古くからあるゴスペルソングに「愛をください」という曲があります。
♪イエスさま私に いつでも笑顔を
あふれる感謝を ゆるせる心を
どんなときでも どんな人にも
与える愛を 愛をください♪
私はこの賛美を小学生の頃から歌ってきました。小さな子どもでもわかる平易な言葉と簡単なメロディーで、神様の愛を表した素晴らしい賛美だと思います。
しかし大人になるにつれて、この賛美は安易に歌うことのできない曲だと感じるようになりました。この歌詞を口ずさむ毎に、こんな簡単な言葉で表現される愛すら持つことのできない自分を嫌と言うほど思い知らされ、自らの愛の足りなさ、偏狭な心しかない自分を情けなく思い、いかに神様の愛とは深遠なものであるか、まざまざと思い知らされます。
「隣人を愛せよ」との御言葉に誰を隣人と想定するでしょうか。せいぜい家族や仲間内に留まるのが私たちにできる精一杯の愛。もしかしたら最も身近にいる人さえ愛することができないのが人間的な愛の限界です。私たちの身の回りにいる人たちにさえ簡単にイラついたりする私たちは、敵を愛し迫害する者のために祈ることなど到底できないのです。
だから私たちは「愛をください」と祈り願うしかないのです。善人の上にも悪人の上にも等しく注がれる陽の光のような大きな大きな神様の愛は、人がどんなに努力しても到底身に付けることのできない異次元の愛です。賛美の中でも、毎日の祈りの中でも、神様、あなたの愛をください、私たちの持つちっぽけな愛とは比較にならないほど大きな神様の愛を私たちに備えさせてください。そのような謙虚な心で「愛をください」と賛美する者でありたいと願います。
♪イエスさま私に いつでも笑顔を
あふれる感謝を ゆるせる心を
どんなときでも どんな人にも
与える愛を 愛をください♪
私はこの賛美を小学生の頃から歌ってきました。小さな子どもでもわかる平易な言葉と簡単なメロディーで、神様の愛を表した素晴らしい賛美だと思います。
しかし大人になるにつれて、この賛美は安易に歌うことのできない曲だと感じるようになりました。この歌詞を口ずさむ毎に、こんな簡単な言葉で表現される愛すら持つことのできない自分を嫌と言うほど思い知らされ、自らの愛の足りなさ、偏狭な心しかない自分を情けなく思い、いかに神様の愛とは深遠なものであるか、まざまざと思い知らされます。
「隣人を愛せよ」との御言葉に誰を隣人と想定するでしょうか。せいぜい家族や仲間内に留まるのが私たちにできる精一杯の愛。もしかしたら最も身近にいる人さえ愛することができないのが人間的な愛の限界です。私たちの身の回りにいる人たちにさえ簡単にイラついたりする私たちは、敵を愛し迫害する者のために祈ることなど到底できないのです。
だから私たちは「愛をください」と祈り願うしかないのです。善人の上にも悪人の上にも等しく注がれる陽の光のような大きな大きな神様の愛は、人がどんなに努力しても到底身に付けることのできない異次元の愛です。賛美の中でも、毎日の祈りの中でも、神様、あなたの愛をください、私たちの持つちっぽけな愛とは比較にならないほど大きな神様の愛を私たちに備えさせてください。そのような謙虚な心で「愛をください」と賛美する者でありたいと願います。