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【COGHCC聖書通読】 2016/11/15

2016-11-15 07:55:16 | 一日一章・聖書通読日記
サムエル記上 23:1-2
『さて人々はダビデに告げて言った、「ペリシテびとがケイラを攻めて、打ち場の穀物をかすめています」。 そこでダビデは主に問うて言った、「わたしが行って、このペリシテびとを撃ちましょうか」。主はダビデに言われた、「行ってペリシテびとを撃ち、ケイラを救いなさい」。』

サウル王の追撃を避けて逃亡生活を送るダビデの元に、ペリシテ人がイスラエルの町ケイラを略奪しているとの情報が飛び込んできました。その時ダビデは、ケイラの町を自分たちか救うべきかどうか主にお伺いを立てました。すると主は、戦いに出て行ってケイラの町を救いなさいとダビデに答えられました。いかに自分が苦しい状況に置かれていても、困っている人を救うことが神様の御心です。

http://bible.com/81/1sa.23.1-2.ja1955

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サムエル記上 23:3-5
『しかしダビデの従者たちは彼に言った、「われわれは、ユダのここにおってさえ、恐れているのに、ましてケイラへ行って、ペリシテびとの軍に当ることができましょうか」。 ダビデが重ねて主に問うたところ、主は彼に答えて言われた、「立って、ケイラへ下りなさい。わたしはペリシテびとをあなたの手に渡します」。 ダビデとその従者たちはケイラへ行って、ペリシテびとと戦い、彼らの家畜を奪いとり、彼らを多く撃ち殺した。こうしてダビデはケイラの住民を救った。』

ダビデに従ってきた者たちは、逃亡者に過ぎない自分たちにペリシテ人と戦うことができるかと疑いましたが、主の答えは「私がペリシテ人をあなた方の手に渡す」との御告げでした。困難をも恐れることなく、主の御言葉に忠実に従う者のために、主が自ら戦われ、勝利と救いを得させてくださいます。私たちはただ主に信頼し、御言葉を守り行うのみです。

http://bible.com/81/1sa.23.3-5.ja1955

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サムエル記上 23:6, 9-13
『アヒメレクの子アビヤタルは、ケイラにいるダビデのもとにのがれてきた時、手にエポデをもって下ってきた。

ダビデはサウルが自分に害を加えようとしているのを知って、祭司アビヤタルに言った、「エポデを持ってきてください」。 そしてダビデは言った、「イスラエルの神、主よ、しもべはサウルがケイラにきて、わたしのために、この町を滅ぼそうとしていることを確かに聞きました。 ケイラの人々はわたしを彼の手に渡すでしょうか。しもべの聞いたように、サウルは下ってくるでしょうか。イスラエルの神、主よ、どうぞ、しもべに告げてください」。主は言われた、「彼は下って来る」。 ダビデは言った、「ケイラの人々はわたしと従者たちをサウルの手にわたすでしょうか」。主は言われた、「彼らはあなたがたを渡すであろう」。 そこでダビデとその六百人ほどの従者たちは立って、ケイラを去り、いずこともなくさまよった。ダビデのケイラから逃げ去ったことがサウルに聞えたので、サウルは戦いに出ることをやめた。』

アビヤタルは一族皆殺しを命じたサウルの手から命からがら逃げてきた緊急事態に際しても、祭司の装束であるエポデを肌身離さず携えてきました。これは神に仕える者として最も大切な素養であり、私たちもまた、いかなる時にも神の僕であるとの自己認識を強く身に付けるべきです。

そしてケイラの町を救ったためにサウルに居場所が知られ、窮地に追い込まれたダビデは、祭司アビヤタルにエポデを持って来させて、この後自分はどのように対処すべきか、主にお伺いを立てました。何事に際しても、自分の考えや経験に頼らず、主の御心を問う姿勢もまた、私たちが身に付けるべき大切な素養です。

http://bible.com/81/1sa.23.6,9-13.ja1955

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サムエル記上 23:14-18
『ダビデは荒野にある要害におり、またジフの荒野の山地におった。サウルは日々に彼を尋ね求めたが、神は彼をその手に渡されなかった。 さてダビデはサウルが自分の命を求めて出てきたので恐れた。その時ダビデはジフの荒野のホレシにいたが、 サウルの子ヨナタンは立って、ホレシにいるダビデのもとに行き、神によって彼を力づけた。 そしてヨナタンは彼に言った、「恐れるにはおよびません。父サウルの手はあなたに届かないでしょう。あなたはイスラエルの王となり、わたしはあなたの次となるでしょう。このことは父サウルも知っています」。 こうして彼らふたりは主の前で契約を結び、ダビデはホレシにとどまり、ヨナタンは家に帰った。』

ダビデはケイラの町を離れ、再び荒野を放浪する旅に出ました。サウルが自分の命を狙って迫っていることを実際に体験したダビデは恐れを抱きましたが、そのことを知ったヨナタンは荒野にいるダビデの元を訪ねて、ダビデこそが次のイスラエルの王であるのだからサウルの手は決して届かないと、ダビデを励まし勇気づけました。

私たちが試練や悩みの中で苦しんでいるとき、側近くに来て信仰によって励まし力づけてくれる友の存在は、計り知れない平安をもたらします。そのような信仰の友を持ち、また自分もまた誰かを励ます者となりますように。

http://bible.com/81/1sa.23.14-18.ja1955

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サムエル記上 23:24-29
『彼らは立って、サウルに先立ってジフへ行った。さてダビデとその従者たちは荒野の南のアラバにあるマオンの荒野にいた。 そしてサウルとその従者たちはきて彼を捜した。人々がこれをダビデに告げたので、ダビデはマオンの荒野にある岩の所へ下って行った。サウルはこれを聞いて、マオンの荒野にきてダビデを追った。 サウルは山のこちら側を行き、ダビデとその従者たちとは山のむこう側を行った。そしてダビデは急いでサウルからのがれようとした。サウルとその従者たちが、ダビデとその従者たちを囲んで捕えようとしたからである。 その時、サウルの所に、ひとりの使者がきて言った、「ペリシテびとが国を侵しています。急いできてください」。 そこでサウルはダビデを追うことをやめて帰り、行ってペリシテびとに当った。それで人々は、その所を「のがれの岩」と名づけた。 ダビデはそこから上ってエンゲデの要害にいた。』

サウルの追撃の手がいよいよダビデに迫ってきました。山一つ隔ててこちら側と向こう側の道を行くお互いでしたが、自分の身を守るものが何一つない荒野で、もしサウルの精鋭部隊に取り囲まれたならば、ひとたまりもなく滅ぼされてしまう絶体絶命のピンチです。しかし主はペリシテ人の侵略を用いて、この危機からダビデを救いました。これを記念して、ダビデはその山を「のがれの岩」と名付けました。

神様は、自分の敵さえも用いて、絶妙なタイミングで主に忠実に従う者を守ってくださるお方です(私もまた何度もそのような経験があります)。そのような経験をしたならば、単なるラッキーと捉えず、神様の守りの御手が自分にも届けられたのだと、神様に感謝の祈りを捧げ、記念として生涯、記憶に留める私たちでありますように。

http://bible.com/81/1sa.23.24-29.ja1955
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