色の名前であるが、名曲「城ヶ島の雨」に
「利休鼠の雨」が最初に出てくる。
この雨は暗いイメージそのものだが、歌詞
は暗さと明るさをもち、日本人の心情に響
くものがある。
なぜ「利休鼠の雨」が思い出されたかとい
うと、改憲勢力が3分の2を占め、憲法改
正の「発議」ができることになってしまっ
た結果に対して、「もうだめだ」という論
調があったからだ。極端にいうと日本人は
もうだめだ、となってしまう。
これは間違っている。
改憲勢力が3分の2を占めたことから、利
休鼠の雨の心情に陥ってはならない。
もう一つの側面=真っ向から対決する日本
共産党の躍進をみることが必要だ。
自・公からの共産党攻撃は激しかった。
彼らの先輩が、自由と民主主義を破壊し、
戦争に協力しながら、共産党を自由と民主
主義への反対勢力と、さかさまに描きだし
ていることと関係している。
秘密保護法を強行し、社会全体を「物言え
ば唇寒し」という自由と民主主義の真逆の
状況にもっていっているのは誰なのか。
自由と民主主義が犯されようとしていると
き、そこには必ず日本共産党が立ちはだか
る。
これが日本の近現代史の姿だ。
(昨日の15日が日本共産党創立94周年!)
国民の過半数は、九条改正に反対している。
二度と戦争はしない、という戦後の国民の
想いは脈々と流れている。
近代国家の大原則である立憲主義を破壊し、
日本国憲法に敵対する「国会」での勢力は
大きくなったが、我々も大きくなった。
だからこそ、「新たな出発」だ。
追記
「城ヶ島の雨」は北原白秋が絶頂期からど
ん底に落ち込んだ時に、生まれた歌詞とい
われている。この時の心情を「利休鼠の雨」
と表現している。
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