伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/03/13

2018-03-13 07:48:54 | 一日一章・聖書通読日記
イザヤ書 53:1-3
「だれがわれわれの聞いたことを信じ得たか。主の腕は、だれにあらわれたか。 彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。 彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」

イザヤ書53章は苦難の僕となられた主イエスの預言として有名な箇所です。イエス様は乾いた地に力強く根を張る若木のように生まれ育ち、来るべきメシヤとしての公生涯に入られました。いと高き神の御子であられるお方が、すべての人にまさって貧しく、威厳も麗しさもない姿になられるとは、どこまで遜った姿でしょうか。まして人から侮られ、捨てられ、悲しみを一身に背負って、十字架にいのちを落とされました。このイエス様の徹底した謙遜と神様への服従の故に私たちは救いを得させていただいたことを覚え、ただ主に感謝を捧げさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/isa.53.1-3.ja1955

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イザヤ書 53:4-5
「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった。しかるに、われわれは思った、彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」

私たちの心の傷が癒されるために、主イエスが自らその悲しみを担い、私たちの不義が赦されるために、何一つ罪を犯したことのない主イエスが身代わりとなっめ、父なる神様に打ち叩かれて懲らしめを受けられました。この屈辱と苦しみに耐えせしめたのは、すべて私たちに対する神様の大いなる愛の現れです。

http://bible.com/81/isa.53.4-5.ja1955

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イザヤ書 53:6-8
「われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた。 彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。 彼は暴虐なさばきによって取り去られた。その代の人のうち、だれが思ったであろうか、彼はわが民のとがのために打たれて、生けるものの地から断たれたのだと。」

羊は毛を刈るとき、暴れなければ自分の身に傷を受けることがないと知って、ただ黙々と羊飼いに身を委ねます。イエス様が十字架で黙々と苦しみに耐えられたのも、父なる神様は必ず陰府から救い出してくださると信じ切っていたからです。すべての人の罪を一身に背負い、黙して父なる神様に身を委ねたイエス様の受難の故に、十字架の購いを信じる私たちはもはや罪の代価を支払う必要はなくなりました。この大いなる購いの十字架に心から感謝し、キリストの受難を偲ぶ私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.53.6-8.ja1955

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イザヤ書 53:9-10
「彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった。 しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、主は彼を悩まされた。彼が自分を、とがの供え物となすとき、その子孫を見ることができ、その命をながくすることができる。かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。」

イエス様は何一つ罪も犯さず、偽りを語ることもなかったのに、罪人の一人として扱われ、二人の強盗と共に十字架で処刑された情景が、まるで映画の解説のように700年以上も前に預言されていたとは、何と驚くべきことでしょうか。イエス様は、ただ父なる神様の御旨を行うために、十字架の苦しみから逃げも隠れもせずに、最後まで耐え忍ばれました。この十字架の苦しみによって、神の民とされた私たちが永遠のいのちを得ることができたことを心から感謝いたします。

http://bible.com/81/isa.53.9-10.ja1955

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イザヤ書 53:11-12
「彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。 それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に物を分かち取らせる。彼は強い者と共に獲物を分かち取る。これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、とがある者と共に数えられたからである。しかも彼は多くの人の罪を負い、とがある者のためにとりなしをした。」

この書き出しの一節に、身代わりの十字架の真骨頂がすべて表されています。主イエスの徹底した自己犠牲の原動力は、私たちに対する限りない愛と、サタンに勝利する栄光、そして復活の希望です。自分は苦しみに遭いながらも、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです。」とわ神様に向かって魂を注ぎ出して執り成しの祈りを捧げられた主イエスの十字架を、過去の一時の出来事としてではなく、また他人事としてではなく、今この福音を聞いた自分のための購いと信じて受け止める者に、神様の大いなる救いの御業が成し遂げられ、永遠のいのちと平安の希望で満たされますように。

http://bible.com/81/isa.53.11-12.ja1955
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【今日の聖句】 2018/03/13

2018-03-13 06:35:38 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 1:9
「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」

主イエスは特定の地域や民族のためだけにではなく、世界中のすべての人の心を明るく照らすまことの光としてこの世に来られたお方です。このよき訪れに心を開いて受け入れ、永遠のいのちを得させていただく私たちでありますように。

http://bible.com/81/jhn.1.9.ja1955
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