ヨブ記 28:1-12
「しろがねには掘り出す穴があり、精錬するこがねには出どころがある。 くろがねは土から取り、あかがねは石から溶かして取る。 人は暗やみを破り、いやはてまでも尋ねきわめて、暗やみおよび暗黒の中から鉱石を取る。 彼らは人の住む所を離れて縦穴をうがち、道行く人に忘れられ、人を離れて身をつりさげ、揺れ動く。 地はそこから食物を出す。その下は火でくつがえされるようにくつがえる。 その石はサファイヤのある所、そこにはまた金塊がある。 その道は猛禽も知らず、たかの目もこれを見ず、 猛獣もこれを踏まず、ししもこれを通らなかった。 人は堅い岩に手をくだして、山を根元からくつがえす。 彼は岩に坑道を掘り、その目はもろもろの尊い物を見る。 彼は水路をふさいで、漏れないようにし、隠れた物を光に取り出す。 しかし知恵はどこに見いだされるか。悟りのある所はどこか。」
ヨブは神の知恵、真の悟りを探求することを、地中深くから鉱物を採掘し、精錬して貴金属を得ることにたとえました。人は金銀を得るために危険を顧みず鉱山を掘り、労力を惜しまずに純度を高めます。それは何故でしょうか。金銀にはそれだけの価値があるからです。であるならば、私たちにいのちを与え、人間本来の姿を取り戻させる神の知恵を、どうして求めないのでしょうか。神に喜ばれる者となり永遠のいのちに導く悟りを得るために、私たちはどれほど労力を払っているでしょうか。私たちは力を尽くして神を探し求め、神の知恵と悟りとを全力で真理を慕い求めなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/job.28.1-12.ja1955
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ヨブ記 28:13-19
「人はそこに至る道を知らない、また生ける者の地でそれを獲ることができない。 淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。また海は言う、『わたしのもとにない』と。 精金もこれと換えることはできない。銀も量ってその価とすることはできない。 オフルの金をもってしても、その価を量ることはできない。尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。 こがねも、玻璃もこれに並ぶことができない。また精金の器物もこれと換えることができない。 さんごも水晶も言うに足りない。知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。 エチオピヤのトパズもこれに並ぶことができない。純金をもってしても、その価を量ることはできない。」
高価で美しく希少価値のある貴金属や宝石よりも、神の知恵と悟りの方が比較にならないほど素晴らしいと、ヨブは様々な貴金属や宝石類を引き合いにして賞賛しました。しかし神の知恵は人には隠されており、どれほど努力を積み重ねたとしても、悟りを得ることも見つけ出すこともできません。少なくともヨブの生きていた旧約聖書の時代にはそうでした。それは神が人間とは次元の異なる、圧倒的で絶大な存在であるからです。しかし現代に生きる私たちには、それがどこにあるか明かされています。それが生ける神の御言葉である聖書です。私たちのすぐ手元に聖書があることに感謝します。もっともっと聖書に親しみ、御言葉の中なら神の知恵と悟りとを発見する私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/job.28.13-19.ja1955
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ヨブ記 28:20-28
「それでは知恵はどこから来るか。悟りのある所はどこか。 これはすべての生き物の目に隠され、空の鳥にも隠されている。 滅びも死も言う、『われわれはそのうわさを耳に聞いただけだ』。 神はこれに至る道を悟っておられる、彼はそのある所を知っておられる。 彼は地の果までもみそなわし、天が下を見きわめられるからだ。 彼が風に重さを与え、水をますで量られたとき、 彼が雨のために規定を設け、雷のひらめきのために道を設けられたとき、 彼は知恵を見て、これをあらわし、これを確かめ、これをきわめられた。 そして人に言われた、『見よ、主を恐れることは知恵である、悪を離れることは悟りである』と」。
神の知恵、真の悟りがどこにあるのかと探し求めるヨブに対し、神は主を恐れることこそ知恵であり、悪を離れることこそが悟りであると答えられました。まさに主を畏れることは知恵のはじめです。人の目には見えない神の存在を否定し、神を探し求めることなく、自分の欲望を満たすために時間も労力もお金も惜しまずにふんだんに使う現代人たちに対し、わたしを捜し求めよと神は問い続けておられます。この世のいのち尽きるとき、私たちはこの世で得たものは何一つ携えてゆくことはできず、すべてを地上に残してゆかねばなりません。永遠に残る真理の宝、神の知恵と悟りとを身に付け、神と共に永遠に生きる希望に真の喜びを得させていただく私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/job.28.20-28.ja1955
「しろがねには掘り出す穴があり、精錬するこがねには出どころがある。 くろがねは土から取り、あかがねは石から溶かして取る。 人は暗やみを破り、いやはてまでも尋ねきわめて、暗やみおよび暗黒の中から鉱石を取る。 彼らは人の住む所を離れて縦穴をうがち、道行く人に忘れられ、人を離れて身をつりさげ、揺れ動く。 地はそこから食物を出す。その下は火でくつがえされるようにくつがえる。 その石はサファイヤのある所、そこにはまた金塊がある。 その道は猛禽も知らず、たかの目もこれを見ず、 猛獣もこれを踏まず、ししもこれを通らなかった。 人は堅い岩に手をくだして、山を根元からくつがえす。 彼は岩に坑道を掘り、その目はもろもろの尊い物を見る。 彼は水路をふさいで、漏れないようにし、隠れた物を光に取り出す。 しかし知恵はどこに見いだされるか。悟りのある所はどこか。」
ヨブは神の知恵、真の悟りを探求することを、地中深くから鉱物を採掘し、精錬して貴金属を得ることにたとえました。人は金銀を得るために危険を顧みず鉱山を掘り、労力を惜しまずに純度を高めます。それは何故でしょうか。金銀にはそれだけの価値があるからです。であるならば、私たちにいのちを与え、人間本来の姿を取り戻させる神の知恵を、どうして求めないのでしょうか。神に喜ばれる者となり永遠のいのちに導く悟りを得るために、私たちはどれほど労力を払っているでしょうか。私たちは力を尽くして神を探し求め、神の知恵と悟りとを全力で真理を慕い求めなければなりません。
https://www.bible.com/bible/81/job.28.1-12.ja1955
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ヨブ記 28:13-19
「人はそこに至る道を知らない、また生ける者の地でそれを獲ることができない。 淵は言う、『それはわたしのうちにない』と。また海は言う、『わたしのもとにない』と。 精金もこれと換えることはできない。銀も量ってその価とすることはできない。 オフルの金をもってしても、その価を量ることはできない。尊い縞めのうも、サファイヤも同様である。 こがねも、玻璃もこれに並ぶことができない。また精金の器物もこれと換えることができない。 さんごも水晶も言うに足りない。知恵を得るのは真珠を得るのにまさる。 エチオピヤのトパズもこれに並ぶことができない。純金をもってしても、その価を量ることはできない。」
高価で美しく希少価値のある貴金属や宝石よりも、神の知恵と悟りの方が比較にならないほど素晴らしいと、ヨブは様々な貴金属や宝石類を引き合いにして賞賛しました。しかし神の知恵は人には隠されており、どれほど努力を積み重ねたとしても、悟りを得ることも見つけ出すこともできません。少なくともヨブの生きていた旧約聖書の時代にはそうでした。それは神が人間とは次元の異なる、圧倒的で絶大な存在であるからです。しかし現代に生きる私たちには、それがどこにあるか明かされています。それが生ける神の御言葉である聖書です。私たちのすぐ手元に聖書があることに感謝します。もっともっと聖書に親しみ、御言葉の中なら神の知恵と悟りとを発見する私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/job.28.13-19.ja1955
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ヨブ記 28:20-28
「それでは知恵はどこから来るか。悟りのある所はどこか。 これはすべての生き物の目に隠され、空の鳥にも隠されている。 滅びも死も言う、『われわれはそのうわさを耳に聞いただけだ』。 神はこれに至る道を悟っておられる、彼はそのある所を知っておられる。 彼は地の果までもみそなわし、天が下を見きわめられるからだ。 彼が風に重さを与え、水をますで量られたとき、 彼が雨のために規定を設け、雷のひらめきのために道を設けられたとき、 彼は知恵を見て、これをあらわし、これを確かめ、これをきわめられた。 そして人に言われた、『見よ、主を恐れることは知恵である、悪を離れることは悟りである』と」。
神の知恵、真の悟りがどこにあるのかと探し求めるヨブに対し、神は主を恐れることこそ知恵であり、悪を離れることこそが悟りであると答えられました。まさに主を畏れることは知恵のはじめです。人の目には見えない神の存在を否定し、神を探し求めることなく、自分の欲望を満たすために時間も労力もお金も惜しまずにふんだんに使う現代人たちに対し、わたしを捜し求めよと神は問い続けておられます。この世のいのち尽きるとき、私たちはこの世で得たものは何一つ携えてゆくことはできず、すべてを地上に残してゆかねばなりません。永遠に残る真理の宝、神の知恵と悟りとを身に付け、神と共に永遠に生きる希望に真の喜びを得させていただく私たちでありますように。
https://www.bible.com/bible/81/job.28.20-28.ja1955