断食は無事終了。断食といっても、初日は朝ごはんを食べたし、三日目の今日も復食として軽めの食事を摂った。だからまったく固形物を食べなかったのは二日目の昨日だけだ(そういうメニューなのです)。
でも、やはり昨日は辛かった。酵素のおかげか空腹感はあまりなかったが、断食をすると消化にエネルギーが取られることがなくなり、またある種の危機状態に陥った体が目覚め、体から老廃物を排出しようとし、同時に日ごろ押し隠されているからだのさまざまな不調が前面に出てくる。熱っぽく、節々が痛く、ものすごい睡魔に襲われた。ここのところの無理や心労?がたたって、心身は相当疲れていたみたいだ。でも、そんなときに断食をしようと思ったあたり、僕の野生本能はまだかろうじて正常に機能しているらしい。犬でも猫でも、調子が悪いときは何も食べずにじっとして、ひたすらに体の快復を待つ。答えは自分の体がすべて知っているということなのだ。
やはり体は軽くなった。余分な荷物を一つ減らしたような気になる。この3日間で、普段の約1日分の量しか体に入れていないのに、普通に生きている。今はもうすっかり元気になって、さっきはジョギングもした。ということは、普段はやはり必要以上のものを摂取して、消化のために逆に体に負担をかけているのかもしれない。
今日は玄米を炊き、あまりものの野菜(大根、玉葱、さつまいも)でお味噌汁を作って食べた。これがやたらと美味しかった。特にお味噌汁を口に含んだとたん、塩気が舌全体に拡がり、そのまま全身に染み入っていくようだった。断食すると味覚が敏感になるというけれど、逆に言えば普段の食生活で味覚を麻痺させてしまっていることがわかる。
普段やたらとコーヒーを飲んでいるのだけど、断食中は三日目に紅茶を少し飲んだだけ。カフェイン禁断症状の頭痛もした。もちろんアルコールは飲んでない。カフェインもアルコールも、もともとはなくてもよいもののはずだから、それを一定時間摂らないことが我慢できないということは、やっぱりどこかおかしいに違いない。体に何も入れない状態でしばらく過ごすことによって、真の心身の状態と向き合える。ずいぶんと苦労はさせているけど、自分はやっぱり植物のように、ゆっくりとじっくりと、まっすぐに生きようとする生命力に支えられているのだ。
と、ちょっと断食したくらいでさっそく偉そうに能書きをたれているわけだが、ともかく、思っていた以上によい効果があったような気がする。断食は定期的にやることで効果が高まるというので、月一程度で今後もやってみたいと思った。なんとなく、冬眠に似ている。何も食べずに、じっとして春を待つ。コンディショニングはこれからの自分にとって、とても大切だ。
400mハードルの為末大さんの著書『日本人の足を速くする』を昨日一気読みしたのだけど、彼はコーチをつけずに自分ですべて練習メニューを組み立てているのだそうだ。やらされている練習ではなく、主体的にやる練習の方が効果があるという考えを持っているからということらしいが、フリー翻訳者も同じだと思った。コーチはいない。自分で自分をコントロールしていかなくてはならない。ただし為末さんはそれがとても好きらしく、自分でメニューを考えたり、長期的な計画を立てたりするのが楽しくてたまらないのだという。それを人に渡すのがもったいなくてしょうがないのだと。確かに誰かが決めたとおりに練習や試合をすることよりも、苦労は多いだろうけど、自分ですべて考え行動することは楽しいだろう。自分も見習わなくてはと思った。
取り入れた洗濯物のなきあとのベランダに吹く風今宵冷たき
でも、やはり昨日は辛かった。酵素のおかげか空腹感はあまりなかったが、断食をすると消化にエネルギーが取られることがなくなり、またある種の危機状態に陥った体が目覚め、体から老廃物を排出しようとし、同時に日ごろ押し隠されているからだのさまざまな不調が前面に出てくる。熱っぽく、節々が痛く、ものすごい睡魔に襲われた。ここのところの無理や心労?がたたって、心身は相当疲れていたみたいだ。でも、そんなときに断食をしようと思ったあたり、僕の野生本能はまだかろうじて正常に機能しているらしい。犬でも猫でも、調子が悪いときは何も食べずにじっとして、ひたすらに体の快復を待つ。答えは自分の体がすべて知っているということなのだ。
やはり体は軽くなった。余分な荷物を一つ減らしたような気になる。この3日間で、普段の約1日分の量しか体に入れていないのに、普通に生きている。今はもうすっかり元気になって、さっきはジョギングもした。ということは、普段はやはり必要以上のものを摂取して、消化のために逆に体に負担をかけているのかもしれない。
今日は玄米を炊き、あまりものの野菜(大根、玉葱、さつまいも)でお味噌汁を作って食べた。これがやたらと美味しかった。特にお味噌汁を口に含んだとたん、塩気が舌全体に拡がり、そのまま全身に染み入っていくようだった。断食すると味覚が敏感になるというけれど、逆に言えば普段の食生活で味覚を麻痺させてしまっていることがわかる。
普段やたらとコーヒーを飲んでいるのだけど、断食中は三日目に紅茶を少し飲んだだけ。カフェイン禁断症状の頭痛もした。もちろんアルコールは飲んでない。カフェインもアルコールも、もともとはなくてもよいもののはずだから、それを一定時間摂らないことが我慢できないということは、やっぱりどこかおかしいに違いない。体に何も入れない状態でしばらく過ごすことによって、真の心身の状態と向き合える。ずいぶんと苦労はさせているけど、自分はやっぱり植物のように、ゆっくりとじっくりと、まっすぐに生きようとする生命力に支えられているのだ。
と、ちょっと断食したくらいでさっそく偉そうに能書きをたれているわけだが、ともかく、思っていた以上によい効果があったような気がする。断食は定期的にやることで効果が高まるというので、月一程度で今後もやってみたいと思った。なんとなく、冬眠に似ている。何も食べずに、じっとして春を待つ。コンディショニングはこれからの自分にとって、とても大切だ。
400mハードルの為末大さんの著書『日本人の足を速くする』を昨日一気読みしたのだけど、彼はコーチをつけずに自分ですべて練習メニューを組み立てているのだそうだ。やらされている練習ではなく、主体的にやる練習の方が効果があるという考えを持っているからということらしいが、フリー翻訳者も同じだと思った。コーチはいない。自分で自分をコントロールしていかなくてはならない。ただし為末さんはそれがとても好きらしく、自分でメニューを考えたり、長期的な計画を立てたりするのが楽しくてたまらないのだという。それを人に渡すのがもったいなくてしょうがないのだと。確かに誰かが決めたとおりに練習や試合をすることよりも、苦労は多いだろうけど、自分ですべて考え行動することは楽しいだろう。自分も見習わなくてはと思った。
取り入れた洗濯物のなきあとのベランダに吹く風今宵冷たき