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【COGHCC聖書通読】 2016/05/22

2016-05-22 07:20:16 | 一日一章・聖書通読日記
出エジプト記 32:1
『民はモーセが山を下ることのおそいのを見て、アロンのもとに集まって彼に言った、「さあ、わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセはどうなったのかわからないからです」。』

モーセがシナイ山で神様から十戒を授けられている間、イスラエルの民はモーセの帰りを待つことができず、ほしいままに振る舞い、自分たちのために神を作るようにとアロンに願いました。彼らの目は神様にではなく、モーセにしか注がれていなかったからです。ここに、目に見える人に従い、その背後にある神様に目を留めない者の罪の根源があります。

私たちが真に聞き従うべきは、人にではなく、天地万物を創造された神様です。いかに神様に忠実に従う優れた指導者であっても、私たちは決して人を神格化してはなりません。また自分の願望を満たすための神を作ることも、自己実現のために神様を利用することも、決してしてはならないことです。私たちは唯一の神様に聞き従うべき存在であることを肝に銘じ、神様以外の何者にも仕ることのない忠実な僕でありたいと願います。

http://bible.com/81/exo.32.1.ja1955

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出エジプト記 32:4-6
『アロンがこれを彼らの手から受け取り、工具で型を造り、鋳て子牛としたので、彼らは言った、「イスラエルよ、これはあなたをエジプトの国から導きのぼったあなたの神である」。 アロンはこれを見て、その前に祭壇を築いた。そしてアロンは布告して言った、「あすは主の祭である」。 そこで人々はあくる朝早く起きて燔祭をささげ、酬恩祭を供えた。民は座して食い飲みし、立って戯れた。』

アロンはイスラエルの民たちの要求に屈し、民たちから金の耳輪を集めて金の子牛の像を造りました。それを見たイスラエルの民は、これを自分の神としてその前に犠牲を捧げ、祭を行いました。この祭りはまことの神様を礼拝する聖なる儀式とは異なり、自分たちの好き勝手に振る舞う乱交パーティーのような、不埒で不道徳極まりないものでした。今でも、たとえばリオのカーニバルなど、盛大な祭の後には不品行な乱痴気騒ぎを行い、その後、自分の父親が誰だかわからない子どもがたくさん産まれるといいます。このような人が好き勝手に振る舞う祭を、神様はどのようにご覧になっているでしょうか。

私たちが真に礼拝すべきは、天地の造り主である唯一の神様、私たちを愛し、私たちに正しさを教える義なるお方、人の手で触れることのできないほどいと高く聖なるお方です。この神様を差し置いて、私たちは自分の好き勝手になる具絵像の神を作り、礼拝し仕えることなど決して行ってはなりません。まことの神なる主を畏れ、聖なる御名を拝し仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.32.4-6.ja1955

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出エジプト記 32:9-11, 14
『主はまたモーセに言われた、「わたしはこの民を見た。これはかたくなな民である。 それで、わたしをとめるな。わたしの怒りは彼らにむかって燃え、彼らを滅ぼしつくすであろう。しかし、わたしはあなたを大いなる国民とするであろう」。 モーセはその神、主をなだめて言った、「主よ、大いなる力と強き手をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。」

それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。』

十戒を授けて間もなく金の子牛を拝んだイスラエルの民に対して、神様は怒りを発し、彼らを滅ぼし尽くし、ただモーセの子孫だけを祝福すると言われました。しかしモーセは必死に神様の怒りをなだめ、アブラハム、イサク、ヤコブの契約を神様に思い起こさせて、神の民イスラエルが神様に滅ぼされて神様ご自身まで物笑いとならないようにと、粘り強く、かつ理路整然と神様を説得しました。このモーセの必死の説得に神様は怒りを静め、イスラエルの民を全滅させることをようやく思い直されました。今のイスラエルがあるのも、そして私たちが主イエスを信じ神の民に加えられる幸いを得ているのも、このモーセの必死の説得があったからと言っていいでしょう。

モーセは自分だけを祝福すると言われた神様の言葉を聞いても、自分一人の祝福よりもイスラエルの民の祝福を、そして何よりも神様の栄光が決して汚されることのないようにと、心から神様に仕え、人々のためにとりなす、まことの神の僕でした。この徹底したモーセの信仰に倣い、私たちもまた自分の祝福よりも人の祝福を、人の栄光よりも神様の栄光を第一に考える、忠実な神の僕とならせていただきたいと心より願います。

http://bible.com/81/exo.32.9-11,14.ja1955

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出エジプト記 32:15-16, 19
「モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。 その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。

モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。」

モーセはシナイ山で神様から授かった十戒を携えて山を下りました。この十戒が記された二枚の石の板は、神様が自らの手で書き記された、神の民との契約書です。しかしモーセが山を下ると、十戒の求めるところとはかけ離れた罪深い現実が待ち構えていました。そこでモーセは怒りと失望のあまり、神様との契約、十戒の石の板を粉々に砕いてしまいました。これは神様との契約書を破り捨て、破棄したことを意味します。

私たち人間は、このように罪深い現実の世に生きています。神様の恵みと憐れみにより一方的にいただいた祝福の契約を破り捨てなければならないほど、私たちの心は神様から遠く離れ、罪にまみれた者です。私たちはもっと神様の御心に適う、きよめられた者とならなければなりません。常に神様を拝し、御言葉を忠実に守り、自分の満足よりも神様に喜ばれることを第一として、ただ神様だけに仕える私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.32.15-16,19.ja1955

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出エジプト記 32:21-24
『モーセはアロンに言った、「この民があなたに何をしたので、あなたは彼らに大いなる罪を犯させたのですか」。 アロンは言った、「わが主よ、激しく怒らないでください。この民の悪いのは、あなたがごぞんじです。 彼らはわたしに言いました、『わたしたちに先立って行く神を、わたしたちのために造ってください。わたしたちをエジプトの国から導きのぼった人、あのモーセは、どうなったのかわからないからです』。 そこでわたしは『だれでも、金を持っている者は、それを取りはずしなさい』と彼らに言いました。彼らがそれをわたしに渡したので、わたしがこれを火に投げ入れると、この子牛が出てきたのです」。』

モーセが不在の間、イスラエルの民たちを指導する立場にあったアロンに対し、なぜ金の子牛を拝み、乱痴気騒ぎをしていたのかとモーセは追求します。そのときアロンは、自分の行ったことを偽り、棚に上げて、勝手に金の子牛が出来て、イスラエルの民たちが勝手に騒いでいたのだと責任逃れをしました。イスラエルの民たちが神様から滅ぼされないようにと必死にとりなしたモーセの姿とは全く対照的な姿です。

しかし私たちもまたアロンのような弱さを持っていることを素直に認めなければなりません。保身の思い、責任転嫁する心、その根源は神様を畏れず人を恐れる不信仰から出てきます。すべてをご存じであられる神様を畏れるならば、決して偽りを語ることは出来ません。人を恐れない者は、保身も責任転嫁も頭の片隅にもありません。ただまことの神様だけを畏れ、自らの罪を責任逃れすることなく心から悔い改め、人を責めず、むしろ神様の御前に心を注いでとりなす私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.32.21-24.ja1955

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出エジプト記‬ ‭32:31-32
『モーセは主のもとに帰って、そして言った、「ああ、この民は大いなる罪を犯し、自分のために金の神を造りました。 今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば-。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。』

ことの顛末を見たモーセは再びシナイ山に登り、イスラエルの罪を自分の罪として、自分の名前をいのちの書から消してくださいと言うほどまでに、神様の御前で必死に全イスラエルのためにとりなしました。

神様の御前に私たちが取るべき態度は、責任逃れをしたアロンの態度ではなく、このモーセのように自分の罪としてとりなす心です。先に救われた私たちは、神様を知らないすべての魂に対して責任があることを忘れてはなりません。共同体の罪に対して他人事のように傍観者の態度を取ることなく、自らの罪として心からの悔い改めととりなしを行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/exo.32.31-32.ja1955
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【今日の聖句】 2016/05/22

2016-05-22 05:43:17 | 今日の聖句
エペソ人への手紙 4:25
「こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。」

私たちはキリストにあって一つとされた者ですから、肉の欲望を満足させる偽りの言葉ではなく、神の真理を語り合うべきです。そしてキリストの徳の高さに至るよう互いに励まし合い、キリストを頭として愛により一致する肢体を形成する私たちでありますように。

http://bible.com/81/eph.4.25.ja1955
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