ようやく週末だ。2日間、インフルエンザ陰性ではあったものの大事を取って自宅療養(?)をしていた息子が、今日から無事登校してくれた。そんなわけで、今日もお弁当作りの時間だけ差し引いての早起きだ。
息子を送り出した後、ゆっくり新聞を読み、録画したビデオをちょっぴり見てから、午前中のほぐしヨガのクラスに参加した。
朝一番が常温でのクラスだったせいか、スタジオが今いち温まっていなくて、最初はなかなか汗をかけなかったけれど、首からつま先までしっかりほぐしているうちにすっきり爽快な気分になった。
お昼は夫と息子と合流してランチ。私はその足で2つ先の駅のマッサージサロンへ、息子はこれまた3日ぶりで塾へ向かった。夫は家で一人時間を愉しむため、自宅に戻った。
前回からあっという間の4週間だ。担当のTさんとはもう15年近いお付き合いになる。最初のお嬢さんを出産される前に、息子の赤ちゃん時代の洋品類を引き取って頂いたのだが、いまだに大活躍しているんです、と言われ、何とも洋品冥利に尽きる有難いことだ。
一昨日、小学校の先生をしておられるご主人が、教室でやんちゃな児童を抑えようとした拍子に足を骨折され、さらには昨日、心不全と肺炎のため、お義母様が救急センターのICUに入られたという。そんな緊急事態を穏やかに話しながら仕事に来られていて、申し訳ない感じだ。
いつもながらのゴッドハンドにすっかり癒されて、前半はお互いに近況報告をしつつ後半は気付けばウトウト。午前中のヨガの所為か代謝が良く、顔色も良くなって幸せな時間を過ごした。
帰りに書店で本を沢山買い込み満ち足りて帰宅した。
さて今日のお題の「時間の流れの感じ方」。
購読している新聞のコラムの「共に走ろう」が目に留まった。“時間の流れは、自分の年齢を時速にした速さで過ぎるそうだ。”から始まる。つまり“40歳なら時速40キロで時間が過ぎており、自分の子どもがのんびりしているのは、その子の時間が時速10キロ前後で進む緩やかなものだからで、祖母が信じられないような早寝早起きなのは、彼女が時速90キロで飛ばしているからなのだ。”とある。
そこから翻って、時速48キロの課長に資料を頼まれた時速24キロの職場のホープが、完璧な資料を1日かけて作ったが、時間の進み方が倍も違うので課長が待ちくたびれてしまう。一方、時速53キロのベテラン係長は手元にある数字の見せ方を工夫して2時間ほどで簡単な資料を仕上げる。自分を追い越すスピードで資料が仕上がってきて、課長は「お、早いね」というオチ。スピード感を欠いた仕事の進め方は住民感情が許すまじ、と揶揄する話である。
なるほど、そうか、と思った。
時速17キロの息子の一挙手一投足のまったり感にイライラしてしまうのは、私がその3倍の時速51キロで走っているからなのか、と膝を打った。
まあ、このコラムでも“若いうちは、安全運転の範囲でアクセルを踏み込んで大丈夫。反射神経も動体視力もいいのだし、自分たちがエアバックになるから怖がらずに時間の流れを少し早めて、時速48キロの課長に追いついてやるか、と思ってほしい。そして私も時にはスローな気分で、若者と並んで走ってみようか。”、と結んでいる。
さすがに息子は職場の部下ではないし、せっかちな私が気持ちだけは少し若返って時速を落として接するのがいいのかな、と思わされる話だった。
息子を送り出した後、ゆっくり新聞を読み、録画したビデオをちょっぴり見てから、午前中のほぐしヨガのクラスに参加した。
朝一番が常温でのクラスだったせいか、スタジオが今いち温まっていなくて、最初はなかなか汗をかけなかったけれど、首からつま先までしっかりほぐしているうちにすっきり爽快な気分になった。
お昼は夫と息子と合流してランチ。私はその足で2つ先の駅のマッサージサロンへ、息子はこれまた3日ぶりで塾へ向かった。夫は家で一人時間を愉しむため、自宅に戻った。
前回からあっという間の4週間だ。担当のTさんとはもう15年近いお付き合いになる。最初のお嬢さんを出産される前に、息子の赤ちゃん時代の洋品類を引き取って頂いたのだが、いまだに大活躍しているんです、と言われ、何とも洋品冥利に尽きる有難いことだ。
一昨日、小学校の先生をしておられるご主人が、教室でやんちゃな児童を抑えようとした拍子に足を骨折され、さらには昨日、心不全と肺炎のため、お義母様が救急センターのICUに入られたという。そんな緊急事態を穏やかに話しながら仕事に来られていて、申し訳ない感じだ。
いつもながらのゴッドハンドにすっかり癒されて、前半はお互いに近況報告をしつつ後半は気付けばウトウト。午前中のヨガの所為か代謝が良く、顔色も良くなって幸せな時間を過ごした。
帰りに書店で本を沢山買い込み満ち足りて帰宅した。
さて今日のお題の「時間の流れの感じ方」。
購読している新聞のコラムの「共に走ろう」が目に留まった。“時間の流れは、自分の年齢を時速にした速さで過ぎるそうだ。”から始まる。つまり“40歳なら時速40キロで時間が過ぎており、自分の子どもがのんびりしているのは、その子の時間が時速10キロ前後で進む緩やかなものだからで、祖母が信じられないような早寝早起きなのは、彼女が時速90キロで飛ばしているからなのだ。”とある。
そこから翻って、時速48キロの課長に資料を頼まれた時速24キロの職場のホープが、完璧な資料を1日かけて作ったが、時間の進み方が倍も違うので課長が待ちくたびれてしまう。一方、時速53キロのベテラン係長は手元にある数字の見せ方を工夫して2時間ほどで簡単な資料を仕上げる。自分を追い越すスピードで資料が仕上がってきて、課長は「お、早いね」というオチ。スピード感を欠いた仕事の進め方は住民感情が許すまじ、と揶揄する話である。
なるほど、そうか、と思った。
時速17キロの息子の一挙手一投足のまったり感にイライラしてしまうのは、私がその3倍の時速51キロで走っているからなのか、と膝を打った。
まあ、このコラムでも“若いうちは、安全運転の範囲でアクセルを踏み込んで大丈夫。反射神経も動体視力もいいのだし、自分たちがエアバックになるから怖がらずに時間の流れを少し早めて、時速48キロの課長に追いついてやるか、と思ってほしい。そして私も時にはスローな気分で、若者と並んで走ってみようか。”、と結んでいる。
さすがに息子は職場の部下ではないし、せっかちな私が気持ちだけは少し若返って時速を落として接するのがいいのかな、と思わされる話だった。