伊藤ファミリーBLOG

「緑のgoo!」のテンプレートに変えてみました!
(注:コメントスパム・TBスパムは予告なく削除させていただきます)

【COGHCC聖書通読】 2016/09/08

2016-09-08 07:55:04 | 一日一章・聖書通読日記
ヨシュア記 4:1-3
『民が皆、ヨルダンを渡り終った時、主はヨシュアに言われた、 「民のうちから、部族ごとにひとりずつ、合わせて十二人を選び、 彼らに命じて言いなさい、『ヨルダンの中で祭司たちが足を踏みとどめたその所から、石十二を取り、それを携えて渡り、今夜あなたがたが宿る場所にすえなさい』」。』

ヨシュアはイスラエル12部族の代表者12人に、ヨルダン川をせき止めた神の箱を担う祭司の足元から、川底の石12個を取って運び、今夜の宿営地に据えるように命じました。その理由は、確かにヨルダン川を渡った証拠として記念するためでした。

私たちの人生には時折、転機となる重大な出来事が起こります。特に信仰の重要な転機、たとえば罪を悔い改めて心から主に仕える決心をしたとき、洗礼を受けたとき、神様からの直接の語りかけを聞いたときなど、誕生日や結婚記念日と同様に、与えられた御言葉を記念として、いつまでも記憶に残すことが大切です。

その記念の御言葉は、後の日に「あのときの決断は正しかったのだろうか」と不安になるとき、確かな証拠となって私たちを励まします。主の御業と御言葉を記念とすることを習慣づけ、確信を持って信仰の歩みを続けさせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.4.1-3.ja1955

*****

ヨシュア記 4:6-7
『「これはあなたがたのうちに、しるしとなるであろう。後の日になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石は、どうしたわけですか』と問うならば、 その時あなたがたは彼らに、むかしヨルダンの水が、主の契約の箱の前で、せきとめられたこと、すなわちその箱がヨルダンを渡った時、ヨルダンの水が、せきとめられたことを告げなければならない。こうして、それらの石は永久にイスラエルの人々の記念となるであろう」。』

信仰の記念は、今の自分たちのためだけでなく、後の世代に受け継がれる確かな証拠として残ります。今、直接、自分の目で見たことすらも忘れてしまう私たち人間が、見たことも聞いたこともない過去の出来事を信じ続けるためには、目に見える確かな証拠をもって、歴史的にも実際に起こった事実として語り継ぐ必要があります。

ヨルダン川の川底の石を記念とすることにそのような意味があったように、私たちもまた記念の御言葉を確かな証拠として、自分の身に起きた出来事を証して、家族や周囲の人々に語り継ぐ者となりますように。

http://bible.com/81/jos.4.6-7.ja1955

*****

ヨシュア記 4:10-11
「箱をかく祭司たちは、主がヨシュアに命じて、民に告げさせられた事が、すべて行われてしまうまで、ヨルダンの中に立っていた。すべてモーセがヨシュアに命じたとおりである。民は急いで渡った。 民がみな渡り終った時、主の箱と祭司たちとは、民の見る前で渡った。」

神の箱を担った祭司たちは、イスラエル人がすべてヨルダン川を渡り終えるまでその場に踏みとどまり立ち続けました。この忍耐強く忠実な働きによって、イスラエル人が無事ヨルダン川を渡ることができたことを見逃してはなりません。

私たちの日常生活が守られているのも、背後で祈り支えてくださる牧師や信仰の諸先輩や仲間たちの信仰と涙の故であると、感謝する心を決して忘れてはなりません。同時に、自分もまた誰かのために背後で祈り支える者とならせていただきましょう。

http://bible.com/81/jos.4.10-11.ja1955

*****

ヨシュア記 4:14
「この日、主はイスラエルのすべての人の前にヨシュアを尊い者とされたので、彼らはみなモーセを敬ったように、ヨシュアを一生のあいだ敬った。」

偉大な指導者モーセの後継者として選ばれたヨシュアは、長年モーセに仕えていたとはいえ、モーセ亡き後イスラエルは本当に大丈夫だろうかという不安もあったに違いありません。しかし神様ご自身が選び、その召しに応答して主に忠実に仕える者を、必ず人々からも信頼を得て尊ばれるように奇跡さえも起こして証明してくださいます。

自分に与えられた使命に不安になることがあるかもしれませんが、主が必ず共にいて励まし、支えてくださることを確信して、大胆に主の御心を行う私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.4.14.ja1955

*****

ヨシュア記 4:15-18
『主はヨシュアに言われた、 「あかしの箱をかく祭司たちに命じて、ヨルダンから上がってこさせなさい」。 ヨシュアは祭司たちに命じて言った、「ヨルダンから上がってきなさい」。 主の契約の箱をかく祭司たちはヨルダンの中から上がってきたが、祭司たちの足の裏がかわいた地にあがると同時に、ヨルダンの水はもとの所に流れかえって、以前のように、その岸にことごとくあふれた。』

普段は川岸までいっぱいに水があふれかえるヨルダン川がせき止められたのは、ヨシュアが偉大だったからでも、神の箱自体に力があったからでもなく、神様の言葉に忠実に従った、その信仰に基づく行動の故でした。神様が奇跡を行われるときは、必ず御言葉と、私たちの従順な信仰と行動が必要不可欠です。神様の御言葉を疑うことなく、愚直に、忠実に、その御業が成し遂げられるまで従い通す私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.4.15-18.ja1955

*****

ヨシュア記 4:19-22
『民は正月の十日に、ヨルダンから上がってきて、エリコの東の境にあるギルガルに宿営した。 そしてヨシュアは、人々がヨルダンから取ってきた十二の石をギルガルに立て、 イスラエルの人々に言った、「後の日にあなたがたの子どもたちが、その父に『これらの石は、どうしたわけですか』とたずねたならば、 『むかしイスラエルがこのヨルダンを、かわいた地にされて渡ったのだ』と言って、その子どもたちに知らせなければならない。」』

後の日に、イスラエルの子孫たちがヨルダン川の川底から運んできた石を見て、どうして「この石はどうしてか」と疑問に思うのでしょうか。それは砂漠地帯のイスラエルの石は普通、ごつごつとした岩の断片であるのに対し、ヨルダン川の川底の石は水で削られ角の取れた丸い石であるため、普通の石ではないと一目瞭然だからです。

私たちも、世の人々と同じような生活をし、普通の人と何も変わらないならば、主の証人にはなれません。たとえ外見は普通でも、話しをしていると、あるいは行動を見ていると、あの人は何か違う、と、心の内にある信仰を感じさせることのできる、主の証人とならせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.4.19-22.ja1955

*****

ヨシュア記 4:23-24
「すなわちあなたがたの神、主はヨルダンの水を、あなたがたのために干しからして、あなたがたを渡らせてくださった。それはあたかも、あなたがたの神、主が、われわれのために紅海を干しからして、われわれを渡らせてくださったのと同じである。 このようにされたのは、地のすべての民に、主の手に力のあることを知らせ、あなたがたの神、主をつねに恐れさせるためである」。

主が奇跡を起こされるのは、神様を信じる人にも信じない人にも、主こそまことの神であることを世に示すためです。そのために主は、このときの世代のイスラエル人が経験しなかった紅海の海底を渡る奇跡と同じことを、ヨルダン川を渡る奇跡として記憶に残させたのです。

私たちは奇跡そのものを求めてなりません。奇跡の背後にある神様の偉大さを証しし、すべての人が主を畏れ敬うこと、それこそが神様の御心であることと肝に銘じる私たちでありますように。

http://bible.com/81/jos.4.23-24.ja1955
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 【今日の聖句】 2016/09/08 | トップ | 【今日の聖句】 2016/09/09 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。