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【COGHCC聖書通読】 2019/02/26

2019-02-26 07:45:04 | 一日一章・聖書通読日記
コリント人への第二の手紙 4:1-5 口語訳

このようにわたしたちは、あわれみを受けてこの務についているのだから、落胆せずに、 恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人の良心に自分を推薦するのである。 もしわたしたちの福音がおおわれているなら、滅びる者どもにとっておおわれているのである。 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。 しかし、わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。わたしたち自身は、ただイエスのために働くあなたがたの僕にすぎない。

公式な推薦状を持っていないと非難されたパウロが福音の働きの実によって自ら推薦するのは、決して自己主張のためにではなく、キリストの僕としてイエスの十字架による福音、罪の購いと永遠の希望を宣べ伝えるために召された僕だとの自覚に基づくものでした。そしてパウロを非難する者たちは、キリストの栄光に輝く福音を覆い隠しているものであり、この世の神の策略に引っ掛かっていることにすら気付いていないのです。御言葉の真理を知る私たちは、彼らのように惑わされることなく、神の働きの尊さを見極める信仰の目を備えさせていただきたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1820/2co.4.1-5.口語訳

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コリント人への第二の手紙 4:6-10 口語訳

「やみの中から光が照りいでよ」と仰せになった神は、キリストの顔に輝く神の栄光の知識を明らかにするために、わたしたちの心を照して下さったのである。 しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。 わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。 迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。 いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。

私たちの心を照らす神の栄光の知識は、何かをひけらかすために輝いているのではありません。だからこそ、キリストの十字架を伝える信仰の愚かさという土の器の中に隠されているのです。それは心から真理を探し求める者にしか見出すことのできない永遠の宝、人から出たものではない神由来の信仰の賜物です。見栄えのしないものの中に隠されている真理の宝の故に、私たちは艱難も、迫害も、行き詰まりも、絶望も乗り越えることができますから感謝いたします。

https://www.bible.com/bible/1820/2co.4.6-10.口語訳

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コリント人への第二の手紙 4:11-14 口語訳‬‬

わたしたち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されているのである。それはイエスのいのちが、わたしたちの死ぬべき肉体に現れるためである。 こうして、死はわたしたちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのである。 「わたしは信じた。それゆえに語った」としるしてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じている。それゆえに語るのである。 それは、主イエスをよみがえらせたかたが、わたしたちをもイエスと共によみがえらせ、そして、あなたがたと共にみまえに立たせて下さることを、知っているからである。

人は死んだらおしまいだと、多くの人が諦めて生きています。しかし死は人の罪の結果であり、罪さえ解決すれば永遠に生きることができます。それがイエスのいのちが私たちのものとなる福音の本質です。私たちはもはやキリストの十字架と共に罪の自分に死んだだけでなく、キリストの復活と共に永遠に生きる者とされているという自覚をもつことが重要です。

https://www.bible.com/bible/1820/2co.4.11-14.口語訳

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コリント人への第二の手紙 4:15-18 口語訳‬‬

すべてのことは、あなたがたの益であって、恵みがますます多くの人に増し加わるにつれ、感謝が満ちあふれて、神の栄光となるのである。 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。 なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。 わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。

自分の目で見て確かめられるものでなければ信じないという人が多くいます。しかし人の目に見えるものはいずれ失われてゆく、期間限定の存在に過ぎません。この世の形あるものはいつしか壊れ、失われ、存在そのものが完全に否定されます。しかし信仰、愛、信頼、友情など、目には見えないものは、この世から完全に消え失せることはありません。だからこそ私たちは、見えないものに目を注ぐ必要があるのです。

https://www.bible.com/bible/1820/2co.4.15-18.口語訳
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