イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

君がいない

2008年04月29日 01時30分36秒 | Weblog
今朝もまた、会社の営業担当者に同行して、都内某所の某大手企業に直行。産業用機器を作っているメーカーなのだけど、なんだかとってもいい会社だった。守衛の方、受付の方、相手をしてくれた担当者の方、会社の中を行きかう方々。みんなみんな、幸せそうだった。ちょうど会社を出るころ、お昼どきだったので、みんな食堂に向かって楽しそうに歩き出しているような雰囲気だったのだけど、天気もよくて、なんというかいじらしいというか、もう「幸せなら手を叩こう」を思わず歌いだしてしまいそうな気持ちになってしまい、とうとう営業のエイチさんと一緒に、「幸せなら態度で示そうよほらみんなで弊社に発注してね♪」と歌いながら会社の構内をスキップして走り回ってしまった。というのは嘘なのだけど、実際問題、こういう会社に勤めて真面目に働いてたら、人生、幸せなのかもしれないな~、などと思ってしまった。日本はこういう優良企業に支えられてるのだな~と、しみじみする。まあ、人の表面的なところだけみて「幸せそうだな」なんていうのは、本当に表面的なものの見方であって、内部的にはいろいろとしがらみがあったりこがらしが吹いたりシラミがいたり小林が遅刻したりなんだかんだあるんだと思う。でも、そうはいってもやっぱり表面にはいろんなものが現れるのであって、ぱっと見ただけで、結構ものごとの本質っていうのはわかってしまうものだと思うのだ。ああ、この人って素敵だな、と第一印象で思ったら、その後でなんだかんだ、すったもんだがあったとしても、やっぱり結局はその人って素敵な人なんだと思う。

とかなんとか思いつつ、じゃあそういう会社で作業服着て実直に機器を作ったり売ったりしている人生を送っていない自分に対して不満だったり後悔だったりするのかと言われれば、昔だったらそう思ったかもしれないけど、もううらやましいとか、道を間違ったとか、そういうことは思わない。ちょっとは思うけど。イワシにはイワシの人生(魚生)というものがあって、今は自分が選んだ道、あるいはこれから歩もうとしている道について、後悔もしていないし、不安も感じていないのだ。いや、正直、不安はある。だけど、それはこの道を間違ったのかな、という不安ではなくて、道は間違っていないのだけど、途中でヘビに噛まれたりしないかな、とか、熊に襲われたりしないかな、とか、肥溜めに落ちたりしないかな、とかいう不安なのであって、もうこの道を歩き始めていることについては諦めの境地というか、満足というか、ともかく引き返そうとは思っていないのである。まあ、この道はどうみても高速道路ではなくって、もう細々としたけものみちなのだけど、道端には小さなお花なんかも咲いていて、空気も美味しいし、景色も絶景というほどではないけど、そこそこ趣があって、まあ、なかなかよいところだな~、なんて思ったりしているのである(何が言いたいのかよくわかりませんが)。ともかく、実際に道を間違った、と思ってしまっても、もう年も年なので、これから引き返してたら、それだけで人生が終わってしまうかも知れないのだから、前に進むしかないのです。ハッハッハッ。

とかなんとか思いつつ、帰り道、乗換駅が巣鴨だったので、生まれてこの方いちども巣鴨に行ったことのない僕は、営業のエイチさんに「巣鴨で飯でも食って帰りましょうか、そうしましょうか」と持ちかけたのであった。で、ついでなのでとちゃっかりとげぬき地蔵にも行って、お祈りしてしまった。何を? さあ、なんでしょう。自分でもよくわかりません。とにかく、最近神社でよく祈ってます。手を合わせて目を瞑ると、そのとき初めて今の自分のいろんな思いがあらためて見えてくるというか、映像化されるというか、本当に大切なものが、そのわずか数秒の間に立ち現れてくるというか、そんな気持ちになる。日常というざわめきのなかにあって、それまでそこらを浮遊していた想念が、手を合わせ、祈り始めた瞬間に、音も無く静かに沈殿していくような、そんな気持ちだ。というわけで、おばあちゃんの原宿といわれる巣鴨で、僕とエイチさんは茶蕎麦の昼食をとったのだった。

ちなみに、週末テレビを観ていたら、「今日から大型連休です」みたいなことをいけしゃあしゃあとアナウンサーがのたまっていたのだが、そうなのでしょうか? 世間の人たちは、本当にこの前の土曜日からもう連休モードなの? そんな、ナボナ、じゃなくてアホな。どれだけ休みやっちゅーねん。だって、本来今週は火曜日しか休みじゃないでしょう? どんだけ便乗しとんねん! といいたくなります。が、まあ人間、休むのは大切だから、休める人は休んだらいい。でも、本当にこんなに休むのが好きなんだったら、国民の総力を結集して、もっと休日を増やすようにしたらいいのにね。なぜ、そんなに休みが好きなら、もっと休みを増やすために努力しないのキミタチは? ちなみに、もし僕が総理大臣だったら、必ず実現させてやろうと思っていることがあって、それはズバリ、週休三日制の導入である! どうです? いいでしょう。これが実現したら、きっと世界中から、日本はいい国だといってもらえるようになると思うのですが、いかがでしょうか?

ところで、話は突然また変わるのですが、ドーナツの穴っていうのは、ドーナツの穴が「ある」のか、それとも、穴のところにあるべきドーナツが「ない」のか、一体、どっちだと解釈すればいいのでしょう?

ドーナツの真ん中部分が足りないと店員呼びつけ真顔でクレーム

つまり、あるべきはずのものがないからこそ、その欠落感をここまで大きく感じてしまうのか、そもそも初めからそこにはないものだからこそ、こんなにもその存在感をずっしりと感じてしまうのか。ともかく、ドーナツには、穴がある。いや、ドーナツには、中心の部分がない。

「君がいない」と思う気持ちがありすぎて今日も頼んだチョコレートドーナツ

考えてみたのだけど、やっぱり「穴がある」んだよな。ないということが、ある。この「ある」という感覚があるからこそ、ドーナツはドーナツ足りえているのだと思う。ここにいてほしい、ここにあってほしい、そう思うものが、ない。大切なものが、ない。あるのは、空虚な空間だけだ。だけど、その何もない空間が「ある」ことによって、何かが存在しうることだって、ありうる。たとえば、チョコレートのたっぷりかかった、あのダブルチョコレートドーナツのように。「ない」ことが「ある」と思えることだって、あるのだ。

ここに君がいない理由がわからずにドーナツの穴見つめてたスタバ



てがみをください――、あるいは屈辱の無限カノン

2008年04月27日 22時11分09秒 | ちょっとオモロイ
屈辱――。振り返れば、これまでの人生、屈辱的なことをいくつも経験してきた。数え切れないほどたくさんの、とまでは言わなくても、それは一度や二度のことではない。で、屈辱にもいろいろあって、それを経験しているその最中に、ものすごく恥ずかしかったり悔しかったりといった思いを感じたこともたくさんあったけど――というか、屈辱って普通はそういうものだと思うけど――、なかにはそのときは何も思わずに、後々になってそれを思い出したときに、妙に釈然としないというか、腹立ちというか、そんな気分にさせられてしまうこともある。たとえば昼飯でも食べながら、ふと思い出す。「もう何年も前のことだけど、そういえば、今にして思えば、あれってずいぶんと屈辱的なことだったな」なんて感じだ。

たとえばそんなもののひとつに、小学校のとき、音楽の授業で『かえるのうた』を輪唱させられたことがある。


かえるのうたが聞こえてくるよ♪
グァ グァ グァ グァ ゲロゲロゲロゲロ グァ グァ グァ♪


このナンセンスな歌詞を、何度も何度も歌わされる。輪唱という名の「音楽的大義名分」によって、いかにも高尚で意味のあることをやっているのだとも言わんばかりに、音楽教師はそれを歌うことを子供に強制する。子供たちはグループに分割され、はいこのグループ、はい次はこのグループ、といった具合に合図を出されて、ゲロゲロ歌いだす。人間の尊厳は、どこにいってしまったのだろうか。

もちろん、これは半分冗談でもある。ゲロゲロ歌っているときは楽しかったし、実際上手に歌えたとは思うし、音楽的な教養としてもいい経験になったと思う。なんつったって、今でも覚えているくらいなのだから。だけど、なんだか煮え切らない。なんであの当時(というか今もそうなのかもしれないけど)、日本全国の小学生たちは、あそこまで必死になってかえるのうたを輪唱させられなければならなかったのだろう、と思ってしまう。子供に選択肢はない。嫌だったらあんな歌、歌わなくてもいい、今自分が大人になってみて、もしそう思う子供がいたら、それを認めてやりたいと思う。子供だって馬鹿じゃない。もっと主体的に、もっと自由に、音楽を自らの意思で学ぶべきだ。そう考えると、それが許されなかった僕というかあの時代の子供たちはすべて、どこかで馬鹿にされていた。子供だという理由で、体よく輪唱という概念を教えるために「かえるのうた」が手ごろだったというだけの理由で、それをやらされた。そういう風に「子供だからかえるのうたでも輪唱しときんしゃい」とか大人が思っているから、きっと日本の子供は自分たちは子供のままでいい、と思ってしまうんじゃないだろうか。なんというか、あれは一種のマスゲームに違いない。うん、やっぱりあれはどう考えても屈辱的だった。

「かえるのうたの輪唱」自体が悪いといいたいのではない。僕はかえるが大好きだ。歌も好きだ。カノンも好きだ。輪唱は――、正直、ちょっと気持ち悪い。ともかく、目くじら立てて子供たちにそれを上手く歌うことを強制するのなら、なぜもっと実用的で意味のあることも教えてくれなかったのだろう、と思う。たとえば、「上手なスタンディングオベーションの方法」とか、「正しいブーイングの方法」とか、「プロレス会場で『帰れコール』をするときの手拍子のとり方」とか、そんなものは一切教えてくれずに、そして子供にはそれを歌いたくないという選択肢を与えずに、「ゲロゲロゲロゲロ グァ グァ グァ」と輪唱させる。なにかが間違ってる。世の中って、なんだかおかしい。と、つぶやかずにはいられない。

と、そんなことを思ってしまったのは、昨夜、小雨の降るなか小金井公園を走っていたら、ヒキガエルがたくさんいたから。ついしげしげとカエルを観察し、戯れてしまった。僕は小さいころ西日本各地を転々としてきたのだけど、たまたまなのか、カエルといえば、トノサマガエルとかアマガエルとかが多くて、あんまりヒキガエルというものをみたことがない。なので、ヒキガエルをみると、馴染みがないというのもあるし、なんというか姿かたちがごっつくて、ちょっとびっくりしてしまうのだけど、それだけに興味深々となって、カエルくんにいろいろ話しかけたり、舗装された道路の上にいると危ないから、茂みのなかに移動させたりした。まあなんというか、雨の日のカエルくんというのは、少年心をくすぐるといいますか、そういえば子供のころ『てがみをください』っていう絵本があって、何度も何度も繰り返し読んだのだけど、それは、郵便受けに住みついたカエルが、その家に住んでいる男の子宛にきた手紙を全部読んでしまい、男の子から、手紙というのは自分宛に届いたものだけを読むのだよ、と教えられて、その後、カエルは何度も手紙を書くのだけど、結局返事がこなくて、最後にあきらめたカエルは結局引越して行ってしまって、そして実はその手紙の宛先は(オチなので省略).......。という切ないお話だったのだけど、挿絵が、僕が大好きだった佐藤サトルさんのコロボックルシリーズでお馴染みの村上勉さんで、本当にいい絵本だった。こんど実家に帰ったら、探してみようっと。

ところで、昨日の夜、テレビで石田徹也さんという画家の特集をやっていて、恥ずかしながらそれまでまったく彼のことを知らなかったのだけど、とてもインパクトのある、悲しみのある絵で、なんというか、本当に衝撃的だった。彼は数年前、31歳の若さで事故により他界したのだという。美術の世界には、若くしてこれほどまでに優れた作品を生み出せる人たちがいる。翻訳の世界にいる人間も、彼のような他ジャンルの優れた才能から学ばなくてはならない、と激しく思った。ともかく、ずっと心に刻みたい作品だ。

今日は天気がよかったので、図書館に行った。17冊も借りてしまった。それから、小金井公園をゆっくり走った。今日はカエルはいなかった。晴れの日、カエルくんたちはどこにいってしまうのだろう。でも、その方がいい。雨の日みたいに道路にノコノコ出てきてたら、きっと人間に踏み潰されてしまっていたかもしれないから。天気がいいと、人間はたくさん公園に出没するのだ。親子連れ、ランナー、犬の散歩、なにしてるかわかんないひとたち。ともかく、天気がいいから公園に来よう、というのは健全じゃないか。一応僕は人間なのだけど、公園をグタグタ走りながら、ぐるりと見回して観察してみると、どうやら僕は犬に近いようだ。ともかく、ハアハアいいながらも、楽しそうに走り回ってる。意味も無く楽しそう。おそらく、前世は犬だったに違いない。ビールの好きな犬。

てがみをください――。なんだかよくわからないけど、ともかく、そんな気分。天気がいい。いよいよ、炎天下ランナーにとって、シーズン到来。俺の季節、来た! もうウインドブレーカーなんて着ない。半パンと、ノースリーブのランニングシャツで走った。頭にタオル巻いて。このスタイルで、9月まで突っ走る。一番暑い時を狙って走る。変人といわれてもいい、変態ランナーといわれてもいい(実際そうなので)、綺麗な夢を見続けてるといわれてもいい、もう死にそうなくらい熱いなかを、汗だくになりながら走って、ドロドロになって家に帰って、冷たいシャワー浴びて、トマトをかじりながらキンキンに冷えたビール飲む。身体に良いんだか悪いんだかわからないけど(おそらく悪い)、これが人生の喜びなのだ。翻訳も大事だけど、夏場はこの炎天下ランニングの誘惑には勝てない。翻訳は、朝方と夜にやろう(できるのか、ホントに?)。

春過ぎて夏来にけらし白タオル頭に巻いて走り出す午後

情けない週末

2008年04月26日 19時21分24秒 | Weblog


木曜日は半年に一度の会社の大々的な飲み会があり(メインはその前の会議なのだけど)、一次会が終わるころにはかなりいい気分になってしまっていて、二次会という名のカラオケになだれ込んでしまったのだけど、そこでもかなりいい具合に盛り上がってしまい、気がついたら佐野元春の『情けない週末』を熱唱したりして、当然というのか、終電を逃してしまっていた。結局宴は朝5時まで続いて、明け方タクシーで帰宅したのだった。

次の日はもともと営業に同行して恵比寿に直行する予定だったのだけど、前日バタバタしてしまったがために朝一で会社によって納品(それも2件も。涙)を済ませるスケジュールに変更していた。まさかこんな時間に帰宅するとは想像だにしていなかったからだ。

タクシーを降りたら、もう朝の6時。2時間だけ眠ると、8時に起きて西新宿の会社に向かった。納品を済ませ、恵比寿に。そして商談を済ませると、会社に戻り、仕事。一日中、意識が朦朧としていた。ほとんど寝てなかったから、一日が48時間くらいあるような感覚だった。祭りだった。疲れているし、眠たいんだけど、体中の毛穴が開いたような、不思議な開放感。頭のねじが一本外れてしまったような、異次元感覚。もう年だし健康にもよくない、そもそも社会人としても問題だと思うのだけど、そこらへんは反省しつつ、文化人類学的には、やっぱりこういうハレの日も必要なのかもしれない、なんてことを思う。目的が何かはわからないけど、イニシエーションって感じがする。あるいは、祝祭を、心と身体が、求めているのだ。

最近、飲みの機会が多い。火曜日は、某翻訳学校の某ゼミの授業の初日で、そこでもさっそく飲み会があり、参加させていただいたのだけど、なんでも、授業の終わりに必ず飲み会があるのだという(先生は、「食事会」とおっしゃっていたが)、そこでお会いした面々はまたとても魅力的な方々で、そして先生も思っていたとおりの素敵な方で、これから一年、隔週で開催されるこの授業そして飲み会に大いに期待するところはあるのだけれど、身体が持つのかどうかちょっとだけ心配になってしまったのだった。

ともかく、さすがにそんな風に飲んでしまった日にはブログは書けない。毎日更新しようと思ってはいるのだが、こうも立て続けに飲み会が入ると、さすがに今月は休みの日が多くなってしまった。なんとなく後ろめたい。短くサラっと書くことが苦手で、毎回1時間くらいはかかってしまうのだ。これからは、書けるときはたくさん書いて、書く時間があまりなさそうなときでもちいさくまとめる技もみにつけていきたいと思ったりする。

そもそも、今月はいろんなことがありすぎた。なんというか、いつもは適度に賑わっていただけのぼくの「人生」という名の小料理屋に、突然団体客が押し寄せてきて、もうそれを捌くのに必死だった、というような感じだ。キャパを超えるお客さんを相手にするのはありがたくもあり、いろいろと勉強にもなるのだけど、やっぱりのんきにブログ書いてたりはできなかった。それでもこんなときにこそ、読んだり書いたり訳したり、そういう中で出会う言葉が心に響いたり重みを持ったりするのだろうし、そうでなくてはいけないのだ、という心の声もずっと遠くで鳴り響いてはいる。そういえば、カラオケ屋で流れていた歌詞の字幕も、いつもとは違って見えたような気がした。夕方に、自分が企画したはずの会議が始まる。超眠たかったけど、歯を食いしばって集中した。

今朝方のカラオケの歌詞が痛いほど心に刺さっている午後に会議始まり

それにしても、やることがなんにもない週末なんて、いつ依頼だろう? 半年振り? いや、もっとかも。いちおう小さな雑務はある。だけど、大きな仕事はない。通訳学校も、今期は通わない。そして、またしても雨。「みんな、雨にうたれてりゃいい」。そんな気持ちで、部屋の掃除をして、読書をして、ランニングをして、イワシを焼いて食べた。いろいろあったから、ゆっくりすることも必要だ。でも、これが毎週だと、耐え切れないんだよな~。といいつつ、おそらく来週あたりからはまたかなり忙しくなりそうなのだけど。

撮られなかった写真

2008年04月24日 09時02分59秒 | Weblog


つい最近、某友人から聞いたことなのだけど、その友人は、池澤夏樹さんが「写真を撮るとき、この絵が撮りたいと思ってシャッターを押す瞬間と、実際に写真が撮られる瞬間にはわずかな差があるから、実は本当に撮りたかった映像は、撮られることはない」みたいなこと(おそらく)を書いていたのを、どこかで読んで、それが印象に残っているのだそうだ。

僕も同じようなことを考える。写真でも、文学でも、映画でも、作品として現れた世界のなかには、確かに作者が思い描いた世界が映し出されているように思える。だけど、世界の本当の姿を、人間の手によって切り取られた世界で、どこまで現すことができるのだろうか? 僕はそのことを、横断歩道を渡るおばあさんをみるたびに思い出す。

道を歩く。横断歩道を渡るおばあさんがいる。おばあさんのことに、誰も特に注意を払ったりはしない。本屋に行けば新刊が所狭しと並べられ、映画の看板が新作映画を派手派でしく宣伝している。本を読み、映画を観て、世界を知り、楽しみ、考える。それでも、あのおばあさんの一日について、僕が知りうることは、本当にごくわずかしかない。世界はあまりにも広く、どれだけ頑張ってすくい上げようとしても、この手の隙間から零れ落ちていってしまう。

朝だ。どれだけ多くの人が今、どんな光を感じているのかを、僕は知らない。回り続ける地球の上で、どれだけの「撮られなかった写真」「語られることのない出来事」が今日を溢れることだろう。あの人が昨夜何を食べ、何を想い、どんな夢をみたか。僕にはわからない。

ただ言えることは、そんな巨大な不可知な世界のなかで、そこに在ることを僕のように憂うことなく、たくましく生きている者たちがいるということ。写真になんて撮られなくてもいい、言葉になんて表されなくてもいい、前に進め。世界はこんなにも豊かで、ぎっしりと生い茂り、青々と輝いたと思えば、明日にはごっそりと抜け落ちていく。そして朝が来て、またすべてが始まるのだ。

そして、そうした前提をした上で、あえてそれでも言葉は通じるのだ、とも感じている。言葉は世界を捉えることができる。奇跡のように、言葉がそこにあるものを表していると思える瞬間がある。いったい、こんな素晴らしいものを誰が考えたのだろう? と思えるくらいに。まるで、言葉に表されるために、世界が存在しているかのように。言葉も世界の一部なのだ。僕たちが生きている、この奇跡的な世界の。僕のポンコツカメラでは、世界を自在に、綺麗に切り取ることはできない。だけど、僕にできることは、僕が選んだことは、言葉で世界を切り取ることなのだ。

イワシを食らう――共食い賛歌――

2008年04月21日 23時19分53秒 | ちょっとオモロイ
つい先日、某所でイワシを食する機会があり、そのイワシが、それを食べたシチュエーションといい、その味といい(絶妙に煮付けられていた)、とっても美味しかったので、こりゃあ一生忘れられないだろうな、と思っていたのだけど、というか、たぶん忘れないのだけど、それ以来、これに味をしめたというのか、一応自分もイワシなのだからもっとイワシのことを深く知らなければならないという義務感というのか、喩えて言えば一応中国人を演じているのだから中国についてもっと深く知らなければならないゼンジー北京の心境というのか、あるいは単純にカルシウムが不足している身体からの要求なのか、ともかくなんだか妙にイワシが食べたくなったのだけど、実はウチではほとんどイワシを食べたことがなくて――というのも、イワシってメインディッシュにはなりにくいし、かといって朝とか昼にも、特にあえて食べるものでもないし、いつどうやって食べていいかがよくわからないというか、そもそもスーパーでもあんまり(少なくとも目立ったところには)売ってないように思えるし――、どうしたもんだかと思ったのだけど、とにかくスーパーの魚売り場をふらふら物色していたら、イワシの干物があったので衝動的にそれを買って、家で焼いて食べてみた。

驚いた。これは美味い。頭から尻尾まで、まるごとワリワリと食べることができる。美味しい。頭も背骨も内臓も、苦味があるけど、それがまた美味い。納豆と並んで、毎日欠かさず食べたいものリストにノミネートしたいくらい美味い。それでもって、値段もそんなに高くない。そこのスーパーはたまたまなんでも安いのだけど、五匹で、二百円。これは安いよ。朝ごはんに食べてもいいし、晩御飯のおかずにしてもいい、酒の肴にもいい。健康にもきっといいし、残飯も出ないから、環境にもいい。頭も、良くなるかも? イワシ、やるじゃん。うん、これはイワシLoveだ。間違いない。これからは、イワシなるべく毎日食べよう。そう思って、さっそく通信販売でイワシの干物注文してしまった。

そういえば、イワシといえば思い出すのだけど、十年くらい前、京都にいたころ、当時働いていた会社があったビルの、変わり者の守衛のおっさんと仲良くなって、そのおっさんの馴染みの北白川あたりのディープな店で飲んでいて、それで、もう何時だったのか覚えていないのだけど、おそらく深夜に店を出て、そういえば店で知り合った美大生のこれまた変わり者の二人組みの女の子も一緒だったのだけど、近くの神社で祭りをやっていたので――祭りといっても、普通の、華やかないわゆる「お祭り」じゃなくて、そんな時間に人が集まっているくらいだから、なんというか文化人類学的というか、地元に古くから伝わる呪術的な集まりというか、ともかくおどろおどろしい何かがベースになっている、アンダーグラウンドな祭りで、さらにそこにいたのもなんとなくすごみというか迫力のあるおっさんばっかりだったのだけど――、ともかく真冬で寒かったので、焚き火をしているそのおっさんたちの近くに寄っていったら、おっさんたちがその焚き火の火で串刺しにしたイワシを焼いていて、兄ちゃん食いなよ、ってな感じてイワシをくれて、でもなんというかそれがとっても自然で、こっちからは何にも言わないのに差し出してくれるというか、まるで漁師がメシ食ってるみたいな、男祭りといいますか、漆黒の闇の中で、なんとも神秘的なといいますか、感無量な思いで、おっさんと、美大生の女子とたちと一緒にイワシにかぶりついたのでありますが、それが本当に美味しくて、いまでもイワシを食べるとそのときの味を思い出すのだけど、そういえばその日はそのままその守衛のおっさんの家に泊めてもらったのだけど、やたらにというか相当に本の多いアパートで、かなり酔っていたのでそのまま何も考えずに寝てしまったのだけど、今にして思えばおっさんには妻子がいたのだけど、そのアパートではなくて近くに住んでいるのだと言っていて、まあ、別居というのか、複雑な関係なのだったのだと思うけど、そのときはまだ若かった僕にはよくわからなかったというかピンとこなかったのだけど、おっさんはおっさんなりにいろいろ大変だったのだなあ、ということを思ったりしたのだった。

もうなにも言わないでいい優しさは黙ってかじるイワシの頭さ

というわけで、みなさんもよかったらぜひイワシ焼いて食べてみてください。苦手な人もいるみたいだけど、僕はとっても美味しいと思います(だって、イワシの翻訳Loveとかいいながら、イワシ嫌いっていうのも、なんとなく嫌じゃないですか)。魚一匹丸ごと食べるというのは、なんともワイルドな気持ちになります。僕は「ししゃも」も好きですがししゃもにくらべてイワシの方がずっとパンチがあります。というかヘビーな感じがします。ししゃもが初恋なら、イワシはオフィスラブって感じです。ししゃもが内野安打なら、イワシは右中間を深く破るツーベースヒットっていう感じです。よくわかりません。ともかく、食べ続けたら、元気になりそうです。今年の夏は、パワフルに乗り切りたいと思います。それにしても、まったく翻訳の話題に触れてませんね。どうもすみません。ではでは。

『憲法九条を世界遺産に』太田光・中沢新一
『幸せのちから』クリス・ガードナー著/楡井浩一訳
『男と女』渡辺淳一

悪訳よりも誤訳

2008年04月20日 19時41分29秒 | 翻訳について

「悪訳よりも誤訳」という言葉があるということを、近所に住む翻訳仲間から教えてもらった。卑しくも翻訳で身を立てている以上、「誤訳があってもいい」とは言わない。でも、誤訳は発生してしまう。原文の解釈を間違える。それは極力ないほうがいい。だけど、小さな意味での解釈の違いも「誤り」に含めてしまうのならば、誤訳を完全になくすことなどできない。そもそも、誰かが書いた言葉を完全に理解して、別な言語にそっくりそのまま移し変えることなんて、できるわけがないのだ。同じ言語間であっても、無理なことだと思う。Kの言葉をAは聞いてくれる。Aの言葉にKは耳を傾ける。お互い、わかりあえたと思う。心が繫がったと思う。そして、AとKは、お互いの言葉を、人となりを解釈する。でもそのとき、AとKとの理解の間には、かならず齟齬が生まれている。その齟齬は、埋められない。自分と他人が、完全に一体化することなどあり得ない。悲しいけれど、お前と俺とは、同期の桜だ、じゃくて、決定的に違うのだ。生きてきた歴史が違う、価値観が違う、目のつけどころが違う、利き手が違う、年齢が違う。だけど、だから素晴らしい。だからこそ世界には差異が満ち溢れ、多様性が輝きと驚きをもって、僕たちの前に姿を現している。そしてきがつけば、『What a wonderful world』が鳴り響くのだ。

話が脱線した。で、悪訳というのは、誤訳とは異なる。それは、不味い文章だ。不味い訳だ。何が言いたいのかが、読んでもわからない。訳している本人が何を言いたいのかわかっていないのだから、読んでる人に意味が伝わるわけがない。あるいは、訳者はわかっているつもりでも、それが上手く表現されていない。だから、何も伝わってこない。誤読されてしまう。砂を噛むように味気なく、魂の無い言葉。誰も住んでいない家。それは、翻訳という名の死体だ。誤訳だって褒められたものじゃない。だけど、悪訳をするくらいなら、原文の意味を自分なりに理解して、心を込めて訳された誤訳の方がマシ。人に何かを伝えようとして訳す。自分なりの思いを伝える。それが、訳者としての倫理なのかもしれない。あるいは、人間としての。

それでも誤訳はある。その原因は、いろいろだ。原文解釈力、常識力、専門知識、注意力、時間の制約、気力、体力、時の運。ちなみに、スポーツの世界では、試合開始の合図の時点で、結果は決まっているとよくいわれる。つまり、キックオフの時点でどれだけの準備をしてきたかによって、もう結果はわかっているのだ。試合でいくら頑張ったって、練習してなければ勝てるわけがない。翻訳も同じ。今、訳文を作っている時点で、もう勝負は見えている。日ごろの努力の結果が、目の前に現れている。力のなさを嘆いたところで、どうなるわけでもない。でも、だからといって試合を放棄するわけにはいかない。全力で、魂込めて、ボールを追いかけるべきだ。無気力なプレーをすべきではない。

なまじ魂を込めた結果の誤訳は、恥ずかしい。情けない。当たり障りのないことを言っていれば、誰も傷つかなかったかもしれない。気のないそぶりをしていれば、いい人のふりをしていれば、平凡な一日が過ぎ去ったのかもしれない。でも、やりすごし、ごまかし、嘘をついて、他人のふりをする。そうすることで、一体、誰に何が伝わるというのだろう。僕は君を誤解しているかもしれない。だけど、理解したい。もっと知りたい。そして、何かを伝えたい。そして、何かを伝えようとしてくれていたあの日の君の横顔は、本当に、本当に、美しかった。

誤訳したことに気づいて目を覚ます朝にそれでも真実の光

どれだけの言葉を費やしても、目で語りかけても、触れ合っても、誤解は生まれる。でも、精一杯の気持ちで解釈をする。そしてそれを伝えるのだ。魂を込めて。そうすれば、きっと相手は何かを感じてくれるだろう。そうすることが、トランスレータ、つまり僕たち「解釈する人」の仕事なのだ。

殴り殴られ

2008年04月19日 23時06分27秒 | ちょっとシリアス
だいぶ前の話だけど、新宿西口の駅前で詩を売っている人がいる、ということをちらっと書いた。その数日後、また彼女がいた。「この前はじめて見かけて、買おうと思ったんだけど、急いでたからそのまま通り過ぎちゃって。そしたら今日、またあなたがいたので」と僕は言った。彼女は少しだけ驚いた様子で言った「ほぼ毎日立ってます」。そうだったのか。詩集を買った。三百円。僕は勝手に、若い文学的表現欲に溢れた女性が、勇気を出して「恋の歌」を路上販売している、と思っていたのだが、家に帰って調べてみると、あの女性、ああやって新宿駅の前で二十年以上も詩を売り続けている、とても有名なお方だった。正確には、詩集ではなく「志集」という。手書きの詩をガリ版で印刷して、それをホッチキスでとめただけの薄い冊子。PCラックの前に置いて、気が向いたときに、パラパラと眺めている。もの悲しくて、そしてその名の通り、「こころざし」を感じる詩集だ。

それにしても、二十年以上もずっと街頭に立って詩集を売り続けるなんて、なんて重たく、切なく、悲しく、――誤解を恐れずに言えば――、暴力的なことなんだろう。彼女は、甘栗を売っているのではない、クレープを売っているのではない、シシカバブーを売っているでもない。彼女が売っているのは、「詩」なのだ。

僕は彼女の詩を買ったのではない。買わされたのだ。駅前の喧騒なかに佇む彼女を見た瞬間に、心がズキズキし、ざわめいた。そして、詩集を買った。買った後、気づいた。詩を買ったからって、おなかが膨れるわけじゃない。すがすがしい気持ちにもならない。僕は、いいことをしたわけでもない。彼女がただそこにいるだけで、彼女はそこからはみ出していた。そこに「在りすぎて」いた。そういった生々しさに、僕はあっけなくやられてしまった。引き渡したのは三百円にすぎないのだし、心を奪われた時間も、ほんのわずかのことなのだけど。

僕には、彼女のやっていることの意味を、定義することはできない。色々なことを思うけど、それに対して「こうだ」、と言い切ることはできない。彼女は僕の中に飛び込み、僕はわずかの間、やられた。まるで肉食動物に捕獲された小動物みたいに。彼女には勇気がある。とてつもない勇気が。鉄のような強さを感じるけど、おそらくその類の強さは僕にはないし、僕はそれを求めてもいない。

ともかく、一撃を、瞬時の衝撃を、食らった。そしてそれはいまだに僕の心にひっかかっている。僕にはその一発を食らうだけの「隙」があった。でもそんな隙がなければ、見えるべきものも見えなくなってしまう。ガードを下げて、打ち合いをすべきときだってある。殴り、殴られる、その気力と体力は僕にはまだある。そう思っているし、それに殴られることって、結構気持ちよかったりするものなのだ。

イワシ便

2008年04月17日 00時35分06秒 | 翻訳について
昔、今とは別の翻訳会社で営業をしていたとき、お客さんのところに直接納品物を持っていくことが多かった。ブツは、CD-ROMとか印刷物とか。6年くらい前だから、今よりもまだハードなものに対する信仰が生きていた時代だったのだと思う。メールで納品すると、なんとなく実感がないというか、ズルしたみたいな気持ちになったものだった。社長も、できればブツで納品しろ、みたいな考えを持っていたし、特に日系の企業なんかは、ブツがなきゃ納品とは認めんぞみたいな雰囲気もあった。もちろん、納品物を届けるには宅急便とかバイク便とかでもいいのだけど、納期ギリギリになると、もう人間が持っていくほうが速い。なので、社内ではいざというときの「コジマ便」と呼ばれてそれは重宝されたものだった。まあ、お客さんにしても、営業が直接モノ持ってきてくれたら悪い気はしないだろうから、そういうセールス的な狙いも実はあったのだった。で、よく言えば制作から最後のバトンを渡されたアンカーのような気持ちになってお客さんのところを目指したのだけど、わるく言えば、単なる運び屋になったような気がしてなんとも味気ないものを感じたりした。

でも、やっぱり直接人と会って納品物を届けるというのはいいな~という気がするのである。実は、今日もコジマ便を発送した(つまり直接納品した)。やっぱり担当の方といろいろと話せるからいい。あらためて仕事に対して魂を込められる気がする。宅急便より時間のロスが少なくていい。ギリギリまで作業できる。イワシ便ならぬコジマ便、これからも活用しよう。

というわけで、翻訳Loveの活動に一区切りがついた。かなりホっとした。今日は仕事から帰ったら夜の10時だったのだけど、走った。夜風がとても気持ちよかった。特別な日なので、発泡酒ではなく、サントリーのザ・プレミアム・モルツをランニングの帰りにコンビニで購入した。このビール、今、竹内結子がウクレレを弾くCMがオンエアされている。とってもいいCMだ。できれば、次は矢沢の兄貴でウクレレ篇をやってほしい(なんて)。エコバッグがついているキャンペーンの3本セットというのがあったので、それを買った。これからは、このエコバッグを携帯することにしよう。

ビールが、やっぱり美味い。そういえば、つい先日、転職して一周年だった。前の会社を辞めるときに、ある人からいただいた、お気に入りのビールグラスでプレミアムモルツを呑みながら、しみじみしてしまった。

去年の春もらったグラスに注ぐビール 一つ年取りまぶた閉じれば

さあ、これから気持ちを切り替えて、頑張ろう。まっさらな目でもう一度すべてを見つめ直そう。原点に返り、翻訳Loveを追及しよう。真面目、誠実に。



Can you translate?

2008年04月15日 23時46分33秒 | ちょっとオモロイ
Can you translate? Can you review me tonight?
We will work long long time

納品ていう言葉なんて 知らなかったよね

(Can you translate? Can you review me tonight?
We will work long long time)
誤字脱字多いね 読み返したら少し照れるよね

Lalala...Lalala...
Lalala...Lalala...

永く...永く...いつも見守っていてくれる訳語を
探して見つけて 失ってまた探して

遠かった怖かったでも 時に素晴らしい
訳もあった 誤訳もあった どうしようもない風に吹かれて
生きてる今 これでもまだ 悪くはないよね

Lalala...Lalala...
Lalala...Lalala...

甘く切ない 若くて幼い 原文ふり返れば
けっこう難しいね

間違いだらけの訳文 なにかに逆らって訳した
誰かが 教えてくれた

(Can you translate? Can you review me tonight?
We will work long long time)
wo...直訳調からほんの少し 抜け出せずに
たたずんで 訳もなくて 涙あふれ 笑顔こぼれてる

(Can you translate? Can you review me tonight?
We will work long long time)
締め切りていう言葉なんて 知らなかったよね
(Say hello forever)

(Can you translate? Can you review me tonight?
We will work long long time)
訳漏れ多いね 次回からはどうぞよろしくね

Can you translate? Can you review me tonight?
I can translate...









琥珀色のトワイライトゾーン

2008年04月13日 09時43分40秒 | Weblog
走り出せ中央線僕を乗せ君を乗せて

ちょっと前の話になるけれど、木曜日、中央線が死んだ。そして、会社員としての僕の午前中も、死んだ。朝起きて、電車が遅れていることを知り(正確には遅れているのではなく、「死んで」いたわけなのだが)、かなり早めに家を出た。案の定、武蔵境の駅は騒然としていた。こういうとき、即座に頭を切り替えて行動できる人がいる。バスに乗るとか、歩いて三鷹まで行くとか。駅員さんから情報を収集して、迅速に行動。でも僕はそういうのめんどくさい。アナウンスを聞いてみるけど、何言ってるかよくわかんない。そのうち中央線は復活してくれるんじゃないか、という淡い期待を持って、そのまま1時間くらい駅でウロウロしていた(家を早く出た意味、まったくない)。おそらく、ディザスターが起こったとき、真っ先に犠牲者になるタイプだろう。で、結局どうみても動きそうにないことがわかってきたので、三鷹までバスでいくことにした。バス停に並んだのだけど、バスが全然こない。ふざけんなっていうくらいこない。というか、実際ふざけてる。30分くらい待ってようやく来たバスは、2時間前に出た我が家の前を通り過ぎ、ノロノロと三鷹駅に向かった。総武線もなかなか動かない。結局、家を出てから三時間近くかけ、出勤時間に二時間近く遅れて、会社に到着。あわててお昼納品の案件を片付ける!! 仕事に対して人一倍責任感の強い僕にとってはジリジリと苦虫を噛み締めるような二時間だった(なんて)。

中央線はすぐに止まるから、ちょっと足止めをくらうくらいはいつものことなのだけど、ここまで大変だったのは初めて。そこにあるのが当たり前だと思っていたものが、ない。なくなって初めてそのありがたみに気づくというわけ。毎日、中央線が走ってくれていることに感謝するなんてことは、なかなかできない。だけど、夜になってようやく動きはじめた中央線に、少しだけ安心感を覚えた。

でも、実は中央線がなくなったって、生きていくことはできる。それは、わかってるつもりだ。僕には、愛の西武新宿線がある。田無で降りたら、25分くらいで家まで歩いて帰れる。十分通勤できる。バスだってあるし、自転車だってある。通勤ランだってできる。歩くこともできる。ホフク前進だってできる。四足で歩くことだってできる(たまに泥酔するとこうなります(^^;)。たとえば、二週間だけ、突然中央線が世界から消えてしまったとする。あるいは、僕の心のなかから中央線が無くなってしまったとする。『トワイライトゾーン』みたいに。そしたら、それを受け入れて生きるまでだ。吉祥寺も、荻窪も、中野も、そして武蔵境も、あの駅たちが無くなってしまうと思うと、とっても寂しいけど。思い出は、あまりにもたくさんありすぎるけど。だけど、生きていける。それを実感しているし、何があっても僕はそれを受け入れることができる。

たまに、西武新宿線で帰るとき、パラレルな世界のことを思う。ウチからは、田無よりも武蔵境が少しだけ近い。だから、武蔵境を最寄駅にしている。だけど、田無という人生もあったんだよな、と思う。こんなにたくさんの人たちが、西武新宿線に乗って、誰かの待つ、あるいは一人暮らしの家に帰る。僕がそのうちの一人だった可能性だって、十分にあるのだ。たまたま、中央線の人だっただけなのだ。一歩間違えば、ライオンズな人になっていた可能性だってまったく否定できない。一応、タイガースな人ではあるけど、それは便宜的なものなのだ。虎ではなく、獅子。虎穴に入らずんばコジマを得ず。獅子奮迅。

パラレルな世界を抜けて帰途に着く西武新宿線は我の可能性

僕は、妄想の世界で生きている。フィジカルな現実世界に対しての、ケミカルな妄想、ファンタジー。妄想は現実に対して即効性を持たない。念じるだけで、モノを動かすことはできない。フォースのチカラでも持たない限りは。だけど、このケミカルなチカラは強い。あまりも強く、そして激しい。そして妄想のチカラで、最終的にはフィジカルな世界を変えてしまうことだってできる。というか、すべてはそこから始まるのだ。中央線だって、誰かの妄想から生まれたものなのだ。だけど、それが形になるには、時間もかかるし、運もいる。急速に化学反応が起こったかと思えば、あっという間に沈静化してしまうことだってある。激しい炎が燃え上がったと思ったら、火はおさまり、今は静かに青く燃え続けているという具合に。

その手すら触れることなく消え去りき君を想いてエビスビール飲む

琥珀色の、綺麗な液体をのどに流し込む。いろんなことが明確になり、もやもやしたものがドロっと目の前に突き出された。今、生きているということは、今を実感すること。天命を知るときが、近づいているのか? そうあってほしい。心の赴くままに、自然体で、そこに一歩ずつ近づこう。

僕を変えた人

2008年04月11日 09時09分47秒 | ちょっとシリアス
少し愛して長く愛して

寂しさを心に感じない人なんていない。思いやりの心を持たない人なんていない。夢を持っていない人もないないし、運命を受け入れていない人もいない。嫌いな食べ物がない人もいないし、好きな季節がない人もいない。

「そばとうどんどちらが好き? 強いて言えば」という質問に絶対に答えない人などいないし、むかつく奴の一人も心に抱かない奴もいない。

誰もが、誰かに愛されたいと願い、誰かを愛したい気持ちを持て余している。誰もが心の赴くままに生きたいと思っているし、それができずに悩んだり苦しんだりしている。

そんな当たり前のことを、あの人はあらためて僕に教えてくれた。言葉で伝えてくれたのではない。あの人がただいるだけで、僕にはそれがわかった。それに気づくことができた。そうしたすべてを誰かと共有できるものだと知ったとき、僕は変わった。心のままに今を生きているあの人の存在を身近に感じたとき、僕も同じように前を向いて走り出したいと思った。

僕は自分がいかにありふれた存在であるかを知る。僕の誠実さと不誠実さ、真面目さと不真面目さ。努力と怠慢。そんなものは、ありふれている。わずかばかりの才能でさえも、ちっとも特別なものではない。誰もが、誰にも似ていない、その人だけに与えられた生を生きている。だけど、それらはユニークであると同時に、ありふれている。ありふれているからこそ、それを受け入れることができるはずなのだ。僕は僕であり、そして君でもある。君だって、きっと僕の一部だ。

ありがとう。僕たちはありふれた舟に乗って、この海を沖に向かってゆっくりと漕ぎ出そう。僕たちは同じ舟に乗っているかもしれないし、乗っていないかもしれない。だけど、同じ方向を目指して、精一杯、漕いでいることは間違いない。そしてときには、その手を休めたっていいんだ。

春の嵐、あるいは嵐の春

2008年04月10日 00時27分50秒 | Weblog


突然、京都時代の友達からメールがあった。今は京都からは離れた場所に住んでいる彼が、京都で催された友人の結婚パーティーに出席し、その帰りらしい。一言、共通の友人の近況が書いてあった。もう何年も話していないけど、つい僕のこと思い出してくれて、メールくれたんだと思う。思わず電話した。話すのは何年かぶりだった。懐かしい声。まったく変わってない。

誰はどうしてる、誰はこうなった、誰は今...。一人一人の顔が、浮かんでは消えていく。あいかわらずな誰かもいれば、びっくりするような変わりぶりの誰かもいる。あの頃のことはすべて幻のように思えるほど、人は変わり時代も変わりゆく。そう感じつつ、同時に友の声とそれに自然に反応している自分のその意識が当時とまったく何も変わってはいないという思いを、不思議なくらい平然と受け入れている。生まれたときから自分のなかにあり、これまでも、そしてこれからも何一つ変わらないだろうと思う何かは、やはり何も変わらず、当時の空気そのままに、すぐそこにあるのだ。そして、こうした事実のすべてに、僕はあらためて驚いてもいる。何に対して? すべては何も変わらないとも言えるし、昨日までそこにあったものが突然なくなってしまうこともある。そのどちらに対しても、不思議なくらいそれらを自然に受け入れている自分と、戸惑っている自分がいる。

春の嵐。傘をさしていたら、前にすすめないほどの、強い風。こんな嵐が今日、吹くなんて誰も予想してなかっただろう。だけど、嵐にあっても、人は皆それを当然のものとしてうけとめているようにも見える。そして、けなげにも前にすすもうとしている。嵐のなかでも、一歩一歩、確実に前にすすむこと。今、自分にできることは、それしかないんだ。

アメリカの友人

2008年04月07日 23時20分25秒 | Weblog
土曜日、十年来のつきあいの、友人夫妻がウチに泊まりにきてくれた。彼はアメリカ人で、もう十数年、関西の大学で英語を教えている。彼女は日本人で、アートの心得のあるとっても楽しいお方。彼の専攻は、poem、つまり、詩だ。詩の専攻で博士号を取得したという、すごい人なのだ。でもまったく堅苦しいところはない、というかその正反対。ものすごく気さくで、ユーモアのセンスに溢れてて、コメディアン並に面白い。彼も彼女も、ずっとしゃべりっぱなし。ぼくたちは、笑いっぱなし。彼が、関西でずっとヨメの英語の先生をしていたという縁で、いまも友人関係が続いていて、こうして年に一度、彼らがアメリカに里帰りしてこっちで彼女のお墓参りをするついでに、寄ってくれるのだ。ちなみに、僕のメッシーな書斎を見せたら、「Not so bad」と言ってくれた。それは、大学の研究室には、もっと散らかっている部屋だってあるよ、という意味でもあるし、お前なかなか本持ってるね、というお褒めの意味でもあるのだった。

夕方の5時頃に到着してから、軽くお茶を飲み、夕飯の鍋をつつき、ビールを飲み、デザートを食べながら、積もる話に花を咲かせる。昔話、近況、翻訳の話(四人のなかで一番英語がヘタな僕が翻訳を仕事にしているというもの辛いものがある)、その他もろもろ。写真を見てもらったり、Google EarthでLAの彼らの豪邸を見せてもらったり、その近所にある素敵な図書館のことを教えてもらったり。ヒッピーを地でいく青春を、人生を過ごした彼も、実家は資産家なのだ。ともかく、とっても楽しい一夜を過ごした。思い出が、未来が、白ワインが、走馬灯のように脳裏と胃袋を過ぎ去っていった。翌朝も尽きることのない話は続き、午後過ぎて、彼らは去っていった。ありがとう。

10年。それは、長い月日だ。「時は流れない。それは、積み重なる」。そんなコピーがあったけど、こうやって長年培ってきた人間関係のことを思うと、やっぱり大切なものなのだな、と思う。そこにあるから当たり前のように思っている時間の積み重さなりは、簡単には手に入らないものなのだ。先日、ある人からそんなことを言われて以来、積み重なった時間の大切さというものを、あらためて思ったりする。

そういえば最近、兄貴がかつて盗まれたウクレレを探し求め、ついにそれを発見して買い戻したという逸話を披露してくれ、そしてそのとき、「それを弾いていた時間はお金では買えないから」と言っていたのがとても印象に残った。兄貴はやっぱり渋いのだった。

でも、と僕は思う。たしかに、過去はとても大切だ。それは、何かと比べられるようなものではない。だけど、僕にはおそらく過去よりも大切なものがある。正確には、大切にしなければならないものが。それは、「今」だ。今、僕の目の前にあり、そして僕の心にあるもの。僕はそれを抱きしめる。そして、それはきっと未来につながっている。未来を導く光に。今、そこにあるものを愛することだ。それは、きっと確かなものとして、積み重なる。今から目をそむけることで、自分をごまかして生きることで積み重なるものに、何の意味があるのだろう。

信じる

2008年04月06日 14時12分11秒 | Weblog

自分を超えた、何か大きな力によって突き動かされ、導かれるようにして人生という森のなかを進むことがある。それは急にやってくる。あまりにも突然で、あまりにも強くて、驚き、戸惑ってしまう。だけど、そうなることは初めからわかっていたような気もする。天啓? たしかにそうかもしれない。だけど、その力は自分の外側からやってきたのではない。その始まりは、自分の心の内側にある。心の中心から、泉のように湧き出たパワーが、どんどんと大きくなって、自分を包み、世界を取り囲んでいったのだ。その巨大な力には、もはや自分の力や理性では抗うことはできない。だけど、自らから生まれでたものだから、逆らおうとする気持ちも生まれてこない。

泣きつかれて頭の芯がジーンとしびれている。だけど、やわらかな気持ちに包まれている。嬉しくて泣いているのではない、悲しいのでもない、切ないのでもない。ただ、すべてがそこにあることに対して、涙がこぼれるのだ。

僕は信じる。この力強く、暖かく、澄み切った何かの存在を。それは、一番大切な場所に、本当に求めていた場所に、僕たちを連れて行ってくれるはずだ。こんなに素晴らしい感情が自分のなかにあるなんて、知らなかった。いやちがう。僕はこの感情とともに生まれた。生まれたとき、ぼくはそれに包まれていたはずだ。だけど、長い年月をかけて、少しずつ忘れていっていたのだ。そんな気がしてならない。

僕は信じる。この大きな力とともに、生きていくことを。

Isn't it right?

2008年04月05日 14時34分30秒 | Weblog


大人と呼ばれる年齢になってからずいぶんとたつけど、肝心なことを何もわかっていなかったような気がする。「優しい」といわれることはあるけど、本当の優しさが何かなんて実はこれっぽっちもわかってはいなかった。久しく流したことがなかった涙が、とめどなく溢れてきそうでこらえるのが大変だ。

ただ、そうやって嘆いていても、自分を責めていてもしかたがない。僕には、僕を生きていることへの責任がある。何かに気づいたのなら、それをしっかりと受けとめ、嘘偽りない気持ちで生きることができるのだということを確かめるべきだ。答えはきっとあるはずなのだから。きっと僕を導いてくれているはずなのだから。

答えがわかったとき、その答えを身を持って示したとき、きっと僕は今よりももっと強くなっているはずだ。――そんな予感がする。

こんなときだって、自分にも他人にも、笑顔を与えてあげよう。この今も、たしかに時は流れている。風の唸り声を聞きながら、ソウルメイトの存在をすぐ近くに感じつつ。