高校の数学を学んだとき、ベクトル計算に苦労した記憶がある。
たし算、ひき算は幾何学的に分かるが、かけ算、割算にいたって、その意味をつかむのに苦労した。内積、外積の理解も。そもそも右と90度の方向をかけたり割ったりという意味がつかめない。創造力が及ばなかった。
外積でZ軸にラセンのような図は理解できなかった。
暗記せいといわれればそれまでだが。
さてベクトルは図形のままでは計算になじまない。数式で表さないと計算できない。
x=3,y=2,z=7 の三次元ベクトルを数式であらわすと
三次元はわかるが、これが10次元、1000次元となると人間の想像力の外だ。というより質的な新しいベクトルの理解をしなければならない。
このベクトルを使った言語分析が飛躍的に進んだ。(分散表現)
紙とエンピツなど質的違いのたし算は出来ないし意味がないが、これをベクトルに置き換えればたし算ができる。
Word2Vec(ワード2ベック)、fastText、BERTなど、言語を高次元のベクトルに置きかえ、それを演算していく。
50次元から768次元までのベクトルが多く使われているようだが、なかには1000次元も使っていると。
それにしても言語をベクトルに置きかえて、計算するなどよく考えついたものだ。
そしてこれがAIの発展を飛躍させた。
代表的な「ChatGPT」も言語分析とともに、膨大に蓄積されたビッグデータから有意義なものを組み合わせていく。
質問への回答も、なめらかな日本語文章の実現となっていった。
しかし、まだまだとんでもない答えが出たりしている。
そして、最大の問題は客観的実在、現実世界の反映ができないことだ。リアルタイムの喜怒哀楽・痛みもそうだ。
あくまで過去の文章の分析ということだ。
それでもAIの活用は進んでいく。
ただ人間が行うべき「判断」は、こうしたAIにまかせられない。それどころか危険極まりない。
影響は子どもの成長にもマイナスではないか。
結果だけの活用が広がれば、考えること、思考が退化しかねない。
いまでもスマホの危険がいわれている。
最後に「資本主義的利用」だ。
利潤の最大化を目的とする資本主義。
「機械」は人類の重労働からの解放になったが、資本主義的につかわれれば労働強化になる。
コンピューターもそうだ。ましてやAIが資本主義的に使われれば、労働者の失業と長時間労働・労働強化、労働苦となる。
過去のブログ ⇒ (ENIACから76年)
AIの規制強化はけっして技術発展のさまたげにはならない。
危険性を直視しなければ。
ヨーロッパでは「規制」を強めている。
対して日本は?
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