出エジプト記 23:1-3
「あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。 あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。 また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。」
これは十戒の「あなたは偽証してはならない」との戒めに関する定めです。自ら悪を行わなくても、噂話を広めたりデマを流して人々を惑わせることも罪です。先の熊本震災の際にも、根も葉もない嘘の情報をTwitterなどSNSで拡散して人々を混乱させる事例がありましたが、そのようなことは決して行ってはなりません。
また悪意の有無に関わらず、事実と異なる証言をしてはなりません。愛と憐れみに富む神様も、事実と異なる証言をして貧しい人を助けることは決してしてはならないとおっしゃいます。ここに単なるヒューマニズムと神の愛との差がはっきりと表れます。神の義とは真実に忠実であることです。人の情けがかえって人を傷つけ、後々まで苦しめることもあることを、私たちは忘れてはなりません。
http://bible.com/81/exo.23.1-3.ja1955
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出エジプト記 23:10-12
「あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。 しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない。 あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである。」
神様が安息日あるいは安息の年を定められたのは、自分のためではなく、自分の生活を支える環境や、見えないところで働いている人々と家畜、困窮している貧しい人々や野の獣たちのためでした。ここに神様の憐れみの奥深さを感じざるを得ません。私たちは自分だけ聖日に神様を礼拝して自己満足し、独りよがりになっていないかと反省させられました。
http://bible.com/81/exo.23.10-12.ja1955
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出エジプト記 23:14-16
「あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければならない。 あなたは種入れぬパンの祭を守らなければならない。わたしが、あなたに命じたように、アビブの月の定めの時に七日のあいだ、種入れぬパンを食べなければならない。それはその月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、むなし手でわたしの前に出てはならない。 また、あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈入れの祭と、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終りに、取入れの祭を行わなければならない。」
イスラエルの人々が今も守り行っている三大祭りが、過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りです。キリスト教の教会歴に当てはめると、イースター、ペンテコステ、収穫感謝祭です。ここにクリスマスはありませんが、12月25日に行われる今のクリスマスはローマ帝国時代に冬至を過ぎたことを祝う太陽の祭りに合わせて行うようになったものであり、実際は真冬ではなく羊飼いたちが野宿できる晩秋の時期であったとの説もありますから、もしかしたら仮庵の祭りと重なっているかもしれません。
いずれにせよ、イスラエルの人々が今日も三大祭りを守っているのは、これらの祭りを通して神様のなされた御業の偉大さをほめたたえ、神様に感謝するためです。今年もペンテコステが近付いていますが、私たちもまたキリスト教の三大祭りを心から祝い、神様に感謝を捧げることを忘れない者でありたいと願います。
http://bible.com/81/exo.23.14-16.ja1955
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出エジプト記 23:20-22
「見よ、わたしは使をあなたの前につかわし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう。 あなたはその前に慎み、その言葉に聞き従い、彼にそむいてはならない。わたしの名が彼のうちにあるゆえに、彼はあなたがたのとがをゆるさないであろう。 しかし、もしあなたが彼の声によく聞き従い、すべてわたしが語ることを行うならば、わたしはあなたの敵を敵とし、あなたのあだをあだとするであろう。」
この箇所に出て来るイスラエルを守り導く神の使いとは誰でしょうか。一義的にはイスラエルの人々をエジプトから約束の地カナンまで導いたモーセやヨシュアかもしれませんが、その背後におられたお方、私たちを罪の奴隷から解放し、この世を旅する私たちを守り、天の御国へと導いてくださるイエス様です。
ですからイエス様の御声に聞き従うことこそが、罪の世にある私たちが敵の手を逃れ、守られ、祝福と平安の人生を歩む鍵となります。今日も聖書の御言葉に聞き従い、イエス様の導きに従って歩む私たちでありますように。
http://bible.com/81/exo.23.20-22.ja1955
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出エジプト記 23:32-33
「あなたは彼ら、および彼らの神々と契約を結んではならない。 彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたをいざなって、わたしに対して罪を犯させることのないためである。もし、あなたが彼らの神に仕えるならば、それは必ずあなたのわなとなるであろう」。
最近のニュースで「聖戦」という言葉を耳にします。これはイスラム系過激派組織によって戦争を正当化する悪い手段に用いられていますが、本来は神様以外の神様を拝むことを防ぐものでした。
私たちは、神様以外の何者をも神として拝んではなりません。また、神様以外のものを拝ませようとするあらゆる誘惑を断ち切る必要があります。それは目に見える異教の神々だけではなく、占いやゲーム、経済的・物質的な満足、この世での成功や権力など、人の目に魅力的に見えるものすべてです。これらは皆、自己満足、自己実現の現れです。自分の目によいと見えるものを神様以上に追い求めてはなりません。神様を何よりも第一とし、畏れ敬い、神様のために生きる私たちでありますように。
http://bible.com/81/exo.23.32-33.ja1955
「あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。 あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。 また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。」
これは十戒の「あなたは偽証してはならない」との戒めに関する定めです。自ら悪を行わなくても、噂話を広めたりデマを流して人々を惑わせることも罪です。先の熊本震災の際にも、根も葉もない嘘の情報をTwitterなどSNSで拡散して人々を混乱させる事例がありましたが、そのようなことは決して行ってはなりません。
また悪意の有無に関わらず、事実と異なる証言をしてはなりません。愛と憐れみに富む神様も、事実と異なる証言をして貧しい人を助けることは決してしてはならないとおっしゃいます。ここに単なるヒューマニズムと神の愛との差がはっきりと表れます。神の義とは真実に忠実であることです。人の情けがかえって人を傷つけ、後々まで苦しめることもあることを、私たちは忘れてはなりません。
http://bible.com/81/exo.23.1-3.ja1955
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出エジプト記 23:10-12
「あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。 しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない。 あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである。」
神様が安息日あるいは安息の年を定められたのは、自分のためではなく、自分の生活を支える環境や、見えないところで働いている人々と家畜、困窮している貧しい人々や野の獣たちのためでした。ここに神様の憐れみの奥深さを感じざるを得ません。私たちは自分だけ聖日に神様を礼拝して自己満足し、独りよがりになっていないかと反省させられました。
http://bible.com/81/exo.23.10-12.ja1955
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出エジプト記 23:14-16
「あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければならない。 あなたは種入れぬパンの祭を守らなければならない。わたしが、あなたに命じたように、アビブの月の定めの時に七日のあいだ、種入れぬパンを食べなければならない。それはその月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、むなし手でわたしの前に出てはならない。 また、あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈入れの祭と、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終りに、取入れの祭を行わなければならない。」
イスラエルの人々が今も守り行っている三大祭りが、過越の祭り、五旬節、仮庵の祭りです。キリスト教の教会歴に当てはめると、イースター、ペンテコステ、収穫感謝祭です。ここにクリスマスはありませんが、12月25日に行われる今のクリスマスはローマ帝国時代に冬至を過ぎたことを祝う太陽の祭りに合わせて行うようになったものであり、実際は真冬ではなく羊飼いたちが野宿できる晩秋の時期であったとの説もありますから、もしかしたら仮庵の祭りと重なっているかもしれません。
いずれにせよ、イスラエルの人々が今日も三大祭りを守っているのは、これらの祭りを通して神様のなされた御業の偉大さをほめたたえ、神様に感謝するためです。今年もペンテコステが近付いていますが、私たちもまたキリスト教の三大祭りを心から祝い、神様に感謝を捧げることを忘れない者でありたいと願います。
http://bible.com/81/exo.23.14-16.ja1955
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出エジプト記 23:20-22
「見よ、わたしは使をあなたの前につかわし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう。 あなたはその前に慎み、その言葉に聞き従い、彼にそむいてはならない。わたしの名が彼のうちにあるゆえに、彼はあなたがたのとがをゆるさないであろう。 しかし、もしあなたが彼の声によく聞き従い、すべてわたしが語ることを行うならば、わたしはあなたの敵を敵とし、あなたのあだをあだとするであろう。」
この箇所に出て来るイスラエルを守り導く神の使いとは誰でしょうか。一義的にはイスラエルの人々をエジプトから約束の地カナンまで導いたモーセやヨシュアかもしれませんが、その背後におられたお方、私たちを罪の奴隷から解放し、この世を旅する私たちを守り、天の御国へと導いてくださるイエス様です。
ですからイエス様の御声に聞き従うことこそが、罪の世にある私たちが敵の手を逃れ、守られ、祝福と平安の人生を歩む鍵となります。今日も聖書の御言葉に聞き従い、イエス様の導きに従って歩む私たちでありますように。
http://bible.com/81/exo.23.20-22.ja1955
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出エジプト記 23:32-33
「あなたは彼ら、および彼らの神々と契約を結んではならない。 彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたをいざなって、わたしに対して罪を犯させることのないためである。もし、あなたが彼らの神に仕えるならば、それは必ずあなたのわなとなるであろう」。
最近のニュースで「聖戦」という言葉を耳にします。これはイスラム系過激派組織によって戦争を正当化する悪い手段に用いられていますが、本来は神様以外の神様を拝むことを防ぐものでした。
私たちは、神様以外の何者をも神として拝んではなりません。また、神様以外のものを拝ませようとするあらゆる誘惑を断ち切る必要があります。それは目に見える異教の神々だけではなく、占いやゲーム、経済的・物質的な満足、この世での成功や権力など、人の目に魅力的に見えるものすべてです。これらは皆、自己満足、自己実現の現れです。自分の目によいと見えるものを神様以上に追い求めてはなりません。神様を何よりも第一とし、畏れ敬い、神様のために生きる私たちでありますように。
http://bible.com/81/exo.23.32-33.ja1955