ヨブ記 17:1-5
「わが霊は破れ、わが日は尽き、墓はわたしを待っている。 まことにあざける者どもはわたしのまわりにあり、わが目は常に彼らの侮りを見る。 どうか、あなた自ら保証となられるように。ほかにだれがわたしのために保証となってくれる者があろうか。 あなたは彼らの心を閉じて、悟ることのないようにされた。それゆえ、彼らに勝利を得させられるはずはない。 分け前を得るために友を訴えるものは、その子らの目がつぶれるであろう。」
家族も財産も、そして自らの健康をも失い、更に自分の不幸をあざ笑うかのように罪をほじくり出そうとする友人たちの心ない言葉に、生きる希望すら尽き果てようとしているヨブは、最後の頼みの綱として、神が自ら自分の保証人となってくださることを願いました。この保証人という言葉は、身代わりとなる者という意味もあります。すなわち、私たちの罪のために自ら身代わりとなって十字架に死なれたキリストを待ち望む姿を、このヨブの一縷の望みから読み取ることができます。たとい世界中の人々が私に敵しても、まことの神、主に信頼して寄り頼むことのできる者はさいわいです。
https://www.bible.com/bible/81/job.17.1-5.ja1955
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ヨブ記 17:6-10
「彼はわたしを民の笑い草とされた。わたしは顔につばきされる者となる。 わが目は憂いによってかすみ、わがからだはすべて影のようだ。 正しい者はこれに驚き、罪なき者は神を信ぜぬ者に対して憤る。 それでもなお正しい者はその道を堅く保ち、潔い手をもつ者はますます力を得る。 しかし、あなたがたは皆再び来るがよい、わたしはあなたがたのうちに賢い者を見ないのだ。」
愛する妻からも、友人たちからも見放され、身に覚えのない罪をあげつらって裁こうとする辛辣な言葉を浴びせかけられ続けたヨブの心は、どれほど傷つき、生きる気力を奪われたことでしょう。もはや自分のいのちは影のように薄く、実体のないものとなってしまったとヨブは嘆きます。この世の知者を装う者は、人の罪を暴き、その原因を探って裁くことに終始します。しかし真の知者とは、人を生かし、いのちの喜びと希望を与える者を指します。私たちの語る言葉が人からいのちを奪うものか、それともいのちを与えるものか、今一度吟味して自らを省みる者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/job.17.6-10.ja1955
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ヨブ記 17:11-16
「わが日は過ぎ去り、わが計りごとは敗れ、わが心の願いも敗れた。 彼らは夜を昼に変える。彼らは言う、『光が暗やみに近づいている』と。 わたしがもし陰府をわたしの家として望み、暗やみに寝床をのべ、 穴に向かって『あなたはわたしの父である』と言い、うじに向かって『あなたはわたしの母、わたしの姉妹である』と言うならば、 わたしの望みはどこにあるか、だれがわたしの望みを見ることができようか。 これは下って陰府の関門にいたり、われわれは共にちりに下るであろうか」。
夢も希望も失われた、とは、まさにこのときのヨブの心境を如実に語る形容詞です。いのちの光はまさに消えようとし、死の暗闇に飲み込まれそうになっています。全身を皮膚病に冒され、ウジに自分の肉体を食われたまま陰府に降ろうとしているヨブのどこに希望があるのでしょうか。まさに今、悲しみのどん底に落とされているヨブに、私たちならばどんな言葉を掛けることができるでしょうか。ヨブの友人たちのように正義についての一般論を語って罪のあら探しをしようとするか、ヨブの苦しみ悲しみに寄り添って慰めと励ましの言葉を語るか、私たちの信仰の本質的な部分が問われます。
https://www.bible.com/bible/81/job.17.11-16.ja1955
「わが霊は破れ、わが日は尽き、墓はわたしを待っている。 まことにあざける者どもはわたしのまわりにあり、わが目は常に彼らの侮りを見る。 どうか、あなた自ら保証となられるように。ほかにだれがわたしのために保証となってくれる者があろうか。 あなたは彼らの心を閉じて、悟ることのないようにされた。それゆえ、彼らに勝利を得させられるはずはない。 分け前を得るために友を訴えるものは、その子らの目がつぶれるであろう。」
家族も財産も、そして自らの健康をも失い、更に自分の不幸をあざ笑うかのように罪をほじくり出そうとする友人たちの心ない言葉に、生きる希望すら尽き果てようとしているヨブは、最後の頼みの綱として、神が自ら自分の保証人となってくださることを願いました。この保証人という言葉は、身代わりとなる者という意味もあります。すなわち、私たちの罪のために自ら身代わりとなって十字架に死なれたキリストを待ち望む姿を、このヨブの一縷の望みから読み取ることができます。たとい世界中の人々が私に敵しても、まことの神、主に信頼して寄り頼むことのできる者はさいわいです。
https://www.bible.com/bible/81/job.17.1-5.ja1955
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ヨブ記 17:6-10
「彼はわたしを民の笑い草とされた。わたしは顔につばきされる者となる。 わが目は憂いによってかすみ、わがからだはすべて影のようだ。 正しい者はこれに驚き、罪なき者は神を信ぜぬ者に対して憤る。 それでもなお正しい者はその道を堅く保ち、潔い手をもつ者はますます力を得る。 しかし、あなたがたは皆再び来るがよい、わたしはあなたがたのうちに賢い者を見ないのだ。」
愛する妻からも、友人たちからも見放され、身に覚えのない罪をあげつらって裁こうとする辛辣な言葉を浴びせかけられ続けたヨブの心は、どれほど傷つき、生きる気力を奪われたことでしょう。もはや自分のいのちは影のように薄く、実体のないものとなってしまったとヨブは嘆きます。この世の知者を装う者は、人の罪を暴き、その原因を探って裁くことに終始します。しかし真の知者とは、人を生かし、いのちの喜びと希望を与える者を指します。私たちの語る言葉が人からいのちを奪うものか、それともいのちを与えるものか、今一度吟味して自らを省みる者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/job.17.6-10.ja1955
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ヨブ記 17:11-16
「わが日は過ぎ去り、わが計りごとは敗れ、わが心の願いも敗れた。 彼らは夜を昼に変える。彼らは言う、『光が暗やみに近づいている』と。 わたしがもし陰府をわたしの家として望み、暗やみに寝床をのべ、 穴に向かって『あなたはわたしの父である』と言い、うじに向かって『あなたはわたしの母、わたしの姉妹である』と言うならば、 わたしの望みはどこにあるか、だれがわたしの望みを見ることができようか。 これは下って陰府の関門にいたり、われわれは共にちりに下るであろうか」。
夢も希望も失われた、とは、まさにこのときのヨブの心境を如実に語る形容詞です。いのちの光はまさに消えようとし、死の暗闇に飲み込まれそうになっています。全身を皮膚病に冒され、ウジに自分の肉体を食われたまま陰府に降ろうとしているヨブのどこに希望があるのでしょうか。まさに今、悲しみのどん底に落とされているヨブに、私たちならばどんな言葉を掛けることができるでしょうか。ヨブの友人たちのように正義についての一般論を語って罪のあら探しをしようとするか、ヨブの苦しみ悲しみに寄り添って慰めと励ましの言葉を語るか、私たちの信仰の本質的な部分が問われます。
https://www.bible.com/bible/81/job.17.11-16.ja1955