ヨブ記 36:5-10
「見よ、神は力ある者であるが、何をも卑しめられない、その悟りの力は大きい。 彼は悪しき者を生かしておかれない、苦しむ者のためにさばきを行われる。 彼は正しい者から目を離さず、位にある王たちと共に、とこしえに、彼らをすわらせて、尊くされる。 もし彼らが足かせにつながれ、悩みのなわに捕えられる時は、 彼らの行いと、とがと、その高ぶったふるまいを彼らに示し、 彼らの耳を開いて、教を聞かせ、悪を離れて帰ることを命じられる。」
エリフは続けて、正しい者を捨て置かれず悪に報い、人に懲らしめを与えて義の道に導かれる神様の特性について語りました。神様がすべての人に望んでおられることは、悪から離れ、罪によって永遠の滅びに陥らないようにとの願いです。そのために主は、愛の懲らしめをもって人の罪を示し、その御教えを聞かせて悪を離れて主に立ち帰るようにと諭し、人を正しい道へと導かれます。私たちは罪の結果としての裁きと、悪を懲らしめる神様の愛との違いを見分ける信仰の目を持つことが必要です。
http://bible.com/81/job.36.5-10.ja1955
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ヨブ記 36:17-21
「しかしあなたは悪人のうくべきさばきをおのれに満たし、さばきと公義はあなたを捕えている。 あなたは怒りに誘われて、あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。 あなたの叫びはあなたを守って、悩みを免れさせるであろうか、いかに力をつくしても役に立たない。 人々がその所から断たれるその夜を慕ってはならない。 慎んで悪に傾いてはならない。あなたは悩みよりもむしろこれを選んだからだ。」
ヨブは自分の正しさを力説するあまり、試練を与えられた神様に向かってつぶやき、怒りで心を満たしてしまいました。しかし自分に対する神様の取り扱いに疑問を呈することは、それこそサタンの反抗と同じ罪です。そのような心で神様にどれほど叫び訴えても、果たして神様は聞いてくださるでしょうか。むしろ自分自身に怒りの炭火を積み上げ、その炎で自らを焼き殺すことになってしまわないでしょうか。私たちは神様を疑って道を踏み外してはなりません。
http://bible.com/81/job.36.17-21.ja1955
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ヨブ記 36:22-26
「見よ、神はその力をもってあがめられる。だれか彼のように教える者があるか。 だれか彼のためにその道を定めた者があるか。だれか『あなたは悪い事をした』と言いうる者があるか。 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。これは人々の歌いあがめるところである。 すべての人はこれを仰ぎ見る。人は遠くからこれを見るにすぎない。 見よ、神は大いなる者にいまして、われわれは彼を知らない。その年の数も計り知ることができない。」
この世のすべては神様から始まっています。いかに賢い天才であっても、神様のすべてを知り尽くすことのできる者などこの世に存在しません。神様はこの世の理(ことわり)を定められ、すべてを御心のままに造られたのですから、神様に向かって「あなたは間違っている」などと決して口にしてはなりません。私たちにできることは、神様の栄光とその御業をほめたたえ、己を低くして神様の御心に聞き従うこと、この一事に尽きます。
http://bible.com/81/job.36.22-26.ja1955
「見よ、神は力ある者であるが、何をも卑しめられない、その悟りの力は大きい。 彼は悪しき者を生かしておかれない、苦しむ者のためにさばきを行われる。 彼は正しい者から目を離さず、位にある王たちと共に、とこしえに、彼らをすわらせて、尊くされる。 もし彼らが足かせにつながれ、悩みのなわに捕えられる時は、 彼らの行いと、とがと、その高ぶったふるまいを彼らに示し、 彼らの耳を開いて、教を聞かせ、悪を離れて帰ることを命じられる。」
エリフは続けて、正しい者を捨て置かれず悪に報い、人に懲らしめを与えて義の道に導かれる神様の特性について語りました。神様がすべての人に望んでおられることは、悪から離れ、罪によって永遠の滅びに陥らないようにとの願いです。そのために主は、愛の懲らしめをもって人の罪を示し、その御教えを聞かせて悪を離れて主に立ち帰るようにと諭し、人を正しい道へと導かれます。私たちは罪の結果としての裁きと、悪を懲らしめる神様の愛との違いを見分ける信仰の目を持つことが必要です。
http://bible.com/81/job.36.5-10.ja1955
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ヨブ記 36:17-21
「しかしあなたは悪人のうくべきさばきをおのれに満たし、さばきと公義はあなたを捕えている。 あなたは怒りに誘われて、あざけりに陥らぬように心せよ。あがないしろの大いなるがために、おのれを誤るな。 あなたの叫びはあなたを守って、悩みを免れさせるであろうか、いかに力をつくしても役に立たない。 人々がその所から断たれるその夜を慕ってはならない。 慎んで悪に傾いてはならない。あなたは悩みよりもむしろこれを選んだからだ。」
ヨブは自分の正しさを力説するあまり、試練を与えられた神様に向かってつぶやき、怒りで心を満たしてしまいました。しかし自分に対する神様の取り扱いに疑問を呈することは、それこそサタンの反抗と同じ罪です。そのような心で神様にどれほど叫び訴えても、果たして神様は聞いてくださるでしょうか。むしろ自分自身に怒りの炭火を積み上げ、その炎で自らを焼き殺すことになってしまわないでしょうか。私たちは神様を疑って道を踏み外してはなりません。
http://bible.com/81/job.36.17-21.ja1955
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ヨブ記 36:22-26
「見よ、神はその力をもってあがめられる。だれか彼のように教える者があるか。 だれか彼のためにその道を定めた者があるか。だれか『あなたは悪い事をした』と言いうる者があるか。 神のみわざをほめたたえる事を忘れてはならない。これは人々の歌いあがめるところである。 すべての人はこれを仰ぎ見る。人は遠くからこれを見るにすぎない。 見よ、神は大いなる者にいまして、われわれは彼を知らない。その年の数も計り知ることができない。」
この世のすべては神様から始まっています。いかに賢い天才であっても、神様のすべてを知り尽くすことのできる者などこの世に存在しません。神様はこの世の理(ことわり)を定められ、すべてを御心のままに造られたのですから、神様に向かって「あなたは間違っている」などと決して口にしてはなりません。私たちにできることは、神様の栄光とその御業をほめたたえ、己を低くして神様の御心に聞き従うこと、この一事に尽きます。
http://bible.com/81/job.36.22-26.ja1955