出エジプト記 24:1-2, 9-11
また、モーセに言われた、「あなたはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共に、主のもとにのぼってきなさい。そしてあなたがたは遠く離れて礼拝しなさい。 ただモーセひとりが主に近づき、他の者は近づいてはならない。また、民も彼と共にのぼってはならない」。
…
こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。 そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。
神はアロンとその二人の息子ナダブとアビウ、そしてイスラエルの長老70人を召し、モーセと共にシナイ山に登ってくるようにと命じられました。それはイスラエルを代表して神を礼拝し、共に交わりを持つためでした。特にナダブとアビウは、後に大祭司となるアロンを助ける祭司として、神の御前に仕えさせるために指名されたものです。ただし、神の御側近くまで登ることが許されたのはモーセただ一人で、他の人々は山の中腹に留まるようにと命じられました。それは罪ある人間がいと聖なる神を直接見て死ぬことのないようにするためのご配慮でした。彼らが見た神の御姿は澄み渡る大空のような、サファイアのように透き通る神の御座の敷石の向こうにおられる神の影でしたが、それでも間近に神を見ることができ、神のきよさの片鱗を垣間見ることが許され、神の御前で共に食事をして親しい交わりを持つことができたことは何という恵みでしょうか。今や私たちは隔ての幕が取り去られ、神の御前に進み出ることが許されていることは、実にさいわいなことなのです。
https://www.bible.com/bible/81/exo.24.1-2,9-11.ja1955
*****
出エジプト記 24:3-8
モーセはきて、主のすべての言葉と、すべてのおきてとを民に告げた。民はみな同音に答えて言った、「わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います」。 そしてモーセは主の言葉を、ことごとく書きしるし、朝はやく起きて山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族に従って十二の柱を建て、 イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた。 その時モーセはその血の半ばを取って、鉢に入れ、また、その血の半ばを祭壇に注ぎかけた。 そして契約の書を取って、これを民に読み聞かせた。すると、彼らは答えて言った、「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に行います」。 そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。
アロンとその息子ナダブとアビウ、そして70人のイスラエルの長老たちが山に登るに先立ち、モーセは神から授かったすべての言葉とすべての掟をイスラエルの全会衆に告げました。すると彼らは異口同音に、神の仰せられた御言葉をすべて守り行うと答えました。するとモーセは主の言葉をすべて契約書に書き記し、翌朝早く起きて山の麓に祭壇を築き、イスラエル12部族に従って12の石の柱を立て、主の御前に燔祭と、雄牛の酬恩祭を捧げさせました。その時モーセは犠牲の捧げものの血の半分を鉢に取り分け、残りの半分を犠牲の捧げものに注ぎ掛けた後、再度イスラエルの全会衆に向かい、主の御言葉を書き記した神との契約書を読み聞かせ、これらの言葉を皆、守り行うか問いかけました。すると民は皆、従順に守り行うと答え、モーセは鉢に取り分けた犠牲の血を民に注ぎ掛け、神との契約成立を宣言しました。これらの儀式的な行動はすべて、神と交わした約束を証明するためのもの、自らの口で主に従うと告白して信仰を公に言い表すことです。私たちの信仰告白も、神との契約、すなわち私たちは神の御言葉に聞き従い、神は私たちを神の民として特別に覚えて祝福されるとの契約に等しきものであると、私たちは信仰告白の度毎に思い起こして、日々新たな決意をもって信仰を確かなものとする者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/exo.24.3-8.ja1955
*****
出エジプト記 24:12-18
ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。 そこでモーセは従者ヨシュアと共に立ちあがり、モーセは神の山に登った。 彼は長老たちに言った、「わたしたちがあなたがたの所に帰って来るまで、ここで待っていなさい。見よ、アロンとホルとが、あなたがたと共にいるから、事ある者は、だれでも彼らの所へ行きなさい」。 こうしてモーセは山に登ったが、雲は山をおおっていた。 主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。 主の栄光は山の頂で、燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、 モーセは雲の中にはいって、山に登った。そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。
神はモーセに山に登るようにと命じ、イスラエルの民と交わした契約の言葉を刻んだ石の板を授けると語りかけられました。石の板に書き記した戒めとは、神の御言葉は永遠に変わることも朽ち果てることもなく、後世まで残ることの象徴、神の契約の確かなることを人々が自分の目で確かに見て信じるために授けられるものです。そこでモーセは長老たちに、何か相談事があったらアロンとホルに問い合わせるようにと言い残し、ヨシュアを従者として伴ってシナイ山に上りました。神の御臨在を表す雲がシナイ山を覆い、7日目に神が山頂に降られモーセを呼ばれると、神の栄光が山の頂で燃えるように人々の目に映りました。モーセはこの後40日40夜、主の律法を授かるために、シナイ山の頂に籠もりました。私たちが今日、神の御言葉が記された聖書を身近に手にすることができるのは、実にさいわいなことです。この御言葉を神と自分との個人的な契約の証として、石の板のように心に深く刻みつけ、信仰を確かなものとする私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/exo.24.12-18.ja1955
また、モーセに言われた、「あなたはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共に、主のもとにのぼってきなさい。そしてあなたがたは遠く離れて礼拝しなさい。 ただモーセひとりが主に近づき、他の者は近づいてはならない。また、民も彼と共にのぼってはならない」。
…
こうしてモーセはアロン、ナダブ、アビウおよびイスラエルの七十人の長老たちと共にのぼって行った。 そして、彼らがイスラエルの神を見ると、その足の下にはサファイアの敷石のごとき物があり、澄み渡るおおぞらのようであった。 神はイスラエルの人々の指導者たちを手にかけられなかったので、彼らは神を見て、飲み食いした。
神はアロンとその二人の息子ナダブとアビウ、そしてイスラエルの長老70人を召し、モーセと共にシナイ山に登ってくるようにと命じられました。それはイスラエルを代表して神を礼拝し、共に交わりを持つためでした。特にナダブとアビウは、後に大祭司となるアロンを助ける祭司として、神の御前に仕えさせるために指名されたものです。ただし、神の御側近くまで登ることが許されたのはモーセただ一人で、他の人々は山の中腹に留まるようにと命じられました。それは罪ある人間がいと聖なる神を直接見て死ぬことのないようにするためのご配慮でした。彼らが見た神の御姿は澄み渡る大空のような、サファイアのように透き通る神の御座の敷石の向こうにおられる神の影でしたが、それでも間近に神を見ることができ、神のきよさの片鱗を垣間見ることが許され、神の御前で共に食事をして親しい交わりを持つことができたことは何という恵みでしょうか。今や私たちは隔ての幕が取り去られ、神の御前に進み出ることが許されていることは、実にさいわいなことなのです。
https://www.bible.com/bible/81/exo.24.1-2,9-11.ja1955
*****
出エジプト記 24:3-8
モーセはきて、主のすべての言葉と、すべてのおきてとを民に告げた。民はみな同音に答えて言った、「わたしたちは主の仰せられた言葉を皆、行います」。 そしてモーセは主の言葉を、ことごとく書きしるし、朝はやく起きて山のふもとに祭壇を築き、イスラエルの十二部族に従って十二の柱を建て、 イスラエルの人々のうちの若者たちをつかわして、主に燔祭をささげさせ、また酬恩祭として雄牛をささげさせた。 その時モーセはその血の半ばを取って、鉢に入れ、また、その血の半ばを祭壇に注ぎかけた。 そして契約の書を取って、これを民に読み聞かせた。すると、彼らは答えて言った、「わたしたちは主が仰せられたことを皆、従順に行います」。 そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った、「見よ、これは主がこれらのすべての言葉に基いて、あなたがたと結ばれる契約の血である」。
アロンとその息子ナダブとアビウ、そして70人のイスラエルの長老たちが山に登るに先立ち、モーセは神から授かったすべての言葉とすべての掟をイスラエルの全会衆に告げました。すると彼らは異口同音に、神の仰せられた御言葉をすべて守り行うと答えました。するとモーセは主の言葉をすべて契約書に書き記し、翌朝早く起きて山の麓に祭壇を築き、イスラエル12部族に従って12の石の柱を立て、主の御前に燔祭と、雄牛の酬恩祭を捧げさせました。その時モーセは犠牲の捧げものの血の半分を鉢に取り分け、残りの半分を犠牲の捧げものに注ぎ掛けた後、再度イスラエルの全会衆に向かい、主の御言葉を書き記した神との契約書を読み聞かせ、これらの言葉を皆、守り行うか問いかけました。すると民は皆、従順に守り行うと答え、モーセは鉢に取り分けた犠牲の血を民に注ぎ掛け、神との契約成立を宣言しました。これらの儀式的な行動はすべて、神と交わした約束を証明するためのもの、自らの口で主に従うと告白して信仰を公に言い表すことです。私たちの信仰告白も、神との契約、すなわち私たちは神の御言葉に聞き従い、神は私たちを神の民として特別に覚えて祝福されるとの契約に等しきものであると、私たちは信仰告白の度毎に思い起こして、日々新たな決意をもって信仰を確かなものとする者でありたいと願います。
https://www.bible.com/bible/81/exo.24.3-8.ja1955
*****
出エジプト記 24:12-18
ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。 そこでモーセは従者ヨシュアと共に立ちあがり、モーセは神の山に登った。 彼は長老たちに言った、「わたしたちがあなたがたの所に帰って来るまで、ここで待っていなさい。見よ、アロンとホルとが、あなたがたと共にいるから、事ある者は、だれでも彼らの所へ行きなさい」。 こうしてモーセは山に登ったが、雲は山をおおっていた。 主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日のあいだ、山をおおっていたが、七日目に主は雲の中からモーセを呼ばれた。 主の栄光は山の頂で、燃える火のようにイスラエルの人々の目に見えたが、 モーセは雲の中にはいって、山に登った。そしてモーセは四十日四十夜、山にいた。
神はモーセに山に登るようにと命じ、イスラエルの民と交わした契約の言葉を刻んだ石の板を授けると語りかけられました。石の板に書き記した戒めとは、神の御言葉は永遠に変わることも朽ち果てることもなく、後世まで残ることの象徴、神の契約の確かなることを人々が自分の目で確かに見て信じるために授けられるものです。そこでモーセは長老たちに、何か相談事があったらアロンとホルに問い合わせるようにと言い残し、ヨシュアを従者として伴ってシナイ山に上りました。神の御臨在を表す雲がシナイ山を覆い、7日目に神が山頂に降られモーセを呼ばれると、神の栄光が山の頂で燃えるように人々の目に映りました。モーセはこの後40日40夜、主の律法を授かるために、シナイ山の頂に籠もりました。私たちが今日、神の御言葉が記された聖書を身近に手にすることができるのは、実にさいわいなことです。この御言葉を神と自分との個人的な契約の証として、石の板のように心に深く刻みつけ、信仰を確かなものとする私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/exo.24.12-18.ja1955