イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

そぞろ歩きの会6 「湯島・本郷編」2.20(土)開催のお知らせ!

2010年01月27日 00時05分59秒 | Weblog

つい先日、2月のそぞろ歩きの会の場所をどこにしようか思案に明け暮れていた私のもとに、そぞろ歩き隊のIさんから素敵なメールが届きました。なかなか煮え切らない私の心を察したかのように、ずばり、「湯島はいかがでしょうか」と提案してくださったのでした。一部メールの文面を変更してIさんにおすすめいただいたコースを紹介します。

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御茶ノ水駅に集合。

・湯島聖堂で儒学の学問所「昌平坂学問所」を堪能
・神田明神で今年における多数の翻訳受注を祈願
・湯島天神で更なる翻訳力アーップを祈願
・最後に、龍馬のことが大嫌いだった岩崎弥太郎の邸宅、旧岩崎邸庭園を楽しむ(香川照之の顔がちらつくかも・・・)

という感じです。湯島天神では梅祭りもやっています。お茶の水駅そばにはニコライ堂もありますので、ここも見学してもいいかもしれません。
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さすが東京出身、そして都心にお住まいのIさん、素敵すぎます! もう2月は即決で「湯島・本郷編」とさせていただきました! コースは当日の参加者の意向で変更になるかもしれませんが、楽しくぶらりと湯島・本郷界隈を堪能したいと思います。Iさんありがとうございました。

東京の街を、ただ歩いておしゃべりするだけ――というシンプルかつゆるいコンセプトが意外と好評を博しております(^^)翻訳者そぞろ歩きの会、みなさまぜひご参加くださいませ。

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翻訳者そぞろ歩きの会6 湯島・本郷編編

日時:2月20日(土)10:00集合~14:30頃解散予定
集合場所:JR御茶ノ水駅、聖橋口を出たところ
内容:湯島・本郷の名所を回りながらそぞろ歩き(合計約3時間)。昼食(自由参加)して解散。
参加費用:旧岩崎庭園を見学した場合は入場料400円+昼食(参加自由)代
参加していただきたい方:「翻訳」に携わっている方(仕事または学習など)
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参加ご希望の方は前日(2月19日)中に児島までメールでご連絡ください(実際は当日集合時間まででもOK)。折り返し連絡いたします。キャンセルの場合は当日集合時間までにご連絡いただければ結構です。

連絡先:児島修
cozyosa@w2.dion.ne.jp
(@は半角に直してください)

みなさまからのご連絡をお待ちしております。お気軽にご参加くださいませ。

まったく同じ文面で、そぞろ歩きの会のブログに告知を掲載したしました。

タイムマシンでお願いします

2010年01月24日 21時12分05秒 | Weblog
会話のはずみで、「わたしは翻訳の仕事をしています」

というと、興味深く反応してくれる方がいる。

(ほう、そりゃ珍しいお仕事ですな、面白そうですな、大変そうですな、そうですな)

といった表情(おそらく)を浮かべ、しばし熟考したのち、

(素人の意見ではございますが、あたしは翻訳という仕事はこういうものじゃないかと常日頃思っているのでして、めったに翻訳なんて仕事をしている人には会う機会もないから、言わせていただくと)

という顔つき(おそらく)で、ゴホンとひとつ咳をした後に、

「実は英語力より日本語力の方が大切なんじゃないですかね?」

と云ったりする。

「おっしゃる通りですね」と僕は答える。もっともな意見だ。こう切り出す人はおそらく、日本語として相当に不味い訳を読んで不利益を被った経験が多くある方ではないかと思われる。あるいはその逆の幸福な経験を。察するに、読書家が多いのではないだろうか。本好きとしてはこういう方にはとても共感を覚える。よくぞおっしゃってくださいました、と心のなかで小さく喝采する(もっとも、日本語力だけが優れていればいいわけではないのだが)。


あるいは、

「専門知識が必要でしょう。専門用語を訳すのは大変でしょう(よくそんな七面倒くさいお仕事をされていますね)。そうでしょう? どうでしょう?」

とおっしゃる方もいる。

「おっしゃる通りですね」と僕は答える。もっともな意見だ。こう切り出す人は、専門性の重みをよくわかっている方が多いような気がする。専門性は大学の専攻に始まり、その専攻を活かした職業に就くことによって磨かれ、そこでウン十年という経験を積んでこそ、本物になる。そうして初めて世の中の人にプロのサービスを提供できる。そういう、専門性の王道が持つ力をよく理解している人なのではないだろうか。ズバリ本質を突いてくるなあ、と思う。残念ながら僕にはそこまでの専門性はないが、こうした質問をされる方々の意見を真摯に受け止めなければならないと思う。


はたまた、

「じゃあ、英語がペラペラなんですね」

とおっしゃる人もいる。

僕の場合、残念ながら「もちろんです」とは答えられない。だが、翻訳のプロである以上、プロレベルの英語力がなくてはならないことはいうまでもない。素人には及びもつかないくらい英語に堪能なんだろうなあ、と、こう切り出す人たちが思うのは当然のことであり、いやしくも翻訳者を名乗ろうとするのであれば、その「及びもつかないレベル」を目指して日夜努力をしなければならないのである。つまり、僕の場合はそうではないが、「おっしゃる通りです」というのが答えになる。


ほかにも、いろいろと訊かれる。「好きなことが仕事にできていいですね」「帰国子女なんですか?」「フランス語とかもできるんでしょう?(できるわけないっつーの)」「自己管理が大変でしょう」「翻訳って通訳のことですよね?(微妙に混同)」などなど。その中身は、人それぞれである。「素人」というと失礼だが、いずれにしてもこうした門外漢の方の方が、翻訳の世界にどっぷりとつかっている僕のような人間よりも、意外とこの仕事の本質を見ているのではないかと思ったりもするし、こうした何気ない質問の裏に、自分の仕事に対する見方、考え方をあらためて問い直すヒントが詰まっているものだといつも思う。逆に言えば、僕は多少は翻訳の世界のことは知っているが、その他の世界についてはまったくの素人なのであり、僕の知らないこれらの様々な世界の「プロ」の目で、翻訳というニッチな世界を見てもらっているわけなのでる。これは非常に有益な機会である。


ところで、僕は本当はこういう風に訊いて欲しいと思っている。

「翻訳の仕事をしています。本もわずかですが訳したことがあります」

「ほう、じゃあ本がすごくお好きなんですね(ニッコリと微笑む)」

と。

こういう質問をしてくれる人がいたら、嬉しくなって思わず握手をしたくなるだろう。抱きしめたくなるだろう。口づけしてしまうかもれしれない。いや、いっそ抱かれてもいい。そう、やっぱりつまるところ、僕は本が好きなのだし、だからこそ翻訳の仕事をしているのだと思う。本が好きじゃなかったら、本という形態を取ることのない実務翻訳の仕事を含め、翻訳はしていないだろう(本を読むことより、買う事の方が得意であるってことはこの際、言いっこなしで)。だが、たぶんまだ、開口一番、こう切り出してくれた人はいない。いたら、抱きしめる。逮捕されてもいいから抱きしめる。


ともかく、人によって価値観は様々だし、それぞれがそれぞれの視点で真実を(あるいはまやかしを)見ている。そういうことがわかって非常に興味深い。

だが、本当に翻訳者に必要な力は何か、資質は何か。それをわかっている人なら、こう訊くはずだ。

「翻訳の仕事をしています」

「ああ、それは時計の針を巻き戻す超能力が必要な仕事ですね」


そう、翻訳者に本当に必要なのは、タイムマシンにのって「まだ作業時間がたっぷり残されている世界」に戻れることなのだ。僕にとって、いま一番必要なのは、それだ。ああ、今朝に戻りたい。昨日の朝に戻りたい。金曜の夜に戻りたい。ああ、どうしよう。






まっすぐ家に向かったはずが4時間半の五里霧中 ~西新宿から武蔵境まで歩いてみたよパート3~

2010年01月23日 20時57分28秒 | Weblog


最近、会社帰りに歩けるところまで歩く、というのが定番になりました。さすがに家まで歩くと3時間近くかかり、ちょっとした小旅行になってしまうので、昨日は西荻窪まで、今日は吉祥寺まで、明日は阿佐ヶ谷まで、という感じでその日の気分と体調と相談しながら適当なウォーキングを楽しみ、最後にちょっとだけ電車に乗ることでOK牧場と自分を納得させているのであります。

武蔵境に住んでもう4年以上が経ちますが、実は生来のものぐさな性格がわざわいして、せっかくディープエリアである虫汚染じゃなくて中央線エリアに住んでいるにも関わらず、高円寺にも阿佐ヶ谷にもほとんど行ったことがなく、これではいかんと自分を奮い立たせて、あらためて今、各駅を「ブライワシ」して再発見しているところです。だんだん土地勘もついてきて、知っている道を基本にして、ちょっと脇道に入ってあらたなコースを開拓し、ほうなるほどこういう道があるのかい、と一人悦に入っています。怪しいですね。

昨日は週末前だし体調もよかったので、家まで歩いてみるつもりで歩き始めました。会社を出たのは8時。阿佐ヶ谷あたりまではなかなかよい感じの道を発見したりしてとても順調でした。各駅の商店街をウロウロして、ちょっと寄り道しながら歩き、西荻窪のラーメン屋に衝動的に入店したりして、ひとりそぞろ歩きを満喫しました。そして出発から3時間後、ついに吉祥寺に到着。

僕にとって、地元であるはずの吉祥寺から家まではなぜか鬼門です。何かの呪いがかけられているとしか思えません。何度も迷子になったことがあります。しかし、さすがに最近の歩き込みで、もう迷わない自信はありました。しかし、予想通りといいますか、これが俺、まさに俺的に、この余裕が徒となりました。「この道に行ったらどうなるんだろう? たぶん少し遠回りになるけど帰れるよな」という過信が、僕に誤ったルート選択をさせてしまったのです。いくら歩いても全然家の近くにたどり着く予感がしません。また迷子です。いい年こいて会社帰りに迷子ってどういうことでしょうか。我ながら、笑ってしまいました。右の方角にずれていることはわかったので、左折を意識してなんどか曲がるうちに、一時間近く歩いて、結局元の場所に戻ってしまいました。左折を3回繰り返せば、元来た場所に戻れる――。普遍の真理を体感できました。結局、いったん吉祥寺駅まで撤退するという出口戦略を採択し、確実なルートを確保しながらなんとか生還しました。家についたのは12時40分。実に4時間40分のびっくり日本新記録です。ラーメン屋にも10分くらいしかいなかったし、古本屋(2軒)にも各5分くらいしか滞在していません。つまり基本的にまっすぐ家に向かっていたにも関わらず、帰宅するのに4時間40分もかかってしまったわけです。我ながらその奇特さに驚きます。自分に御足労です。時間から計算するに歩行距離約24キロ。朝も4キロ、昼休みも4キロ歩くことにしているので、普通に一日通勤しただけで32キロ(八里)も歩いてしまいました。どうです、こんな馬鹿めったにいないでしょう。

とはいえ、無間地獄のように終わらない仕事から、今、唯一解放されるのがこのウォーキングの時間です。もうやめられません。僕の人生五里霧中ですが、毎日五里(20キロ)くらいを夢中になって歩くことを今後の日課にしたいと思います。

青空に昇る煙

2010年01月21日 23時39分01秒 | Weblog
大学一年生の夏、所属していたボクシング部の合宿に行った。山奥の民宿に3泊か4泊して、ひたすらに練習する。ひたすらに走る。最後に宴会があったけど、あとは何もない。ただひたすらに練習、練習、練習。

一つ上の学年に面白い先輩がいた。僕と同じく二浪していたから、ちょうど年も一つ離れていた。二浪して大学に入った人には、二つのパターンがあると思う。ひとつは、二年間の遅れを取り戻そうとして必死に勉学に励み、単位をきちんと取っていく、あるいは二年間浪人してまでも勉強したかった専攻に打ち込み、人生の目標を他よりも明確に持っている、そんなタイプ。もうひとつは、もう自分は普通の人生コースから一歩はみ出してしまったのだから、どうせならもっとはみ出してやろうじゃないか、という変な気負いでもって、何か普通じゃないことに打ち込んだり、本当に普通じゃない人生を歩み始めたりするタイプ。彼も僕も、まさしく後者に所属するタイプだった。そもそも、彼がなんでボクシング部にいたのかがよくわからない。彼には体育会系っぽさがまるでなく、存在が周囲から浮いていた。スポーツマンというよりも、なんとなくアジアの片隅を放浪している方が似合いそうな人だったし、実際そういう旅が好きらしかった。

僕は小学校からずっと運動部にいたから、それなりに部には馴染んではいた。格闘技も好きだから、けっこう練習も真面目にやっていた。だが、身体は体育会系でも、心は彼と同じく文化系だった。本当は何かもっと文化的なことがやってみたかった(なので同時に映画研究会にも所属していた)。だから彼とはなんとなく気が合って、ちょくちょく声をかけてもらったし、練習の合間にじゃれあったり、くだらない話をしたりした。

あるとき、何気なく、将来はどうするんですか? と訊いてみたら、彼は「タイでラーメン屋がやりたいんだ」と云った。日本のラーメンは外国人に人気だ。海外で営業したら結構ヒットするかもしれない。今でこそ企業が考えそうなビジネスプランだけど、当時は夢物語っぽい響きがあった。ともかく発想は面白いと思ったし、なかなか目のつけ所がいい。でも、やっぱり変わっている人だ。詳しいことはもう忘れてしまったけど、タイでラーメン屋をやりたいのは、海外でビジネスして儲けようとかいうビジネスマン的な発想じゃなくて、たぶん彼自身がタイがものすごく好きで、ともかく定住したいと考えていたんだと思う。日本のリズムが彼には合っていなかったのかもしれない。

そんなわけで、彼を含めた数十人が、もうどこか忘れてしまった山奥で、共同生活を送っていた。合宿中、毎朝、彼がものすごく熱心に新聞を読んでいるのに気づいた。舐めるように紙面に目を走らせている。なんでそんなに一生懸命に新聞を読んでるんですか? と訊いたら、彼が真顔でこう答えた。

「ここに来る前、家のガスをつけっぱなしで出てきてしまったような気がしてさ。もし火事になってたら記事が載ってるはずだと思うんだ」

笑っちゃいけなんだろうけど、笑った。おもろしい人だ。幸い、彼の家が燃えたという記事は載っていなかったようだ。一事が万事で、彼はこんな風にとてもユニークな人だった。そんな彼のことが、好きだった。


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かくいう僕も、朝家を出てしばらくした後に、そういえばヤカンでお湯を沸かしたあと、ちゃんと火をとめたっけ? ということが気になることがある。もう駅が近づいているし、いまさら引き返したくはない。たぶん、99%は大丈夫。だけど、気になり出したらとまらなくなる(ごくたまにだが、そんなときに消防車がサイレンを鳴らしながら家の方に向かって走ってくのを見たりすると、ますます気が気じゃなくなる)。

なんどか後ろを振り返る。煙は立っていない。火がつきっぱなしだったら、火事になってモクモクと黒煙が空に昇っているはずだ。煙は見えない。

電車に乗る。満員電車の窓際に立ち、家のある方角を凝視する。電車が走り出す。煙は昇っていないか、消防車の音は聞こえないか、大丈夫か、家よ、燃えないでくれ。携帯で、家に電話をしてみる。電話はちゃんと鳴っている。うん、火事で燃えてたら電話機も反応しないよな、大丈夫だよな。

やがて電車はスピードを上げ、隣町の駅が近づいてくる。もう僕の家のある一帯は見えない。

今頃、彼はどこで何をしているのだろうか。本当にタイでラーメン屋をやっていてくれたら嬉しいな。僕は途中で部活を止めたから、きちんと彼に挨拶もできなかった。しばらく練習をやすんでいたら、心配してハガキを送ってくれたこともあったよな。20年ぶりに、タイを旅行してみるのもいいな。バンコクは今も、きっと灼熱だ。

そんなことを想いながら、電車は都心に近づいていく。こんな風にして、新しい一年がまた始まる。また一年、過去が僕から遠ざかっていく。窓の外には、一月の冷たい青空が広がっている。

「イワシの翻訳Love」検索語の謎

2010年01月18日 22時52分30秒 | ちょっとオモロイ
どこのプロバイダーにもある機能だと思いますが、このブログの作成で利用させていただいているgooブログには、ブログの管理者(つまり僕)しかアクセスできない編集機能がありまして、そこではこのブログにどのような検索語を使ってアクセスしたかという結果(上位20件まで)が毎日表示されるようになっています。なかなか興味深い語が多いので、本日は、ここ数ヶ月の検索語のなから面白い物をピックアップして紹介させていただくことにします。

もちろん、どこのどなたがその検索語を入力したかは僕にはわからないしくみになっています。が、それだけに、こちらからは素性のわからない方々が、いったいどんな思いでこれらの語をブラウザの検索窓に打ち込み、そして結果としてこのイワシブログに(誤って)たどり着いたのかを考えると、なかなかしみじみとするものがあります(どのような検索語であれ、ブログを見ていただけるのは嬉しいことではありますが、おそらくほとんどの方が、求めていたものとはほど遠い情報を発見して失望されているのではないかと思うと、申し訳ない気持ちなのです)。

では、まずは最近の話題から。大晦日の石井対吉田戦でのタマタマ事件にちなんだ、以下のような検索語がいくつかありました。

「タマタマ 悶絶」
「吉田秀彦 金タマ」
「金玉食い千切り」

食い千切りというのはすごいですね。記事はこれでした


続いて、定番の検索語をいくつか紹介します。まずはニンニク関係です。

「チンしてはいけない食べ物」
「にんにくを食べたら辛くて涙出てきた」
「にんにく レンジでチン」
「にんにく 吐き気」

これがその記事です。僕と同じ苦しみを味わった人もいるということなのでしょうね。


「冷凍バナナ 食べ方 皮ごと」
「なぜバナナの皮は凍らすと黒くなるのか」

恐怖の冷凍バナナ事件。同じ事を考えている人が多いのですね。嬉しいような、気の毒なような。


「半球 照明カバー 天井 外し方」
「天井 カバー 外れない」

この天井電球カバー系も多い。電球が外れなくて困った事件を書いたことがあり、これはこのブログのなかでも異例中の異例的に読んだ方に少しは役立っている記事かもしれません。といいつつ文章が無駄に長いのでお役にたっているのかどうか…。記事はこれです


続いてスティングの「Shape of my heart」に勝手訳をつけたときの記事にも反応が多いです。

「shape of my heart」
「shape of my heart 和訳」

深い詩だけにいろいろと考えてみたくなるのでしょうね。かなり自分流の訳ですみません。



「鳩のフンが落ちた場合の対処」
「しょうがないやつ」

こんなのもあります。鳩の糞の対処方法は書いていませんが、しょうがないやつは、ビンゴかもしれませんね。



「「それ……私に言わせる気?」」
「虎だけに捕らわれるな」
「耳そうじ  脱税 」

意味不明です。「耳掃除」と「脱税」。すごい組み合わせです。推理小説のトリックでも考えていたのでしょうか。しかしこの検索語でなぜこのブログに~?


「イワシ 翻訳」

これがほぼ毎日、一番多い検索語です。検索窓にこれを打ち込むと「イワシ」を英語にしてくれると思ってそうしたのか(そういうサービスがあるのかも)、ひょっとしたらこのブログを読もうとしていただいて、いちいち「イワシの翻訳Love」と打ち込むのがめんどくさいので省略されたのか。でも夕飯を食べながら、「そう言えば、イワシって英語でなんていうんだっけ? そうだ、グーグルに"イワシ 翻訳”って入れたら翻訳してくれるかも?」と思って入力する人は多いような気がします。なんだかその幸せそうな食卓の光景が目に浮かびます。そういう方々に変なブログにたどり着かせてしまっていると思うと、なんだか申し訳ないです。


純粋なイワシ系もけっこうあります。

「生きているイワシの写真 画像」
「小さいいわしの子のフライ」
「2009イワシ救い」

こういう本物(魚)のイワシを求めている方々にも申し訳なさを感じます。しかし「2009イワシ救い」って何でしょうか? 小さいいわしの子のフライというのも、妙に残酷な響きがありますね。


「ブログ イワシの本当LOVE」
「イワシの和訳LOVE」
「いわしの翻訳家」

これらはおそらくこのブログを探して入力してくれた方々によるものと思われます。「本当LOVE」ってすごい響きですね。「和訳LOVE」は、確かに僕は和訳しかできませんので、より正確な定義と言えます(でもなんだかかっこわるい)。「いわしの翻訳家」これはなんだか「めだかの学校」みたいですが、なんだか味があっていいですね。この海には、「サバの建築家」、「カツオの小説家」あたりが泳いでいるのかもしれません。


「珍走系」
「男湯 突撃レポート」

男湯の突撃レポートは書いた記憶はありませんが、このレベルの変態語で検索した方々の期待には、このブログは応えられているのではないでしょうか(^^)


では、いよいよ本題といいますか、翻訳系の検索語を見てみましょう。

「翻訳者にむいてる人」
「翻訳 専門 決められない」
「フリー翻訳家で食えるか」
「翻訳者 一日の作業量」
「翻訳で飯を食う」
「フリーランス 翻訳 生活」
「翻訳 初心者 スピードを上げるには 1日10枚」
「翻訳 トライアル 結果が来ないのに依頼」

これから翻訳でやっていこう、と思っておられる方々、あるいはすでにこの道に足を踏みれている方々のような気がします。このブログを読んで、現実を知りあきらめる人もいたりして。もっとまともな翻訳者はたくさんいますので、どうぞ早まらずに!


「フリーランス 翻訳者 仕事がはかどらない」
「翻訳 納期 意地でも」
「夜に翻訳する業者」
「貧乏暇なし 翻訳」
「トワイライト翻訳者」

意地でも納品。夜に仕事。貧乏暇なし。まさに僕ですね。当ブログでは、いい(悪い?)見本を存分に提供しております。しかし「トワイライト翻訳者」というのは美しい表現ですね。夕暮れ時に翻訳するということ?


「ひどい訳文」
「だめな翻訳チェッカー」
「誤訳ごめん」

シビアな検索語ですね。ネガティブな要素が強まってきています。


「出版翻訳 食えない」
「翻訳で食えるか」
「翻訳 斜陽産業」
「翻訳出版界の危機」
「不況 フリーランス 翻訳者」
「翻訳は割に会わない」
「フリーランス 翻訳 仕事 来ない」

だんだん危機感が増してきます。他人事じゃないですよね。どういう心境でこの語を入力されたのでしょうか。同業者と思われるだけに身につまされます。現在の業界の状態を表しているような気もします。


「翻訳 もうからない」
「翻訳をあきらめる」
「翻訳者 辞める」

はしくれ翻訳者としては、とても悲しい語として響きます。でも、人生、翻訳だけじゃない。相性もあるし、環境や運もある。だからあきらめるのも、やめるのも、一つの選択肢だと思います。それに、いつかは誰だって翻訳を引退するときがくる。でもまだこの道でやっていく自分を少しでも信じられるなら、もうちょっとしがみついてみてほしいとも思います。僕もしがみついていますので! あまりシリアスな気持ちじゃなく、検索された語だと思いたいです。といいつつ、こういうネガティブな語でヒットするということは、このブログがネガティブワードに満ちているということなのかも?


ちょっと暗くなってしまいましたが、明るい検索語もあります。

「翻訳 新しい人生の第一歩」
「LOVE 大切 翻訳」

翻訳に大切なもの、それはLOVE
うん、素晴らしい! その検索語の答えになるものが、このブログに少しでも書いてあると嬉しいです。いや、そうなるようにこれからも努力します。毎日が新しい人生の第一歩。今日も明日も翻訳LOVEを続けてみます!

そぞろ歩きの会5「築地・月島編」開催レポート

2010年01月16日 19時39分09秒 | Weblog

そぞろ歩きの会5「築地・月島編」無事、終了いたしました。おかげさまでとても充実した一日になりました。ご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。またそぞろ歩きましょう!

そぞろ歩きの会のブログに本日のレポートを掲載いたしました。よろしければご覧くださいませ。

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月曜日も仕事を休みにしてもらって、3連休を取りました。僕の時計はクリスマスあたりから止まったままでしたので(^^)これからようやく大掃除に着手いたします。いろいろと整理をして新しい年に備えます! さあ、やるぞ!


福袋が続々

2010年01月14日 23時03分16秒 | Weblog
年末年始のずいぶん前からほとんど休み無く仕事をしていたら、とうとう先週末の3連休でガス欠になったようで、まったく仕事の能率が上がらなくなってしまいました(もともとそうだったような気もしますが...)。

ふと我に返り、じっと手を見つめて、いったいなぜこんなに仕事ばかりしているのだろうかと呆然としてしまいました。

涙が溢れてきて、止まらなくなってしまいました(というのはウソです)。

やり場のないやるせなさを抑えきれず、おもむろに、アマゾンの「ほしい物リスト」にチェックしていた大量の本を購入してしまいました。いったい何冊買ったのでしょう???記憶がありません。

今週、家に帰ると郵便受けのなかにたくさんの本が入っていました。そして、玄関には宅配便の不在連絡票がいくつもはさみ込まれていました。

本の袋を開けると、かすかに覚えているような、あるいはほとんど身に覚えの無いような本が出てきます。つい3日前ほどの自分から届いた、福袋のようなものかもしれません。ともかく早く仕事を一段落させて、本を読みたい!!

さあ、今日もこれからまた仕事です! 納品までGO!!

※告知

「翻訳者そぞろ歩きの会5」築地・月島編がいよいよ1/16(土)に迫って参りました。現在のところ7名の方々に参加のご連絡をいただいております! 明日(金)私は帰宅が遅くなりそうなので返事が遅れるかもしれませんが、必ず返信いたします。参加をご希望の方はぜひお気軽に私までご一報くださいませ。

当日は、築地→勝鬨橋→晴海(トリトンスクエア)→月島(もんじゃ焼きでランチ)というコースを予定しております。

そぞろ歩きの会のブログに詳細を記載しております。みなさまの参加をお待ちしております!


もうこれ以上「ポテンシャル」は必要無い

2010年01月11日 18時26分31秒 | Weblog
あのさあ、前から思ってたんだけど、この際はっきり言わしてもらうよ。

君たちはさあ、"potential"って言い過ぎなんだよね。
何かにつけ、ポテンシャルポテンシャルって、おっしゃるけどもね。
潜在的なとか将来的なとか可能性がとかさ、そういうことはあえて言わなくてもいいと思う訳ね。言わなくてもわかると思うんだよね。そんなことは。

つまりさ、そういう当てにならないことばっかり気にしてちゃだめなの。
現実を直視しないといけないんだよ。

なぜって、とっても訳しづらいのよね。

「潜在的なリスク」とか、「潜在的な収益」とか、そういういかにも翻訳調な訳文をこれ以上作りたくないわけよ。お願いだからいちいちpotentialって書かないで欲しいのよ。英語で文章書いてる人に言いたいんだけどさ。

それから、availableってのも使いすぎだと思うんだよね君たちは。
いちいちavailableって言わなくても、意味、通じると思うんだよね。
「利用可能な」って訳語が嫌いだからさ、なんとか使うのを逃れようとするんだけどさ、あんまりにも君たちがしつこいもんだからこっちも根負けしゃちゃってさ。僕には利用可能なボキャブラリーがないし、翻訳者としての潜在能力もないもんだからさ、ついつい妥協しちゃうわけなんだよね。でもさ、それも悔しいから、なるべく行間に埋め込むようにしてるんだよ。そういう風に僕たちは苦労してるんだからさ、君たちもこれからはなるべくポテンシャルとかアベイラブルとか軽はずみに言わないようにして欲しいんだよ。じゃあね。


※告知

翻訳者そぞろ歩きの会、2010年も引き続き開催させていただきます。年明け第1回目は1/16(土)に築地、月島を散策することにいたしました。まずは「東京の台所」築地界隈をそぞろ歩いた後、月島に移動し西仲通商店街を中心にぶらぶらして、最後はお約束ということでもんじゃの昼食をとりたいと思います。移動範囲もそれほど大きくないので、どちらに行くかは誰かの思いつきで決める(これぞまさにそぞろ歩き)で散策の醍醐味を楽しめるのではないかと期待しております。寒い季節ですが、みんなで歩けば身も心も温かくなります! 歩くことで新年の明るい希望もきっと見えてきます(^^)
みなさまぜひぜひご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに詳細を記載しております。ご参照ください。




Head First Rails ―頭とからだで覚えるRailsの基本 1月中旬に発売開始!

2010年01月10日 10時27分44秒 | Weblog
オライリージャパンの人気シリーズ待望の新作、『Head First Rails ―頭とからだで覚えるRailsの基本』が、ついに2010年1月中旬に発売されます。

本書はタイトルの通り「頭とからだ」を使って実際にRailsアプリを開発しながら、楽しく学習を進めていけるようになっています。様々な登場人物たちと一緒に、ワクワクした気持ちでRailsを学べること請け合いです。同社の敏腕美人編集者Kさんの熱い想いが込められた、渾身の一作! Ruby on Railsに関心のあるみなさん、ぜひ本書を手にとってくださいませ。

監訳・監修はRubyコミュニティーで積極的に活躍されているこの道の第一人者、気鋭のRailsプログラマ/Railsコンサルタントの松田明さんです。私は翻訳を担当させていただきましたが、ほとんど松田さんの訳であると言っても過言ではないほど、詳細かつ情熱的なレビューをしていただきました。

私の訳のまずいところはもちろん、原書のエラー(英語の表現、コーディング)についても徹底的なチェックがされたことにより(本家アメリカの本書のサイトにも、松田さんが報告したエラーが多数掲載されています)、情報の正確さという意味においては、訳書が原書を越えるという希有な(そして理想的な)例が実現しました。Kさんの並々ならぬ情熱と、松田さんの卓越した見識により、用語からコードにいたるまで、日本の読者のことを考えた細かい配慮がたくさん詰まった、かつ訳文も非常に読みやすいお買い得の一冊となっております。読者のみなさんには、安心して本書をお楽しみいただけると思います。

本書の対象読者は、

「多少のHTMLの知識と多少のプログラミング経験があり、Railsを使って短時間で「かっこいいウェブサイト」を作りたいと考えている方」

です(が、広義での対象読者は「財布の中に3,990円以上の現金が入っている方」と「クレジットカードを所有している方」すべてです)。

Railsを学びたいと思っている方、すでにRailsを使って開発をしている方、ぜひ本書のご購入をご検討くださいませ!


『Head First Rails ―頭とからだで覚えるRailsの基本』
David Griffiths (著)、松田 明(監訳)、児島 修 (翻訳)
出版社:オライリージャパン




この道は、いつか来た道 ~西新宿から武蔵境まで歩いてみたよパート2~

2010年01月08日 22時54分33秒 | Weblog
昨日の教訓を胸に秘め、私は再び西新宿~武蔵境間の帰宅ウォークを決行した。実は同僚に武蔵境在住のサイクラーがいて、毎日自転車で往復している。経験豊富な彼にいろいろと話を聞いて、私が取るべきルートはズバリ「五日市街道まっしぐらコース」であるという結論に達した。

もう、昨夜みたいに迷いはしない。青梅街道を40分ほど歩くと、新高円寺の駅の手前が五日市街道の入り口だ。私は車に乗らないから(免許持ってません)道路の名前を覚えるのが苦手だ。ほう、ここが五日市街道か。この道には、いつかくることになると思っていたわい。そう呟いてひたすらに歩を進めた。おそらくはキロ10分強のペース。もうちょっと頑張れば競歩並の速さだ。ネットで調べたところこのルートだと家までのキョリはジャスト14キロ。2時間半ほどで到達できるはずだ。さすがの私も五日市街道沿いに進めば迷うことはあるまい。車はビュンビュン通るし、歩道は狭いし華やかさもない。だがいいのだ。この侘びしさが、私の今の心境に相応しいじゃないか。

このルート設定は成功だった。正しい道を歩いているという安心感から、周囲を見渡す余裕も生まれる。何百人もの人とすれ違う。夥しい数の家々の前を通り過ぎる。窓から漏れる煌々とした明かり。夕飯の準備をしている台所から、いい匂いがする。コロッケを揚げる音、トントントンとお母さんがキャベツを千切りにしている音(と、勝手に想像する)。あまり流行っていない食堂が多い。中を覗くと、二、三席だけに客がいて、主人が少々手持ち無沙汰にしている。いくつか、よさそうなお店を見つけた。いつか入ってみよう。

ここが善福寺公園か。地図では何度も見たことがあるけど、初めてきた。公園のなかに入ってしばらくウロウロした。ほとんど人はいない。この界隈は、侘びしくて、古くて、なんだか懐かしいところだ。昭和っぽさがまだ残っている気がする。やっぱりここは、いつか来た道なのかもしれない。

高円寺あたりで、店じまい間際のお肉屋さんが弁当を安売りしていた。350円。思わず買った。これが今日の晩餐だ。今日は古本屋にはいかなかった。

吉祥寺に到着。うん、やっぱりいい所だここは。格闘技のジム。ガラス張りの向こうで、若者がトレーニングしている。ブラジリアン柔術のコースあり。やってみたいなあ。充実感を感じながら前に進む。面白いお店がたくさんある。もっと人生を楽しもう、何か面白いことをしよう。何十年もの間の、たくさんの人たちのいろんな思い降り積もって、こんな店になった。こんな家になった。詳しいことはわからないけど、そんな想いが伝わってくるような気がした。

2時間35分後、家に到着。小旅行の感覚だ。災害が起こって交通が完全に麻痺したら、こうやって歩いて帰るんだろうなあ。防災訓練みたいだ。疲れたし、なんだか妙にせつなかったけど、それでも面白かった。いろんな発見があった。いろんなアイデアが沸いた。たくさんの家の前を通ったから、なんだかたくさんの家庭から、少しずつ幸せな人生のお裾分けをもらったような気がした。マラソンの練習にもなるから、また歩いてみることにしよう。

人間、交通手段に頼らなくても、結構遠くまでいけるものなんだなあ。新宿から武蔵境まで電車だったら290円だけど、タクシーに乗ったら1万円近くする。矢沢永吉のおばあさんが、『成りあがり』のなかで、「卵を食べてるんじゃなくて、鶏をまるごと食べてると思え」って言うシーンが出てくるけど、それと同じだ。一万円得したと思おう。

さあ、明日からは家で仕事だ! 

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※告知

翻訳者そぞろ歩きの会、2010年も引き続き開催させていただきます。年明け第1回目は1/16(土)に築地、月島を散策することにいたしました。まずは「東京の台所」築地界隈をそぞろ歩いた後、月島に移動し西仲通商店街を中心にぶらぶらして、最後はお約束ということでもんじゃの昼食をとりたいと思います。移動範囲もそれほど大きくないので、どちらに行くかは誰かの思いつきで決める(これぞまさにそぞろ歩き)で散策の醍醐味を楽しめるのではないかと期待しております。寒い季節ですが、みんなで歩けば身も心も温かくなります! 歩くことで新年の明るい希望もきっと見えてきます(^^)
みなさまぜひぜひご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに詳細を記載しております。ご参照ください。

Where am I? ~西新宿から武蔵境まで歩いてみたら思い切り迷ったよ、嗚呼3時間40分~

2010年01月07日 23時20分54秒 | Weblog

会社のある西新宿から、自宅の武蔵境まで歩いて帰る――会社員時代から、一度やってみたかったのだが、なかなか実行に移せなかった。今日はチャンスだったので、思い切ってチャレンジしてみた。目標は3時間。

ワクワクした気持ちで6時半に会社を出た。腕時計のストップウォッチで時間計測を開始し、丸ノ内線沿いの通りを荻窪方面に向かって快調に進む。勢いづいて、いきなり新中野駅近くのブックオフで新書を5冊購入。新中野、高円寺、阿佐ヶ谷、それぞれ特徴があるし、面白そうなお店も多くて刺激的だ。地下鉄の駅に一つ到着する度に、ちょっとした達成感を味わえて嬉しい。

1時間を少々過ぎたころ、荻窪に到着。思っていたより早い。これはいける! そんな安心感で油断してしまったのか、よさげな古本屋があったので吸い込まれるようにして入っていった。いい店だった! 思わぬ掘り出しものが見つかった。

ここからは少々道がわかりにくくなる。だがそんなに問題なく、西荻窪の駅前に到着。西荻はやっぱりイイ! ここでも古本やで1冊50円の文庫を8冊も大人買い! そして少々迷いながらも吉祥寺へ。お腹が減ったので麺屋武蔵で大盛り野菜盛り盛り?で頼んだらチョモランマみたいなラーメンが出てきてびっくりした。でも美味しかった!

吉祥寺はもうある意味ホームタウンである。会社を出てから2時間20分ほど経過していた。吉祥寺からはまっすぐ歩けば45分くらいで家に着ける。3時間を切れるかもしれない。初のレースでサブスリー達成だ! 俄然やる気をだして歩いたのだが、実は吉祥寺から家まではよく迷ってしまう。夜だと特に方角がまったくわからなくなってあらぬ方向に行ってしまうことがよくある。今回もその吉祥寺マジックにやられてしまった。吉祥寺と三鷹の老獪なコンビネーションに完全に調子を狂わされ、結局1時間半もウロウロして家についたのは3時間40分後。やはりマラソンは35キロ地点からが勝負なのだ(ちがうか)。そして古本17冊(リュックの重さを量ったら7キロもあった!)も買ってしまった。いい年こいて何をやってるのでしょうか私は。

ネットで距離を確認してみると、17キロ近く歩いたようである(どこをどう迷ったのか覚えていないので適当)。本当は13キロくらいで行けるようだ。サブスリーを目指してまた挑戦しよう。もう絶対に迷いたくない。通勤ランでサブツーを目指すというのもありかも、だ!


試合の日、あるいはアリとキリギリス

2010年01月06日 21時42分59秒 | 翻訳について
翻訳者になってみて、上手く言葉に表せないながらも、漠然と「何かが足りないなあ」と思うことがあったのだけど、それが何であるかに気づいた。

それは「試合」の感覚だ。あるいは「本番」の感覚と言うべきものかもしれない。

プロスポーツの選手だったら、今日は練習、明日は試合、明後日はオフ、明明後日は練習...という風に明確に「今日のテーマ」が決められている。野球だったら年間140試合とか、Jリーグだったら34試合とか、一年のなかで明確にハレの日とケの日が区別されている。

試合の日の、あの緊張感。試合開始の合図がなされた瞬間の、あの脳内からアドレナリンが一気に分泌される感覚、いつもとは時間の流れ方が違う非日常の世界、これまでやってきてすべてが、今の自分の力のすべてが白日のもとにさらされる審判の日、試合終了の笛がなった瞬間の解放感と脱力感、勝利の喜びと敗戦の悔しさ。

翻訳という仕事には、この試合の感覚を見いだすのが難しい。
翻訳者には、立つべき舞台もスタジアムもない。土俵もないしリングもない。

もちろん僕にもオンの日とオフの日がある。だが基本的には毎日仕事をしているようなものなので、あんまりメリハリというものがない。オフといっても、一日がかりの予定が入っている日か、やろうとおもっていたのに結果的にほとんど仕事ができなかった日のどちらかだ(前者はめったにないが、後者はけっこうあったりして)。

だが、けっして僕はもっとオフが欲しいわけではない。時間があったら翻訳に関わること――たとえば読書とか、本屋巡りとか、洋画を見るとか――をしていたい(翻訳作業そのものはしたくない場合は多いが)のだ。

つまり問題は、このように延々と続く翻訳モードの時間のなかでのメリハリがあまりないことなのだ。

翻訳者にとって「試合」とは何だろう? 「本番」とは何だろう?

納品するとき? 仕事の成果が形になるとき? 翻訳料が振り込まれたとき?それとも、やっぱり翻訳しているすべての時間が本番?

このあたりは人それぞれだとは思うが、僕の場合、仕事をしているすべての時間を「試合」と呼ぶにはそれはあまりにも長丁場すぎる。延長18回再試合を毎日やっているような感じで、とても疲れる。一年に300試合以上もあるような超多忙なプロレスラー並の試合数になってしまうから、とてもじゃないけど「さあ今日は試合だ。ついに来たこの日!」という感覚は持てない。せっぱつまってものすごい集中力で仕事をしているとき(それを「追い込み」と同業者は言うが、僕の場合は常に「追い込まれ」あるいは「追い詰められ」なのであった)は、確かに試合の感覚に近い。だが、それは何というか、相撲で言えばもろざしされて土俵際まで追い詰められてなんとかもちこたえている状態、サッカーで言えばロスタイムあと3分しかないのに2点差で負けていてチームは(ちょっと感覚の古い監督の指示に従って)強引に長身フォワードに向けてロングボールでパワープレーを展開中だけどこういうときに限って焦ったボランチのところでボールを奪われて逆襲されて「もう何やっとんねん」と思いながら自陣めがけて相手の俊足フォワードを追いかけていく実は鈍足ディフェンダーといった感じで(長い)、なんというかあまり晴れ晴れとした気持ちではなく、スポーツの試合前に感じるあの独特の静けさの入り交じった緊張感、身が清められるような気持ちが感じられないのである。

翻訳を担当させていただいた本が出版される日も、お金が振り込まれる日も、ハレの日であるし、とてもとても嬉しいのだけど、「試合」をしているというのとはちょっと違う。野球の選手だって、試合中にゴールデングローブ賞をもらったり、お金が振り込まれたりはしない。それは試合の結果のご褒美としてもらえるものなのだ。

と、そんなことを漠然と考えていたのだが、そんな僕のようなキリギリス翻訳者にも、きちんと意識すれば「試合の日」を作れるということを、つい最近、実感として味わえた。

翻訳者の僕にも、試合日は作れる。「アリになる日」つまり、一日翻訳だけに集中する日を作り、それを自分にとっての試合の日と位置付けるのだ。試合日は、こうやって設定できる。

まず、納期に追われてせっぱ詰まっていてはいけない。つまり、納品日当日または直前の日はできるだけ避ける。ある程度の余裕があるスケジュールながらも、やるべきボリュームはたくさん残っており、できるだけ仕事を進めたい、という状況が望ましい。逆にあまりにも分量が少ないと、なんとなく気合いも入りにくい。

その日は、「今日は試合だ」と思い込む。目標は、どれだけ多くの時間、集中して仕事に取り組めるか、どれだけ作業を進められるか、だ。

前の日は早く寝る(「明日は試合だ」と意識して、頑張る自分をイメージし、胸の高鳴りを押さえながら床につくのがポイントである)。

朝起きたら手短にお茶を入れたりシャワーを浴びたりと朝の準備をして、「さあ、試合開始だ」と気合いを入れてコンピューターに向かう(このとき、甲子園で高校野球の試合をするときに鳴るサイレン音を使うと効果的である)。

できれば朝5時、遅くとも7時くらいまでには開始したい。

午前中に一回休憩をとり、お昼休みをとり、夕方になって力尽きるまで作業を続ける。その間、1時間毎に成果を計る(ワード数)。こんなに進んだ! これしかできんかった! などなど、過去1時間の自分、これから1時間の自分との闘いだ(この感覚がとてもスポーツの試合のそれに近い)。

朝早いので、夕方6時とか7時くらいになると、もうエネルギーが尽きる。ようやった! と自分で十分納得したところで試合終了だ(このとき、朝と同じように甲子園で高校野球の試合をするときに鳴るサイレン音を使うとさらに効果的である)。それでも12時間前後は集中して作業したことになる。そうすると、普段のYoutube動物動画をみながら仕事をしているのか、仕事をしながら動物動画をみているのかわからないような自分とは比較にならないほどの作業量がこなせている。

今日は××ワードできた。今度の試合では××ワードを目指そう。そういう風にモチベーションも高まる。

だが、これを毎日続けていてはいけない。仕事は毎日やらなくてはならないが、毎日「試合の日」にするととてもつらい。Jリーグ並に週2試合くらいがちょうどいいのかも知れない。残りの日は、試合の日ほど集中したり長時間作業したりはせずに、仕事を続けるのである。ちょっと頑張る日は「紅白戦」あまり頑張らない日は「練習」だと位置付けたりしてもいいかもしれない。

ともかく、この「試合の感覚」というのはなかなかいいものなので、同業者のみなさんもよかったらお試しあれ。この仕事をしている人たちは、基本的に「好きだから」やっているという方が多いと思う。だからなおさら、一歩間違えば単なる仕事漬けの、この「自分ベンチマーキング」がおすすめなのである。

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年末から「試合日」をいくつか入れながら作業していた案件がようやく終わり、今更ながら正月がやってきたという感覚です。アリさんの日々が終わり、つかのまのキリギリス状態です。まだまだ仕事はたくさん残っていますが、あらためまして、みなさま明けましておめでとうございます。年賀状は、もうすぐ投函いたします。すみません m(__)m

※告知

翻訳者そぞろ歩きの会、2010年も引き続き開催させていただきます。年明け第1回目は1/16(土)に築地、月島を散策することにいたしました。まずは「東京の台所」築地界隈をそぞろ歩いた後、月島に移動し西仲通商店街を中心にぶらぶらして、最後はお約束ということでもんじゃの昼食をとりたいと思います。移動範囲もそれほど大きくないので、どちらに行くかは誰かの思いつきで決める(これぞまさにそぞろ歩き)で散策の醍醐味を楽しめるのではないかと期待しております。寒い季節ですが、みんなで歩けば身も心も温かくなります! 歩くことで新年の明るい希望もきっと見えてきます(^^)
みなさまぜひぜひご参加くださいませ。

そぞろ歩きの会のブログに詳細を記載しております。ご参照ください。




今、魂のゴング鳴れ! ~あけましておめでとう2010~

2010年01月01日 20時37分57秒 | Weblog


タマらず吉田がタマを押さえ、苦悶の表情でリングにうずくまった。故意なのかタマタマなのかはわからない。だがおそらくはタマタマ、石井の強烈な膝蹴りが吉田のタマタマに命中した。悶絶した吉田が「マタタビを浴びたタマ」のようにマットのうえを転がり回る。全身から流れる脂汗。「とんでもないタマだこいつは!」といった表情で柔道界の後輩、石井慧を睨んでいるように見えた――。

******************* 10分前 ********************

金玉の美声――世界的オペラ歌手の佐野成宏さんによる国家独唱が終わると、さい「タマ」スーパーアリーナを埋め尽くした観客の興奮は最高潮に達した。

金が二つ、リングの上で輝いている。大晦日の一大イベント『Dynamite!! ~勇気のチカラ』の目玉となる、二人の金メダリストの試合がこれから行われるのだ。

玉石混交の選手たちが次々にリングに登場した今宵、試合開始を告げる金の音を待っている吉田秀彦と石井慧は紛れもない本物のファイター、筋金入りのアスリートだった。特に、この闘いは北京五輪柔道男子100キロ超級金メダリストの石井慧のデビュー戦として世間の大きな注目を浴びていた。才能よりも努力で金をつかみとった男が選んだのは、「ふたつの金」――すなわち2012年ロンドン五輪での二つ目の金をとりにいくことではなく、未経験のMMAの世界に飛び込むことだった。この一年というもの、アメリカを中心に厳しいトレーニングに打ち込んできた石井。おそらくものすごく強くなっているはずだ。期待がタマまる、いや、高まる。きっとあけてびっくり玉手箱のような試合を見せてくれるはずだ。

金融危機に揺れた日本の2009年を締めくくる大一番。若者らしく歯に衣を着せない物言いが玉に瑕な石井だが、その潜在能力は計り知れない。一時期の黄金時代の勢いを失いつつある日本の格闘技にあって、隠し玉とも言える存在であり、金のタマ、いや卵になる可能性を秘めている。柔道で培った最高レベルの技と強靱な肉体の土台に、持ち前の努力と向上心で身につけてきた打撃と柔術のテクニックが加われば、まさに鬼に金棒。だが今夜は若さにまかせて、玉砕覚悟で吉田にぶつかっていってほしい。

たまたまTBSにチャンネルを合わせた、格闘技に特に興味のない人も、きっとテレビの画面から伝わるこの異様なキン迫感を前にして、リモコンを持つ手を止めたに違いない。日本中の格闘技ファンが固唾を呑んで見守るなか、ついに試合が始まった。

***************************************

禁断の急所攻撃は、忘れたころにやってくる。金的攻撃はけっして珍しいことではない。だが、選手は常にタマタマを防御することだけを意識して闘っているわけではない。だからこそ、タマ川のタマちゃんが唐突に水面からタママタじゃなくて顔を出したときと同じくらい意表を突かれるものなのだ、不意打ちのように入るタマ攻撃は相当の破壊力をもっている。その痛みは尋常ではない(こればっかりは女性にはうまく説明できない。あまりにも痛くて苦しくて、いっそこのままタマ川上水に入水してしまったほうがマシだと思ってしまうほど辛いものなのだ)。

「タンマだ!」とレフリーがすかさず両手で「T」の字(※TAMAのT)を作り、試合を中断させた。あまりの衝撃で、吉田の股間をガードしていたファールカップがくす玉のように割れてしまった。割れたくす玉のなかから、「あけましておめでとう」と書かれた垂れ幕が落ちてきたら面白かったのだが、さすがに真剣勝負の場でそんなジョークを吉田がするわけがない。そんなことがあったらまさに大晦日の珍事と呼ばれたことだろう。

筋骨たくましい吉田にも、鍛えようのない箇所が一箇所だけある。顔が歪んだ。石井は申し分けそうな表情を浮かべている。だが、初めての実践で浮き足だったところを吉田にいいように攻め込まれていた劣勢の展開から逃れ、冷静にアタマを冷やすチャンスを得られたといったところだろうか。吉田はまったく回復しない。吉田の腹はかつてないほどにでっぷりとしており、さすがに年齢を感じさせた。もう吉田も終わりなのか。四十路にもなって、二十代前半の若者と闘うのはやはり無理があったのか。リングに相対するふたりを見ていると、さすがにそのコントラストは大きく、吉田はいつもよりオッサンに見え、決してハンサムとは言えない石井が、睾丸の、いや紅顔の美少年に見えてくるから不思議だ。

玉虫色の決着になってしまうのか、このまま試合は終わってしまうのか。だが吉田はファンの期待に応え、力を振り絞って試合を続けた。まさに勇気のチカラだった。吉田はやっぱり強かった。「ひょっとしたら」という石井の淡い夢も、しゃぼんタマのようにはなかく消えた。試合は、吉田の判定勝ちで幕を閉じた。

近年まれにみる好勝負とはいかなかったが、僕としてはこの試合は非常に楽しめた。石井には大きな可能性を感じたし、タマのような汗を流して闘う同世代の吉田の姿に感動を覚えた。「俺も負けずに来年はやるぞ!」そう思わせてくれるナイスファイトだった。2010年。僕も魂のゴングを鳴らし、新たな闘いの大海原に飛び込もう。

タマが尽きたのでそろそろ終わりにする。新年早々、私は何を書いているのでしょうか。



そんな感じで大晦日が過ぎ、年があけました。いい試合を見て、熱い気持ちになりました。いい一年になりそうな予感がします。それから、毎年恒例ながら年賀状はまだ手つかずです(^^; 近日中に発送いたします。どうもすみません m(_ _)m

それではみなさま、あらためまして、
あけましておめでタマ、もとい、おめでとうございます!