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【COGHCC聖書通読】 2019/02/04

2019-02-04 07:50:19 | 一日一章・聖書通読日記
ローマ人への手紙 14:1-6

信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。 ある人は、何を食べてもさしつかえないと信じているが、弱い人は野菜だけを食べる。 食べる者は食べない者を軽んじてはならず、食べない者も食べる者をさばいてはならない。神は彼を受けいれて下さったのであるから。 他人の僕をさばくあなたは、いったい、何者であるか。彼が立つのも倒れるのも、その主人によるのである。しかし、彼は立つようになる。主は彼を立たせることができるからである。 また、ある人は、この日がかの日よりも大事であると考え、ほかの人はどの日も同じだと考える。各自はそれぞれ心の中で、確信を持っておるべきである。 日を重んじる者は、主のために重んじる。また食べる者も主のために食べる。神に感謝して食べるからである。食べない者も主のために食べない。そして、神に感謝する。

聖書は私たちがこの世で神に喜ばれる生き方を送るための規範ですが、詳細なこと、また聖書の時代には存在しなかった事々についてまで逐一詳細には記されていません。ですから私たちが日常生活の中で発生する物事の判断は、聖書の精神に則った私たちの信仰に委ねられており、少なからず個人差があります。聖書に記されていない事象について、見解の相違をあげつらって批判し合うようなことは、私たちは避けなければなりません。その際の判断基準は、正しい信仰に基づいているかになります。義に偏って愛を見失ってはならず、情に偏って義を曲げてもいけません。それぞれに授けられた信仰のはかりに従って、一つ一つに適切に対処する正しい心を与えてくださいと祈り求めつつ、きよい信仰生活を送る私たちでありますように。

https://www.bible.com/81/rom.14.1-6.ja1955

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ローマ人への手紙 14:7-12

すなわち、わたしたちのうち、だれひとり自分のために生きる者はなく、だれひとり自分のために死ぬ者はない。 わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。 なぜなら、キリストは、死者と生者との主となるために、死んで生き返られたからである。 それだのに、あなたは、なぜ兄弟をさばくのか。あなたは、なぜ兄弟を軽んじるのか。わたしたちはみな、神のさばきの座の前に立つのである。 すなわち、「主が言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしに対してかがみ、すべての舌は、神にさんびをささげるであろう」と書いてある。 だから、わたしたちひとりびとりは、神に対して自分の言いひらきをすべきである。

罪の支配するこの世に生を受けた私たち人間はすべて、神の御前に開かれた裁判に掛けられる被告人です。私たちは誰一人として弁護者でも、検事でも、判事でもないことを、まず第一に認識しなければなりません。判決を下すのは裁判長である神様ただお一人だけなのですから、私たちは人を裁いてはならないのです。弁論証拠は、どれほど主のために生きたか、ただその一点に掛かっています。この真理はわかっているようで、自分の生活に当てはめることは、なかなか難しいものです。ですから私たちは日々、主に祈り求めることが必要なのです。

https://www.bible.com/81/rom.14.7-12.ja1955

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ローマ人への手紙 14:13-18

それゆえ、今後わたしたちは、互にさばき合うことをやめよう。むしろ、あなたがたは、妨げとなる物や、つまずきとなる物を兄弟の前に置かないことに、決めるがよい。 わたしは、主イエスにあって知りかつ確信している。それ自体、汚れているものは一つもない。ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。 もし食物のゆえに兄弟を苦しめるなら、あなたは、もはや愛によって歩いているのではない。あなたの食物によって、兄弟を滅ぼしてはならない。キリストは彼のためにも、死なれたのである。 それだから、あなたがたにとって良い事が、そしりの種にならぬようにしなさい。 神の国は飲食ではなく、義と、平和と、聖霊における喜びとである。 こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。

パウロのみならず主イエスもまた、人を躓かせる者は大きな石臼をつけて海に投げ込まれた方がよいと言われたほど、私たちの対人関係において、信仰の躓きとなる石を置いてはいないか、その一事に注意しなければなりません。自分が正しいと思うことにこだわり、人が間違っていると決めつけることが、どれほど人を傷つけ、躓かせ、心を殺しているか、深く認識しなければなりません。相手の立場に立って考えることのできない者は、神の愛に生きる者として相応しい態度ではありません。

https://www.bible.com/81/rom.14.13-18.ja1955

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ローマ人への手紙 14:19-23

こういうわけで、平和に役立つことや、互の徳を高めることを、追い求めようではないか。 食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者には、悪となる。 肉を食わず、酒を飲まず、そのほか兄弟をつまずかせないのは、良いことである。 あなたの持っている信仰を、神のみまえに、自分自身に持っていなさい。自ら良いと定めたことについて、やましいと思わない人は、さいわいである。 しかし、疑いながら食べる者は、信仰によらないから、罪に定められる。すべて信仰によらないことは、罪である。

神の義と愛を知る私たちに相応しい態度は、平和を追求し、互いの徳を高め合う姿勢です。些細なことにこだわって人間関係を破壊する、あるいは他人との交わりを絶って孤高の生涯を貫こうとすることは、単なる独りよがりの自己満足に過ぎず、この世に平和を創り出す者として私たちを召し出してくださった神様の御心に反することです。ぶれない信仰の判断基準を保ちつつ、人には愛を、地には平和を、天にいますキリストの徳の高さを目指して、日々精進する私たちでありますように。

https://www.bible.com/81/rom.14.19-23.ja1955
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