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【COGHCC聖書通読】 2019/02/17

2019-02-17 10:18:01 | 一日一章・聖書通読日記
コリント人への第一の手紙 11:1-2

わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもわたしにならう者になりなさい。 あなたがたが、何かにつけわたしを覚えていて、あなたがたに伝えたとおりに言伝えを守っているので、わたしは満足に思う。

パウロはコリント教会の人々に対し、パウロが伝えた教えを守っていることを賞賛すると共に、自分に倣う者となるように勧めています。なぜならパウロもまたキリストに倣う者として生きているからです。弟子は師の生き様から様々なものを吸収して成長します。私たちもまた信仰の偉大な先輩たちを見習うことを通して、キリストの徳の高さに至る者となりたいと願います。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.11.1-2.口語訳

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コリント人への第一の手紙 11:3-16

しかし、あなたがたに知っていてもらいたい。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神である。 祈をしたり預言をしたりする時、かしらに物をかぶる男は、そのかしらをはずかしめる者である。 祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。 もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。 男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。 なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。 それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。 ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。 それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。 あなたがた自身で判断してみるがよい。女がおおいをかけずに神に祈るのは、ふさわしいことだろうか。 自然そのものが教えているではないか。男に長い髪があれば彼の恥になり、 女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである。長い髪はおおいの代りに女に与えられているものだからである。 しかし、だれかがそれに反対の意見を持っていても、そんな風習はわたしたちにはなく、神の諸教会にもない。

パウロはコリント教会の人々を褒める一方で、彼らの中に生じた様々な問題を指摘し、改善するようにと教え諭しています。その一つが男女間の秩序に関する問題です。この箇所は当時の風習や文化的背景の下にあることだということは誤解しないようにしてください。私たちの身の回りにある様々な生活習慣のうち、聖書の教えに明らかに反するもの以外は、現状の秩序を乱さないことが原則です。当時は女性はベールを被る風習があり、長い髪こそ女性の誉れとされていた時代でした。女性がベールを被らず短い髪は恥とされていた時代に、私たちは自由だといって、世間からも非難されるようなことを進んでしないようにと、パウロは説いたのです。保守的と思われるかもしれませんが、単なるファッションの問題ではないことと受け止めてください。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.11.3-16.口語訳

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コリント人への第一の手紙 11:17-22

ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。 まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。 たしかに、あなたがたの中でほんとうの者が明らかにされるためには、分派もなければなるまい。 そこで、あなたがたが一緒に集まるとき、主の晩餐を守ることができないでいる。 というのは、食事の際、各自が自分の晩餐をかってに先に食べるので、飢えている人があるかと思えば、酔っている人がある始末である。 あなたがたには、飲み食いをする家がないのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々をはずかしめるのか。わたしはあなたがたに対して、なんと言おうか。あなたがたを、ほめようか。この事では、ほめるわけにはいかない。

パウロは次いで、聖餐式の秩序が守られていないことを指摘しました。当時は奴隷制度のあった時代ですから、奴隷を使う側の人々は労働する必要がなく、一日中自由に時間を使うことができたため、昼間から教会に集まって聖餐式のパンとぶどう酒を先に好きなだけ飲み食いして酔っぱらい、一日の仕事を終えて疲れ果てて教会に来た奴隷たちには残されていない有様のようでした。この状況についてはあなた方を褒めるわけにはいかないと、パウロは厳しく非難しました。教会は決して自分たちの楽しみだけのために利用する場ではなく、人々を互いに思いやり、仕え合い、愛を分かち合う場であるべきです。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.11.17-22.口語訳

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コリント人への第一の手紙 11:23-29

わたしは、主から受けたことを、また、あなたがたに伝えたのである。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンをとり、 感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。 食事ののち、杯をも同じようにして言われた、「この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい」。 だから、あなたがたは、このパンを食し、この杯を飲むごとに、それによって、主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。 だから、ふさわしくないままでパンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。 だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。 主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。

更にパウロは聖餐式のあるべき姿について、最後の晩餐を執り行った主イエスの言葉を引用して、コリント教会の人々にまで、聖餐式の際に読み上げられる式文となっています。主の聖餐に与ることは救われた者の特権であること、何よりも私たちの罪のために自らの御体を十字架に捧げられた主イエスの大いなる愛と苦難を覚え、聖餐式の秩序と伝統を乱すことなく、自らを吟味し、悔い改めと感謝の心をもって聖餐式に臨む私たちでありますように。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.11.23-29.口語訳

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コリント人への第一の手紙 11:30-34

あなたがたの中に、弱い者や病人が大ぜいおり、また眠った者も少なくないのは、そのためである。 しかし、自分をよくわきまえておくならば、わたしたちはさばかれることはないであろう。 しかし、さばかれるとすれば、それは、この世と共に罪に定められないために、主の懲らしめを受けることなのである。 それだから、兄弟たちよ。食事のために集まる時には、互に待ち合わせなさい。 もし空腹であったら、さばきを受けに集まることにならないため、家で食べるがよい。そのほかの事は、わたしが行った時に、定めることにしよう。

パウロは先に聖餐式のパンとぶどう酒を飲み食いしていた当時の支配者階層の人々に対し、自由人ならば自分たちの空腹を満たす食料も飲み物も自分の家にあるのだから、各自食事をとってから教会に来るようにと勧めました。私たちもまた、教会を自分の利益のために利用するだけ利用して他の人々を排斥することのないように、むしろ他の人々を思いやり、教会の不足は自分たちで補うように努めるべきです。私たちの教会でも時折愛餐会がありますが、互いのために食事を用意し、愛する兄弟姉妹たちと食事を共にすることは素晴らしい恵みです。

https://www.bible.com/bible/1820/1co.11.30-34.口語訳
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