イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

一瞬な夏

2008年08月24日 22時19分43秒 | ちょっとオモロイ

え~、皆様
しばらくブログをご無沙汰してしまい、すみませんでした。
諸兄にはご察しのことかもしれませんが、この間、実は今日こそは書こうと思ってはやめ、今夜こそはと思ってはため息をつき、あるいはまったくブログのことなど脳裏にもよぎらないさめざめとした日々が続いていたのでございます。

今、現実のことをありのまま正直に書こうとすると、吾妻ひでおの『失踪日記』ばりのエグイものになってしまいそうです。ですので、水面下ではそうしたマグマをたぎらせつつ、とりあえず久々に書く気力が、生きる気力が感じられる今日、こうした現実とは別なところでフィクショナルに復帰してみたいと思います。

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ようやく夏が終わろうとしています。というか、本当にそう言ってしまっていいのかどうかは定かではありませんが、ここ数日の身も心も冷え冷えするような涼しさを体感するに、どうやら夏もそろそろ夏バテしたのか、すっかり心に秋風が吹いてしまったのか、一時の飛ぶ鳥を落とすような勢いも影を潜め、気がつけば、わけあって独り、というような寂しい気持ちに襲われてしまいます。

せめてあと数日は、あの暑い、熱い日差しを僕の目の前に差し出してほしい。でも、そんな言葉を心に浮かべながら、その実、自分が本当にそう思っているのかどうかも疑わしい、本当に夏に焦がれた気持ちがまだ心に残っているのか、いくら掘り下げても自分の本心がわからない、そんなあきらめにも似た感情が、窓から入り込んでくる冷たい風とともに目の前をよぎっていきます。

気づけば、夏の間、真っ黒に日焼けしていたはずのこの肌も、次第に薄く頼りない茶色に変わりつつあります。つい数週間前には、このままいけばどこまで黒くなってしまうやら、と人ごとのように心配していたことが嘘のように、まるで夏なんて季節があったのはまやかしであったかのように、太陽の季節はあっけなくどこかに去り行こうとしているのです。そして僕を待ちうけているのは、あのうすぼんやりした茶色と灰色の秋と、白く黒く、冷たい冬なのでした。

正直に言います。夏は、短かすぎです。7月になっても梅雨だなんだと言っては簡単に雨を降らせ、待たせに待たせてようやくカッっと晴れてくれたと思ったらそれもつかの間、すぐに、「お盆すぎたら夏も終わり」というセリフがあちこちで聞こえ始めるのです。わずか数週間の炎天下がまさに蜃気楼ではなかったかと思わせるほど、それはあっけないものなのです。

ともかく、秋はすぐそこまで来ています。玄関先まで来ています。ひょっとしたら、こう書いている間にも、玄関で靴を脱ぎ始めているかもしれません。

「秋子、おかえりなさい」
「ただいま、ママ」
「一年ぶりね。いったいどこほっつき歩いてたのよ」
「私なんて帰ってこなくてもいいって思ってたくせに」
「相変わらず口が減らないわね。でもね、夏男が思ったより早く家を出て行ったから、ママ、寂しかったのよ」
「私は夏男兄ちゃんみたいに暑っ苦しくもないし、思わせぶりでもない。妹の春美みたいに浮ついてないし、弟の冬彦みたいに冷たくもない。落ち着いてて、切なくて、そして豊かなの。そのよさをわかってほしいな」
「うん、ママが悪かったわ。つい、夏男のことばっかり世話を焼いちゃうのよ。ママは、熱い日差しを浴びて、あの子と一緒に公園で裸になってランニングしてると、すべてを忘れられるの」
「ママの変態!」
「否定できないわ。でも、パパほどじゃないでしょ」

と、なんだかよくわかりませんが、そんな感じで夏は行ってしまいました。秋子さんの前では、どうしてよいのかよくわからない僕なのです。切ないですね。。。

薄れゆく日焼けの肌を街路樹の寂しく枯れる茶と比べつつ



日々是、某日

2008年08月13日 23時28分22秒 | Weblog
某日

帰り道、特に理由もなく、思わず南阿佐ヶ谷駅で下車して、JR阿佐ヶ谷駅まで歩く。ブックオフ阿佐ヶ谷店にいき、12冊購入。JRの駅のトイレで、某有名棋士を見かける。そのままさりげなく同じ電車の車両に乗り、近くで彼が一緒にいた人たちと話している会話にそれとなく聞き耳を立てる。ごく普通の人たちの、普通の会話のように聞こえる。だけどこの人は、超人的に将棋が強いのだ。この地球上で、彼に将棋で勝てる人は、ほんの数人しかいないのだ。とても普通じゃない人なのだ。だけど、「普通じゃない普通じゃない人」なんていないのかもしれない。

某日

北京オリンピックが始まった。テレビはあまり観ないから、何がどうなっているのかよくわからないのだけど、張芸謀が演出した開会式の映像は、さすがになかなかすごそうだった。期待していた男子サッカーは、早々に予選敗退が決まってしまった。今回は反町監督が頑張っていたので、残念だ。まあ、しょうがない。サッカーの世界は厳しいのだ。世界と普通に勝負しているだけでも、すごいことなのだ。ところで、各競技の個々のメダルには意味があり、価値があると思う。選手はとてつもない努力をしているのだから、素直に賞賛したい。だが、日本のメダルはいくつ、とか、日本選手が負けたらすべてが終わったかのようなナショナリズム丸出しの応援には鼻白む。自分だって同じ穴の狢だとは思うが、せっかく世界中から超人たちが集まっているというのに、その世界の広さを見ず、そのスポーツの素晴らしさを見ず、実際は日本人よ頑張れ、という狭い視点にみんなとらわれている、という気がしてならない。と、こう書くといかにももっともらしいことを言っているような気がするが、実際、どう見ても、オリンピック中継には象の体の一部を触って全体を見ていないの愚が常につきまとう。サッカーファンの手前味噌になるけど、サッカーのワールドカップだったら、日本が負けたってサッカーファンは興味を失わない(そりゃかなりがっくりきますが)。決勝トーナメントは面白いし、興奮する。とはいえ、オリンピックで全部それやってたら、チャンネルがいくつあっても足りないからしかたないのかもしれない。やっぱり、個人的には、各競技の決勝を中心に放映してほしい。そこで、純粋にその競技の素晴らしさを堪能する。そこに日本選手がいたらめっけもん、くらいでええじゃないですか。

某日

昼間新大久保店で購入した山口猛著『松田優作 炎 静かに』を帰りの電車、そして帰宅してからも一気に読み続け、就寝前に読了。面白い。20年近く前に購入し、何度も繰り返して読んだ本だ(捨ててないはずだから部屋のどこかにあるはずなのだけど)。繰り返し読もうと思わせてくれる本、そして何度読んでも面白い本は、人生の宝物だ。そういえば、『ブラックレイン』も、なけなしの金をはたいて劇場に2回観にいったんだっけ。読み返す本のなかには、若き日の自分がいる。あのとき僕は、毎日何を想い、何を見ていたのだろうか。



マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 最終回

2008年08月09日 22時51分46秒 | 旅行記
まだ、夕方の五時前だ。少し早いとは思ったけど、夕食をとることにした。また、焼肉だ。昨日もそうだったけど、基本的に、お店の人が肉を焼いてくれるというシステムになっているらしい。日本でも、お店の人が客席で鉄板焼きとかお好み焼きを調理してくれることがあるけど、そんな感じだ。美味しいお肉と野菜をたらふくいただき、ビールを飲む。ソウルでの、最後の晩餐だ(といってもまだ二日目なのだが)。

いったんホテルに戻った僕たちは、別行動をとった。彼女は足裏マッサージへと消え、僕は山へ芝刈りに、じゃなくて街をブラブラ歩くことにした(それ以外に思いつかないのだ。芸がない)。即席でメガネを作ってくれるという店があったので、衝動的に買ってみることにした。日本円にして、5000円くらい。まあ、安い。フレームを選ぶ。店のお姉さんが、僕の顔をマジマジとみて、「お兄さんにはこれがいいと思います」と言って一つを手にとってくれたので、それに決めた。当たり前といえば当たり前なのだけど、韓流っぽいデザインだ。フレームを選び、今かけているメガネを使って度を調べてもらい(そんな簡単なことでいいのかという気もするが)、三十分後くらいに戻ってきてくださいといわれ、また街をぶらつき、店に戻ると、当然ながらそこにはメガネが僕を待っていた。「家族のみなさん、こんにちは」。さっそく、新しいメガネをかけて、また街を練り歩く。

オモビニの前を通り過ぎる。雑誌が横向けに並べられている。日本では、あり得ないディスプレイだ。夜になり、オモビニは俄然、屋台としての側面を押し出しはじめる。便利なキオスクという昼の顔から、ちょっと一杯、そして酒の肴もありまっせ、というくつろいだ夜の顔へのメタモルフォーゼ。大人たちが、若いカップルが、ビールを飲み、ゲソやトッポギや、なんだかよくわからないけど、日本人からみたら結構「エグめ」のアテにかぶりついている。

ソウルよ今夜もありがとう――イワシはこの街でも、普段、新宿を徘徊しているのと同じように気のむくまま、楽しく歩くことができた。だけど、やっぱり外国だ。普段の何倍も刺激的だった。興奮が、いろんな想いが、歩を進める僕の体に波のように押し寄せてきた。ソウル、来てよかった。こんなに近くにいたのに、今まで、君のこと本当は何も知らなかった。本当に、ごめん。ソウルフード、オモビニのオモニたち、タクシーのおっさん、美しいハングル、えげつないまでのアジア的、否、韓国的――カオス。そしてどこまでもホットな街の、人のエネルギー。そんなこんなとも、もうすぐ、さようならだ。

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ホテルに戻り、シャワーを浴びて、ほんの少しだけ休憩した後、また、ヨメと一緒に街を歩くことにした。そのまま寝てもよかったのだけど、やっぱりせっかくだから、もう一度夜の風に当たりながら、街を練り歩こうということになったのだ。

ソウルの市内には、清渓川という小川が流れている。川沿いはとても綺麗に整備され、ライトアップもほどこされていて、家族連れやカップルなどにとっては格好の憩いの場になっているらしい。京都の鴨川を思い起こさせるように、人々は川べりに座り、リラックスした時間を楽しんでいる。カップルが別のカップルと等間隔に離れて座っているところなんか、まさに鴨川だ。そんなことを話しながら、僕たちは歩いた。

七年前、僕たちは京都にいた。おそらく毎年夏になると、街に出たついでに鴨川のほとりに肩を並べて座り、いろんな話をしたはずだ。何を話したのかはもうあまり覚えてはいないのだけれど。あれからいろんなことがあった。なんとなくここまでやってきたように思えて、実は本当にたくさんのことがあった。なぜかやたらに様々な思い出が蘇る。

韓国の人たちが、家族連れが、恋人たちが、小川のせせらぎを聞きながら、ゆったりとした時間を楽しんでいる。僕たちは、そこにかつての自分たちの姿を見る。今、僕たちがソウルという遠い異国の地にいるのと同じくらい、過ぎ去った時のあまりの大きさに、その遠さに、不意をつかれて茫漠とした気持ちになる。僕たちは、この地においては何者でもない。単なる旅行者だ。明日には、日本に帰らなければならないのだし、そして、またいつもと同じ日々が始まる。

僕たちは、僕は、この地で確かに何かを感じた。僕たちは、僕は、一つの過去が終わり、新しい何かが始まることを直感的に感じた。僕たちはやがてこのソウルを後にして、羽田行きの飛行機に乗る。見慣れた日本の光景を、ありふれた日常を新たなものとして受け止めつつ。同じように、僕たちにとって新しい旅立ちのときが近づいているのかもしれない。

気がつけば、人混みに押しやられるようにして、僕たち二人は手を繋いで歩いていた。彼女は歩道、僕は車道を。彼女の方が一段、高いところにいる。まるで、小さな娘の手を引く父親のような気持ちになる。僕たちは黙って、川沿いを歩いた。彼女の方を振り返ると、その後ろで、ソウルの夜の街が綺麗に輝いていた。まばゆい光をバックに、優しい風に吹かれて、彼女が、少女のように、天使のように、微笑を浮かべていた。



――連載完――

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 12

2008年08月03日 18時46分21秒 | 旅行記
バスは、朝鮮王朝時代の王宮、景福宮に到着した。敷地内には国立民族博物館が併設されている。さっそく順路に従って見学する。おそらくは最近建設されたのだろう、施設といい、コンセプトといい、高度に洗練された、とても近代的な博物館だった。僕は思った。この国には、二つの負の歴史がある。一つは35年間、日本に植民地として支配されたこと、もう一つは、パワーゲームのいたずらの果て、東西のイデオロギーの対立の尖兵となることを強いられ、それを具現化するかのごとく、北朝鮮と韓国という二つの国に分断されてしまったことだ。そういう意味では、この国ではまだ、歴史は終わっていない。日本でいうなら、名古屋あたりで国が真っ二つに遮断され、以降互いに交流することなく、数十年も寸断された状態が続いているということだ。そんなの、想像できるだろうか? あるいは、隣国によって力で支配され、母国語以外の言語を使うことを国民すべてが強いられたという過去を持つことが。

景福宮の壮麗な建築物を目にしていると、視野に飛び込んでくるのが、大きな山々だ。ところどころが岩肌になっていて禿げたようになっているところが、なんともノスタルジーというか郷愁をそそるものがある。京都に似ているかもしれない。都会なんだけど、眼前に写る山々によって、その地は街は、古の時代から、囲われ、守護されているような気持ちがする。青い山肌の下に広がる都会的なビル群を見ていると、世界には、ここではないどこかが必ず存在するはずだ、という強い意識を感じると同時に、「ここで生まれ育ったものにとっては、世界はここでしかありえない」というような、ある意味絶対的なトポロジーを感じさせる何かが、ソウルにはある。なぜか、強くそう思った。

この国には、この都市には、癒しがたい過去があり、現実がある。ただし、人間がどんな悲しみからも立ち上がることができるように、――あるいは、どんな悲しみを前にしても、ある種のおかしみを感じさせられてしまうほど、人は「普通の」日常を生きていかなければならないように――、この国の人たちは、何ごともなかったかのような顔をして生きているように思える。それが韓国人であり、それが人間なのだ。

悲しみは深く、重たい。現実も辛く、厳しい。だけど、日々によって目の前に与えられる刹那刹那、人間は力強く、生きる喜びを持って生をまっとうしている。これからの人類が感じざるを得ないであろう意識が、韓国にはすでに存在しているかのようだ。中国や日本、アメリカなどの大国の存在をひしひしと感じつつも、気概を失わずにいようとするその精神。目をそむけてしまいたくなるほどの辛い過去と現実。人類が危機にあると叫ばれる昨今、人智ではどうすることもできないかのような、強大な力に挟まれて生きていくことのエレジーを、痛切に感じさせてくれるところだ。同時に、どんな力にも屈することはないという連帯感を。

宇宙のなかの地球、未曾有の現実に直面する箱舟、それが、世界のなかの韓国ではないのか。そう思ったのだった。

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実は、韓国に向かう前の日、会社を出る直前に、上司にとあるメールを出していた。内容は、自分の進退に関することだった。おそらくは、上司もそれを受け入れてくれ、そして、近々、フリーランス・イワシが誕生することになるはずだ。これからの人生、どうなるのだろうか。

そして、ヨメとも、これからのことについて、とても大事なことについて、話し合いが続いていた。これからの二人が、どんな道を歩んでいくのか、お互いにとってベストなのか。答えの形が、この異国の地で、少しは見えてくるのではないか、そんなことを予感しつつ――。旅は、今、まさに佳境を迎えていたのだった(最終回に続く)。