イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

ありがとう2008

2008年12月31日 17時59分43秒 | Weblog


今年もとうとうお終いです。みなさま、本当にお世話になりました。今年も懲りずにくだらないことばかり書き連ねてしまったイワシの翻訳Loveですが、やっぱり来年もまた煩悩の赴くままにキーを叩いていきたいと思います。気が向いたときに、ご訪問くださいませ!

前世は犬であったと自負する僕ですが、今年ほどドッグイヤーを実感した年はありませんでした。まさに7年分くらいの出来事が、嵐のように激しくこの身を直撃しました。一時は、しゃがみこんだまま立ち直れないかと思いましたが、幸い、今、こうして呼吸をしています。前を向いて、走ろうとしています。それもこれも、すべてみなさまのおかげです。本当にありがとうございました。

来年は、たくさん野菜を食べて、たくさん走って、たくさん腕立て伏せをして、たくさん本を読んで、たくさんたくさん翻訳をしたいです。大きな荷物を背負うことになりましたが、それをプラスにできるかどうかはこれからの自分次第です。自分を信じて、新たな自分を発見し、新たなる高みへ挑みたい。これまでと同じことをひたすら繰り返しつつ、そのことによって、これまでとは違うどこかに到達したい。そして、みなさまとまた、どこかでお会いできるのを楽しみにしています!

ここ最近、かつての不眠症はどこへやら、すっかり早寝早起きモードになってしまい、今朝は朝3時に目が覚めました(笑)。なので、はやくもそろそろ眠たくなってきました。いつもとはずいぶん違う大みそかですが、やすらかに眠って、新しい年を迎えたいと思います。どうぞみなさま、よいお年を!今年も一年、本当にありがとうございました。

すべての人々に愛を、すべての生きとしいけるものに愛を!

また来年お会いしましょう!

年越し前のざわめき

2008年12月30日 20時36分28秒 | Weblog
いよいよ今年もあと一日を残すのみとなった。朝刊には、今年一年の主だった出来事を羅列する記事が掲載されている。それを読みながら、あっという間にすぎさったように見えて、本当にたくさんの出来事があったのだということを実感した。今年は世間的にも未曾有の経済危機に襲われるなどの大きな動きがあったけど、個人的にもいろいろと大きな変化があり、よしにつけあしきにつけ忘れられない年になりそうだ。

冷蔵庫には食料が少々残っている。明日これを食べつくしたら、また断食をしてみようかと思っている。新年早々、断食。テレビもないし、帰省するわけでもないし、仕事に追われてあたふたしていてまったく年末年始気分が感じられないのだけど、せめて何かをやってみようかと。先日購入した『The Complete IDIOT'S Guide to Fasting』がとても面白くて、それに影響されているということもあるのだけど、ともかく一年の初めをからっぽの体と心で迎えてみたいのだ。どれだけ持つかは定かではないけれど。

夢を見る。どんな内容だったかはほとんど覚えていないのだけど、目覚めた後でそれが夢だとわかってほっと胸をなでおろすような夢だった。初夢は、いい夢をみたいものだ。ともかく、そんな年越し直前の私です。

まごはきびしい

2008年12月29日 17時34分17秒 | Weblog
「まごはやさしい」とは、バランスよい食事をとるための目安としてよく使われる言葉です。以下の食品を毎日積極的に採りましょう、という意味です。

「ま」 豆類
「ご」 ごま
「は」 わかめ(海草類)
「や」 野菜
「さ」 魚(小魚)
「し」 しいたけ(きのこ類)
「い」 いも類

イワシの場合は、

「ま」 豆類……納豆はほぼ毎日食べているからOK? でもほかの豆はあまり食べていない。
「ご」 ごま……サラダにも、ご飯にもかけることが多い。おやつ代わりに食べることもある。かなり多めにとっているから大丈夫かな? ゴマ油もよくサラダにかけます。
「は」 わかめ(海草類)……サラダ、お味噌汁によく使います。パスタをつくるときも、いっしょに茹でて食べています。わかめ大好き。
「や」 野菜……最近、生野菜が主食なので、OKかも。大量に食べています。
「さ」 魚(小魚)……ししゃも、サケ、サバ(たまにイワシ)は二日に一回くらいは焼いて食べています。お刺身もたまに食べます。レパートリーは少ないけど、まあまあ食べている方かも。
「し」 しいたけ(きのこ類)……ひとり鍋(最近あまりやらなくなった)のときは、えのきかしいたけはだいたい入れます。お味噌汁に入れるえのきは美味しいですよね~。ちなみに榎木孝明さんもとても好きです。
「い」 いも類……じゃがいもは鍋にはよく入れます。生では食べにくいので、最近は大根おろしみたいにおろして食べることも多いです。サツマイモは美味しいと思うのですが、なぜかあまり買うことはありません。でも、ふかして食べたらおやつにはとてもいいのですけどね。食べたくなっちゃった。

ってな感じです。

ちなみに、僕は子供がとても好きなので、自分にも子供がいたらいいな~とよく思うのですが(「その前に相手を探せ」という声が聞こえてくるようですが….)さすがに齢38にもなると、もしこの先、幸運にも子供が持てたとしても、年齢的にまごは厳しいかな、という気がします。まあ、人間ぜいたくを言い出したらきりがないので、せめて自分の子供だけでも恵まれたらいいなと思っているのですが、そのためにも「まごはやさしい」で健康を維持(おたまじゃくしが元気になるように)しておかないといけないし、ちゃんと仕事をしてお金も稼がないといけません。もちろん、エクササイズもとても大切です。なんだか最近そんなことばっかり気になってしまうのでした。



上がり始めたマイハートビート

2008年12月27日 23時03分32秒 | Weblog
気がついたら、もう年賀状を書く時期。筆不精な自分にとっては辛い季節の到来だ。字が思いきり下手なうえ、短く気の利いた言葉を書くことが異常に苦手なのだ。どうしよう。

定期購読を始めた『日経ヘルス』がついに届く。最近のマイ健康ブームの到来とともに、思わず仕事を忘れて熟読してしまう。ローフードに傾倒しつつあり、今日、スーパーに行っても生で食べれる野菜ばかりに注目してしまう(ちなみに、数の子が好きなので買ってみたのだけど、塩抜きって3日もかかるんですね。待ちきれず少しだけ水につけて一切れ食べてみたけど、塩っぱいのなんの)。ともかく、今、僕の主食はフルーツ&サラダ。

最近の最大マイブームは心拍数のモニタリング。これまではタイムとか距離とかは気にはしていたけど、心拍数なんてまったく眼中になかった。というか、計測する手段を持たなかった。最近、心拍数の計測機能がついた腕時計を買ったこともあり、運動生理学をかじっていることもあって、心拍数を気にしながら走るようになった。30秒おきくらいにチラチラと時計を眺める。体調のよしあしによって如実に違いが現れることにびっくりする。今日は心拍数が高め。これは疲れている証拠だから明日は練習をせずに休息することにする。心拍数が一定以上に上がらないようにゆっくり走っているとあまり疲れないので、毎日14キロも走っている。走るのが楽しいのだ。でも、ほどほどにしないと、今日みたいに疲れがたまってくる。走れないのは辛いけど、明日はぐっと我慢。

久々に吉祥寺ブックオフ。ここは僕にとってのベースキャンプ。プロレスラーにとっての後楽園ホールみたいなもんだ。では、久々に、

『English Love Stories』Edited by Jhon Sutherland
『スポーツ選手の食事と栄養学』鈴木いずみ
『ひとり鍋のすすめ』永山久夫
『The Complete IDIOT'S Guide to Fasting』Eve Adamson and Linda HOrning, R.D.
など、全10冊。

どうでもいいけど、Sutherlandってカッコいい名前だな~といつも思う(あのドナルド・サザーランドの迫力のある顔を思い浮かべながら)。

とっても嬉しく、暖かい気持ちになれることがあった。いまはまだ人生の荷物が多すぎて何をどうしていいのかわからないのだけど、ともかくゆっくりと大切にハートを刻んでいくしかないのかな、と思う(と書いてもわけがわかりませんよね。すみません)。

食事を変え、運動量を増やしたからか、なんだか精神面が穏やかでスローになってきたような気がする。少し前は、イライラしたり、クヨクヨしたりすることもあったのだけど、ストレスもあまり感じず。同じことを考えていても、もうあまりネガティブなことは考えなくなってきた。悪くない兆候だ。このまま適度に休息を入れながら、己のハートビートを計測しつつ、ゆっくりゆっくり走っていきたい。



セルフメイドな奴

2008年12月26日 22時24分16秒 | Weblog
「離婚してよかったですか?」と訊かれて、考える。「よかった」なんて思うことはこの先ずっとないだろう。自分の未熟さが嫌というほどわかった。大切なことにもたくさん気づかされた。つまり、失ったものも大きいけど、得たものもあるにはある。だけど、この選択が正しかったなんて断言することはできないし、したくもない。得たものがあったから、別れたことを肯定するなんて考えたくない。できることなら、こんな痛みを感じる前に、本当に大切なことをはじめから理解できている人間でありたかった。

だけど、こうして今、元気に暮らせていることについては、よかったと思える。数ヶ月前の自分の心身の状態を考えたら、堕ちることは簡単だった。立ち直れずに泥沼にはまっていたことだって十分に考えられた。辛さは骨身にしみるほど味わったけど、僕は今、不思議なくらい前向きに毎日を過ごすことができているし、元気だ。憑きものが落ちたみたいに、毎日あれこれと新しいことに取り組もうとしている(たとえば、「めんつゆ」を自分で作るとか、その手のものすごく些細なことだけど)。

セルフメイドな奴であることの大切さ。すべてを自分で決断し、選択し、実行する。そんなの当たり前のことなのかもしれないけど、その当たり前すらわかっていなかったのだ。料理、掃除、洗濯。健康面でも、経済面でも、すべてが自分の責任と管理の下で行われ、収束してくる。仕事も同じ。フリーになった今、すべては自分の判断にゆだねられている。やるべきことは格段に増えたけど、それに比例してサバイバルするための意欲とスキルは高まってきた。もうパートナーはいないし、サラリーマンでもない。ここにいるのは、ものすごくプリミティブな存在の自分だけだ。

ここが肥沃な大地でなくてもいい。豊潤な自然に恵まれたトロピカルな場所でなくてもいい。厳しく冷たい冬を迎えた森で、わずかな食料を求め雪の中を淡々とさまよう動物のような自分でありたい。何かにいたずらに追い立てられることなく、弛緩と退屈と飽食に蝕まれることなく。春がきっと訪れることを信じて。


先ほどアマゾンマーケットプレイスから届いた一冊
『脂肪を燃やすトレーニング 体験的マフェトン理論』藤原祐司


Merry Christmas! (あ、もう終わってたか)

今日の密林状況

2008年12月25日 16時48分24秒 | Weblog
先ほどアマゾンから到着した本

『金哲彦のランニング・メソッド』金哲彦
『カラダ革命ランニング』金哲彦
『3時間台で完走するマラソン』金哲彦
『金哲彦のランニングダイヤリー』金哲彦
『速く、長く、美しく走るための体幹スイッチランニング』青山剛
『酵素でやせる ローフードダイエット』笹生暁美
『ローフード 私をキレイにした不思議な食べもの』石塚とも
『生で食べれば病気にならない』鶴見隆史
『生で食べれば病気にならない』鶴見隆史
『生で食べれば病気にならない』鶴見隆史

金哲彦祭り。これまでは僕はタイムをほとんど意識しない「類人猿的」ランナーだったわけだが、モチベーションを高めるためにも、そして楽しみながら長く走り続けられるようになるためにも、ランニング理論を学習しなければならない。そこでいろいろと研究を始めているのだった。『ランナーズ』の定期購読も復活しようか…..。金氏とは別の本で知ったのだが、マフェトン理論という素晴らしいトレーニング理論があることを知り、その実践を始めたところ。簡単にいうと、心拍数を一定以上上げずに長時間有酸素運動を続けるというものだ。

ローフード関連は最近のマイブーム。『フィット・フォー・ライフ』を読んでナチュラルハイジーンに目覚めてから、この手の本を手当たり次第に読んでいる。最近、朝は果物だけ。午後も基本的にはサラダを主食にしているのだった。動物性タンパク質はかなり量を減らした。一日一回も採らないことも多い。体は少し軽くなったような気がする。ちなみに、『生で食べれば病気にならない』は、間違えて3冊も注文していた。ヲイヲイ、大丈夫か俺。ちょうどいいから親と姉にプレゼントしようか。

玄関と廊下の電球が外れない。プラスチック製の半円形のカバーがめちゃくちゃ固くなっていて、思いきり回してもぴくりともしない。団地の管理元に電話してみたのだけど、自分で電気屋さんを呼んでくれ、とのこと。「なんてこった」って思いましたね。人生は、不条理の連続かもしれない。しかし、電気屋さんを呼ぶのは嫌だ。だから、潤滑油を買うことにした。

ここしばらく、ほぼ毎日筋トレをしている。筋トレは筋肉の回復のために2、3日おきにやるのが鉄則だが、分割法といって体の部位ごとにローテーションで鍛える方法を試している。たとえば、月曜日は胸と脚、火曜日は肩と背筋、水曜日は腕と腹筋、というように。自重とダンベルを使っているのだけど、ものの本を読むと、チューブトレーニングのメニューがいくつも載っている。チューブでしか鍛えられない筋肉もあるので、チューブも買うことにした。


先ほどアマゾンで注文した品

『クレ5-56 320mL No.1004』(潤滑剤)
『Reebok(リーボック) レジスタンスチューブ レベル2 (ミディアム)オレンジ RE10031OR』(チューブ)

どうやら僕のサンタさんは、密林に住んでいるらしい。

Merry Christmas!

Do I know it’s Christmas

2008年12月24日 20時59分06秒 | Weblog
クリスマスイブ。はるか昔は、「サンタさんって本当にいるのかな~?」って思ってた。プレゼントをくれるのは両親だってことくらい、うすうすは感じていたけれど、でもとっても嬉しかったのだ。いろんな夢を信じられたあの頃、ファンタジーの世界に住んでいたあの頃、やっぱり幸せだったんだなとつくづく思う。

――30 years later――

クリスマスイブ。今日の僕は「春菊の葉っぱの後ろに虫がいないかな~?」って思ってた。自然食のお店で無農薬の春菊を買った。春菊をサラダで食べるととても美味しいのだ。だけど、無農薬だけに、虫がいないかどうかがちょっと気になる。最近作り方を覚えてきた自家製ドレッシングにいろんな材料を入れているし、野菜もたくさん混ぜている(カイワレ大根、トマト、キュウリ、レタス、小松菜などなど)。だから、それらの様々な破片が付着していると、角度によっては葉っぱの裏に虫がいるように見えてドキッとしてしまうのだった。よく洗えばいいのだけどね。でもまあ、虫くらい食べたって死なないでしょう。

とはいえ、僕はまだいろんな夢を信じているし、ファンタジーの世界にも住んでいる。驚くべきことに、いまだに毎日が発見の連続だ。これからの自分にワクワクもしている。本物を求めて、前を向いて進んでいこう。あふれる気持ちをそのままに。

今、この瞬間を生きるすべての人々に愛を。すべての生きとしいけるものに愛を。虫にも愛を。

Merry Chistmas!


素晴らしき先輩たち

2008年12月23日 22時57分06秒 | Weblog
元上司が参加している翻訳関係者のグループの忘年会に参加させていただく。もう二十年以上も続いている会とのことで、皆さん経験豊富でとても魅力的な方々ばかりだ。僕などとても足下にも及ばないほど、人生経験でも、仕事面でも、遠く先を歩まれている諸先輩方のお話はとても面白く、勉強になる。皆さん個性的だし、お話が上手なことに驚く。

翻訳会社時代にとてもお世話になった翻訳者の方ともご対面できてとても嬉しい。彼女の訳文は本当に素晴らしく、仕事を依頼する立場でありながら、一人のファンとしてあこがれていた。何十年かかるかわからないけど、少しでもその技量に近づきたいと思っている。お手本としたい人とお近づきになれて感無量だ。最後、ゲーム大会の賞品として、会のメンバーの方が執筆されたという翻訳技術論の本をいただいた。自費出版されたということだが、非常に重厚で、パラパラとめくってみた限りでも、市販本でもここまで精緻かつ体系的に翻訳論を展開されている論文はほとんど見たことがないと思われるほどのものだった。とても大きな感銘を受けると同時に、自分も、翻訳に対してより論理的、体系的に研究をしていきたいと思った。翻訳に対してこれほどまでの研究心と情熱を注がれている先輩がいる会に参加できてとても嬉しく思う。先達が何十年もかけて構築された技術を学べるわけだから、今の僕にとってこれほどありがたい一冊はない。心して読みたいと思う。

First Date

2008年12月22日 20時04分41秒 | Weblog
ふと、ランニング時のBGMに映画『ロッキー』のテーマ曲を聴きたくなった。なんだか直接的すぎて恥ずかしいけど、他人には僕が何を聴いているかはわからないからいいのだ。iTunesでサントラ盤を探して視聴し、何曲かダウンロード購入した。

曲のタイトルは今まで知らなかった。この映画の音楽としてだれもが思い浮かべる最も有名な曲は「Gonna Fly Now」。「Philadelphia Morning」もいいタイトルだ。早朝、人気のないフィラデルフィアの街を独り黙々と走るスタローン(走る前に、生卵を1ダースほど一気飲みするシーンもあった)。最初は上手く走れなくて、ヨタヨタしながらゴールの市庁舎前の広場になんとか辿りついていたのが、最後には全力疾走できるようになる。走っている途中でロッキーが果物屋のおっさんからフルーツを投げ渡されて、振り返りざまにキャッチするところなんかもカッコよかったんだよな~。それから感動のラストシーンにかかる「The Final Bell」。若いころはこれを聴くたびに鳥肌が立ってましたね。そういえば、去年の荒川市民マラソンで、40キロ地点あたりの沿道で応援してくれていたお兄さんがラジカセでこの曲をかけてくれて、みんな爆笑しながら走っていたものだった。来年の大会にも、あのお兄さんいてほしいな~。

First Dateは走るときに聴く音楽としては相応しくないのかもしれないけど、今回ダウンロードしたなかで一番よかったかも。エイドリアンとロッキーが誰もいないアイススケート場で初めてデートする。地味なんだけどとても印象的なシーンだし、音楽も素晴らしい。この映画に限らず、僕は70年代のアメリカ映画に流れていた人間らしい「間」がとても好きだ。『ロッキー』はII以降も楽しめるのだけど、やはり第一作目は以降の作品群とははっきりと一線を画す、ある意味奇跡的な傑作だと思う。

さっそく曲を聴きながら走りたかったのだけど、雨だから今日はランニングを中止しようかと思う。天気が悪ければ無理をせず休養日にする。休む勇気も大切なのだ。体も少し疲れていたので、ちょうどよいかも。

さよなら「あさま組」

2008年12月21日 23時20分45秒 | Weblog
「京子、さようなら」――。そう言って、僕は彼女を抱きしめた。土曜の夜、赤坂見附の駅の入り口で。あさま組の勉強会に参加させてもらって一年と数カ月。思えば、講師にN目さん、参加者に元教え子たち数名、の組み合わせで月一開催されているこの勉強会に僕が参加させていただくようになったのは、毎回、長野から新幹線「あさま」に乗って参戦しているという彼女の情熱に感動したからでもあった。去年の九月の飲み会で、彼女(ともう一人のHさん)の対面に座わり、この勉強会のことを知らされなければ、おそらく僕はこの会に参加していなかっただろうし、みんなとこんなに仲良くもならなかっただろう。ひょっとしたら、今とは違う道を歩んでいたかもしれない。人生、何が起こるかわからない。あの座席位置はつくづく運命的なものだった。このブログだって、初対面のふたりのHさんに読まれていたという驚愕の事実を知らされなければ、死に体の状態のままろくに更新していなかった可能性が高いわけなのだ。WH(ダブルエイチ)さん(漫才コンビみたいですな)は、イワシの育ての親なわけです。

毎月全員が課題を提出し、当番の人の原稿に対して意見を述べ合う(まな板ショーとも呼ばれている?)。この集まりを通じて僕が得たのは大小様々な翻訳の「技」以外にもたくさんある。たとえば「他人の考えや視点は自分のものとは異なる」という当たり前なようでいてなかなか受け入れ難い事実。翻訳に正解はないし、他人の訳文や視点には必ず学ぶべきところがある。それがリアルに感じられたので、他人から学ぼうという姿勢が自然に身につき、それまでの妙な自信というか変な執着心が薄れて、自分の訳文を少しは突き放して見ることができるようになったかもしれない(その分、淡泊になったという気がしないでもないが)。あるいは、翻訳は生き物であり、各々の文体ならぬ「訳文体」は様々な経験やその時々の思考や傾向、あるいはその日の体調によってすらも変化するということも実感できた。野菜と同じで、翻訳も上手に料理できることもあれば、上手くさばけなくて腐らせちゃったりすることもあるわけです。つまり、調子や出来の良し悪しにはかなり幅があり、よい状態をどう維持し、常に高いパフォーマンスを出せるかということ自体もテクニックなわけです。

ともかく、あさま組で学んだことは計り知れないほど大きい。でも、僕は今回をもって勉強会を追放(しつこく続けるこのネタ)じゃなくて卒業?(脱会? 脱北?)することにした。理由は特にないけど、強いて言えば、ひとつの区切りとして。そんなわけで、宴たけなわのなか、長野に帰るべく皆より一歩先に店(一年前に運命の飲み会があった中華料理屋)を出た彼女を駅まで見送り、これまでのお礼を述べて、そして思わずハグしたのだった(念のため、「がっぷり四つ」式のほんの軽~いハグです)。CoCoさん、やっぱりあなたは最後まで偉大でした。さようなら、あさま組。N先生、メンバーのみなさん、本当にありがとうございました! 六時から始まった宴会は予想通り異常な盛り上がりを見せ、夜は更けていったのであった。


ところで、そんな悲しい別れをまた経験してしまった僕にも、ついに新しい恋人ができました!(※昨日、僕の家に急遽、泊まる可能性のあった某男子のことではありません。それはそれで少し期待していたのですが)。彼女みたいなタイプは実は苦手だったんですけど、食わず嫌いはよくないですね。今は、幸せいっぱいです。

彼女の名は、「李ブロ子」さんといいます。欧米式に表記すると、「ブロッコリー」さんといいます。ええ、そうです。人間ではなく、野菜です。ここ最近ブロッコリーが異常に美味しくて毎日茹でています。ぶっちゃけ主食です。塩湯でするだけで味がしっかりあるし、体も温まり栄養もたっぷり。子供のころはあのごつごつした食感が大嫌いだったのに、まさか突然、恋に落ちるなんて人生何が起こるかわかりません。と、書いていたらだんだんつらくなってきたのでもう止めます 笑。今晩はやけに夜風が身にしみるな~。



今日も某忘年会

2008年12月20日 11時01分09秒 | Weblog
今日は午後から都内で今年最後の「あさま組」の翻訳勉強会があり、その後、忘年会。去年の忘年会から、もう一年も経ったのか。今年は本当にいろんなことがあったけど、文字通り忘れるところは忘れ、忘れるべきではないところは心に刻んで、来年を迎えよう。でも、今回の忘年会はなんだか「今年を振り返ってしみじみしよう」というよりも、新しいスタートを告げる号砲を待っているような気分がする。飲みすぎないよう注意して、楽しんできます!

マンUとがっぷり四つ

2008年12月19日 21時25分37秒 | Weblog
ガンバ大阪が、マンUとがっぷり四つ――。3対5という乱打戦の末に敗れたものの、実質的に世界一のチームを相手によく戦った。ガンバ、えらい! といいつつ、いまだに家にテレビがないので、文字情報でしかこの大一番を味わえない自分もどうかと思う。楽しみにしている年末年始の格闘技イベントも、文字鑑賞か。さびし~。そういえば、実は古くてもう使っていないテレビが家に残っていて、捨てるのが面倒なので玄関のところに置いていたのだけど、つい先日とうとう業者の人に来てもらって、大金4200円を支払って持って行ってもらった。で、持って行ってもらった直後に、そういえば今、家にテレビがないのだから、あのテレビを使えばよかったのだな、と気づいたのであった。アホである。でもまあいい。しばらくはテレビのない生活をして、仕事に集中しなければ。おそらくあったらダラダラと見てしまうだろうから(その分、こういう風にブログでくだらないことを書いたりして、ほかのことでダラダラしてるだけだったりして)。

ちなみに僕はギャンブルも一切やらない。学生のとき先輩に連れられて競馬を二回したことがあるだけである。パチンコもマージャンもやったことがないし、そもそもやり方がわからない。宝くじも一、二回しか買ったことがない。ギャンブル全般に興味がない。だけど、別に真面目だからというわけでもない。その手の賭けごとをやっても絶対に自分には才能もないし勝ち目もないことわかっているからやらないのだ。一度も手を出したことがないから、ギャンブルをやらないことに対してなんのストレスもない。我慢しているわけではないのだ。おそらくこの先もまずやらないだろう。僕にもいろんな性癖があるわけだが、ギャンブルを好きでない人間に生まれてきてよかったと思う。もし手を出していたら、歯止めが利かない性格だけに、これまでにおそらくとんでもない時間をお金を費やしていたことだろう。まあ僕の場合、自分の人生自体が大きな賭けでもあるわけだが。ともかく、僕にはギャンブラーの血は流れていない。ブックハンターの血は流れていると思うけど。

話が脱線したのだけど(というほどたいした本題でもないのだが)、冒頭の「がっぷり四つ」っていうのは、よく見るとすごい言葉だ。これは相撲から来た言葉で、「四つに組む」とは、辞書によると「両者が互いに両手を差し合って組み合う」となるわけなのだが、そもそもいったいどれだけの人間が日常生活で実際に「四つに組む」ことがあるのだろうか。右利き同士なら、相手の右まわしを上手で、左まわしは下手でつかむ状態。そんなことしている人はいない。いないにもかかわらず「がっぷり四つ」はよくつかわれる。サラリーマンが、会議で四つに組む。普段は大人しいあの課長が、例の件では珍しく一歩も引かずに部長と「がっぷり四つ」にやりあった。実際には課長と部長がまわしをつかみ合っているわけではない(当たり前だ)。しかし、この四つは単なる四つではなく、頭に「がっぷり」がついているところがすごい。「がっぷり」ってなんでしょうか。「がっちり」でも、もちろん「がっつり」でもなく、「がっぷり」。もう、いっぱいいっぱい、ゲップがでそうなほど、「がっ」と相手をつかんで、「プリプリ」に締め上げる様子が伝わってくるではありませんか。そういえば琴風が得意にしていた「がぶり寄り」なんてのもありましたけど、これもすごい。そしてひどい。もうちょっと綺麗な表現はなかったのでしょうか。「がぶる」とかそういう言葉って、なかなか体で覚えないとわからない言葉で、初めて聞いたとき、子供心に謎めいたものを感じたのを覚えています。

そして「マンU」。マンチェスター・ユナイテッドを略して「マンユナ」でも「マンチェッド」(ちょっと苦しい)でもなく「マンU」。これもすごい。確かに略したら「マンU」にせざるを得ないのかもしれないけど、それにしても、なんというかあまりにも露骨すぎはしないか。どのへんが露骨なのかはよくわからないですが。まったくサッカーのことを知らない人が、いきなり「マンU」と言われたら、いったい何のことだと思うのだろう。で、「ガンバがマンUとがっぷり四つ」ときた。サッカーも相撲も知らない人がこの言葉を読んだら、いったい昨夜、何事が起きたのかと思うだろう。何の事だかさっぱりわからない。もうこの人にとっては、「マンバがガン4とがっぷりU」と書いてあってもまったく同じだ。

というわけで、ガンバの西野監督の発言は、図らずもイギリスのマンUに相撲を取らせてしまったわけなのだけど、ぼくはこの「がっぷり四つ」、訳文での使用もぎりぎりOKの言葉ではないかと思っている。課長と部長が簡単に会議室でがっぷりいっちゃうくらい、この言葉は相撲という語源を離れて記号化していると思うからだ。「水を差す」とかも同じ。「うっちゃる」あたりになると、微妙になってくるけれど。ともかく、年末年始にかけて、仕事と、来年の計画にがっぷり四つで取り組もう。

燃える瞳の奥に

2008年12月18日 23時24分01秒 | Weblog
尊敬する先輩翻訳家と某所で乾杯する。彼女は、僕が一時期とても辛かった時期にメールで励ましの言葉を何度もくれた。慰めてくれただけではなく、自らの体験談を踏まえて温かい言葉を投げてくれた。彼女の言葉はずしりと心に響いた。あの頃、彼女のメールがどれほど支えになったことだろう。この恩を忘れるわけにはいかない。

美味しいお酒を飲みながら、楽しくお話をしていたらあっという間に帰らなくてはならない時間になってしまった。人生についても、翻訳についても、まだまだ話したいことはたくさんあったのに。

人は、大切なものや人を失うことで、大きな哀しみを背負って生きていなければならないこともある。でもだからこそ、人に優しくもなれるのだろう。彼女の話を聞いていて、そう思った。

帰り間際、彼女から新作の訳書をいただく。僕からもささやかなお礼の品をわたす。「修羅場を経験したからか、前よりしっかりして男らしく?なったね」って言われちゃいました(^^)v こうやって翻訳が縁で素晴らしい先輩と出会えたことに感謝しないと。翻訳の神様、ありがとう!

今朝はちょっと二日酔いだったけど、心は晴れ晴れして気分爽快。昨日先輩と話をしたことで、これまでこだわっていたことへの区切りもついた気がした。やっぱり人と会って話すことは、大切だ。会社をやめてしばらくは落ち着かなかったけど、ようやく少しずつペースもつかめてきて、新しいことを始めたいと思えるようになった。積極的に外に出て、いろんな人と会いたいと思えるようにもなった。もう、いつまでも同じ場所に立ち止るのはやめよう。瞳の奥に新たな炎を燃やして、遠くまで歩いていこう。



初めて知った君の哀しみの炎 これからは僕のなかでも燃やし続ける






あきらめない彼女の超回復理論

2008年12月17日 18時30分20秒 | Weblog
ある翻訳勉強仲間の方から連絡をいただく。大きなチャンスをつかまれたとのことで、とても嬉しい。おめでとうございます! 彼女の実力はとても高く、訳文に惚れぼれすることも多かった。必然的な結果だと思う。翻訳の神様は正直なのです。人としてもとても信頼できる人だし、安定している。必ずやよい結果が出ることと信じ、楽しみに待とう。努力は嘘をつかず、あきらめない気持ちをもって前に進み続けることで、いつかチャンスは訪れるのだとあらためて教えられた。

僕自身も、今朝、記念すべき小さな山を越えた。作業に集中していたら朝方までかかってしまった。たいしたパワーは発揮できていないと思うけど、自分なりに力を出し切った感じがする。腕立て伏せでいったら、普通は20回しかやらないところを、自分の限界を超えて100回やったような気分。筋肉はパンパン、パンプアップ状態だ。だけど、こうやって力を出し切ることで、翻訳筋力はきっと超回復していくのだと思う。たとえばもう一度同じような作業を依頼されたら、きっと腕立て110回分くらいのパワーは出せる気がする。でもその超回復を確実なものにするためには、栄養と休養がかかせない。インプットを増やし、健康を維持しなければ(最近、筋トレに興味があっていろいろ調べているので、トレーニング用語がついつい出てしまうのでした)。



あきらめず道を歩みし君の肩 叩くは笑顔の翻訳の神様