伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2018/03/25

2018-03-25 08:35:41 | 一日一章・聖書通読日記
イザヤ書 65:1-2
『わたしはわたしを求めなかった者に問われることを喜び、わたしを尋ねなかった者に見いだされることを喜んだ。わたしはわが名を呼ばなかった国民に言った、「わたしはここにいる、わたしはここにいる」と。 よからぬ道に歩み、自分の思いに従うそむける民に、わたしはひねもす手を伸べて招いた。』

神様の御思いは、主から遠く離れ、尋ね求めることさえしなかった人々が一人でも多く、造り主である神様を再発見し、尋ね求めるようになることを願っておられます。そのために神様は大自然の素晴らしさや天からの恵みなど、様々な方法を通してご自身の存在を現され、主に聞き従わず自分勝手に生きている世の人々に絶えず救いの手を差し伸べ続け、主の御許へと招いておられます。この深い愛に気付かずに歩んでいる心の鈍い私たちですが、主の差し伸べられた救いの御手をしっかりと握り締めさせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/isa.65.1-2.ja1955

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イザヤ書 65:8-9
主はこう言われる、「人がぶどうのふさの中に、ぶどうのしるのあるのを見るならば、『それを破るな、その中に祝福があるから』と言う。そのようにわたしは、わがしもべらのために行って、ことごとくは滅ぼさない。 わたしはヤコブから子孫をいだし、ユダからわが山々を受けつぐべき者をいだす。わたしが選んだ者はこれを受けつぎ、わがしもべらはそこに住む。」

ぶどうは祝福の象徴であり、また神様という枝につながっていなければ実を結ぶことのできない私たち自身を表しています。神様はぶどうにたとえられた私たちを、一人でも信仰があるならばソドムとゴモラのように滅ぼし尽くすことはしないと言われます。それは一粒の種が多くの実りを生み出すように、まことの信仰者が祝福を受け継ぐ神の民を形成するようにと願っておられるからです。この忍耐強く憐れみ深い神様の愛に気付き、永遠の祝福を受け継ぐ神の民に加えていただきたいと願います。

http://bible.com/81/isa.65.8-9.ja1955

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イザヤ書 65:17-19
「見よ、わたしは新しい天と、新しい地とを創造する。さきの事はおぼえられることなく、心に思い起すことはない。 しかし、あなたがたはわたしの創造するものにより、とこしえに楽しみ、喜びを得よ。見よ、わたしはエルサレムを造って喜びとし、その民を楽しみとする。 わたしはエルサレムを喜び、わが民を楽しむ。泣く声と叫ぶ声は再びその中に聞えることはない。」

イエス様がこの世に来られた時代よりも700年以上も前の旧約時代に、すでに神様は死も滅びもない新天新地創造のご計画をイザヤを通して預言されました。それは神の御子キリストの到来と切って離すことのできない、完全な救いのご計画だからです。この世では悩み多く罪深い私たちですが、先のことは覚えられることなく御心に思い起こすことはないと約束された神様の御言葉に感謝し、主イエスの十字架の購いに寄り頼んで永遠の御国を待ち望む私たちでありますように。

http://bible.com/81/isa.65.17-19.ja1955
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【今日の聖句】 2018/03/25

2018-03-25 06:20:17 | 今日の聖句
ヨハネによる福音書 12:13 新共同訳
『なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、/イスラエルの王に。」』

エルサレムの人々は、ロバの背に乗って入城するイエス様を自分たちの王として歓喜の声を上げて出迎えました。しかしイエス様の目的はイスラエル人だけの王としてではなく、すべての国々の人々の王として十字架で救いの御業を完成するためでした。棕櫚の聖日の今日、このイエス様の覚悟を真摯に受け止め、自分の幸福だけを願うのではなく、すべての人の平和と祝福を願いつつイエス様を心にお迎えする私たちでありますように。

http://bible.com/1819/jhn.12.13.新共同訳
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