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【COGHCC聖書通読】 2016/04/10

2016-04-10 07:35:49 | 一日一章・聖書通読日記
創世記 40:1
「これらの事の後、エジプト王の給仕役と料理役とがその主君エジプト王に罪を犯した。」

ヨセフ物語にはしばしば「これらの事の後」という言葉が出てきます。これは、神様の御心には必ず順序かあることを示唆しています。それは必ずしも私たちの思い通りではないかもしれませんが、神様の定められた物事の順序は精密機械のように完璧で、この一つでも狂うと歯車が全く噛み合わなくなってしまいます。

私たちも神様の御心を求めて祈り願うとき、自分の願った通りにならないことや、いつまで経っても祈りが聞かれないことがあります。しかしだからといって神様が私たちの祈りを忘れておられるわけではありません。神様の定められた時が熟するまで、最も適切な時を待っておられるのです。ですから私たちは決してあきらめず、祈りつつ待ち続ける信仰が必要です。時が来れば必ず実を結ぶ神様の時を期待して待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.40.1.ja1955

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創世記 40:2-4
「パロはふたりの役人、すなわち給仕役の長と料理役の長に向かって憤り、 侍衛長の家の監禁所、すなわちヨセフがつながれている獄屋に入れた。 侍衛長はヨセフに命じて彼らと共におらせたので、ヨセフは彼らに仕えた。こうして彼らは監禁所で幾日かを過ごした。」

ここで注目すべき点は、この二人の役人が投獄されたのが待衛長ポテパルの家にある監禁所で、そこにヨセフもいたということです。前の章でポテパルの怒りを買って投獄されたはずのヨセフがなぜポテパルの家にいるのでしょうか? これは単なるポテパルの体面で、実はポテパルは最初からヨセフの無実を知って、理由を付けて妻から引き離すためであったと考えられます。そして待衛長ポテパルのヨセフに対する信頼も決して変わることなく、二人の大罪人をお世話する担当に抜擢します。

神の義に生き、その心が直く、神と人とに忠実に仕える者は、どんなに不利な偽証を立てられて訴えられても必ず信頼を得ます。主を信じ主に仕える僕として、決して人から後ろ指を指されるようなことをせず、誰に対しても表裏なく公明正大な生き方を貫くことが、結果的に自分の身を守ります。私たちの生活態度を通して、義なる神様の御名があがめられる生涯を送る私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.40.2-4.ja1955

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創世記 40:8
『彼らは言った、「わたしたちは夢を見ましたが、解いてくれる者がいません」。ヨセフは彼らに言った、「解くことは神によるのではありませんか。どうぞ、わたしに話してください」。』

ここでヨセフの特殊能力が遺憾なく発揮されるときが来ました。エジプト王暗殺の嫌疑を掛けられた料理長と給仕長が同じ日に夢を見ます。この夢の意味が分からずに悩んでいた二人に、ヨセフが夢の解き明かしを申し出ます。そのときヨセフは、夢を解き明かすのは神による、と大胆に述べています。このことから、ヨセフがいかに神と共に歩んでいたか、誰の目にもわかるくらい明らかであったかと思います。

私たちの信仰生活の中で、神様を証する生き方をすることはとても大切です。クリスチャン人口が1%にも満たない日本で信仰を表明することは勇気がいることかもしれませんが、それでもいざというときに、普段からの信仰告白が自らを助け、不品行や罪の誘惑から身を守ることになります。決して恥ずかしがらずに信仰を表明し、たとえ馬鹿にされたとしても意に介さず、むしろ馬鹿にした者が後に恥じ入るくらいに黙々と信仰を証する生活態度を通して神様の栄光を世に表す私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.40.8.ja1955

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創世記 40:13-15
「今から三日のうちにパロはあなたの頭を上げて、あなたを元の役目に返すでしょう。あなたはさきに給仕役だった時にされたように、パロの手に杯をささげられるでしょう。 それで、あなたがしあわせになられたら、わたしを覚えていて、どうかわたしに恵みを施し、わたしの事をパロに話して、この家からわたしを出してください。 わたしは、実はヘブルびとの地からさらわれてきた者です。またここでもわたしは地下の獄屋に入れられるような事はしなかったのです」。

給仕長の夢を解き明かしたヨセフは、彼がエジプト王の側近くに仕える身分に戻ると知って、自分を牢獄生活から救い出してくれるようにと願います。ここでヨセフの行ったことは、神様の時を待つことができず、自分の判断と人の力を頼って自らを救おうとしたことでした。夢を解き明かすのは神によるといいながら、その力を自分のために用いて給仕長に恩着せがましく迫った態度にヨセフの問題がありました。

私たちも、表向きは神様のために、神様によってなどと口では言いながら、結局は自分のため、自分の努力や才能に頼って何かを成し遂げようとする危険性があります。真にきよめられた人は、決して自分を前面に出しません。すべてのことを神様にお委ねし、神様に栄光を帰する生き方こそがクリスチャンに最も相応しい生活態度です。このときのヨセフのように、自分が、自分が、と自己アピールすることなく、神様の栄光の陰に自らの存在を隠す謙遜さを身に付ける私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.40.13-15.ja1955

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創世記 40:21-23
「すなわちパロは給仕役の長を給仕役の職に返したので、彼はパロの手に杯をささげた。 しかしパロは料理役の長を木に掛けた。ヨセフが彼らに解き明かしたとおりである。 ところが、給仕役の長はヨセフを思い出さず、忘れてしまった。」

ヨセフの夢解きの通り、給仕長は再びパロの元に戻り、料理長は処刑されてしまいました。しかし給仕長はヨセフの嘆願をすっかり忘れ、結果的にヨセフはもうしばらく獄屋で過ごすことになります。これは人の力に頼ろうとしたヨセフの目論見が失敗に終わったことを意味しますが、同時に、神様の定められた時がまだ来ていなかったことと、ヨセフの信仰を更に練りきよめるための準備期間であったことと思われます。

私たちも自分の思う通りにならないことがたくさんあります。そのようなときに私たちの取るべき態度は、思い通りにならなかったと落ち込むのではなく、もう一度自らの信仰を見直すことが大切です。自分の力で何とかしようとしてはいないか、本当に神様だけを頼りにしているか、神様の定められた時を見定める心の目が開かれているか、様々な視点で自らの信仰状態をチェックし、神様の御心に適う生き方を送る秘訣を心得る私たちでありますように。

http://bible.com/81/gen.40.21-23.ja1955
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