みなさま、お久しぶりです~、って本当にご無沙汰してしまい、すみません。ええ、アホですわたしは。本当に、アホです。アホという言葉はわたしのために創造されたに違いありません。父親が「ア」で母親が「ホ」です。わたしの体の右半分が「ア」で、左半分が「ホ」です。アホ。あほ。aho~!! もう、アホアホアホと、鏡に向かって百万回絶唱したい、喉から血がでるまでアホというマントラを唱え続けて、すべてを超越したい、そう願って止まない今日この頃です。
もう皆様、自信を持って、全幅の信頼を持って、このわたしに、アホと言ってやってください。もう、アホかと。いや、もう、紛れもなく、アホであると。馬鹿ヤローと、頬を張ってやってください。しかし、しかしです。しかしながらです。この間、アホはアホなりに、アホなりの人生をマンツーマンで生きていたのです。アホな自分に密着マークして、生きてきたのです。
アホはアホ。堕ちるとことまで堕ちる、堕ちたろやないかと、そうかたくなに心に想いを秘めて、この数週間、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、ハエ叩きでハエを叩き、肩たたきはする相手がいないのでせず、蚊の鳴き声で夜中に目を覚まし、無言で電気をつけるとしーんと静まり返った牛三つ時の西東京市で、ぷ~んと蚊の飛ぶ音が聞こえ、その刹那、石川五右衛門になったつもりで電光石火、蚊を拍手一つ、叩きつぶし、真っ赤な血に染まった両手を眺めては、マーロン・ブランドを諌めてしまった直後のマーチン・シーンのような顔をして、言葉にならない恐怖、不条理、存在の耐えられない軽さを感じて我を失う午前三時というような日常を過ごしておりました。
といいつつ、現実的には、会社の仕事、翻訳Loveの活動、変態ランナーとしての活動、無苦小富夫としての活動、その他もろもろなどを地道に続けているという終わりなき日常が私の心身を圧迫しているのでした(まあ、たいして今までとは行動パターンは変わっていないのです)。
でもね、考えてみてください。たとえそれが自分が選んだことことはいえ、起きてる間、基本的にはずっと仕事モードなわけですわたしは。そんなの、自慢するこっちゃありません。人様の同情を買うようなまねは、したくはありません。ええ、それこそまさにアホです。というか、やっぱりアホですわたしは。自堕落な男のように思えるかもしれません、いや、事実そうでしょう。しかし、しかしです。わたしは、もう朝起きてから、夜意識を失うまで、24時間耐えられますか、24時間翻訳できますか、人間止めますか、それとも翻訳止めますか、モードなわけです。「すきあれば訳せ」という天の声の下で生きているのです。ええ、それだけです。それだけを言いたかったのです。実際、天の声にはさからってばかりの毎日です。そうです。お恥ずかしい限りです。翻訳Loveを謳うわたしとしては、本当であれば、幸せであり、本望なことなのですが.......。あれだけ心のなかで心待ちにしていたブログを書く、という行為さえ、厭わしく思えるほど、最近私のこころは何かに占拠され、体は指は、何かに支配されていたのです。
いずれにしても、それは過ぎ去ったことのようです。とりあえず、今、わたしは翻訳の神様から、いくばくかの情けを受け、鋼鉄の鎖からわずかの間解き放たれようとしているようです。刑務所の外に一歩足を踏み出したお方が、「娑婆の空気は美味い~」と思う気持ちがよくわかるようなわからないような、そんな気がします。それにしてもシャバってなんで、「娑婆」なんですかね。娑なおばあさんがたくさんいるところ、それが、現実界?なんですかね。ともかく、ちょっとだけ自由。そしてこの自由、自由すぎて、何していいか、わかりません(^^) 資本主義世界は、自由すぎ~!!
わけのわからないことを書いて、ごめんなさい。みなさまの愛、たくさんの励ましのお言葉に支えられて、イワシは今、八月という一年のうちで最も好きな月を迎えようとしています。そしてこれから、色んな意味で、大きな変化を迎えようとしています。ありがとう。そして、さようなら。愛していたけど、それだけじゃ、ダメだったんだね。愛の意味を、もう一度考えなおさなくては。ともかく、イワシの翻訳Love、復活したいと思っています!(が、果たして?)
P.S. Ena さま、本当に本当に、おめでとうございます!! イワシはとってもとってもうれしかったです。皆様の幸せを心から、祈っていますよ~!!
もう皆様、自信を持って、全幅の信頼を持って、このわたしに、アホと言ってやってください。もう、アホかと。いや、もう、紛れもなく、アホであると。馬鹿ヤローと、頬を張ってやってください。しかし、しかしです。しかしながらです。この間、アホはアホなりに、アホなりの人生をマンツーマンで生きていたのです。アホな自分に密着マークして、生きてきたのです。
アホはアホ。堕ちるとことまで堕ちる、堕ちたろやないかと、そうかたくなに心に想いを秘めて、この数週間、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、ハエ叩きでハエを叩き、肩たたきはする相手がいないのでせず、蚊の鳴き声で夜中に目を覚まし、無言で電気をつけるとしーんと静まり返った牛三つ時の西東京市で、ぷ~んと蚊の飛ぶ音が聞こえ、その刹那、石川五右衛門になったつもりで電光石火、蚊を拍手一つ、叩きつぶし、真っ赤な血に染まった両手を眺めては、マーロン・ブランドを諌めてしまった直後のマーチン・シーンのような顔をして、言葉にならない恐怖、不条理、存在の耐えられない軽さを感じて我を失う午前三時というような日常を過ごしておりました。
といいつつ、現実的には、会社の仕事、翻訳Loveの活動、変態ランナーとしての活動、無苦小富夫としての活動、その他もろもろなどを地道に続けているという終わりなき日常が私の心身を圧迫しているのでした(まあ、たいして今までとは行動パターンは変わっていないのです)。
でもね、考えてみてください。たとえそれが自分が選んだことことはいえ、起きてる間、基本的にはずっと仕事モードなわけですわたしは。そんなの、自慢するこっちゃありません。人様の同情を買うようなまねは、したくはありません。ええ、それこそまさにアホです。というか、やっぱりアホですわたしは。自堕落な男のように思えるかもしれません、いや、事実そうでしょう。しかし、しかしです。わたしは、もう朝起きてから、夜意識を失うまで、24時間耐えられますか、24時間翻訳できますか、人間止めますか、それとも翻訳止めますか、モードなわけです。「すきあれば訳せ」という天の声の下で生きているのです。ええ、それだけです。それだけを言いたかったのです。実際、天の声にはさからってばかりの毎日です。そうです。お恥ずかしい限りです。翻訳Loveを謳うわたしとしては、本当であれば、幸せであり、本望なことなのですが.......。あれだけ心のなかで心待ちにしていたブログを書く、という行為さえ、厭わしく思えるほど、最近私のこころは何かに占拠され、体は指は、何かに支配されていたのです。
いずれにしても、それは過ぎ去ったことのようです。とりあえず、今、わたしは翻訳の神様から、いくばくかの情けを受け、鋼鉄の鎖からわずかの間解き放たれようとしているようです。刑務所の外に一歩足を踏み出したお方が、「娑婆の空気は美味い~」と思う気持ちがよくわかるようなわからないような、そんな気がします。それにしてもシャバってなんで、「娑婆」なんですかね。娑なおばあさんがたくさんいるところ、それが、現実界?なんですかね。ともかく、ちょっとだけ自由。そしてこの自由、自由すぎて、何していいか、わかりません(^^) 資本主義世界は、自由すぎ~!!
わけのわからないことを書いて、ごめんなさい。みなさまの愛、たくさんの励ましのお言葉に支えられて、イワシは今、八月という一年のうちで最も好きな月を迎えようとしています。そしてこれから、色んな意味で、大きな変化を迎えようとしています。ありがとう。そして、さようなら。愛していたけど、それだけじゃ、ダメだったんだね。愛の意味を、もう一度考えなおさなくては。ともかく、イワシの翻訳Love、復活したいと思っています!(が、果たして?)
P.S. Ena さま、本当に本当に、おめでとうございます!! イワシはとってもとってもうれしかったです。皆様の幸せを心から、祈っていますよ~!!