ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2010.11.30人権研修参加

2010-11-30 22:49:01 | 日記
 今日は人権問題研修に参加してきた。
 1948年12月10日に世界人権宣言が採択されたことにちなみ、12月10日は人権デー。その前の1週間である12月4日から10日までは人権週間。それに先んじて、ということかどうかタイミングがよい研修だ。

 私たち職員には3年に1度受講しなければならない何種類かの悉皆研修がある。そのうちのひとつがこの人権研修。かつては同和研修と称されていたけれど、いつのころからか男女平等、セクシャル・ハラスメントなどのテーマを含み広く人権問題一般を扱う人権研修という名称になっている。
 今回は新しいものとして北朝鮮の拉致問題の話題もあった。
 3年に1度、といっても中2年あくだけだから気付くとあっという間。他には汚職等非行防止研修等もあるので、結構隔年くらいにどれかを受講している感じがする。

 今回の参加は、急きょ昨日決定通知が来てのこと。昼休み時間に職場を出て、途中で昼食をとりながら本庁へ向かった。
 最近ではなかなか本庁に出向く機会はないが、こうして悉皆研修にでもひっかかっていると、ああ、私はこの組織の職員だったなあ、と改めて思う。奇しくも先月、人材育成をテーマにした終日の研修と同じ会場だった。
 四半世紀も勤めていると、どこかしこでかつてお世話になった方にばったりお会いすることもある。今回も3月まで同じ事務室にいて異動された方、別のキャンパスに異動された方などにもお目にかかった。

 勿論わずか2時間で人権に関わる問題を網羅するなどということはとても無理な話だけれど、それでもこうして3年に1度、こうした問題について日常業務から離れ、改めて考える時間を持てる、ということはやはり贅沢なことだろうと思う。
 そして常日頃からさまざまな問題に常に関心を持つこと、それがあって初めて「気づき」があること、意識的にアンテナをはって、相手の立場に立って物事を考えていないといけないこと、さらに出来ることなら行動を起こさなければいけないこと、を改めて思う。

 今日は電車の中で三浦哲郎さんの「ユタと不思議な仲間たち」(新潮文庫)を読んだ。
 これは息子が小学校6年生の秋、学芸会で演じた思い出深いお話だ。彼らは6年生になってすぐに演劇教室で劇団四季のミュージカルを観、それぞれが自分の演じたい役を決め、バッティングした役はオーディションで手に入れ、当日まで練習に励んだ。
 息子はダンジャという座敷わらしの役を演じた。自分で服装を考え、手持ちの甚平を着て、下は私のニットのレギンスをはき、裸足で、髪の毛はてっぺんをゴムで結んで。台詞も多ければソロで延々と歌う部分もあった。その他大勢の役も沢山あったのに。
 担任の先生からは「○○君は、受験勉強をしながら、ちゃんと小学校生活も楽しんでやっている。普通中学受験をすると、小学校生活は捨てることになるのに・・・」と言って頂いた。確かにあの頃、息子は本当にいろいろなことに意欲的だった。子どもの目というものはこんなにも輝くものだ、と私は彼に教えてもらったほどだ。今思えば、ちょっと頑張りすぎていたのかもしれないけれど。

 当時のことをいろいろ思い出しながら読みつつ、息子が歌った「ワダワダ、アゲロジャ、ガガイ」という呪文の意味が「僕だよ、僕だよ、開けてくれよ、母ちゃん」(みちのくの子どもたちが遊びに夢中になっているうちに日が暮れて、急いで家に帰っても案の定表戸が閉まっている。そんなときに子どもたちが戸を叩きながら言う言葉)という意味だったのだ、ということを改めて思った。

 そう、主人公ユタ(勇太)が出会った座敷わらしたちは昔々の大飢饉の年に生まれ落ちてすぐに間引きされ、「お母さん」と呼ぶこともなく短い一生を終えた子どもたちそのものだったのだ。皆かすりの着物の下はおむつをしている。梅雨時にはおむつが乾かないから大変だ。みんなで一生懸命洗濯までする。歯が生えていないからものは食べられない。哺乳瓶で飲むだけだ。
 「ワダワダ、アゲロジャ、ガガイ」は、座敷わらしたちが生きていたほんの短い間には到底言うことができなかった、母親に対する甘えの言葉。母親に心配ばかりさせている、やんちゃな人間の子どもたちみたいに何度でも言ってみたい言葉なのだ。
 ファンタジーともいえない重い話だったのだな、としばし考え込んでしまった。
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