イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

かぺ君が

2009年10月30日 08時04分37秒 | Weblog
今日、カペ君が出張のついでに東京に、キタ━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

じゃなくて、18時に八王子にクル━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

でもって当然、ノム━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

そんな僕は昨夜も徹夜してしまってネム━━━━━━(゜∀゜)━━━━━━ !!!!!

とにかく納品まであと少し、やるぞ~!!

ダイジョウブカ、オレ━━━(゜∀゜)━(∀゜ )━(゜  )━(  )━(  ゜)━( ゜∀)━(゜∀゜)━━━??????

ミニメロン伝説

2009年10月29日 21時44分49秒 | Weblog

1週間ほど前、とある人に騙されて、もとい勧められて始めたmixiの「サンシャイン牧場」にすっかり夢中になっている。紙面の都合上というか時間がないので詳しくは説明できないけど、ゲームの内容を簡単に言えば、タイトルから想像できるように、自分の畑に種を蒔くと、野菜、果物、花などが育ち、それを収穫すると得点(コイン)や経験値が上がっていくというものである(レベルが上がると「畜産広場」で動物を育てることもできるのだが、僕はまだそこまで行っていない)。mixiに入っていれば無料で楽しめる(クレジットカード決済でアイテムなどの購入も可能)。

mixiでマイミク登録をしている人がこのゲームをしていると、その人の畑も覗けて、水をあげたり虫を入れたりできるのだけど、そこがまさに隣の畑は青く見えるというか、ライバル心に火をつけられてしまったり、運命共同体ならぬ農業共同体のような気分にさせられたりする。成果物は何十時間もかけないと育たないものも多く、プレイヤーはほとんど打つ手もなく、ただ実がなるのをじっと待ち続けていなければらならない。そこがまた、たまらないのだ。そこら辺も含めて、うまく人間心理をついてるなあと思いながら、ゲームの開発者の思うがままに人間心理をつかれまくっている。

このように、かなりシンプルなゲームであるにもかかわらず、こんなにも夢中になってしまうのはなぜか? 作物を育てるには、畑と種と水と太陽と、そして何より時間が要る。人間は自然に少しだけ介入することで収穫物を得られるのだが、基本的には作物は自らの生命力で大きくなる。そこに人智が入り込む余地はあまりない。つまり、自分が介入することによって世界を変えていくのではなく、人間が介入しようのない自然の法則に支配された世界に少しだけ介入できる、という面白さがこのゲームにはあるような気がする。人間の「作物育成本能」が刺激されるというか。ゲームを立ち上げて、畑に色とりどりの野菜や果物が成っているのを見ると、心が躍る。このあたりもすごく原始的な本能を刺激されているような気がしてならない。

僕はもともとゲームはめったにやらないのだけど、すべてを得点化していくことでモチベーションが刺激されるというその効用を如実に実感している。日本では実に150万人近くがこのゲームをしているらしい。考えてみると、日本全体でそうとうなエネルギーがこのゲームで消費されている。これほど人を夢中にさせるしくみなのだから、ほかの分野に適応してもいいかしれないと思う。たとえば企業はこのゲームをカスタマイズして、社員のやる気を引き出すために導入してもいいかもしれない。自分の業績が上がるごとに作物が増えていくのだ。きっと盛り上がるに違いない(嫌いな上司の野菜をごっそりいただいたりして)。レベルが上がると昇給につながるしくみにしたら、みんなさらに必死になるだろう。それとも、仕事どころじゃなくなるのだろうか。僕の場合なら、翻訳の仕事をしたら、ワード数をこなしていくごとに畑に野菜が育っていくようなアプリがあったらもっと仕事も捗るのかもしれない(僕の畑は仕事の邪魔をする虫でいっぱいになりそうだ)。

アプリの開発はできないけど、このゲームの楽しさに学んで、自分なりに面白みをもって仕事や勉強に取り組めるように工夫していきたい、なんてことを考えている。次のメロンを収穫するころには、畜産広場にいけそうだ。



「翻訳者A」としてのトライアル

2009年10月27日 21時44分39秒 | 翻訳について
実務翻訳の世界で「トライアル」と言えば、フリーランスの翻訳者が翻訳会社に登録してもらうための登竜門のことを想起するが、実は登録をした後にもトライアルは存在する。依頼元の企業が翻訳会社に仕事を発注するときに、まず少しだけお試しで翻訳をしてもらって、その結果をみてその案件を発注するかどうかを決める場合があるのだ。

初めてその翻訳会社を利用する企業にとっては、大きな案件をいきなり依頼するのはリスクもあるから、これは妥当な判断だと言える。依頼元の企業が大手である場合、いきおい翻訳会社にとっても、ちょっと大げさにいえば社運を賭けた勝負になることもある。当然、エース級の翻訳者にその翻訳を依頼することになるし、翻訳会社内でのチェックもいつもより入念に行う。普段着のヨレヨレのスーツではなく、勝負服の一張羅を着て出かける気分だ。精一杯みつくろって納品する。

翻訳会社は、日常的に取引のある企業からもトライアルを依頼されることがある。その案件がとても重要だったり、前回の仕事の品質に不満があって疑心暗鬼になられていたり、他社と合い見積りを取っていたり、担当者がそれまでのファジーな性格の人から堅実な性格の人に変わったりした場合などだ。そういうとき、翻訳者のところにもごくわずかな分量の依頼がくる。メールにはたとえば「これはトライアル案件です。発注になった場合は2万ワードの案件です」と書いてある。

こうなると翻訳者もいきおい気合いが入る。トライアルに受かれば大きな案件の受注につながるし、翻訳会社からも感謝される。逆にアウトになってしまえば、実力に大きな疑問符をつけられてしまいそうな気がして怖い。当然、その案件の発注も来ない。下手をしたら翻訳会社から合否の結果も来ず、また普通に別の案件が始まったりして、なんとなく気まずく、ただ心に冷たい風が吹く、という場合もある。

依頼されるのは仕上がりで原稿用紙1枚か2枚くらいの、かなりの少量である。だが、だからといって簡単になのかというと、当然ながらそうは問屋がおろさいのであって、少なくとも僕の場合はトンでもなく時間がかかる。たった200ワードが、このうえなく難しく感じる。普段は一日にこの何倍の量も訳しているはずなのに、その普段の力がうまく出せない。ペナントレースと日本シリーズの違いみたいなものかもしれない。たった数試合で勝負が決まるかと思うと、いつもは感じないプレッシャーを感じてしまい、コントロールがなかなか定まらないのだ。

だが、テストとはすべてそういうものだ。重要な決定が、ごくわずかなサンプリングの結果によって下されてしまう。テストですべてを正確に判断することはできないけど、だいたいの力はわかるものなのだ。それに翻訳に関していえば、下手をしたら最初の一行を読んだ時点でその人の実力の程がわかってしまうように感じることもあるから、かなり本質的なところで実力を判断されているケースも多いのかもしれない。

ここのところ、結構立て続けにこのようなトライアル案件を依頼された。僕としては、トライアル案件に指名してくれたことは、翻訳会社が実力を評価してくださっているのかな、と思って嬉しくもあるし、前述したようにもしダメだったら自分の評価が下がるだけではなく翻訳会社にも迷惑をかけてしまうことになるから、普段以上に緊張感が増すし、仕事欲もメラメラと燃えるのである。それに、依頼元にとってもトライアルによって、本案件の質をある程度確保できることにつながるわけだから、自分が翻訳者であることを抜きに考えても、これはいいシステムではないかと思う。手間暇がかかるから、納期に余裕がある場合にしかできないことではあるのだけど。何より、一翻訳者として、自分の力をあらためて客観的に見る機会を与えられるということは、貴重なことである。遅々として進まない作業のなかで「これが自分の本当の実力か」と思う。結果を知り、OKならすごく嬉しいし、NGならめちゃくちゃ悔しく気分が萎える。どちらにしても、明日の糧になる。

現状の一般的な業界のシステムでは、依頼元の企業からは、翻訳会社の担当者の顔は見えても翻訳者の顔は見えない。トライアルをやっても翻訳者の名前まで出す場合はほとんどないけど、少なくとも「例のトライアルをやってくれた翻訳者Aさん」として、依頼元の人にも認識してもらえているのだとしたら嬉しいし、なおさら頑張ろうという気にもなるのである。







仕事の効率を上げる10のコツ

2009年10月25日 22時55分07秒 | Weblog
とあるサイトで、「仕事の効率を上げる10のコツ」という記事を見つけました。面白かったので転載させていただきます。僕の場合、どれだけこれを実践できてるかというと...

1.一緒に作業をする人とのコミュニケーションを図る
1日15分は共同作業者との会話を交わすよう意識する。意思疎通を図れれば、作業の上でのいざこざも減らせるし、生産性も高まるし、周囲の評価もプラスとなる。

→× 一人で作業してるので、会話はほとんどない。依頼元とメールやたまの電話をするときには、なるべく気持ちよく、かつ意思の疎通を欠かかないように心がけてはいるが、あまり頻繁に電話したりすると(こっちから電話することはほとんど皆無に等しい)相手の仕事の邪魔にもなるから、難しいところである。

2.オープンなオフィスを求める
個室のような場所での作業は、作業効率と士気を下げ、ストレスが大きくなるという研究結果が出ている。開かれた場所での作業は一人ひとりの効率を高めることになろう。

→× ずっと家で作業をしている。「作業効率と士気が下がる」げっ、そうなのか......。やっぱりたまにはノートパソコンを持って外で仕事をしたりすることも必要なのかも知れない。今後の課題だ。

3.お昼休みにちょっとした運動を
1週間につき2時間(1日17分)の運動をする人は、そうでない人と比べて61%もストレスを感じている人が少ないという。運動は気分転換にもなり、頭の切り替えも促進するものだ。

→○ ほぼ毎日、2時間くらいは歩いたり走ったりしている。ずっと家にいるとストレスを感じるというのはまさにその通りだと思う。一日単位で見るとそれだけ仕事時間は少なくなるわけだけど、長期的にみると運動をすることの効果は計り知れない。

4.起立をして電話に出る
妙な話だが元記事によると、Louisville大学(ケンタッキー州)のLyle Sussman教授の研究結果として、立ったまま電話に出ると電話の時間が短くなる傾向にあるそうだ。いわく「立ったまま電話をすれば世間話もしなくなるので、より早く話の要点について語る傾向がある」とのこと。指摘されて「なるほど」と思う人もいるだろう。 

→× 電話はデスクの隣に置いてあるが、立ってしゃべることはない。むしろ、相手の姿が見えないのをいいことに、机の上に足を投げ出していたりすることもある。これからは電話が鳴ったら起立することにしよう。でもまあ、長電話なんてめったにしないんだけど。

5.45分早く仕事場に到着して、15分遅く離席する
45分早く席について今日中にやらねばならない課題を一つこなし、退社前の15分で「明日やるべきこと」のリスト(案)を作成する。朝の起きがけは頭もすっきりして働き具合も効率的なので、その時にやっかいな仕事をクリアしておけば、後々楽になる。【行動計画表とホワイトボードと付せんとメモ書き】あたりも参考になるかも。

→× 僕には出社も退社もないが、理想的な仕事開始時間より後に仕事を始め、目標の終了時間に終わることもまずない。これは今後に向けて非常に大きな自分の課題である。

6.自分が好きな曲を聴く
ある研究結果によると、自分の好きな曲を聴いた作業員の仕事の効率は10%向上するという。音楽視聴で周囲のおしゃべりから逃れられるだけでなく、自分自身のやる気を盛り上げることができる。もっとも、音楽も含めて音が聴こえることが耳触りになる人・場合もあるので、臨機応変に。

→× 音楽はあまり聴かない。集中できないのだ。だが、聴く音楽によって、逆に集中力を高めることもできるとは思う。たまにお店に入ると、いい曲が流れていて思わず聴き入ってしまうこともある。僕も家に一日中いるわけだし、好きな音楽をずっと聴き続けても誰にも文句は言われないのだから、もうちょっと音楽の力を利用することを考えたいと思う。

7.有言即実行

「2分間できる作業なら、いますぐそれをすること」とは「Getting Things Done(個人用のワークフロー管理システム)」の提唱者デビッド・アレン氏によるもの。詳しくは【はじめてのGTD ストレスフリーの整理術】に記載されているが、「気になることを頭にとどめずに、サクサクこなしてしまう」というもの。「今日できることは明日に回さずに今日のうちに」にも通じる。

→× 「2分でできる仕事は、即する」というのは耳が痛い。仕事は溜めたらお終いだ。気づいたときに即実行を心がけなければ。

8.テニスボールを持参し、いつも「にぎにぎ」する
右手にテニスボールを持ち握ることで、左脳を刺激し、効率を高める。ビジュアル的なモノの作業(写真や図など)なら、左手で握ることで右脳を刺激し、同様の効果が期待できる。【仕事中のストレスを軽減させる5つのシンプルな方法】で紹介した【ストレスボール】の利用と同じものだが……キーボードを利用する人にとっては、両手を一度に使うのでなかなか難しい(笑)。

→× 企業で働いていたときは、野球のボールやクルミを握ったりしていたものだが(周囲の白い眼を感じながら)、なぜか最近はニギニギしていない。野球のボールは机の上に置いてある。でも確かにキーボードを打ち続けているから、握っているヒマはあんまりないんだよなぁ。

9.会議は立席で
「4.起立をして電話に出る」と同じで、会議室から椅子を取っ払い、立ちながら会議をすることで、無駄話が省かれる効果が望める。一部の企業ではすでに導入されている、という話を聞いたことがある。

→× 10のコツのなかに2つも「立つ」があるのもどうかと思うけど、たしかにこの話はよく聞く。実は僕も高校生の頃、立ったまま勉強をしていた時期があった(効果はまったくなし)。そもそも、会議がないのだから立つも座るもないわけだが、印刷した原文を読んだりするときに、立ち読みすることも有りかもしれない。


10.L字型のデスクを使う
自分の目の前の机の上には、今すぐに片付けねばならない作業を、L字の曲がった部分(自分から見て横の位置にあるもの)は、後ほど片づけてもOKな作業を山積みする。目の前に「今すぐすべきこと」だけを置くことで、優先順位がごちゃごちゃして作業そのものが雑多になることを防いでくれる。机が用意できない場合には段ボール箱を一つ調達し、「優先順位が低い作業」のラベルを貼りつけて利用すると良いかも(ただし作業を依頼してきた上司や同僚に、その箱の中身を見られないよう注意が必要だ)。

→○ デスクの形よりも、それをどう使うかだとは思うが、一応L字型の机は使っている。ただし、すぐに机の上はごちゃごちゃしてしまう。最近はなるべく無駄なものは置かないようにしていて、やっぱり効率も少しは上がったような気がしているのである。


というわけで、案の定というか、○がついたのは10項目のうちたったの2つ。それも運動していることと、L字型の机を使っていることだけであった。はっきり言えば、この2つはまったく仕事をしていない人でも○になる可能性がある。ただ、これが全部当てはまる人ってなかなかいないと思うんだけど...。ともかく、もちろんこの10個以外にも作業効率を高める方法は山ほどある。よいものがあればどんどん取り入れて行きたい。

まずは、Youtubeを見る時間を少し減らすことから始めないと...それからサンシャイン牧場の世話もほどほどに...。こんな自分に「喝」!

ついてない日々の面白み

2009年10月24日 21時19分36秒 | Weblog
思い立って、たまりにたまった「借り」を返しにある場所に行った。いつまでも借りを残しておくのは、人としての道から外れることになる。モヤモヤとした気持ちのままで生きていくのはよくない。普段は温厚な性格に見られることが多い俺だけど、けじめだけはきっちりつけておかなければ気が済まない。根底のところでは、自分でも驚くほどとても頑固な性格なのだ。

いったいいくつの借りがあるのか、自分でも把握していなかった。だから思い切って相手に電話をした。はっきり相手の口から、この俺に何の「貸し」があるのか言ってもらおうじゃないかと思ったのだ。こういうことは、グジグジしていたって始まらない。胆を据えて話し合うことが必要だ。いざ電話するとなると少々緊張する。借りを作ってしまった自分が恥ずかしくもある。落ち着いて冷静に話をするために、深呼吸し、丹田に意識を集中して受話器を取った。「あなたのところにいったいいくつの借りがあるのか、わからないんです」と俺は切り出した。はやる俺の心をいさめるかのように、相手は冷静に、まずはIDと名前を告げてください、と言った。事務的な対応がやけに白々しいじゃないか。

「14冊借りられていますね」

やっぱりそうか。普段は10冊単位で借りているのに、このときは慌てていたから適当な冊数を借りてしまった。だから把握できなくなってしまっていたのだ。

「返却期限をかなり過ぎていますね。早急にお返しください」電話口の司書が言った。

「わかりました。お忙しいところお手数をおかけしました。ありがとうございました。さっそく返却いたします」恐縮して受話器を置いた。トイレやら書斎やら寝室やらから本をかき集め、14冊あることを確認して、図書館に向かった。ウォーキングも兼ねて、片道20分の道のりを往く。

「かえすところ」にどさっと本を置いて、司書の人に「ありがとうございました」と伏し目がちに伝えると、足早に本棚に向かった。申し訳ない、と心のなかでつぶやいた。だがその瞬間、俺はもう自由だった。もう、後ろめたさを感じる必要はない。もう、借りは返したのだ。もう、過去を振り返る必要はないのだ。現金なもので、そう思ったらすっかり気持ちが切り替わった。閉館まであと30分ちょっとしかない。今日の俺の五感は冴えている。こういうときは、いい本を見つけられるチャンスなのだ。目標は20冊――少なくとも15冊は選びたい。限られた時間のなかで、俺は自らに課したタスクを達成するための戦いを開始した。

図書館にきたときにはいつも、ほとんどすべての棚をチェックし、大量の背表紙を眺めて、アンテナにひっかかったものをできるだけ多く手に取るようにしている。心理学のコーナーでラカンの専門書を手に取りパラパラとめくる。棚に戻して自己啓発本を脇に抱えた。スポーツ生理学の分厚い専門書をしばらく眺めて棚に戻し、とあるプロレスラーの自伝を「借り」に加えた。おかしい、普段は本は厚ければ厚いほどいい、専門的であればあるほどいいと思っているはずなのに、軟派な本ばかりが増えていく。こんな日もあるさ。俺は苦笑した。だが実は、分厚い本を意気込んで借りても読み終える可能性が低いことは、過去のデータが明白に示している。俺は無意識に、その経験則に従っていたのかもしれない。関川夏央の「汽車放浪記」これは「借り」だ。その他にもいい本がいくつも見つかった。やはり予感は当たった。今日は大漁だ。「まもなく図書館は閉館します」哀しげなクラッシックの音楽とともに、アナウンスが場内に流れた。

「かりるところ」に選びたてのホヤホヤの15冊を持って行き、あふれる充実感を相手に悟られないようにして、ポーカーフェイスでカウンターに置いた。「ピッ」と俺のカードのバーコードを機械に当てた司書が、「1冊返却が残っていますね。貸し出しはできません」と言ってこっちを見た。

そんなバナナ。俺はついさきほど「延滞人」の身から釈放されたばかりだという自分のことを棚に上げて、激しい憤りを感じた。「え? そうですか。さきほど14冊、確かに返却したのですが...」

閉館間際のカウンターは本を借りる人がたくさんいて、司書の人も慌ただしくしている。「そうですか、では少々お待ちください」そう言って、彼女は返却されてまだ棚に戻されていない本が入った箱を調べた。ちょっとだけ箱をみると、「やっぱりありませんね、よしもとばななの『ついてない日々の面白み』という本がありません。お家に帰ってしらべていただけますか?」と言って、俺にはもう用済みだという顔を向け、後ろに並んでいた次の人に目で「カモン」と小さく合図をした。

以前にもこういうことはあった。機械の読み取りが失敗して、返したはずの本が未返却だと言われてしまったのだ。俺は間違いなく今回もそうに違いないと思ったが、時間も時間だし、列に並んでいる人たちを待たせてまでもうちょっと調べてくれませんか、とも言えないので、「わかりました」と小さく呟いて、一線を退いた。俺はものすごく小心者なのだ。俺の戦いはこうして終わった。本を選んでいた間の夢のような30分間は、あっけなく無へと帰した。

まあいい、ついてない日というのはあるものだ。俺は予想外の「戦利品ゼロ」という結果になかば驚きながら、空気のように軽いリュックサックを背負って20分の道のりを戻った。不思議と気落ちはしない。人間この年にもなると、それまでに様々な辛い出来事を経験しているから、少々のことではショックを感じない体になっているのかもしれない。これが大人になるということなのだろうか。

明日あらためてまた図書館に電話をしてみよう。「実は昨日、未返却の本があると言われて家を探してみたのですが、やはり見あたりません。そちらに『ついてない日々の面白み』はないでしょうか?」

司書は受話器を置き、しばらく調べた後で、慌ててこう言うはずだ「たいへんすみませんでした、こちらに『ついてない日々の面白み』はありました。こちらの手違いでございました。誠に申し訳ございません」

俺はこういうことに腹を立てたりする人間ではない。自分でも不思議なくらい寛容なのだ。悪意を持って何か攻撃的な言動をとられたりしないかぎり、まあそういうこともあるか、と気にしないでいられる。問題の多い人間ではあるが、こういうところは自分でもわりと気に入っている。

俺は家に着いた。ついてない日というのはあるものだ。そう思って仕事を再開した。しばらくして、デスクの足下に積まれた本のなかに、一冊の本を見つけた。よしもとばなな著『ついてない日々の面白み』とある。

「ひやっとする病気、ものすごく悲しい別れ。本当についてない年だったけど、気づけば、同じように生きていく仲間がいた。(略)――作家として、ひとりの人間として、考えつづける日々の記録」と、裏表紙に記載されている。面白そうだ。

俺は窓をあけ、ベランダに立って夕日をしばらく見つめた。

俺はいったい、何をしているのだろう? 神から与えられた貴重な時間を、なぜこんなに無駄に浪費してしまっているのだろう? なぜなんだ――?

でもまあいい。考えてみたら、この本は借りたがいいが、未読だった。せっかくセレクトした15冊を持ち帰ることはできなかったけど、おそらくは「この本を読め」と天が俺に命じているのにちがいない。そう思い直して、さっそく読み始めた。彼女の気負わない日常。そしてその裏に見え隠れする重たい出来事と悲しみ。彼女がオススメの本や映画のタイトルにも興味をそそられた。ひょっとしたら、この本のなかに、俺にとってとても重要なメッセージやヒントが隠されているのかもしれない。そんな気すらする。そうでなければ、公私ともにミスの少ないことで知られるこの完璧人間の俺が、返すべき本の冊数を間違えるわけはないではないか。

この本を読み終えたら、俺はまた明日、図書館にいくつもりだ。今日、借りられなかった15冊の記憶がまだ新しいうちに。明日、返すべき本はたったの1冊しかない。もう、同じ過ちは繰り返さない。

***

ところで、俺はたしかに今日、14冊を返したつもりだった。1冊返し忘れていたということは、返す必要のなかった1冊が紛れ込んでいたのではないのか? それとも、13冊しか持っていっていなかったのだろうか? 真相は、闇の中である。






Pが異様に長い人

2009年10月23日 19時54分18秒 | Weblog
あまり公に言うことではないのかもしれないけど、僕のPは長い。ちょっと恥ずかしいくらいに長い。おそらく「異様に」と形容してもおかしくはないくらいに長い。ただし、まあこれはなんというか生まれもってのものではあるし、Pが長いということは決して悪いことではないと思っているので、それ自体について特に悩んでいるわけではない。自分のPは他人にむやみに見せたりするものではないし、たとえ親しい間柄の人であっても、「僕のPはこんな感じになっててさ...」という具合に自慢しようとも思わない。Pはプライベートなものだからだ。とはいえ、自分ではけっこう気に入っているし、Pについてひそかにあれこれ考えている時間が好きではある。ただ、僕は決してこの長いPに満足はしていない。

問題は、Pが異様に長いということ自体にあるのではない。そのPを上手く活用できていないことが問題なのだ。当たり前のことだが、Pは使わなければ意味がない。なかなか難しいことではあるが、この現実世界のなかで勇気を持って実際に使用することで、初めてPの存在意義が生まれるのだ。どれだけ長いPも、使わなければまさに無用の長物。使用することによって、Pは鍛えられ、洗練され、より機能的なものとなっていくのである。Pがいくらご立派なものであっても、使わなければ意味がない。実際、Pが短くてもいい仕事をしている人はいくらでもいる。

理想的には、少なくとも一週間に一度、できれば少しだけでもいいから毎日、Pの「手入れ」をすることが望ましい。繰り返すが、そのためには実際に毎日Pを使用すること、あるいはダメ元でもいいから使用しようと試みることが必要である。つまりDが必要なのだ。なぜなら使用することで――あるいは使用に失敗することで――そのフィードバックをPに与えることができるからだ。現在の僕は、Pを有効に使用しているとは言い難い。その結果、当然Aもしていなければ、Cもしていないのである。

念のため、誤解のないように説明しておくが、ここでいうPとはPlan(計画)であり、DはDo(実行)、CはCheck(点検)、AはAction(処置)である。つまり僕はPDCAサイクルのことを指しているわけである。

翻訳の仕事も頑張りたいし、そのための勉強にも打ち込みたい。身体も鍛えたいし、よりよい心をもった人になるための努力もしたい。この時期になると気の早い僕は今年一年を振り返ったり、来年のことを考え始めたりしてしまうので、日中もあれこれと目標や計画ばっかり浮かんできてしまって、いったいいつになったらそれを実行するんだろう? と我ながら少々あきれているのである。仕事の計画、勉強の計画、トレーニング計画、人生の計画、などなど。もちろん計画は大切だ。だが実行するのは常に今しかない。完璧な計画なんてありえないし、計画通りにことが進むことなんてないんだから、とにかくやることが大切なのだ。実践、確認、軌道修正を意識ながら、日々この瞬間、大きな目標に向かって頑張ろうと決意しているのである。

というわけで、さしあたって今日の夜は仕事が一段落した後に、「様々な今後の計画を立てること」を実行しようと計画している。これでいいのだろうか? まあいいだろう。昔から、こういう風に色々と考えている時間がとても好きなのである。

参考サイト「Pが異様に長い人(@IT自分戦略研究所)」※真面目なサイトです。


それから、あっちの方のPの長さは皆さまのご想像におまかせします。というか、正直、そんなに長くはありません。で、あっちってどっちだ?

そぞろ歩きの会2の報告

2009年10月21日 11時13分03秒 | Weblog

遅くなりましたが、先週土曜日10.17に開催しました「そぞろ歩きの会2」の報告をアップしました。

おかげさまで今回も盛況に終わり、とても楽しい一日を過ごすことができました。

予想以上にハードでしたが、充実の一日になりました。参加いただいた皆さん、ありがとうございました!

次回は11/15(日)に神楽坂近辺をそぞろ歩く予定です。

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ エピローグ

2009年10月19日 22時58分29秒 | 旅行記
もし本当にタイムマシンに乗って、長浜小の四年二組に通う十才の自分に会いに行けるとしたら、僕は彼に向かってどんな言葉を伝えることができるのだろう? いたいけな少年を捕まえて、「これからのお前には、あんなこともこんなことも待ち構えている。あれをするな、これをするな、もっと行儀よくなれ、もっと計画的になれ、もっと――」とでも言うべきなのだろうか? いや、違う。おそらく、僕に言えることは何もない。あったとしても、言いたくない。ただ遠くで彼を見つめながら、「そのままでいい。くたくたになるまで思い切り遊び回れ」とだけ心の中でつぶやくのだろう。そんなこと言われなくても、彼はくたくたになるまで思い切り遊び回っているのだろうけど。

想像力を全開にし、持てる限りの体力を使って日が暮れるまで遊んでいた浜田での子供時代。それは僕にとって何にも替えがたい、幸せな思い出だ。これから先の人生で何があろうがいつまでもこの身を支え続けてくれるであろうもの、それは浜田の町を友達と駆け回ることによって培われた、この幸せな記憶だ。挫折多き半生ではあったが、ギリギリのところでなんとかやってこられたのは、友達の投げるゴムボールをギリギリのところでよける日々から得たあの感覚のおかげだ――28年ぶりの浜田で、あらためてそんなことを実感した。

むしろ僕は今回、あの頃の自分から多くのことを教わったのだ。「もっと自分らしく、もっと心の赴くままに、時間を忘れて目の前の何かに熱中してみろよ」十才の自分から、そう言われているような気がした。東京に持ち帰った宿題のひとつが、この旅行記だったのかもしれない。

時計の針は巻き戻せない。だけど、過去の記憶に別の角度から光りを当てることはできる。旅立つ前の浜田は、とてつもなく大きな幸福さを想起させるものでありながら、あまりにも長い時間を経過させてしまったことですっかり凍りつき、色あせてしまっていた。だが、再び訪れたこの土地で、潮風に晒されながら懐かしい景色を見渡し、浜っ子の温かい心に触れて彼らの心のなかに自分がまだ生きていると知ったとき、たしかに過去と、過去の持つ意味合いは変わった。雪解けの春を思わせる鮮やかな輝きのなかで、十才の僕はまた生き生きと躍動を始めたのだ。実際、本物のタイムマシンに乗って過去の自分に会いに行けたとしても、今回の旅ほど大きな何かを得ることはできなかっただろう。

この旅行記で浜田は、あくまでも部外者の視点で書かれている。わずか五年でこの地を去り、それ以来ずっと別の場所で暮らしてきた僕には、浜田の本当の姿はわからない。そもそも、今回の旅は3泊4日でしかなかったのだ(考えてみたら2日と20時間しか滞在していない。それなのに40回も書いてしまった)。約30年ぶりの故郷を訪れた者の眼に、この町は美化されたり、現実とはかけ離れたように映ったりした面もあるだろう。僕にできることは、そうした偏りがあることを認めたうえで、ひとりの「風の又三郎」として、浜田のありのままの姿とその素晴らしさを描くこと、自分が感じたことをそのまま表現することだった。

僕はたしかにこの夏、特別な体験をした。だが同時にそれは、決して僕ひとりだけに還元できるようなものではない。僕は、誰の心の中にも存在する懐かしい記憶の扉を、たまたま開けてしまっただけなのだ。そしてだからこそ、すべてがこんなに懐かしかったのだ。

謝辞
浜田のみんな――エイコちゃん、エイコちゃんのお父さんお母さん、いとこの晴美さん、マキちゃん、マキちゃんのお父さんお母さん、清君、清君のお父さんお母さん、靖子さん、かぺ君、コマッキー、タバサさん、由美ちゃん、紀ちゃん、紀ちゃんのママ、坂本君、ゆうすけ君、ナットミ、ヒロシ君、僕のお父さんお母さん、姉、弟、校舎の当直の先生、そして景山先生夫妻と、景山クラスのみんな――すべては書ききれないけれど、浜田への訪問中および旅行記を書いている間にお世話になったすべての方々――本当にありがとうございました。みなさんがいなければ、浜田への再訪はあり得ませんでした。みんなの協力がなければ、絶対にこの旅行記は書けませんでした。エイコちゃんには連日の電話取材で本当に大きなサポートをいただきました。ありがとね!

マリオさん、kameさん、山男さん、そして夏目先生を始め、コメントをいただいた方、そして旅行記を読んでいただいたすべての方々に感謝の意を捧げます。ありがとうございました。

最後に、あの頃の自分へ――ありがとう、お前は幸せ者だよ!

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その38

2009年10月15日 23時46分03秒 | 旅行記
第5章「28年目のグッドバイ」


眠りから覚めたら、目の前に三原順子がいた。そうだ、ここはエイコちゃんの家なのだ。携帯電話で時間を確認したら、九時を少し過ぎていた。慌てて服を着替え一階に降りる。お母さんが朝ご飯の準備をしてくれていた。お早うございます。昨日は本当にお世話になりました。大騒ぎしてすみません。お母さんは優しく笑ってうなずいてくれた。すでに起きていたエイコちゃんが、こっちゃんシャワー浴びんさい、と言ってくれたので、昨日、汗と酒と涙でドロドロになった身体をお湯で洗い流した。それにしても、女子の実家でお風呂に入るのって、なんだか不思議だ。緊張してしまう。

再び二階に戻って荷物をまとめ下に降りると、居間の食卓のうえにエイコママが作った美味しそうな朝ご飯の用意ができていた。お母さんは後で食事をされるのか、すでに済ませておられたのかわからないけど、エイコちゃんと僕の分だけが用意されていた。お母さんに見守られながら、ありがたく、遠慮なく、そして恐縮しながらいただいた。隣に座っているお母さんが、まるで食いしん坊万歳に出てくる料亭の女将さんに見える。山下真司な気分で黙々と箸を進めた。お母さんに、ブログの話を訊かれた。エイコちゃんから伝わっているのだろうけど、やっぱり恥ずかしい。ご飯がなくなると、エイコちゃんがおかわりをよそってくれた。お父さんが部屋から出てきて、別の部屋で新聞を読み始めた。お父さん、昨日はありがとうございました、と言うと、いやいや構わんよ、といった顔でうなずいてくれた。

温かいもてなしを受けて、とても嬉しい。しかし緊張する。エイコちゃん一家に囲まれて迎える朝。お父さんもお母さんも、娘の知り合いの男子がひとり家に来て泊まり、朝ご飯を食べているというのはなんとなく心中穏やかではないだろう。僕も落ち着かない。なんだかまるで、あらたまってご両親に挨拶に来たみたいな気持ちになってしまう。わずかでも沈黙が訪れてしまうと、次にどう口を開けばいいのかがわからくなる。なぜだか「お父さんお母さん、娘さんを僕に…」と思わず切り出してしまいそうな気分になってしまうのをぐっとこらえながら、おなか一杯ご飯をいただいた。お母さん、ご馳走さまでした。

今日はもう、午後に浜田を去ること以外は何も予定がない。「散歩にいこう」とエイコちゃんに誘われ、喜んで十時頃に家を出た。行くあてもなくブラブラしようということになった。

ヒロシ君の家の前を通り、元左君の家の前を通った。花岡君の家も近くだ。コマッキーの実家もこの辺り。エイコちゃんはマキちゃんの家の方に向かおうとしたのだけど、突然訪問したらせっかくの休日の朝にみなさんに気を使わせてしまうからええよ、と僕は言った。歩いていると、記憶が蘇ってくる。エイコちゃんの住む熱田という地域は、僕が住んでいた長浜とは学校を挟んで反対側の方角にあり、子供の足では放課後に気軽に来られるような距離ではなかったが、それでも気合いを入れて何度も遊びに来たものだ。土地勘はないけど、目に入る光景のなかに、かつてここにいた自分の姿を描くことができる。

「イットマン」こと伊藤君が住んでいた家の前にきた。イットマンのお父さんは自動車関係の仕事をしていて、その大きな施設のなかに彼の家はあった。今はもう、当時とは建物の感じも変わってしまっていたけど、施設内に足を踏み入れたとたんに懐かしさが込み上げてくる。ここでよく野球をやった。切り崩された丘の側面を固めているコンクリート。この壁に、ボールをぶつけたんだ。大型トラックが何台も停められていた、公園でもグラウンドでもない固いコンクリートのうえでの遊びには緊張感がともない、障害物の多い場所で野球をしていると、ホームランや特大のファールを打ったらボールの行方がわからなくなってしまうこともあった。しかしそんな危険さが、たまらないスリルでもあった。傍目からみたら、こんなところで子供が遊ぶなんて危ないと思われていたかもしれない。もし僕が、ここがイットマンたちとよく遊んだ場所だということを覚えていなければ、目の前にあるのは単なる自動車関連の施設だと思うだろう。だが、ここは夢のような遊び場だった。あの頃の僕たちは、大人たちが普段出入りし仕事をしている場所を自分たちも同じように使えることに喜びを感じていた。なんとなく少しだけ大人になったような気がしたものだ。当時の僕には、大人はすべて立派に見え、同時にうまく理解できない存在でもあった。今ここで夢中になって野球をしている子供がいるとしたら、その子供の眼に、僕はあの頃僕が見ていた大人と同じように映るのだろうか。後に転校し、今では松江に住んでいるという彼には今回会えなかったけど、この場所にはイットマンの思い出がたっぷりと詰まっている。僕が住んでいた家が僕にとって特別な場所であるように、彼にとってもここは永遠に特別な場所であり続ける。彼の言葉はなくても、僕にはそれがとてもよくわかった。目の前の国道を、何台もの車が通りすぎていく。だがその騒音がまったく気にならないほど、そこには静謐な空気が流れていた。四日間、感じ続けてきた「懐かしさ」が、最終日の今日は少しだけ今までと違う意味合いを帯びてきていることに気づいた。

そのまま歩き続けた。十前君の家の前を通りかかったら、エイコちゃんがまた、挨拶してみよか、と言って玄関のチャイムを鳴らした。もう、突然すぎて彼だって驚くだろうに、と小心者の僕はハラハラしたけど、不在だったらしくどなたも出てこなかった。何となくホッとした。彼にはまたの機会に会えたら嬉しい。エイコちゃん、ちょっと突発的すぎるで、と僕は言った。

「そうや、浜田カントリークラブに行ってみいへん? ちょっと距離はあるけけど、このまままっすぐ行ったら着くで」彼女がこっちを見た。そう言われて見上げると、目の前の丘陵には深々とした緑が広がり、遠くにそれらしき施設の一部が見える。歩いたら気持ち良さそうだ。おお、ええよ、ぜひ行こう。ちょっとした食後の散歩のつもりが、かなり本格的な散策になってきた。「今頃、清君、清君のお兄さん、かぺ君、コマツの四人がゴルフしとるはずやけ、会えるかもしれんよ」エイコちゃんが笑った。「そうやな、クラブハウスで待ち伏せしてびっくりさせたろか」僕は言った。

徐々に強まってきた陽射しの下で、なだらかな坂道をゆっくりと歩いた。人家の少ない山道に耳をつんざくようなセミの鳴き声が響き渡っている。歩を進めていくほどに、見下ろす浜田の街並みが大きく広がっていく。歩き始めてすでに、一時間半ほどが経過していた。

カントリークラブが徐々に近づいてきている。気がつけば、路上から見渡す浜田湾はますます大きなものになっている。果てしない海と、それに負けないくらい巨大な陸地。昨日までのまるで祭のような日々も終わり、これから小さな日常に帰って行かなければならない僕に対し、その雄大な光景が少しずつ距離を取り始めたようにも思えた。

「わあ、こうしてみると浜田ってこんな町やったんかちゅうことがようわかるな」エイコちゃんが眼前の景色に見とれるようにして言った。「この景色を見とると、うち思い出すことがあるんよ。小学六年のとき、友達と錦町の「アカマツ」の二階にあった「プリティ」までキキ☆ララとかマイメロのグッズを買いに行ったんよ、荷物がたくさんになったんやけど、おしゃべりに夢中で、それを全部バス停のベンチに置き忘れてしもたん。柿田のお面屋さんの前のバス停で降りたときにそれに気づいて、もうめっさ気が動転して、錦町まで相当距離があるのにダッシュして走っていったん。もう焦りまくってたから、バスに乗って戻るってこと考えつかんかったんよなあ。子供なのにあんなに遠くまで走ってったんやって、ここから見てたらわかるわ」懐かしそうに笑った。今でも小柄だが、当時はさらに小さな小学生バージョンのエイコちゃんが、忘れ物を取りに全力で浜田の街を駆け抜けていく姿が心に浮かんだ。錦町には、毎週土曜日の夜の「土曜夜市(どよよいいち)」に、家族でしょっちゅう出かけ、出店で仮面ライダーのお面を買ったり、金魚すくいをしたりした。東映の映画館で、父親と一緒に大人向けの一般映画を観たこともあった。『スターウォーズ』も観たのもここだったよな。

ちょっと気になっていたことがあった僕は、思い切ってエイコちゃんに聞いてみた。

「エイコちゃん、なんだか元気がないみたいだけど、大丈夫?」

山道を歩いていたからではない。初日と二日目はあまり気づかなかったけど、昨日あたりから、彼女がときおり疲れているような、悲しそうな表情を見せているのに気づき、どうしたのだろうと思っていたのだ。夕日パークでみんなで海を眺めていたときも、昨日のバーベキューで宴たけなわのときも、ひとりだけぽつんと寂しそうに佇んでいる風な様子がうかがえた。僕はそれを彼女に伝えた。

「え? そういう風に見えとったん? やっぱりわかるんかな」エイコちゃんが言った。「心配かけたくないからあんまりみんなには言わんようにしとるんやけど、実はね」ゆっくりとしゃべり始めた。

聞けば、ここ数年ちょっと辛いことがあり、それに耐えているうちにストレスが積み重なったのか、ここのところ身体の調子があまりよくないのだという。普段はあっけらかんとして天真爛漫なところもある彼女だが、同時にものすごく繊細で優しい心も持っている。自らに我慢を強いることで、傍目かもわかってしまうくらいの辛さを抱えながら過ごしてきた彼女の大阪での日々を想像し、僕も心が痛んだ。僕は28年ぶりの再会に浮かれ、祝祭的なムードに浸るばかりに、彼女が誰もと同じように様々な日々の出来事に翻弄されながら生きているひとりの人間であることをうまく想像できず、彼女が感じていた心の痛みに気づけなかった。

「でもね、もうその辛さからは解放されたん。だけどこれまで我慢してたことがまだ心に残ってるみたいで、ここにきてどっと疲れがでてしもたみたいなんよ」深い悲しみを経験したひとがときおり見せる表情に、それを見るものにはけっしてわからない、そのひとだけが通過してきた悲しみが宿っているような気がすることがある。エイコちゃんはうちは大丈夫やよ、と言って笑ったが、鈍感な僕にそれを気づかせるくらいに大きな辛さを体験してきたのだということが、そのセリフの後ろから伝わってきた。

かつて、バス停のベンチに置き忘れたキキ☆ララの筆箱を取り戻しに少女が全力で駆け抜けた町。信じられないことに、彼女は本当にはるか先にある錦町まで走り続けた。だが、筆箱は待っていてくれなかった。どれだけ探しても、ベンチには買い物袋は見あたらなかったのだ。だがそれでも、浜田が少女時代のエイコちゃんを優しく見守り続けてきたことには疑いの余地はない。今、浜田から遠く離れた関西で、大人の女性として生きる彼女に、浜田は何を語りかけているのだろうか。あのとき失ってしまった買ったばかりのキキ☆ララの筆箱は、まだこの町のどこかにそっと隠されているのではないのか。

そして僕にも悲しみはあった。あまりに大きいので未だにその本当の大きさがわからないくらいの、人生と同じくらいに長くて不可思議で、この手と頭ではすべてを把握することができないくらいの悲しみが。だがすべては自業自得だ。誰を責めることもできないし、責めたくもない。その時々を懸命に生きてきた、そのすべての答えとしての僕が今ここにあり、それを否定するつもりはない。折に触れて流れる涙が、悲しみの底深さとともに、忘れかけていた温かい心をも目覚めさせてくれるものであることを、浜田に来る直前に、僕は実感していた。

「なあ、そんなに心配せんでも大丈夫やで、ちょっと疲れてただけやし。今回ええこともたくさんあったから、すぐまた元気になれる思うけえ」エイコちゃんがニッコリと微笑んだ。ごめん、妙にシリアスになってしまうのは僕の悪いクセなのだ。そうだよね、ちょっと疲れてただけだよね。きっとすぐにまた元気になるよ。

彼女の胸の内を聞けて、嬉しいような悲しいような気持ちになった。だが、もういたずらに過去を振り返る必要はない。浜田という原点に立ち返った今、僕たちの目の前にあるのは、今日という日と未来だけなのだ。やさしく僕たちの過去を包む浜田湾が、ただすべてを受け入れて、前に進めばいいんだと言ってくれているような気がした。明るい笑顔でこの町を駆け回っていた少女は、きっと同じ笑顔で軽やかに明日を駆け抜けていくはずだ。みんながそれを後押ししてくれるはずだ。そしてこの僕も――。

カントリークラブに到着した。すでにお昼どきになっていた。エイコちゃんと僕は、清君たちがいることを期待しながら、クラブハウスの中に突入していった。


(続く ~次回、ついに最終回!~)


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状況報告1013

2009年10月14日 00時44分34秒 | Weblog
またまた仕事その他もろもろで例によって忙しく、旅行記再開は木曜日ころになりそうです。3泊4日の旅行記に2ヶ月もかけてしまってすみません。あともう少しで最終回にするつもりです。最後なので気合いを入れて書きたいと思います。

今日は翻訳学校(当番)&久々の飲み会。文芸翻訳では「あえて訳出しないことも訳すことのうち」であることを痛感、そして痛快に痛飲! 明日が来るのが怖い!

それから、「翻訳者そぞろ歩きの会2」10.17(土)高尾山ハイキング、参加者募集中です。ご希望の方は私までメールでご一報ください(cozyosa@w2.dion.ne.jp ※@は半角に直してください)。オープン参加ですので翻訳Loveな方であればどなたでもOKです! 限りなくゆる~い会ですのでみなさまお誘いあわせのうえお気軽にご参加を! 現在のところ7名の方に参加希望をいただいております。 女子も募集中ですが特に男子の方、どうぞよろしく~!

28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その37

2009年10月11日 23時59分06秒 | 旅行記
庭でのバーベキューを終了し、部屋に上がってさらに宴会は続いた。柱時計を見ると、すでに時刻は十時を回っていた。

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※注:そのとき酩酊状態にあった僕の記憶は、この辺から途切れ途切れになっています(笑)。ここからは主としてエイコちゃんへの電話取材から得た情報を元に執筆しています。
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みんなで車座になって話を続けた。今日はマキちゃんの誕生日だ。昼間ショッピングセンターで買ったケーキを前にして、ハッピバースデーの歌を歌った。マキちゃん、おめでとう。そして、二日前に同じく誕生日だった清君に対しても、みんなでハッピーバースデーの歌を歌った。清君、おめでとう。

僕は五月にすでに今年の誕生日を終えていた。昭和四十五年生まれの僕たちは今年、三十九才になる。信じられないけど、時間だけには誰も逆らうことはできないのだ。だけど同い年だからか、みんなといるとあんまり年のことは気にならない。お互いの子供時代を知っているからこそ、よけいに自分たちがまだ子供であるような、子供でいてもいいような気がする。あの頃の自分たちは、いつかこんな年齢になるなんてことを想像できなかった。今、実際にそんな年に達しても、人生はまだまだこれからだと、そんな気がする。そう思えるのは、この場にいる限り、きっと本質的なところで僕たちがあの頃と何も変わっていないことを信じられるからだ。今夜は、強くそんな気分にさせられる、特別な夜だった。

にむしの話が止まらない。今回は残念ながら参加できなかった元佐君というクラスメイトがいたのだけど、彼がいかにこの遊びの達人であったかという話題がなぜか異常な盛り上がりを見せた。小柄な元佐君が、野ウサギのようにジグザグに素早くダッシュし、ボールを当てられそうになるとムササビのようにジャンプしてそれをかわした。その光景が、僕たち男子の間に強烈によみがえってきた。あれはすごかったわ、ガンサはものすごうジャンプしよったろう、自分の背丈以上の高さまで跳ねあがっとったけえ。今度またガンサを入れてにむしをやろう、思い切りボールをぶつけてやるけえね、きっとえらい盛り上がるわ。

そんな話をひたすらに男子は続けていた。その他にもいろいろ話題はあったはずだが、やはり30年近くぶりのにむしはそれだけ元少年たちの心に大きなインパクトを与えたということなのだろうか。ちょっと話が他の方向にいっても、すぐにまたにむし話に戻ってくるので、またその話しとんか、とエイコちゃんがあきれて言った。ともかく、酒は注がれ続け、酔いはしたたかに回り、話は一向に止まることなく延々と続いた。

台所で、お母さんが何も言わず黙々と後片付けをしている。その後ろ姿に、何とも言えず暖かいものを感じだ。お母さん、ありがとう。僕はプラスチックのバットを振り回し、今度にむしをするときには、このバットでジャンプした元佐君をたたき落とす、とかなんとかわけのわからないことを口走っていた。危ないなあ、と由美ちゃんが言った。台所で、なんだかよくわからないけど、エイコちゃんがバッター、僕がキャッチャー、マキちゃんが審判のポーズをして、タバサさんに写真を撮ってもらった。今回たくさん撮った写真のなかでも、特にお気に入りの一枚だ。まさかふたりとこんなに打ち解けて、こんな冗談みたいなポーズをして写真が撮れるなんて、来る前は思ってもいなかった。メールでも僕は敬語を使い続けていたし、電話をかけることすら緊張してできなかったのに。

気がついたらもう十二時になっていた――そろそろ、帰らなくては。

エイコちゃんのご近所のみなさんには、遅くまでワイワイ騒いで迷惑をかけてしまった。お父さんお母さん、何から何まで本当にお世話になりました。どんちゃん騒ぎしてごめんなさい。みんなまた会おうな、全員の住所とメールアドレスをマキちゃんがまとめてくれて、携帯に送ってくれた。「二虫会ご一行様(名簿)」メールの件名には、そう記されていた。

近所の人は歩きで、遠くから来ていた人はタクシーや迎えの車に乗り込んで、それぞれ岐路に着く。最後に写真を撮った。全員での記念写真。コマッキー、ヒロシ君と肩を君でのスリーショット。その後、僕はヒロシ君と新婚旅行のカップルみたいに熱烈に抱き合ってツーショットの写真を撮った。お互いの身体をまさぐり合うようなあまりの密着度に、周囲からどよめきが起こった。かなり危ない写真だった。ヒロシ君、思いがけず君に会えてめちゃくちゃ嬉しかった。こんなに久しぶりにあったのに、自然と昔のことを話し合えて最高の気分だった。コマッキーと固く握手を交わした。こっちゃん、明日何時頃帰るん? オレ車で送っていくけえ。ありがとう、でもまだ時間は決めてないから、どうなるかわからないし、気持ちだけ受け取っとくよ。言葉少ない彼が見せてくれた優しさにグッと来た。また会おう。可愛い奥さんと娘さんを大切にして、仕事、頑張ってくれ。

そうだ、ついにみんなとのお別れの時がやってきたのだ。

紀ちゃん、魔物に気をつけて帰ってね。景山先生との楽しいひとときを一緒に過ごせて夢のようだった。お母さんとの楽しいひとときをありがとう、オレもたまには京都に帰るから、そのときは食事でも! タバサさん、素敵な写真をありがとう、生涯忘れられない思い出になったよ。娘さんにも会えてよかった。これがコマッキーとタバサさんの愛する娘さんなんだって、しみじみと可愛いりおんちゃんを見つめてしまったよ。会えて本当に嬉しかったです――どさくさに紛れてタバサさんと熱い抱擁を交わした。そしてマキちゃん、君への感謝は言葉にできない。本当にありがとう、また会おうね、手を握りしめて言うと、うん、でもうちは明日もこっちゃんを見送りに行くけん、と言ってマキちゃんが微笑んだ、ええ、そんな、ええのに。いいや、見送るけん、また明日ね。ほろ酔いではあっても、強い目力(めじから)で、何かを僕に伝えるように、あるいは自分自身に言い聞かせるようにして、彼女はそう言った。わかった、ありがとう。じゃあまた明日ね!

清君、本当に、本当にありがとう。別れは寂しいけれど、でも絶対にまた会えるという気持ちの方が強くて、しめっぽい気持ちにもならない。それくらい、暖かく強い絆を感じることができたから。君が昔とちっとも変わっていなくて、本当に嬉しかった。最愛の靖子さんにもどうぞよろしく! また来るけん。かぺ君と固い握手をした。わし、こっちゃんの東京の家に魚送る気満々やけえね、ええ、そんな気ィつかわなくてもええよ! いやいや友人に魚を送るんはかぺ家の伝統やけえね、潜ってとったサザエを送るけえ楽しみにしといてね、こっちゃんと会うの、これが最後やとはまったく思っとらんけえね、また必ず帰ってきんさい。うん、かぺ君も東京に遊びに来てね、本当にありがとう。昔と同じだ。君があまりにも愛すべき存在なので、僕はもうどうしていいかわからないよ。ありがとう、ありがとう、ありがとう。

みんなと手を振って別れた。ぽっかりと心に穴が空いたような気がした。寂しかったけど、でも、心の底から寂しいとは思わなかった。これは「別れ」ではない。いつか近いうちに会えることを知っている者同士が交わす「バイバイ、またね」なのだ。小学生だった僕たちが、夕暮れ時に元気よく手を降って別れたときと同じような。

由美ちゃんとエイコちゃんと僕の三人だけになった。由美ちゃんを送っていくことになり、僕も女性だけでは危ないからということでついて行くことにした。しかしながら、酩酊していた僕はむしろ彼女たちを守るというより、彼女たちに守られながら前に進んだ。

ごく近くに住んでいるはずの由美ちゃんの家に着くまでに、いろんなことを話した。というのも、途中で僕が座り込み、延々と話しを続けたからだ。僕は熱く喋った。浜田という地元に住んでいる友達、あるいは地元に深く根ざしている友達は、みんな大人に見える。僕だけがまだ子供で、大人になりきれていないんだ、故郷を持たない自分が寂しいよ――そんな話を、僕はふたりに語り続けていたらしい。なして? そんなことないやん、こっちゃんだって十分立派な大人になっとろうが、エイコちゃんはそうやって慰めてくれていた。僕は友達と会えて本当に、純粋に、嬉しかった。友達が、浜田という土地を愛し、浜田という土地に守られて、たくさんの仲間に囲まれて暮らしていることを知って、とても嬉しかった。だけど心の中では、少しだけ寂しさを感じていたのかも知れない。彼らと、彼女たちと、この場所で同じ時間を過ごせなかったことを、後悔していたのかもしれない。もちろん自分でもそんな風に思っていることはわかっていたけど、そんなに熱く語り続けていたなんて、後でその話を聞かされて、なんだかとても恥ずかしかった。ともかく、ふたりには迷惑をかけてしまった。本当にごめんなさい!

由美ちゃんの家の近くに来た。由美ちゃん、君が僕のブログを見つけてくれなかったら、今回の旅はありえなかった。本当にありがとう。賢治の風の又三郎、帰ったら読むよ。うん、ブログ楽しみにしとるけえ、頑張って書いてな、じゃあね! おう、書くで、鹿児島にも遊びに行くからね! 酔っぱらっていて、すまん! 

エイコちゃんとふたりで彼女の家に向かった。今日もエイコちゃんには、長い一日を付き合ってもらった。エイコちゃん、今回はホント世話になったよ、感謝してる。最高だったよ。エイコちゃんはまだ酔い覚めやらぬ僕を上手くあしらいながら、玄関につくと、もうお父ちゃんとお母ちゃんは寝とるけえ、静かにしてね、二階に行って早う寝んさい、布団はひいてあるけえね、と言った。うん、おやすみ。小声で言った。

廊下を忍び足で歩いて、階段を上り、かつてお兄さんが住んでいた部屋に入ると、布団の支度ができていた。お母さん、ありがとう。今日も本当にいろんなことがあった。横になっても、まだ頭がクラクラする。あまりにも多くの三日間の出来事が、頭のなかでグルグルと渦巻くようにして回っている。天井に貼られた「コーク大好き三原順子」のポスターを見つめながら、今晩もまた、深い眠りに落ちた。浜田最後の夜が更けていった。

第4章 「宴」~完~

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その36

2009年10月10日 22時30分59秒 | 旅行記
炭は真っ赤に燃え上がっている。コンロの網のうえで、次々に肉や野菜が焼かれていく。紙カップには次々とビールが注がれていく。みんなと一緒に外で食べるバーベキューの味は最高だ。

ヒロシ君はさっき来たばかりなのに、にむしに参加してくれた。突然の展開を受け入れてくれた彼の粋な心意気が嬉しい。にむしが終わってあらためて話をした。休み時間になると校庭に飛び出してボール遊びに熱中していた小学校一、二年のころ、大活躍していたのがヒロシ君だった。僕の心には、真っ青な空を背景にグラウンドを躍動する彼の姿が残っている。ヒロシ君、運動神経がよかったよね~。ボキャブラリの少ない僕の口からはそんな淡泊なセリフしか出てこないのだけど、それでもやっぱり言葉を越えて感じ合うものはあった。少し話しただけで、彼がとってもナイスガイだということがわかった。今ではもう高校生の息子さんがいるそうだ。エイコちゃんと彼みたいに、目と鼻の先に実家があってもめったに会う機会はないという場合は多い。他のメンバーも同様だ。それぞれに最後に会ったとき以来だね、という話をしながら、懐かしい過去を確かめ合っている。ヒロシ君も僕のことを覚えていてくれた。面影がよく残ってるね、と言われた。とても嬉しかった。

飲んでも飲んでも、紙カップには次々とビールが注がれていく。いくら食べてもお肉は次々に網のうえに乗せられていく。タバサさん、コマッキー、りおんちゃんの一家、清君、紀ちゃん、由美ちゃん、エイコちゃん、マキちゃん、かぺ君。あちこちで話が盛り上がっている。うちらが高一のとき、浜商は甲子園に出たんよ、中二のとき誰々が何々しよったろう、高校卒業してから誰それがどこに就職して、などなど、などなど、話は止まらない。そう言えば、浜田出身の有名人と言えば、近鉄の梨田監督、元プロレスラーのアニマル浜口さんなどがいる。景山先生はふたりが小さいころのことも知っていて、こんにゃく打法で有名だった梨田さんがソフトボールの試合に出たときはすごかった、とか、浜口さんは相当にやんちゃだったとか、そんな話をしてくれたこともあったっけ。かぺ君が、ヒロシ君たちに今回の経緯を説明している「こっちゃんがブログをやっとって、それをたまたま女子が見つけて…」「『イワシの翻訳LOVE』ゆうんよ」「え?なんて?イワシの...?」「そう、グーグルで『イワシの...』と検索したら出てくるけえ」みんな、真顔で話している。なんだか妙に恥ずかしい。ともかく話は延々と続いた。かなり酔いが回ってきた。

庭に面した部屋ではエイコちゃんたちがせっせと台所との間を行き来しお酒や食材の用意をしてくれている。そうだ、思い出した。例の作戦を実行しなければ。かぺ君、今日はワインもあるんだよ。かぺ君のためにフランス産の高級ワインを用意したんだよ、そう言って、さっき買った「いい方のワイン」をちらっとかぺ君に見せて、こっそりメルシャンのワインをカップに注いでかぺ君に差し出した(かぺ君、ごめん)。かぺ君は、ものすごく嬉しそうな顔をして、カップを受け取り、美味しそうにワインを味わった。

「これは美味い! 全然ちがうわ!」かぺ君がこれはびっくり、といった感じで首を伸ばし、眼を丸くして興奮している。予想していた以上に見事にだまされてくれたので、マキちゃんとエイコちゃんと僕は部屋のなかでお腹を捩って爆笑した(かぺ君、本当にごめん)。たちまち空になったカップを受け取り、もう一杯注いでかぺ君に渡した。かぺ君は清君やヒロシ君にもワインを勧めている。美味しいけん、飲んでみんさい、昨日「ビストロセゾン」で飲んだワインより旨いわ。あまりにも絵に描いたような展開に、笑いが止まらない。清君も一口味わい、これは美味いと唸った。フランス産の高級ワインやけえ、香りが違うわ。僕たちは笑いを抑えきれず、部屋の陰で呼吸困難になるほど笑い続けた(みんな、ごめん)。ヒロシ君は、そんな僕たちの様子に気づいたのか、疑わしそうにワインを口にしていた。マキちゃんたちは、とっさに平然を装った。

もう一杯、おフランスのワインをくださいな、と部屋の入り口にやってきた上機嫌のかぺ君に、メルシャンの紙パックを目撃されてしまった。

一瞬ですべてを悟ったカペ君が、思いっきり嵌められたな、と言って笑った。マキちゃんはそれでもめげずに、ええ方のワインボトルを上品に手に取って「こちらをお出ししてま~す」と可愛い声でいった。エイコちゃんもそうそう、メルシャンなんて使ってないよ、ええ方のワインを注いどるんよ、というそぶりをした。ふたりの仕草が面白くて、僕はまた爆笑してしまった。こういうときに、ふたりはものすごく息が合う。打ち合わせなんてしてなくても、アドリブがどんどんと出てくる。長年のコンビだけに許された絶妙の技だ。かぺ君はええ方のワインを見て、でもそっち、まだコルクを抜いとらんやろう、と言った。またみんなで笑った。こんなに笑ったのは、本当に久しぶりだというくらいに笑った。

そんなこんなでついに「ええ方」のワインも開け、お徳用のメルシャンのワインも飲み続け、ビールもひたすらに飲み続けた。酎ハイも、ハイボールも飲んだ。途中で小雨が降ってコンロを家のなかに戻したりもしたけど、すぐに止んでくれたから、支障なく続けられた。どれだけ食べたか飲んだかわからない。僕はさらに酔っぱらってしまった。

気づいたらエイコちゃんは庭には出ず、「本部席」と彼女たちが呼んでいる部屋のなかで座り、ちょっとだけ疲れたような、そして幸せそうな顔をしてみんなの様子を見つめていた。エイコちゃん、ちゃんと食べてる? 飲んでる? 心配になってそう聞いた。うちはここでええんよ、と少しだけ寂しそうに彼女が言った。どうしていいのかわからなくて、僕も本部に残り、みんなの様子を眺めながら飲み続けた。マキちゃんも上がってきて、三人でしばらくそこにいた。宴会はさらに盛り上がっている。夢のような光景。

そうだ、今がチャンスだと思って、僕は立ち上がり、あらためてふたりに感謝の言葉を伝えた。こうしてみんなと会えたのも、エイコちゃんとマキちゃんのおかげです。どうもありがとう。浜田に帰ってこれて本当によかった。本当に、ありがとう。酔いも手伝って、しゃべりながらちょっとジーンとしてしまった。ふたりもちょっと驚いていたけど、僕の言葉をしっかりと受け止めてくれた。後で聞いたのだけど、ふたりはこっそり二階にあがり、窓からみんながバーベキューを楽しんでいる様子を眺めながら、お互いを称え合い固い握手を交わしたのだそうだ。明日になれば、もう浜田を去らなくてはならない。さよならの瞬間がもうすぐそこまで近づいていた。

記憶が途切れて断片的にしか覚えていない。結局六時半頃にはじまったバーベキューは夜十時に終了した。その後もみんなで部屋に上がって、さらに宴席はエンドレスに続いたのだった。

(続く)

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28年ぶりの島根県浜田市再訪記 ~君の唄が聴こえる~ その35

2009年10月09日 22時28分44秒 | 旅行記
由美ちゃんの運転で、エイコちゃんの家に向かった。家に着くと、エイコパパがバーベキューの準備をしてくれていた。エイコママが野菜を切ってくれていた。今宵もまた、宴が始まるのだ。そんなワクワクする空気がみなぎっている。

紀ちゃんはすでに到着して、夕日パークに寄っていた僕たちの帰りを待っていた。これから続々とみんなが到着するはずだ。何から手を付けていいのかわからないけど、とにかくみんな宴会の準備を始めた。僕はさっそくにむしの準備をするべく、エイコちゃんの家の前にある浜田商業高校のグラウンドに出て、土の状態を確認したり、肩を温めるために軽い運動をしたりした。女性陣の冷ややかな視線を感じた。

コマッキーとかぺ君が到着した。ふたりはさっそく慣れた手つきでコンロの炭に火を起こし始めた。かぺ君はこういうときにものすごくハッスルする人なのだということがわかった。もうわし、この夏だけで何度バーベキューやったかわからんくらいなんよ、とかぺ君は言った。コマッキーも黙々と着火作業に集中している。こういうとき、浜っ子は実に男らしく、頼もしいものなのだ。なかなか上手く火は付かなかったのだけど、しばらく遠くで様子を見守ってくれていたエイコパパがさりげなく手伝ってくれたおかげもあって、無事に炭は燃え始めた。

そうこうしているうちに、清君がやってきた。愛娘のりおんちゃんを連れてタバサさんもやってきた。バーベキューの準備もだいぶ整った。かぺ君とふたりでグラウンドに行き、ゴムボールでキャッチボールをした。にむしのために、足の先で地面に土俵のような円をふたつ描いた。この円の間を攻めのチームが往復するのだ。かぺ君にあらためてにむしのルールの説明を受けながらキャッチボールをしつつ、冗談みたいに言っていたにむしが本当に実現しそうになっていることへの興奮を抑えきれなかった。

あまりにむしに気を取られていると、なんだかバーべーキュー隊に申し訳ない気がしたのでさりげなく庭に戻ってまた準備を手伝っていると、突然の参加者が訪れた。首にタオルを巻いて、手土産のビールを持っている。ヒロシ君だ。ヒロシ君とは小学校の1、2年で同じクラスだった。スポーツも勉強もクラスで一番の男前で、クラスのヒーローだった(ちなみに、かぺ君のアゴが血だらけになった事件のとき、かぺ君と休み時間に相撲を取っていたのがヒロシ君である)。エイコちゃんの家のすぐ近所に住んでいるので、せっかくだからと彼女が声をかけてくれたのだ。ヒロシ君自身も自宅で家族のみなさんとバーベキューを始めようとしていたところ、エイコちゃんとマキちゃんの突撃訪問のお誘いをもらってこちらに急遽参加することにしてくれたのだと言う。

突然のことにびっくりしてしまった。ヒロシ君自身も、中学や高校を卒業して依頼、他のメンバーともめったに会う機会はなかったようだったし、ちょっと面食らっているようだった。僕がいることにも驚いただろう。懐かしく、とても嬉しい。そしてまたまた、何を喋っていいのかはわからない。ともかく、バーベキューは始まろうとしている。だがその前に、僕たちにはやるべきことがある。そう、「にむし」だ。

全員でグラウンドに出た。すでに時刻は六時を過ぎ、日が暮れ始めている。かぺ君と清君が守備のふたりになり、残りが攻撃チームになって、さっき描いた輪の中に入った。タバサさんがビデオを回してくれている。エイコちゃんとマキちゃんを除いて、反対側の輪のなかに全員が入った。ヒロシ君も、さっきみんなと再会したばかりなのに、参加してくれた。いったい何がどうなっているのか、戸惑っているかもしれない。でもそれがおかしく、そして嬉しかった。

夕焼け色に染まり始めたグラウンドのうえで、かぺ君と清君がキャッチボールを始めた。

一回、二回、三回。攻撃側のチームは、息を殺して20メートルほど離れた反対側の円に行く気配を伺う。こっちにいる清君に向かって、かぺ君がボールを投げた。その瞬間、僕を含め何名かが盗塁をするランナーのようにサッと走り出した。ボールをキャッチした清君が、すかさず誰かに向かってボールを投げる。当たればアウトだ。ボールは外れ、遠くに向かって転がり始めた。そのスキに、かぺ君側の円に無事到達した僕たちは、また清君側の円に向かって走り出した。この感覚! 子供の頃に幾度となく味わった、スリルと興奮。

もういい年をした大人になった仲間たちが、こんな子供の遊びに興じてくれていることがたまらなく嬉しい。まさか浜田に来て、みんなとにむしができるなんて思わなかった。走り出したら、あっという間にあの頃にタイムスリップした。清君がボールをキャッチすると、獲物を狙うハゲタカのような眼で僕にボールをぶつけにくる。至近距離から、独特の小さなモーションで放たれるボール。当時とまったく同じだ。実は清君は手加減してくれていたのかもしれないけれど、うまくジャンプしてかわし、どんどん先に進む。一往復したらいちむし。二往復したらにむし。とうとうはちむしまで行った。「はちむし!」と宣言したら、清君とカペ君の目つきが変わり、緊迫感がますます高まった。じゅうむしまで行けば攻撃チームの勝利だ。すでにダッシュしすぎで足がフラフラだった。でも気合いを入れて、もういっちょう! 走ったところで清君に思い切りボールをぶつけられた。アウト。コマッキーも、ヒロシ君も、紀ちゃんも由美ちゃんも、途中から参加したマキちゃんも全員アウトになったところで、にむしは終わった。子供の頃は延々と続けていたゲームも、一回やったらもうみんなクタクタで、お開きにしようということになった。

楽しかった。夢みたいだ。『フィールド・オブ・ドリームス』のトウモロコシ畑の世界にいるみたいだった。

エイコちゃんの家の庭に戻った僕たちは、ビニールシートのうえに座り、コンロで肉や野菜を焼き始め、そしてビールで乾杯した。一汗かいた後だったから、格別に美味しかった。肉の焼ける美味しそうな匂いが、すぐに漂い始めた。こうして、僕にとって浜田最後の夜の宴会が始まったのだった。

(続く)

始めから読みたいと思ってくださった方は、どうぞこちら(その1)からご覧ください~!



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朗読会2の報告

2009年10月09日 22時27分33秒 | Weblog
昨日は朗読会に参加させていただきました。
僕のはかなり怪しい関西弁での朗読でしたが、みなさまご清聴ありがとうございました!

企画していたいだいた伊藤さん、出演者のみなさま、そしてご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。

夏目さんのブログに昨夜の様子がアップされています。

追伸:マハロ伊藤さんのブログにも朗読会の報告が記載されています!

台風一過

2009年10月08日 17時14分57秒 | Weblog


朝方ちょっとだけベランダから外を見たら、風がものすごく、木がしなっていました。午後はすっかり天気がよくなって、とても気持ちがいいです。台風がよどんだ空気を吹き飛ばしてくれたみたい。

ちょっとバタバタしてましたが、もう大丈夫です。また明日から復活します!(僕は生きてます!)

今日はこれから朗読会に行ってきま~す。少し早めに六本木について、ミッドタウンのあたりをそぞろ歩いてみるつもりです。

みなさま電車の遅れなどで大変な一日だったと思います。お疲れ様でした。