学校が夏休みに入り、猛暑のなか水難事故が発生している。
海や川で溺れることは一瞬の出来事だ。
私の子ども時代は、川遊びの毎日であった。
泳ぎも見ようみまねで覚え、潜ってヤスで魚を捕まえていた。
ヤスも自転車のタイヤチューブやスポークを使って手作りであった。
当然に危険な場所、急流や深み、川の合流点などには近づかなかった。
遊びの中で、上級生や大人の注意などで、自然に身に着けていった。
しかし、いまは自然とふれ合う機会が大幅に減ってしまった。
プールも修繕や維持費の関係で廃止されている。
子どもが水とふれ合い、楽しさと同時に怖さを体験する機会が減っている。
年間1~2回の水泳教室では、絶対に泳げない。
泳げる子は、水泳教室に通える収入のある家庭か、市営プールの近くに住んでいるなど条件が狭くなっている。
もともと釧路市は、3つの市営プールをつくる計画であった。
しかしお金がかかると称して、MOOのプールは廃止、市営プールは鳥取の一つで終わってしまった。
泳げない子が水に落ちるとパニックとなり、一瞬で水をのんで命をおとしてしまう。ドラマでみる「助けて」など声をあげることはできない。
泳げる子でも、川や海の危険性を学ぶ機会はない。
自ら命を守れないことだ。
小学校の学習指導要領では、クロールなど学年ごとの到達点が定められている。
議員時代、プールの少なさから泳げない子どもが多いことを質問した時、「机上訓練」でもよいことになっていると答弁され、がっかりしたことがある。
教育が知識だけでなく、人間として生きていける力を身に着ける。当たり前の施策が必要ではないか。
釧路市は、駅高架など巨額のお金がかかる建設ではなく、将来の子どもたち、そして市民の健康を守るためにも、昔あった建設計画「市内3か所の市営プール」の建設こそ求められているのではないか。
水難事故のニュースを聞くたびに思う。
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