伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2019/09/24

2019-09-24 08:00:26 | 一日一章・聖書通読日記
レビ記 13:1-8

「主はまたモーセとアロンに言われた、 「人がその身の皮に腫、あるいは吹出物、あるいは光る所ができ、これがその身の皮に重い皮膚病の患部のようになるならば、その人を祭司アロンまたは、祭司なるアロンの子たちのひとりのもとに、連れて行かなければならない。 祭司はその身の皮の患部を見、その患部の毛がもし白く変り、かつ患部が、その身の皮よりも深く見えるならば、それは重い皮膚病の患部である。祭司は彼を見て、これを汚れた者としなければならない。 もしまたその身の皮の光る所が白くて、皮よりも深く見えず、また毛も白く変っていないならば、祭司はその患者を七日のあいだ留め置かなければならない。 七日目に祭司はこれを見て、もし患部の様子に変りがなく、また患部が皮に広がっていないならば、祭司はその人をさらに七日のあいだ留め置かなければならない。 七日目に祭司は再びその人を見て、患部がもし薄らぎ、また患部が皮に広がっていないならば、祭司はこれを清い者としなければならない。これは吹出物である。その人は衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。 しかし、その人が祭司に見せて清い者とされた後に、その吹出物が皮に広くひろがるならば、再び祭司にその身を見せなければならない。 祭司はこれを見て、その吹出物が皮に広がっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。これは重い皮膚病である。」

「重い皮膚病」あるいは「悪性のかび」と記された箇所は、口語訳聖書の原文では「らい病」と表記されていましたが、らい予防法の廃止に伴い、最新の改訂で翻訳し直された箇所のため、適宜読み替えを行っています。ハンセン氏病に関する正しい理解を深めると共に、差別的な言葉を使わないようにすることも大切なことです。この箇所では、聖書では汚れたものとして扱われてきた重い皮膚病あるいは悪性のかびの判定と癒し、きよめについて記されています。祭司はこれらの病に感染した、あるいは感染のおそれがある人を、汚れた者か、きよめられた者であるかを判定する資格を与えられました。自分も同じ病に感染するかもしれないリスクを、神にきよめられた祭司が請け負ったのです。神はイスラエルの民を聖別し、きよい民とされました。それは私たちクリスチャンも同じです。神は私たちの中に罪の要素が入り込むことのないよう、あらかじめ予防線を張ってくださいました、

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.1-8.ja1955

*****

レビ記 13:9-17

「もし人に重い皮膚病の患部があるならば、その人を祭司のもとに連れて行かなければならない。 祭司がこれを見て、その皮に白い腫があり、その毛も白く変り、かつその腫に生きた生肉が見えるならば、 これは慢性の皮膚病がその身の皮にあるのであるから、祭司はその人を汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、これを留め置くに及ばない。 もし重い皮膚病が広く皮に出て、その重い皮膚病が、その患者の皮を頭から足まで、ことごとくおおい、祭司の見るところすべてに及んでおれば、 祭司はこれを見、もし重い皮膚病がその身をことごとくおおっておれば、その患者を清い者としなければならない。それはことごとく白く変ったから、彼は清い者である。 しかし、もし生肉がその人に現れておれば、汚れた者である。 祭司はその生肉を見て、その人を汚れた者としなければならない。生肉は汚れたものであって、それは重い皮膚病である。 もしまたその生肉が再び白く変るならば、その人は祭司のもとに行かなければならない。 祭司はその人を見て、もしその患部が白く変っておれば、祭司はその患者を清い者としなければならない。その人は清い者である。」

重い皮膚病に罹患した人は、祭司の元に出向いて、その病がまだ人に感染する状態か、癒されたのか、判定してもらわなければなりませんでした。それは単なる病の癒しというレベルではなく、聖なる民イスラエル全体が神の忌み嫌われる汚れた状態に陥ことのないようにとの配慮であり、癒しときよめの過程と判定基準を明記したものです。祭司は神と人との間に立って判定を行う責務があり、人は祭司の下に進み出て汚れた者かどうかを判定していただく責務がありました。自分の汚れた部分を人に見せることは勇気が必要ですが、そのまま放置してはなりません。それは罪も同様、自分勝手な考えに基づいて自己判断するのではなく、自ら神の前に進み出て告白しなければ、罪の赦しはあり得ません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.9-17.ja1955

*****

レビ記 13:18-28

「また身の皮に腫物があったが、直って、 その腫物の場所に白い腫、または赤みをおびた白い光る所があれば、これを祭司に見せなければならない。 祭司はこれを見て、もし皮よりも低く見え、その毛が白く変っていれば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは腫物に起った重い皮膚病の患部だからである。 しかし、祭司がこれを見て、もしその所に白い毛がなく、また皮よりも低い所がなく、かえって薄らいでいるならば、祭司はその人を七日のあいだ留め置かなければならない。 そしてもし皮に広くひろがっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それは患部だからである。 しかし、その光る所がもしその所にとどまって広がらなければ、それは腫物の跡である。祭司はその人を清い者としなければならない。 また身の皮にやけどがあって、そのやけどの生きた肉がもし赤みをおびた白、または、ただ白くて光る所となるならば、 祭司はこれを見なければならない。そしてもし、その光る所にある毛が白く変って、そこが皮よりも深く見えるならば、これはやけどに生じた重い皮膚病である。祭司はその人を汚れた者としなければならない。これは重い皮膚病の患部だからである。 けれども祭司がこれを見て、その光る所に白い毛がなく、また皮よりも低い所がなく、かえって薄らいでいるならば、祭司はその人を七日のあいだ留め置き、 七日目に祭司は彼を見なければならない。もし皮に広くひろがっているならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。これは重い皮膚病の患部だからである。 もしその光る所が、その所にとどまって、皮に広がらずに、かえって薄らいでいるならば、これはやけどの腫である。祭司はその人を清い者としなければならない。これはやけどの跡だからである。」

腫れ物にさわることは痛みを伴います。自らの罪を認めることにも心の痛みを伴います。しかし痛みを避けては、癒しはありませんし、かえって痛みが増え広がり、更に悪化するだけです。いのちの危険を伴うような重大な疾病こそ、早期発見、早期治療が最も有効な治療法であるように、罪という死に至る病を、腫れ物をさわるようにオブラートに包んだまま触れぬようにしたり隠し通すことなく、痛みを覚悟して神の御前に持ち出すことが、更に重い罪を犯すことを防ぎ、周囲に悪影響を及ぼさない最善の対策です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.18-28.ja1955

*****

レビ記 13:29-44

「男あるいは女がもし、頭またはあごに患部が生じたならば、 祭司はその患部を見なければならない。もしそれが皮よりも深く見え、またそこに黄色の細い毛があるならば、祭司はその人を汚れた者としなければならない。それはかいせんであって、頭またはあごの重い皮膚病だからである。 また祭司がそのかいせんの患部を見て、もしそれが皮よりも深く見えず、またそこに黒い毛がないならば、祭司はそのかいせんの患者を七日のあいだ留め置き、 七日目に祭司はその患部を見なければならない。そのかいせんがもし広がらず、またそこに黄色の毛がなく、そのかいせんが皮よりも深く見えないならば、 その人は身をそらなければならない。ただし、そのかいせんをそってはならない。祭司はそのかいせんのある者をさらに七日のあいだ留め置き、 七日目に祭司はそのかいせんを見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がらず、またそれが皮よりも深く見えないならば、祭司はその人を清い者としなければならない。その人はまたその衣服を洗わなければならない。そして清くなるであろう。 しかし、もし彼が清い者とされた後に、そのかいせんが、皮に広くひろがるならば、 祭司はその人を見なければならない。もしそのかいせんが皮に広がっているならば、祭司は黄色の毛を捜すまでもなく、その人は汚れた者である。 しかし、もしそのかいせんの様子に変りなく、そこに黒い毛が生じているならば、そのかいせんは直ったので、その人は清い。祭司はその人を清い者としなければならない。 また男あるいは女がもし、その身の皮に光る所、すなわち白い光る所があるならば、 祭司はこれを見なければならない。もしその身の皮の光る所が、鈍い白であるならば、これはただ白せんがその皮に生じたのであって、その人は清い。 人がもしその頭から毛が抜け落ちても、それがはげならば清い。 もしその額の毛が抜け落ちても、それが額のはげならば清い。 けれども、もしそのはげ頭または、はげ額に赤みをおびた白い患部があるならば、それはそのはげ頭または、はげ額に重い皮膚病が発したのである。 祭司はこれを見なければならない。もしそのはげ頭または、はげ額の患部の腫が白く赤みをおびて、身の皮に重い皮膚病があらわれているならば、 その人は重い皮膚病の患者であって、汚れた者である。祭司はその人を確かに汚れた者としなければならない。患部が頭にあるからである。」

ここでは普段は髪の毛や髭に隠された部分に生じた重い皮膚病について言及されています。祭司に患部を見せる際、髪の毛や髭を剃るようにと命じられました。中近東の人々にとって髪の毛や髭を剃ることは、自発的に誓願を立てるときの他は恥とする文化があります。恥ずかしい思いをしてでも隠された重い皮膚病の患部を見せなければなりません。心の奥底に潜んだ、誰にも知られたくない罪も、神の御前にはすべて明け渡さなければ、癒しも赦しもきよめもありません。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.29-44.ja1955

*****

レビ記 13:45-46

「患部のある重い皮膚病人は、その衣服を裂き、その頭を現し、その口ひげをおおって『汚れた者、汚れた者』と呼ばわらなければならない。 その患部が身にある日の間は汚れた者としなければならない。その人は汚れた者であるから、離れて住まなければならない。すなわち、そのすまいは宿営の外でなければならない。」

重い皮膚病に冒された患者は、衣服を裂き、患部を現して、人前に出るときには自分は汚れた者だと叫びながら進まなければなりませんでした。また宿営から出て、隔離された状態を保つ必要がありました。罪の影響力は甚大です。自分のみならず人にも罪を犯させてしまうことのないように、罪から完全隔離された状態を保つことが、罪きよめられた者の責務です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.45-46.ja1955

*****

レビ記 13:47-59

「また衣服に悪性のかびが生じた時は、それが羊毛の衣服であれ、亜麻の衣服であれ、 あるいは亜麻または羊毛の縦糸であれ、横糸であれ、あるいは皮であれ、皮で作ったどのような物であれ、 もしその衣服あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮で作ったどのような物であれ、そのかびが青みをおびているか、あるいは赤みをおびているならば、これは悪性のかびの繁殖によるものであり、これを祭司に見せなければならない。 祭司はそのかびを見て、そのかびのある物を七日のあいだ留め置き、 七日目にかびを見て、もしその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいは皮、またどのように用いられている皮であれ、かびが広がっているならば、それは特に悪性のかびであって、汚れた物である。 彼はそのかびのある衣服、あるいは羊毛、または亜麻の縦糸、または横糸、あるいはすべて皮で作った物を焼かなければならない。これは特に悪性のかびであるから、その物を火で焼かなければならない。 しかし、祭司がこれを見て、もしかびがその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に広がっていないならば、 祭司は命じて、そのかびのある物を洗わせ、さらに七日の間これを留め置かなければならない。 そしてそのかびを洗った後、祭司はそれを見て、もしかびの色が変らなければ、そのかびが広がらなくても、それは汚れた物である。それが表にあっても裏にあっても腐れであるから、それを火で焼かなければならない。 しかし、祭司がこれを見て、それを洗った後に、そのかびが薄らいだならば、その衣服、あるいは皮、あるいは縦糸、あるいは横糸から、それを切り取らなければならない。 しかし、なおその衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物にそれが現れれば、それは再発したのである。そのかびのある物を火で焼かなければならない。 また洗った衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物から、かびが消え去るならば、再びそれを洗わなければならない。そうすれば清くなるであろう」。 これは羊毛または亜麻の衣服、あるいは縦糸、あるいは横糸、あるいはすべて皮で作った物に生じる悪性のかびについて、それを清い物とし、または汚れた物とするためのおきてである。

家屋や衣服に発生した悪性のかびのように、私たちの生活環境も罪を犯させる要因となり得ます。罪を犯さない最大の予防策は、罪に近付かないこと、罪を犯させる原因を取り除くことです。神を信じて罪を告白し、主イエスの十字架により赦され、御霊によってきよめられても、いつまでも罪深い生活を離れられなければ、再び罪を犯してしまいます。悪しき感情や汚れた思いを引き起こす要因をすべて取り除き、生活環境や生活態度を全く刷新することこそ、再び罪を犯すことを避け、神に喜ばれるきよい信仰生活を送る最大の秘訣です。

https://www.bible.com/bible/81/lev.13.47-59.ja1955
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【今日の聖句】 2019/09/24 | トップ | 【今日の聖句】 2019/09/25 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。