イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

メメント・モリその後

2007年02月25日 21時31分43秒 | Weblog
例の取材の件、フェローアカデミーのサイトに掲載されました。

ページ右側の「ほっとコーナー」というところです
「フェロー受講でデビュー! IT関連書を訳したイワシさんに聞く」
http://www.fellow-academy.com/fellow/pages/index.jsp

Hさんの素晴らしい文才により、「あの」トークが見事な
インタビュー記事に姿を変えています。

夏目さんは、酔っ払っていたこのわたしを立てて、
いろいろと喋らせてくれたのでした。

死生観の話は、残念ながら(当然ですが)割愛されています。
写真をみると、ぼくはやっぱりちょっと酔った顔しています(^^;

メメント・モリ

2007年02月18日 20時42分45秒 | 自薦傑作選
昨日、2年前に通っていたフェローアカデミーの
「SK-III@夏目組」の同窓会があった。
いつも会を企画してくれるKaさんが今回も
アレンジをしてくれたのだった(Kaさんいつもありがとうございます)。
参加者は、Kyさん、Sさん、Kaさん、夏目さんとiwashiの5名。

最近、朝は5時起き、夜も寝る寸前まで
いろいろと翻訳LOVEの活動中なので、
お酒がまったくのめない。
(こういう健全な生活をしているのは生まれてはじめて)

と、いうことを口実にして(5時おきとお酒飲んでいないのは事実です)、みんなが
普通のランチセットを選ぶなか、パスタと「ビール」を(さりげなく)注文。
(実はメニューを開いた瞬間からビールという文字に目がくぎ付け)
そしてみんなが食後のコーヒーor紅茶をのんでいるころ、
遠慮がちにしかし迷い無く「グラスワインの赤」を注文。
(※私の泥酔伝説を知る人たちよれば、ワインを飲むと
私は酔っ払うことになっているらしい。
しかしそのときわたしにためらいの気持ちはなかった)
そのときの様子が夏目さんのブログ


Head Rush Ajaxの訳本とボロボロになった原書をみんなに見てもらう。
うれしい。

そういえば、
この本を訳すことになったきっかけは、
実は、1年前にひらかれたこの同窓会だったのだ。

***1年前****

それは、ランチも終り、みんなで、できたばかりの
表参道ヒルズにいこう、ということになって、
中の店々を探索していたときのことだった。

その日、僕は胸騒ぎを感じていた。
そしてそれを予見するような出来事もあった。

表参道ヒルズに入る直前、夏目さんがふと足を止めた。
そう、ヒルズの写真を撮り始めたのだ。
僕も立ち止まった。
そのとき、ふいに頭に冷たいもの感じた。
なにかと思って触ってみた。鳥のフンだった。
Kaさんに笑われた。そしてティッシュをくれた。
(今日、何かが起こる)なぜか、そのときそう直感した。

店めぐりにもつかれてきた頃、女性陣がそろってトイレにいった。
残された夏目さんとぼくは、
ふたりだけで人ごみのなかに立ち尽くしていた。

彼がそのセリフを口にした理由は、
男ふたりだけの気まずさを打ち消すためだったのか、
ほんの気まぐれだったのか、いまとなってはわからない。

ふと、夏目さんが伏目がちに
「コンピュータ本の翻訳に興味はありますか」と、
ジェントルマン風にさりげなく訊いてきたのだった。
もちろん興味あります、と答えた。

夏目さんはだまっていた。目は遠くを見つめていた。

ぼくはどうしていいのかわからなかった。
そして、ぼくも何も言わず、同じように遠くを行き交う人の波を眺めた。
(このあたり、フィクションが少々入っています(^^;

しばらくすると女性たちが戻ってきて、そしてまた普通のおしゃべりが
はじまった。

で、一ヶ月後にオライリー社に紹介という形で挨拶にいき、
そのまた一ヵ月後に本当に仕事の打診がきた。
さらにその一ヵ月後には試訳を提出し、
あとはつい最近まで続いた怒涛のような翻訳の日々が始まったのだった。

********************

そういう意味で、夏目組のみなさまには本当に感謝の言葉もありません。
昨日ひさびさにあって、本当にたのしかった(酔っていたからなおさら?)
ほんとうにありがとうございます☆

その日、フェローアカデミーに、出版を記念してというか、
終了生の声というような形で、5時から取材を受けることになっていたので、
そのまま酔いを残したまま夏目先生とフェローアカデミーに(乱入)。

酔いをさますため、ミネラルウォーター500mmをイッキ飲みする。
さらに、Sさんのやさしいこころづかいにより、
うれしい缶コーヒーの差し入れが。

そのままSさんに写真を取られながら、
すばらしい人柄のHさんの取材を受ける。

が、しらふのときでさえ支離滅裂な自分のトークは
アルコールによって銀河系トークとよべる境地に。

何をしゃべっているんだかわからない。

そして、誰も止めることはできない脱線トークの皇帝、
真打夏目さんの速射砲も炸裂。

予定の「軽く1時間」は、めくるめくあっという間の2時間へと姿を変えた。

今後の入学者の方のため、修了生の声を聞くために始まったはずの
取材のはずが、なぜか主に語られたのは、翻訳者の死生観について(^^;
そのトークにあえてタイトルをつけるならば、
「死に想いを馳せる」になるだろう。
特に、夏目さんが1月前に出会った野良猫と
偶然、再会しお互いの生を確かめ合う感動のくだりは、
涙なしではその場にいられないほどだった。

あの話を原稿にしなくてはならないHさんの苦労が今から偲ばれる。
といいつつも少なくとも顕在意識上では
まじめに答えていたつもりなので、大丈夫だと信じたい
(何が大丈夫なのかは定かではないが)

とにもかくにも、とても楽しい一日でした。

振り返ってみると、あの鳥のフンからすべてが始まったのだな、
ということが、走馬灯のように蘇ってきました。

夏目組のみなさん、本当にどうもありがとうございました。
また来年を楽しみにしています。

フェローのHさん、Sさん、取材、どうもありがとございました。


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P.S.
このフェローアカデミー様のサイトに記載されている私の記事ですが、
ホーム → 仕事のサポートというページに掲載されています。

実務翻訳の経験を生かして念願のIT関連書を翻訳

http://www.fellow-academy.com/fellow/pages/work/index.jsp




















意訳という名のジェイウォーク

2007年02月06日 00時06分50秒 | 翻訳について
直訳か意訳か。翻訳にとっての永遠の命題ではないかと思う。
翻訳をしている限り、
常に目の上のタンコブのようにのしかかってくる問題だと。
誤解を恐れずに言えば
(というかこの話題になるとなぜか大きな恐怖を感じてしまうので
怖さを完全に捨て去ることはできないのだが)、
自分は意訳派だと思っている。

現実にはあまり「私は直訳派です」という人はいないのかもしれないが、
原文に書いていないことは一切訳さないしはみ出さない、
という概念としての直訳主義があるとしたら、
それに対するアンチテーゼとしての意訳主義である。

だから、理のある直訳理論あるいはその実践に対しては、
それを支持することも多い。

なんとなくそれは、政治的な保守と革新の対立にも似ている。
親方日の丸みたいなゴリゴリの保守(あえて直訳)主義は身震いがするほど
嫌いだけど、保守派のいうことにまっとうさを感じることも多い。

逆に、リベラルなものいい(意訳)に対しては、
だいたいそれに共感する方だが、それがあまりにも理想的すぎたり、
そこに自分の保身のためだけの権利主張を感じたりする
場合は、ハナジラんでしまうことがある。

ありていになるが、要はバランスが大切なのではないかと思う。
アクセルは、強く踏みすぎでもいけないし、弱すぎてもいけない。
ここはここまで訳してもい、あるいは原文にない言葉でおぎなってもいい、
そう思えるときは、だれもいないハイウェイを走っていると思って、
グッと足首に力を入れる。
原文がずさんだったり、直訳するとどうしても読み手に伝わりにくい
(背景や文化の違い、読み手のバックグラウンドの差があるときなど)
が、こういうときかもしれない。

逆に、歩行人が行き交う商店街をゆっくりと走っているときは、
かなりノロノロといかなくては、人を殺めてしまいます。
原文で使われている用語の定義や表現がとても厳密な意味を持っているときなどは
そうかもしれない。直訳しても、十分に読み手に伝わる。むしろそうしなければ
いけないような空気を感じるとき。

自分が意訳派だと思うのは、
やっぱりアクセル全開で走るのは気持ちがいいと思うときがあるからだ。
でも、翻訳に許されるのは交通法規を超えない範囲の高速移動だと思う。
原文から外れるときは、
やっぱりドキドキするし、罪悪感ににたようなものも少し感じる。
ただし、どうみてもこの意訳は読み手にとって読みやすいものになるはずだ、
と実感できる場合は、これは必要なことだと自分に言い聞かせる。
(そんなに原文と離れた訳文を作っているわけではありません。念のため)
そもそも、意訳と直訳というこの2つの言葉自体が、はなはだ抽象的で、
定義が難しいものであるし、僕の中ではもはやビビッドな概念としては
生きていないのだが。。

しかし、本当に自由に走りたければ、
翻訳なぞやめ、自分で文章を書き起こす以外にはない。

たとえていえば、ジェイウォークくらいであれば、
多少の翻訳の交通違反は許されるのではないか。
激しい交通の流れの中にも、瞬間的に車の往来が途絶える瞬間がやってくる、
そういうときが、意訳という名のジェイウォークのチャンスなのだ。
タイミングを見計らって、道の向かい側まで、ダッシュする
(良い子は必ず信号を渡ってください)

もちろん、失敗すれば、
ひき殺されても仕方ないという覚悟が必要だが。。。