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【COGHCC聖書通読】 2021/02/06

2021-02-06 23:59:59 | 一日一章・聖書通読日記
詩篇 120:1-4

わたしが悩みのうちに、主に呼ばわると、主はわたしに答えられる。 「主よ、偽りのくちびるから、欺きの舌から、わたしを助け出してください」。 欺きの舌よ、おまえに何が与えられ、何が加えられるであろうか。 ますらおの鋭い矢と、えにしだの熱い炭とである。

今日の聖句は都もうでの歌の最初の詩篇ですが、その内容は聖なる都エルサレムに巡礼することを歌ったものではなく、今置かれている現状を嘆き、救いを求める心の渇望を歌ったものです。たとい現実は厳しく、自分の思うままにならなかったとしても、私たちには苦しい状況を訴えることのできるお方がいます。そして主は私たちの祈りに答えられ、力強い御腕をもって苦境を打破してくださるお方です。主に祈る時に与えられる平安は単なる気休めではなく、すでに約束が叶えられたと確信する喜びが心に生まれます。主に信頼する者は恥じ入ることがありません。

https://www.bible.com/bible/81/psa.120.1-4.ja1955

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詩篇 120:5-7

わざわいなるかな、わたしはメセクにやどり、ケダルの天幕のなかに住んでいる。 わたしは久しく平安を憎む者のなかに住んでいた。 わたしは平安を願う、しかし、わたしが物言うとき、彼らは戦いを好む。

メセクとは小アジア東部の町、ケダルとはシリア北部にある町、天幕の中に住んでいるとはテント暮らし、仮住まいの寄留者、いわば本来の居住地を追われた難民となっていることを意味します。イスラエルの歴史は迫害と離散の連続でした。しかしそれはすべてイスラエルの神、主をないがしろにしたために受けた罰です。彼らの寄留した町は好戦的な民族の住む町、何かにつけてすぐに挑発を受ける平和のない町でした。気の休まる暇もない、常に緊張した状態の中に置かれて心理的に追い込まれ、心も疲れ果ててしまいます。彼らの切望した平安とは、真の平和、シャロームなる神の懐に抱かれることです。それはすなわち神との深い交わりの中に復帰することです。これが都もうで、神を礼拝する上で最も大切な精神です。

https://www.bible.com/bible/81/psa.120.5-7.ja1955
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