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【COGHCC聖書通読】 2019/04/05

2019-04-05 07:50:10 | 一日一章・聖書通読日記
テモテヘの第一の手紙 1:1-5

わたしたちの救主なる神と、わたしたちの望みであるキリスト・イエスとの任命によるキリスト・イエスの使徒パウロから、 信仰によるわたしの真実な子テモテへ。父なる神とわたしたちの主キリスト・イエスから、恵みとあわれみと平安とが、あなたにあるように。 わたしがマケドニヤに向かって出発する際、頼んでおいたように、あなたはエペソにとどまっていて、ある人々に、違った教を説くことをせず、 作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく、むしろ論議を引き起させるだけのものである。 わたしのこの命令は、清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている。

今日からテモテへの手紙の通読に入ります。新約聖書のパウロ書簡のうち、テモテへの手紙、テトスへの手紙、ピレモンへの手紙は、教会に対してではなく教会を指導する立場の人々に向けて記された書簡で、牧会書簡とも呼ばれています。これらの書簡には教会を正しく導くために必要な心掛けと、具体的行動について記されています。それは教会の指導者だけでなく、教会に属するすべての人々が心掛けるべき、キリスト者の規範でもあります。パウロはエペソ教会に留まって牧会していたテモテに対し、キリストの教えとは異なる空しい作り話に惑わされず、人の徳を高めることのない全く無意味な系図や律法主義的な教えを行う者を注意するようにと命じました。そのような曲がった教えは単に議論のための議論に過ぎず、全く人の役に立たない空虚で無駄な論争を引き起こすことにしかなりません。私たちの目標はこれらの空虚な議論のために無駄な時間を過ごすことではなく、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰による愛を実践することにあります。

https://www.bible.com/bible/81/1ti.1.1-5.ja1955

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テモテヘの第一の手紙 1:6-11

ある人々はこれらのものからそれて空論に走り、 律法の教師たることを志していながら、自分の言っていることも主張していることも、わからないでいる。 わたしたちが知っているとおり、律法なるものは、法に従って用いるなら、良いものである。 すなわち、律法は正しい人のために定められたのではなく、不法な者と法に服さない者、不信心な者と罪ある者、神聖を汚す者と俗悪な者、父を殺す者と母を殺す者、人を殺す者、 不品行な者、男色をする者、誘かいする者、偽る者、偽り誓う者、そのほか健全な教にもとることがあれば、そのために定められていることを認むべきである。 これは、祝福に満ちた神の栄光の福音が示すところであって、わたしはこの福音をゆだねられているのである。

律法主義的な教えには断固として立ち向かっていたパウロも、律法そのものを否定していたわけでは決してありません。むしろ律法は正しく用いるならば良いものであると認めています。それは神の義を知らない者に、義とは何か、善とは何か、正しい行いとは何かを教え諭すもので、神が私たち人間に期待していることを明示した目標、行動規範です。しかし律法を拡大解釈し、あれをしてはならない、これをしてはならないと「べからず集」にしてしまうならば、律法は人を罪に縛り付けるものに成り下がってしまいます。私たち人間には律法を完全に守り行うことができないからこそ、キリストがこの世に来られ、私たちを罪の束縛から解き放って自由にしてくださり、神に感謝しつつ生きる喜びを教えてくださった福音の原点を、私たちは決して見失ってはなりません。

https://www.bible.com/bible/81/1ti.1.6-11.ja1955

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テモテヘの第一の手紙 1:12-17

わたしは、自分を強くして下さったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝する。主はわたしを忠実な者と見て、この務に任じて下さったのである。 わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。 その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった」という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。 しかし、わたしがあわれみをこうむったのは、キリスト・イエスが、まずわたしに対して限りない寛容を示し、そして、わたしが今後、彼を信じて永遠のいのちを受ける者の模範となるためである。 世々の支配者、不朽にして見えざる唯一の神に、世々限りなく、ほまれと栄光とがあるように、アァメン。

何故パウロはここまで福音の原点にこだわるのか、それはパウロ自身がかつては激しく神に反対する者、熱心なキリストの迫害者であったという経歴から来ています。しかしそれらはすべて神の愛に対する無知から来たものであり、神に対する熱心さ、忠実さにかけてはパウロの右に出る者はありませんでした。パウロはその事実を素直に認め、自らを「罪人のかしら」と称して、そんな不遜な者をも救いの恵みに導き入れてくださった神の愛と憐れみとに、心から感謝を捧げています。こんな自分さえも罪から救い出してくださった神だからこそ、どんな人であっても神は必ず救ってくださるとの確信に立っていたことが、パウロが命懸けで福音の使命を全うする原動力でした。私たちも、こんな自分を神様は救ってくださったという確信に満ちあふれることができるように、しかしもし自分に確信を持てないならば、あんなパウロをも180°方向転換させた神様の救いの恵みに希望を抱いて、私もまたパウロのように造り換えられると期待して、日々信仰に励む私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/1ti.1.12-17.ja1955

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テモテヘの第一の手紙 1:18-20

わたしの子テモテよ。以前あなたに対してなされた数々の預言の言葉に従って、この命令を与える。あなたは、これらの言葉に励まされて、信仰と正しい良心とを保ちながら、りっぱに戦いぬきなさい。 ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。 その中に、ヒメナオとアレキサンデルとがいる。わたしは、神を汚さないことを学ばせるため、このふたりをサタンの手に渡したのである。

パウロは若き指導者テモテに対し、聖書の御言葉に励まされて、信仰と正しい良心を保って、曲がった信仰、誤った教えと立派に戦い抜くようにと説き勧めました。そして、信仰に導かれながら正しい良心を保てなかった二人の人を例に挙げて、信仰の難破船とならないように注意喚起しました。人の振り見て我が振り直せとの諺の如く、周囲の人々に対して無関心でいてはならず、悪しき者を反面教師として、自ら曲がった教えに陥ることのないように注意を払う私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/81/1ti.1.18-20.ja1955
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