ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2013.2.23 時間の流れの感じ方

2013-02-23 20:56:27 | 日記
 ようやく週末だ。2日間、インフルエンザ陰性ではあったものの大事を取って自宅療養(?)をしていた息子が、今日から無事登校してくれた。そんなわけで、今日もお弁当作りの時間だけ差し引いての早起きだ。
 息子を送り出した後、ゆっくり新聞を読み、録画したビデオをちょっぴり見てから、午前中のほぐしヨガのクラスに参加した。
 朝一番が常温でのクラスだったせいか、スタジオが今いち温まっていなくて、最初はなかなか汗をかけなかったけれど、首からつま先までしっかりほぐしているうちにすっきり爽快な気分になった。

 お昼は夫と息子と合流してランチ。私はその足で2つ先の駅のマッサージサロンへ、息子はこれまた3日ぶりで塾へ向かった。夫は家で一人時間を愉しむため、自宅に戻った。

 前回からあっという間の4週間だ。担当のTさんとはもう15年近いお付き合いになる。最初のお嬢さんを出産される前に、息子の赤ちゃん時代の洋品類を引き取って頂いたのだが、いまだに大活躍しているんです、と言われ、何とも洋品冥利に尽きる有難いことだ。
 一昨日、小学校の先生をしておられるご主人が、教室でやんちゃな児童を抑えようとした拍子に足を骨折され、さらには昨日、心不全と肺炎のため、お義母様が救急センターのICUに入られたという。そんな緊急事態を穏やかに話しながら仕事に来られていて、申し訳ない感じだ。
 いつもながらのゴッドハンドにすっかり癒されて、前半はお互いに近況報告をしつつ後半は気付けばウトウト。午前中のヨガの所為か代謝が良く、顔色も良くなって幸せな時間を過ごした。
 帰りに書店で本を沢山買い込み満ち足りて帰宅した。

 さて今日のお題の「時間の流れの感じ方」。
 購読している新聞のコラムの「共に走ろう」が目に留まった。“時間の流れは、自分の年齢を時速にした速さで過ぎるそうだ。”から始まる。つまり“40歳なら時速40キロで時間が過ぎており、自分の子どもがのんびりしているのは、その子の時間が時速10キロ前後で進む緩やかなものだからで、祖母が信じられないような早寝早起きなのは、彼女が時速90キロで飛ばしているからなのだ。”とある。
 そこから翻って、時速48キロの課長に資料を頼まれた時速24キロの職場のホープが、完璧な資料を1日かけて作ったが、時間の進み方が倍も違うので課長が待ちくたびれてしまう。一方、時速53キロのベテラン係長は手元にある数字の見せ方を工夫して2時間ほどで簡単な資料を仕上げる。自分を追い越すスピードで資料が仕上がってきて、課長は「お、早いね」というオチ。スピード感を欠いた仕事の進め方は住民感情が許すまじ、と揶揄する話である。

 なるほど、そうか、と思った。
 時速17キロの息子の一挙手一投足のまったり感にイライラしてしまうのは、私がその3倍の時速51キロで走っているからなのか、と膝を打った。
 まあ、このコラムでも“若いうちは、安全運転の範囲でアクセルを踏み込んで大丈夫。反射神経も動体視力もいいのだし、自分たちがエアバックになるから怖がらずに時間の流れを少し早めて、時速48キロの課長に追いついてやるか、と思ってほしい。そして私も時にはスローな気分で、若者と並んで走ってみようか。”、と結んでいる。
 さすがに息子は職場の部下ではないし、せっかちな私が気持ちだけは少し若返って時速を落として接するのがいいのかな、と思わされる話だった。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2012.2.22 インフルエンザ雑感

2013-02-22 20:26:46 | 日記
 昨夜も熱が上がらなかったし、今日はなんとか学校へ行ってほしい・・・と思っていた息子のこと。
 10時間以上熟睡し、朝、おでこに手を当てても熱がないことを確認。普通に起こして食事を始めた。が、やはり気乗りがしない様子で、「ダルイ・・・」の連発。
 「もう、今日も休んだら。」との夫の一言に救われたようで、「休みます」オーラが放出されていた。

 それを受けて、お弁当等一式をテーブルに置き、学校に「昨日のインフルエンザ検査の結果は陰性で、今日も6度7分ですが、だるさがとれないというので欠席させます」のメールを入れてから出勤した。

 1歳のお誕生日直前、40度の高熱でひきつけを起こし、救急車のお世話になったことがあるが、それがインフルエンザだったのかどうか今や記憶が曖昧である。
 が、この時は看病疲れで息子が復活してすぐに私がダウンした。当時授乳中だったが薬を飲んだため、授乳出来なくなった。もう胸が張って張ってどうしようもなく辛かった記憶がある(今では見る影もありませんが、当時は立派な胸でした。)。
 その後も高熱を出すたびに、熱性けいれんを何度か続けて心配させられたが、小学校に上がる頃にはぴたりとおさまった。
 保育園児は保育園時代いろいろな病気をもらってくるけれど、雑多な菌に対する免疫がついており、小学生になると別人のように強くなるものである。

 彼が明らかにインフルエンザに罹ったのは小学校3年生の時。この時は私がちょうど初発手術の退院後、病気休暇中のことだった。
 放射線治療も始めており、免疫力が下がっていたことは間違いない。しっかり息子からうつされて酷い目にあった。
 何とか無事だったのは夫のみ。以来、我が家では全員がインフルエンザ予防接種を欠かしたことがない。

 その後、新型インフルエンザに罹ったのが今から3年ちょっと前の中学2年生の時。この時はしっかり隔離して、夫も私もうつることはなかった。そしてタミフルが見事に効いて、あっという間に元気になり、自宅待機が要らないのでは、と思うほどだった。

 そして、今回は有難くも空振りであった。明日こそ無事に登校が出来るだろう。
 インフルエンザはピークを超えた、との報道はあるが、まだまだ予断は許さない。来週の週末は3月だが、空気はすっかり乾燥し、いつになく寒い日が続いている。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.21 ちょっと壊し過ぎでは・・?~ダイ・ハード ラスト・デー~

2013-02-21 21:16:50 | 映画
 先日、標題の映画を観た。
 言わずと知れたブルース・ウィリス主演の「ダイ・ハード」シリーズ第5作である。
 この映画はどうもクリスマスのイメージが強い。クリスマス休暇で事件に巻き込まれる、というのがパターンでもあり、BGMがクリスマスソングだったからか。
 この手の話は夫の好きな路線でもあり、毎度欠かさず見ているが、本当に毎回パワーアップというか破壊力がアップしている。今回は初の“海外”ロケだ。

 第1作から早くももう四半世紀が経っているから、ブルース・ウィリス演ずるニューヨーク市警のジョン・マクレーン刑事もすっかりオジサンになっている。気付けばお腹もちょっぴり厚みが出て、いつのまにかスキンヘッド。息子に「お前もあと5年もすれば・・・」と毒づいているが、その頭に何ともお友達感覚を抱いてしまう私はトホホ、である。
 運の悪さは、遺伝する・・・というキャッチフレーズで、今回はCIAの秘密捜査官であるそりの合わない息子と2人で銃を両手に大活躍(大暴れ!?)である。

 警察沙汰のトラブルを起こした息子を引き取りに訪れたモスクワで、いきなりいつものように“運悪く”テロ事件に巻き込まれる。のっけからもの凄いカーチェースが繰り広げられ、これでもか、というくらい大きな車がどんどん跳ね飛ばされ、破壊されていく。一体、どれだけモノを壊したら・・・、一体、破壊するだけのためにどれだけのお金を使っているのか・・・と、最後はちょっと冷めた視線を送ってしまった。

 いわくつきの敵役父娘の二転三転する裏切りもいやはや、だったが、チェルノブイリの放射能汚染すら簡単な機械であっという間に除染が出来てしまう。・・・と、オイオイと言いたくなるノーテンキさにちょっと絶句する。あんなことが出来るなら、福島の現場では万々歳だろう。

 父親であるジョンと息子ジャックの葛藤と和解-父の頑張りで息子がそのリスペクトを取り戻す-というエピソードも同時進行するのだが、あまりに派手なシーン満載で、そのじんわり感がちょっと薄められてしまった感じ。まあ、親は子供のために何でもする!といわれるが、そのあまり、飛行中のヘリコプターに飛び乗る命がけのアクションは凄かったけれど。

 もっとも、どこまでが実写で、どこからがCGなのか、本当にその区別がつかないから、実際には、壊れた車はほとんどなくて、命がけと思ったシーンも案外、のんびりしたものだったかもしれないし・・・・。
 でも、そんなことを考え始めたら、それは興ざめ以外の何物でもなくなってしまう。そんなことは考えず、手に汗を握って観るというのがこの手の映画を愉しむには必要で、それがストレス解消にはいいのかもしれない。
 何にしろ、何があっても、歳をとってもジョン・マクレーンは不死身なのね・・・と、がっくり疲れつつ苦笑いする1本だった。

 今朝、いつものようにお弁当を作り、2人が朝食も済ませ、いよいよ着替えて出かける、といった段階で、息子が「だるい、気持ち悪い。」と言い始め、急遽学校を休ませることになった。熱はないが、大事をとってクリニックへ行かせます、と学校に欠席のメール連絡。
 クリニックではインフルエンザの疑いあり、ということで簡易検査をしたが、結果はともにマイナス。明日、もし熱が出たらまた来るようにと言われたそうだ。

 私は午後から都心会議で、昼前に息子の状況を確認してから職場を出た。今月の案件はテレビ会議では扱えないため、3回目の出張だ。予定通り夕方前に終わったが、どっしり重い資料を抱えて帰宅は普段より当然遅くなった。
 帰宅すると、息子はリビングで横になっていたが、お弁当は全部たいらげており、概ね元気。熱を測ると7度ちょうど。急いで息子の食事を用意して、処方された風邪薬と温かいお茶をたっぷり飲ませ、早々と寝かせた。

 何とか明日は復活して登校出来ると良いのだけれど・・・。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.20 老化か認知症か・・・

2013-02-20 19:45:26 | 日記
 自分であ~ぁ、と脱力したことを2つ。
 一つ目は、時計を2つしていたことに全く気付かず家を出たこと。ウィークデーはいつも、数年前に夫と一緒に買ったペアウオッチをしている。片割れの夫のものは既に壊れてしまい、お蔵入りしている。私は物持ちが良いので依然として現役だ。そして、休日は、たまには陽に当てないと止まってしまうから、ということでソーラーウオッチをしている。 自分の中の線引きとしては、スッピンでいられる時はソーラーウオッチ、お化粧をして出かけるときはペアウオッチ、である。
 先日、歯科クリニックに出かける時、休日モード(当然スッピン)でソーラーウオッチをして行った。その後、都心まで出かけたので頂き物のカラーストーンのブレスレットを重ねづけし、出勤するごとくいつもの時計をはめてしまった。全く何の疑問も持たずに・・・!

 駅近くで、時計を見ようと、ふとコートの袖をめくったら、なんとソーラーウオッチ、ブレスレット、ペアウオッチと2つの時計がしっかりついているではないか!はあぁ?軽いといえば軽いのだけれど、2つ時計をしていてその重さと違和感に気付かないとは・・・。
 いきなり脱力してしまった。それでは肩こりだってするだろう。

 別の日のこと。
 昨年末、お気に入りだった手袋を落とすという痛い目にあったので、別のバックに変えた時も大丈夫なように、グローブホルダーを買い足してこちらにも取り付けた。
 手袋を外すときは無意識にグローブホルダーに付けているというのに、突然「あれ、手袋どうしたっけ?!」とバックの中を漁ってしまう。また落としたのかしら・・・と冷や汗をかいて、ふと見ると手袋はしっかりグローブホルダーに収まって揺れているではないか。またも脱力。

 その間抜けな様子を夫に見られて、照れ隠しに「私、若年性アルツハイマーかもしれない・・・」と言った台詞まで噛んでしまった。“アルツハイマー”と発音出来ず・・・である。
 ああ、かつて漫画でメガネをチェーンにかけながら「メガネがないない!」と言って家人から笑われるという場面を(おバカさんね~、そんなことあるわけないじゃない。)と笑って見てから幾歳月。因果は巡る、ではないけれど、歳を重ねる、ということはそういうことなのであるな、と苦笑いである。

 それでもこれからの日々を重ねて、気付いたらおっちょこちょいな可愛いおばあちゃんになれるなら、本望だ。

 昨日降った雪がまだうっすらと残っている。日陰は案の定凍結しており、朝の通勤は足元が悪かった。明るい陽射しに騙されるが、まだまだ風は冷たい。
 今週も半ばを過ぎた。あっという間に2月が終わりそうだ。ジタバタしても始まらない。日々、慌てず騒がず淡々と過ごしていかなくては。

 帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。白、ピンク、黄色のアルストロメリアが1本ずつ、ピンクのスプレーカーネーションが2本、桃の枝が6本と菜の花が2本。花言葉はそれぞれ「凛々しさ」、「素朴」、「愛の幸福」、「快活」だそうだ。
 ああ、早くも桃の節句のアレンジ・・・春の香りである。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013.2.19 「私たちだって皆、生身なんだから・・・」という温度差

2013-02-19 20:35:07 | 日記
 先日プチ虹のサロンで話をしていた時のこと。
 健康な方たちとお喋りをしていて「私たちだって皆、生身なんだから、明日のことなんかわからない。だから(何年先のことが分からないというのは、癌患者だって健康人だって)同じよ。」と言われた時の、私たち患者の微妙な気持ちはやっぱり解ってもらえないよね・・・ということに、メンバー一同頷いた。

 確かに人間は皆、生身。生老病死は紛れもない事実だ。アンチエイジングが叫ばれても、iPS細胞で再生医療が進化する、万能薬も夢ではないと期待されても、やはり“不老不死”はあり得ない。(第一、人が誰も死ななくなったら地球は間違いなくパンクするではないか!)人は生まれてきたら必ず老いて、もしくは病気等で死んでいかなければならない。

 先般のトンネル落盤のような不慮の事故に僅か数秒差で巻き込まれることもあるし、地震や津波で本当に突然、命を断ち切られることがある。
 確かに、そうした事故や天災に巻き込まれる可能性と、私たち患者が抱く、この薬が効かなくなったら、がん細胞がいきなり暴れ出したら・・・という不安を比べるのが果たして賢いことかどうかは判らない。 
 けれど、いかにも自然に「私たちは皆、同じ」と言われてしまうと、(わかってないなぁ、そんなこと言いつつも笑顔で10年後のことを具体的に話題にしているではないの・・・)と、思わずひがんでしまうのが、我ながら情けない。

 もちろん健康な人たちとお付き合いする時は、対等でありたい。自分だけの不安を解ってほしいと思うことは甘え過ぎだし、(なぜ解らないのかしら、想像力がない人ね。)と思うのは自己中心的かつ傲慢なことだろう。所詮、同じ立場にならなければ同じ気持ちにはなれないだろうから。

 突き詰めて言えば、患者同士だって当然ながらその病状に個人差がある。再発治療中の身と初発で治療が済んでいる身では全く立場が違う。さらには再発治療と一口に言っても様々な状況がある。何年もホルモン剤の内服だけでがんと共存出来ており、抗がん剤治療すら未経験、脱毛も未経験という人もいれば、何年にもわたり抗がん剤投与を続け、多剤耐性で次の薬が認可されなければ個人輸入を考えなければ・・・という人もいる。不安の度合いは、それこそ人様々だ。

 だから無理に話を合わせなくていいんだな、と最近の私は思う。
 軽々しく頷いて判ったふりはしなくて良い。お互いに黙って話を聞いているだけで良いのではないだろうか。

 今日は予報通り朝から冷たい雨だった。そして気付けば雪に変わっていた。今朝は息子と同じお弁当を作り(夫も誘ってみたがお弁当を入れられる大きなカバンに変えるのが面倒臭いということで断られた。)、外に出ることなく自席で済ませた。
 帰宅する時はすっかり雪が止んでいてほっとしたが、本当に寒い一日だった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする