり(とりあえずメニューにある項目を指差して注文してみよう)、ボディランゲージを使ったり、相手が何いっているかはわからないけど笑顔で頷いたり(痛い目に会うこともあるけど)、そういったスリリングな展開があってこそ、海外じゃないか(といいつつ、こういうもっともらしいことを言ってる僕みたいな奴に限って、あっさり「転ぶ」という気がしないでもないが.......)。

歩いても歩いてもハングルの海。興奮はとまらず、僕たちはひたすら興味の赴くままに、真夏日を思わせるソウルの街並みのなか、歩を進めていったのだった。

ハングルは読めずそれでも目に入る日本語に「余計なお世話はいらないぜ」とゴチり

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 2

2008年06月20日 08時04分42秒 | 旅行記
ホテルに着く。事前情報によるとホテルのフロントでは日本語がよく通じるということだったのだが、実際、受付にいた人たちはとても日本語が上手だった。そして他の外国人と話しているときの英語も見事だった。さらに応対もとてもさわやかだった。施設も部屋も新しくてシンプルでこざっぱりしていて気持ちよい。いいホテルじゃないですか。ヨメによるとこのホテルはネット上でのユーザーの評価がかなり高いところなのだというが(高級ホテルというわけではないのだが)、それも頷ける。まだ午後の二時前。さっそく張り切って外を探検してみることにする。天気もいい。真夏日だ。

外に出る。さあソウルよ、こんにちは。これまでの海外とは違う。日本人と韓国人は、とてもよく似ている。ひょっとしたら、街を行く人たちは僕たちのことを韓国人だと思うかもしれない。黙っていれば、おそらくわからないだろう。その分、僕たちもまたここに住む人の目線で、街を感じることができるかもしれない。そんな淡い期待が脳裏を掠める。それでも、僕たちは、やっぱり観光客然としているのだろうか、それとも、浮くことなく、上手くこの街に溶け込めるのだろうか。そう思って歩き始めた瞬間。カバン屋のオッサンが僕たちを見つけるや否や、「カバンありますよ」と声をかけてきた。やっぱり日本人だということはわかってしまうらしい。それにしても、入国初日に、ホテルを出て10メートルのところで、いきなりカバンなんか買うもんか(^^) 悪いけどしらんぷりして通り過ぎる。

さて、ソウルの街並みは? 当たり前といえば当たり前なのだけど、思っていた以上にそこは「外国」だった。バンコクのようでもあり、ニューヨークのようでもあり、サイパンのようでもあり、これまで訪れたことのある外国の風景と共通するものがたくさんあるような気がする。商店の格子状のシャッター、バス停の構造、荒っぽく行き交う自動車、看板の文字、建物の造り、微妙にやる気がなさそうなコンビニ、生ゴミ、椰子の木。そして、路上のキオスク。たぶんこれは僕が日本人だから思うのだろうけど、日本と日本以外の国は、何かが違う。このインターナショナルな雰囲気、このガイコクっぽさ。このワイルドネス。なんだろう? 街を構成するパーツには、世界共通のコードみたいなものがあって、日本だけはそれに微妙に準拠していない、そんな気すらする。だけどたぶんそれは錯覚だ。他の国の人たちも、自国以外の国に共通して感じる「ガイコク」を持っているに違いない。東京に着いて、わあ、ガイコクにキタ! と感じているに違いないのだ。

市街地中心部は、これでもかというくらいの店と屋台が軒を連ねていて、人々の凄まじいエネルギーに圧倒される。特に、南大門市場は強烈だった。衣料品、食料、金物、玩具、などなど。ありとあらゆるものが、売られている。売り口上をまくしたてるオヤジには圧倒的な迫力がある。まさに、延々と続くアメ横だ。人間のいるところ、マーケットあり。アジア人のいるところ、カオスあり。人間の始原のエネルギーがヒシヒシと伝わってくる。人々は、決して裕福ではないだろう。しかし、ここにはモノと人とカネが溢れている。今日を生きることへの飽くなき意欲に満ち溢れている。なぜだか、懐かしい。自分のルーツがここにあるわけじゃない。だけどおそらく、自分を含めた「ヒト」のルーツはここにある。ヒトがヒトたるゆえんは、マーケットを持ちえたことにもあるのだろう。小さな頃によく連れて行ってもらった夜市の雰囲気にも似ている。それに韓国は、僕たちに懐かしさに近い感じさせる何かで溢れている。韓国は僕たちの祖先であり、お兄さんであり、弟であり、親友であり、悪友であり、未来であり、過去でもある。それにしても、旅の初日に感じる興奮というのは格別だ。ただただ、何もかもが違うことに驚き、喜び、意表をつかれ、笑いがこみ上げてくる。

原初、世界はアメ横だった――、そんな思いを抱きながら、僕たちはどんどんと前に進んでいったのだった。歩くほどに、この街に馴染むことができると信じつつ。

旅の初日練り歩く午後の市場にはあるはずもなき郷愁が溢れ

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 1

2008年06月17日 09時03分40秒 | 旅行記
時計の針は、もうすぐ午後七時を示そうとしていた。それでもまだ、外は昼間を思わせるように明るかった。二時からこの街を歩き始めて、もう五時間近く。歩いても歩いても、興奮は止むことがない。見知らぬ風景に刺激され、新たな風景を求めて足は前に進んでいく。もう何キロ歩いたのだろう。普通なら、ここらで僕にとってのソウルフードでも食べたくなるところだ。ラーメン、牛丼、カレー。でも、それらの店にはまったくお目にかかれない。そのかわりに、ここは別の「ソウルフード」に満ち溢れている。トッポギ、プルコギ、焼肉屋、居並ぶ屋台とキオスク――そう、ここは日本ではなく、韓国、東京ではなく、ソウルなのだ。

六月一四日、土曜日。羽田を朝9時台に出発した飛行機は、二時間後にはソウルの金浦空港に着陸していた。近いとは知っていたけど、実際に飛行機に乗ってみると、やっぱり近い。寄り道したり、中央線がちょっと遅れでもしたら、会社から家までドアツードアで二時間かかるなんてことはザラだ。つまり、二時間の移動なんて日常生活の範囲内だ。こんな近いところに、韓国はあった。会社出て、新宿まで歩いて、ブックオフに寄って、中央線が遅れて、家についたらそこはソウルだった。そんな気分だ。入国手続きを済ませて、ソウル市の中心にある明洞へと地下鉄で向かう。

つくづく自分でもアホやなと思うのだけど、外国に行くといつも一番驚くことは、そこに現地の人たちが住んでおり、現地の言葉が使われていることだ。今回の場合でいえば、韓国の人たちがたくさんいて、みんな韓国語を喋っている。今回も、それが旅の最初から最後を通じて感じる最大の驚きであり、異文化であり、面白さになるのだろう。地下鉄の車両のなかは広々としている。周りは韓国人ばっかりだ(当たり前だ)。もちろん、韓国人にはこれまでたくさんあったことがある。職場で一緒に働いたこともある。だから、ある程度韓国には免疫があるつもりだった。だけど、さすがにこれだけたくさんの韓国人のなかに紛れていると、緊張感を感じる。

ハングルが読めない――読めるとは思っていなかったが、あらためてハングルが読めないことの衝撃を感じる。つまり、標識とか看板とか、英語表記されていないものは、まったく意味がわからない。これまで海外に行っても、英語圏とか、中国語圏が多かったので、多少なりともその意味を理解することはできた。それが、今回は通用しない。ロスト・イン・トランスレーション。韓国は常に僕の身近にある。文化的にもとても似ている、ここは隣の国だ。だけど、実は一番の異国なのかもしれない。そんな予感を感じながら、僕とヨメはホテルへと向かったのだった。

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その6

2008年06月13日 08時49分27秒 | 旅行記
トンネルを抜けると、そこは八重洲口だった。――そう、東京に戻ってきたのだ。不思議なことに、京都に戻ったときに感じたあの懐かしさと同じものを、この東京にも感じる。七年も住んでいれば、ここもまた僕にとって第二の故郷の一つになっているのだろう。それを実感する。ちょっと嬉しく、ほっとする。僕のようなよそ者が、デラシネが、普通の顔をして生きていける街。今日からまた、ここで新しい日々が始まる。

ふいに、ラーメンが食べたくなった。そういえば、東京駅にはラーメンのテーマパークっぽいのあったんじゃなかったけ? どこらへんやったかな? そう思って改札口の脇にいる駅員に訊ねてみたら、こっちが質問を言い終わらないうちに、苦虫を噛み潰したような顔をして「それは今、工事中です」と泣きそうな声で言われた。ヲイヲイ、これが東京か。そうだった。前もここでラーメンパークを探したことがあった。大事なことをすぐに忘れてしまう。

しょうがない。でも、せっかくだからちょっとブラブラするか。駅地下の商店街の案内図を見ていたら、面白そうな古本屋があったのでそこに行くことにした。雰囲気があっていいお店だった。いろいろ迷ったあげく、一冊購入。

『八つ墓村』横溝正史

帰省明けの一冊としては相応しいのかどうかよくわからないけど、まあいいか。中央線に乗る。僕にとって中央線は、文字通り東京の、いや日本の中央を走る列車だ。iPodからは、『未来世紀ブラジル』のサントラの一曲、『Days and Nights in Kyoto』が聴こえてくる。七年前に東京に出てきたとき、心細くて不安で、それでも希望があって、若くて、夢があった。そんな気持ちが蘇ってきた。それから、いろいろな出来事があった。そして今もまだここにいる。もうあの頃には戻れない。もうあの場所にも戻れない。ただ肩肘を張らずに、前に進んでいこう。これから人生はあらたな局面を見せ始めるだろう。おそらくは死ぬまで、新たな経験は続いていく。いつか息絶えることすらも、初めての経験になるはずなのだから。悲しみも苦しみもたくさんあるだろう、だけど、新鮮な驚きや、喜びに満ちた瞬間もきっといくつもあるに違いない。そんなことを考えているうちに、吉祥寺が近づいてきた。やっぱりここは、行っときますか......。麗しのブックオフ吉祥寺店が、僕を待っている。電車を降り、見慣れた改札を抜け、衝動的に一風堂でラーメン食べ、僕は、黄色い看板のあるあの店に向かった。



―連載完―

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その5

2008年06月10日 07時11分26秒 | 旅行記
久しぶりの京都市営地下鉄に乗り、四条駅で降りた。京都の地下鉄の路線は、七年前の当時に比べてずいぶんと拡張されている。昔は南北に一本、まっすぐに走っているイメージだったのだけど、横にも通るようになり、そこから先にもいくつか枝分かれしている。この地下鉄にのれば、簡単に市内各地とその近辺を見て回れるだろう。近い将来、数ヶ月京都に滞在して、翻訳プラス京都散策の日々をやってみたいという思いがますます募る。烏丸四条から河原町四条の間には、アーケードがあって、雨や夏の日差しを防いでくれる。その日も太陽の光はとても強かったのだけど、アーケードの下にいるから日よけになる。なんだかその光景がとても懐かしかった。ちなみに、四条通やその界隈を歩く人たちは、実は回遊魚みたいに同じところをグルグル回っていたりする。知り合いにばったり出会って、そのしばらく後でまた同じ人に出くわす、なんてことも結構あるのだ(妙にばつが悪い)。なんだか、じっさいよりも人数を多く見せるためにカメラの前を行ったり来たりしている映画のエキストラみたいだと思う。

どこに行くかはまったく決めていない。ただ、京都の街並みが見たい。母親は大丸デパートの和食器売り場でずっと働いていた。もう辞めて何年か経つけど、久しぶりに大丸を覗いてみようということになった。食器売り場はちょっと気恥ずかしいのでいかず、地下の食品売り場をウロウロとする。「おおきに」という言葉があちこちから聞こえてくる。ええもんですな。

ジュンク堂に入る。このジュンク堂には、本当に数え切れないくらい来ている。僕にとっての本屋の代名詞と言えばここだ。当時は、これほど大きな本屋は全国にもそうそうないだろう、と思っていたけど、各地に大型書店がオープンした今、あらためて店内を見渡すとそれほど巨大ではないことを感じる。いつも、バイト代が入ると、エスカレーターに乗って、一階ずつじっくりと棚を眺めてめぼしい本にあたりをつけておいてから、最上階までいって、登るときに目をつけていた本を買いながら降りていくという「死亡遊戯方式」で本を買っていたものだ。すべてが懐かしい。自分の訳書も三冊とも置いていてくれた。さすがジュンク堂。ありがとう(涙)。

錦市場を練り歩く。魚とか食材を見ていると落ち着く。母親と御茶屋に入る。彼女はあんみつ、僕は宇治金時を注文する。やっぱり宇治金時は、京都で食べると美味しい気がする。母親とはいろんな話をした。僕は親戚の事情にかなり疎いのだけど、誰それは今どうしてるとか、そういうことを教えてもらう。当時子どもだった者は大人になり現実と直面し、当時大人だった者は年を取り老いと直面している。時代は回り、世代は変わる。世の中、つらいこともたくさんある。けど、楽しいことだってたくさんある。たとえば今、こうして母親と元気に京都の街を歩き、甘いものを食べたりしているように。でも、本当は楽しいことばっかりじゃなくたっていい。宇治金時だってなくたっていい。ただこうして生きている、それだけで十分だ。

流れていく時間には、抗えない。抗えないけど、抗えないことを知り、それを受け入れていくことはできる。子どもだった僕はいつの間にか大人になり、オヤジになった。そして老いていく。すでに老いを生きている母も、ゆっくりと日々の時の流れに身をゆだねている。ゆっくりと、確かに老いは進んでいく。この世に生まれたとき、世界は母親だった。あるいは、母親と自分が一体となったものだった。やがて僕はそこから分離し、一人で歩き始めた。成長するにしたがい、母親の存在が重く感じられたこともあった。母親と一緒に街を歩くなんて、嫌だと思ったこともあった。もちろん、今でも母親は自分にとって特別な存在だ。だけど、今ならわかる。母親は、もはや世界そのものではなく、一緒にいるのが恥ずかしい存在でもない。彼女は一人の人間であり、その他のいきとしいけるものと同じように、抗うことのできない限られた時間のなかで、与えられた生を生きている、一個の生命なのだ。

街並みは、ずいぶんと変わったとも言えるし、そうでもないと思える光景もたくさんある。ケバケバしく、古く、洗練されている。様々な要素が混在している。個人的な印象なのだろうけど、京都は、歩いていてどこかにたどり着けるような気がしない。歩いても歩いても、終わりがない。四条、三条、河原町、寺町、新京極。おなじところを何度も行ったり来たり。それでも、歩くほどに懐かしく、気分が落ち着いていく。思い出が蘇る。僕には第一の故郷と呼べる場所がない。各地を転々としてきたからだ。でも京都は確かに僕の第二の故郷なのだと思った(第二の故郷がたくさんある)。住んでいるときは、そんな気持ちにならなかったのだけど。

もう三時。そろそろ帰らなくては。京都駅に戻った。改札口で母とお別れだ。お母さん、楽しかったです。ありがとう。また帰ってくるね。

新幹線の発車時刻まで少し時間があったので、駅そばを食べた。やっぱり、おつゆの色は薄かった。そして美味しかった。所変われば品変わる。関東の黒いつゆを思い起こすと、まるで右ハンドルと左ハンドルの違いのような大きな差異を感じる。どっちが正しいとか間違ってるとかじゃない。人の価値観なんて、それぞれだ。相対的なものなのだ。

どこにへも行けぬ京都の散策の老いたる母と食す宇治金時

滋賀の実家に帰省する ~Days and nights in Kyoto~ その4

2008年06月06日 08時42分31秒 | 旅行記
日曜日。東京に戻る日。起床すると、父親はもういなかった。父がパソコンで作った僕宛の手紙がテーブルの上に置いてあった。会いに来てくれてありがとう、父も母も元気です、仕事はしばらく頑張るつもりです、今後も益々ご活躍ください、ありがとうございました――、要約するとそのような意味のことが簡潔に書かれてあった。

ありがとう。また戻ってきます。体に気をつけて、仕事に取り組んでください。ちなみに、僕はヒゲを生やしていたので、土曜日の朝に顔を見た瞬間、父親は少し驚いたようだった。たんなるずぼらでそうなっている部分もおおいにあり、伸ばしては剃り、の繰り返しなのだけど、そう伝えると、そこはやはり元銀行マン、そしてA型、そして昔気質、ということで、ヒゲたるもの伸ばすのであれば常に一定の長さに保たなければ、ということで、今は使っていないという多機能の電気剃刀をくれた。ミリ単位で長さを調節できるから、イチローみたいに常に同じヒゲの濃さを保つことができるはず、なのだが、実は、息子的には毎朝ヒゲを剃らなくていいというこの自由も捨てがたいのだった。

朝食を摂り、母親と自宅近くの琵琶湖周辺を散歩することにした。歩いて十分もかからずに湖畔に行ける。琵琶湖は広い。ほとんど海と同じだ。この辺りは、住むには本当によいところだと思う。京都にも、大阪にも十分通える位置にあって、この雄大さを味わえる。京都もゆったりしているけど、滋賀県もさらにゆったりしている。ガンジス川と同じで、川のこちら側には俗世があるけど、向こう側は何もない聖なる空間(つまり湖)が拡がっているのだ。この聖と俗とのコントラストが、滋賀県の精神性の根底にある。バルトの言葉を借りるなら、琵琶湖は滋賀県にとっての、まさに「空虚なる中心」なのだ。

母親は昔から、散歩中、釣りをしていたり、絵を描いていたりする人がいると、平気で話しかける。すると、相手は意外と自然に話をしてくれるものである。釣り人がたくさんいた。ターゲットは、ブルーギルとかブラックバスとか、その手の魚なのかと思ったのだけど、釣り人のタンクを除いたら、そこにいたのは小さな魚だった。母親がそこにいた優しそうなお兄さんに尋ねると、彼は「稚鮎、稚鮎です」とはんなりと答えたのだった。小さな鮎が、十匹ほど、所在なさげに泳いでいた。やっぱり、てんぷら? にされてしまうのだろうか。柔らかい関西弁、休日に琵琶湖で稚鮎釣り。いい人生だな~。

家に戻る。何気ない会話のなかから、小さい頃に僕が読んでいた本のことが話題になった。家にはまだ、それらの本が残っていると母は言う。さっそく奥の方にあるダンボールをひっぱり出して、中を覗いてみた。懐かしい本の数々が出てきた。すっかり忘れていたものも多いけど、表紙を見るとすぐに思い出すことができた。しばらく手にとって眺める。とても好きだった佐藤さとるのコロボックルシリーズ『星からおちた小さな人』、『ふしぎな目をした男の子』の二冊を持って帰ることにした。でもこれらはシリーズの三作目と四作目なのだけど、最初の二冊は探しても見当たらなかった。二十歳くらいのときに、たくさん本を処分したことがあって、その時に捨ててしまったのかもしれない。若かったから、そのときはもう子どもの頃に読んでいた本なんていらんと思ったんだろうけど、つくづく、アホやな~、と思う。

帰る前に京都をぶらっとしたかった。母親も一緒に行くという。家を出て、琵琶湖線に乗り、京都に向かった。関西はボックス席の列車が多い。押し込める人の数は減るのかもしれないけど、人間らしさは保てるような気がする。だけど、中央線をボックス席にするわけにはいかないのだろうな.......。15分もすると、京都駅が近づいてきた。京都タワー。いかん、昨今、タワーと母親は組み合わせが強すぎる。ともかくお母さん、当てもなく、京都を散策しましょう。

早起きの父が残せしテーブルの上の手紙と電気剃刀