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【COGHCC聖書通読】 2016/08/30

2016-08-30 07:48:58 | 一日一章・聖書通読日記
申命記 29:2-4
『モーセはイスラエルのすべての人を呼び集めて言った、「あなたがたは主がエジプトの地で、パロと、そのすべての家来と、その全地とにせられたすべての事をまのあたり見た。 すなわちその大きな試みと、しるしと、大きな不思議とをまのあたり見たのである。 しかし、今日まで主はあなたがたの心に悟らせず、目に見させず、耳に聞かせられなかった。」』

自分の目で見たもの、その耳で聞いたことのすべてが心に残るものではありません。むしろ目の当たりに見ても信じず、直接聞いても悟らず、ただ頭の上を通り過ぎて忘れてしまうのが、人間の頑なな心です。人に信じる心を授け、その身に刻みつけるのは、聖霊なる神様の働きによります。聖霊様を心にお迎えしなければ、私たちは真理に目が開かれません。心の扉を大きく開いて主の御霊を受け入れ、信仰の世界に目が開かれて、聖霊なる神様の導きと解き明かしに耳を傾け、素直な心で信じ受け入れる私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.29.2-4.ja1955

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申命記 29:5-6
「わたしは四十年の間、あなたがたを導いて荒野を通らせたが、あなたがたの身につけた着物は古びず、足のくつは古びなかった。 あなたがたはまたパンも食べず、ぶどう酒も濃い酒も飲まなかった。こうしてあなたがたは、わたしがあなたがたの神、主であることを知るに至った。」

古着がブームになっている昨今ですが、衣類も靴も、よほど丁寧に保管しなければ、数年経たずにほころび、すり減ってしまいます。ましてエジプトから着の身着のまま脱出したイスラエルの民が普段着用している衣類や靴がわ40年もの間古びることがなかったというのは、奇跡としか言いようがありません。

普段着のように何気なく身に付けている当たり前のものの中にも、神様の御業と恵みを敏感に感じ取る心を持つならば、私たちは主の臨在と守りを感じることができるようになります。この信仰の感性を養い、日常生活の中に主を知る豊かな心の持ち主となる私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.29.5-6.ja1955

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申命記 29:13-15
「これは主がさきにあなたに約束されたように、またあなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われたように、きょう、あなたを立てて自分の民とし、またみずからあなたの神となられるためである。 わたしはただあなたがたとだけ、この契約と誓いとを結ぶのではない。 きょう、ここで、われわれの神、主の前にわれわれと共に立っている者ならびに、きょう、ここにわれわれと共にいない者とも結ぶのである。」

神様の祝福の契約は、出エジプトの時代のイスラエル人だけと結ばれたのではなく、やがて生まれ来る子孫とに対しても結ぶと神様は約束されました。この約束は、血筋では異邦人に過ぎない私たちにとって大いなる希望と慰めです。信仰による義人、路傍の石から起こされたアブラハムの子とされた恵みに感謝し、主の祝福の契約に与らせていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.29.13-15.ja1955

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申命記 29:18-20
「それゆえ、あなたがたのうちに、きょう、その心にわれわれの神、主を離れてそれらの国民の神々に行って仕える男や女、氏族や部族があってはならない。またあなたがたのうちに、毒草や、にがよもぎを生ずる根があってはならない。 そのような人はこの誓いの言葉を聞いても、心に自分を祝福して『心をかたくなにして歩んでもわたしには平安がある』と言うであろう。そうすれば潤った者も、かわいた者もひとしく滅びるであろう。 主はそのような人をゆるすことを好まれない。かえって主はその人に怒りとねたみを発し、この書物にしるされたすべてののろいを彼の上に加え、主はついにその人の名を天の下から消し去られるであろう。」

主を畏れず、神様を信じなくとも、この世で生きることはできます。しかし束の間のこの世の平安にあぐらをかいて主を畏れず、御言葉に聞き従わない心の頑なな者の行く末は、いのちの書からその名が消し去られ、ついには永遠の破滅を招きます。私たちはそのような愚かな者の真似してはなりません。天地の造り主、永遠のいのちの源であられる主を畏れ、人の手によって造られたいかなる偶像をも拝まず、御言葉に忠実に聞き従い、永遠のいのちと祝福を決して手放すことのない私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.29.18-20.ja1955

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申命記 29:22, 24-26
「後の代の人、すなわちあなたがたののちに起るあなたがたの子孫および遠い国から来る外国人は、この地の災を見、主がこの地にくだされた病気を見て言うであろう。

すなわち、もろもろの国民は言うであろう、『なぜ、主はこの地にこのようなことをされたのか。この激しい大いなる怒りは何ゆえか』。 そのとき人々は言うであろう、『彼らはその先祖の神、主がエジプトの国から彼らを導き出して彼らと結ばれた契約をすて、 行って彼らの知らない、また授からない、ほかの神々に仕えて、それを拝んだからである。」

聖書に記されたイスラエルの歴史は、神を信じる者は祝福され、神を捨てた者は滅びることを如実に表しています。せっかく神様からいただいた祝福の約束を、自らの不信仰によりみすみす捨て去り、人々の物笑いの種となってよいでしょうか。私たちは決してそのような愚かな人生を送ってはなりません。イスラエルの不信仰の歴史を反面教師として、信仰に堅く立ち、神様の永遠の祝福を決して手放すことのない私たちでありますように。

http://bible.com/81/deu.29.22,24-26.ja1955
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