ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.4.11 10か月ぶり造影CT検査 頸部~骨盤

2011-04-11 19:23:12 | 治療日記
 今日から大学も授業スタート。学内で久しぶりに沢山の学生の姿を見る。我が家の新高校生も今日から平常授業開始だ。
 大震災からちょうど1カ月。職場では2時46分に黙祷が行われると聞いていた。悼みの中でそれぞれがそれぞれの新しい春を踏み出す日だ。

 ふと気付けば、学内のハクモクレンやコブシの花が早くも散り、木々の若葉が恥ずかしそうに点々と芽を出している。今は、遊歩道に至る満開の桜とレンギョウの、淡いピンクと黄色のコントラストがとても美しい。

 今日は午前中仕事をしてお昼に職場を飛び出して病院へ。2時から造影CT検査だった。前回は6月半ばだったから10カ月ぶりだ。これまで半年に一度は撮影していたので、今回はずいぶん間が空いている。
 思いのほか電車の接続がうまくいって、予定時間の15分ほど前に病院到着。時間までは待つつもりでいたが、嬉しいことに10分ほど待って準備室に通され、すぐに血管確保してもらえた。いつものように生理食塩水を落としながら検査室の前で待つ。これまたほどなくして名前を呼ばれ、検査開始。造影剤が注入されることおよそ1分。どんどん造影剤が体中を駆け巡るのがわかる。体中熱くなる。それでも万歳の姿勢で寝たまま息を止めてあっというまに無事終了した。
 12月以来のマーカーの漸増と胸部の痛みを訴えたことから今回の撮影になった。ナベルビンの効果測定のためだ。9月から開始したナベルビンだが、当初は発熱や白血球・好中球の低下により予定通りの2投1休が叶わず、規定量の8割とし、解熱剤としてロキソニンを事前服用することにより発熱をコントロールし、安定的に投与できるようになり半年が過ぎた。次回は12クールとなる。
 この土日はとても調子がよく痛みも出なかったので、病変が何もありませんように・・・と祈りつつ、まな板の上の鯉の気分だ。無事終了して会計を済ませた。驚くことに今日の病院滞在時間はわずか40分。いつも一日がかりなので、こんなに短いと何か忘れ物をした気分だ。お昼抜きだったため、しっかり遅いランチをしてから電車に乗った。

 途中の乗換駅で急に真っ暗になり、雨が降り出した。せっかくの桜がこの雨で散ってしまうのが残念だ。傘を持っていなかったので、雨宿りのつもりで最寄駅前のスーパーに入り買い物。結局雨は止まず、荷物も増えてしまったので、軟弱にもタクシーに乗り込む。運転手さんから「また地震ですね。」と。大荷物で歩いていたので気づかなかったが、福島県で震度6弱だったという。その後も小さい地震が続いている。
 帰宅すると息子が「すごく揺れて怖かったよ~」とのこと。
 本当に日々こうした余震が続き、被災地の方たちは1か月間、身も心も休まる時がないではないか。どうぞ神様、もう勘弁してください、と思う。

 今日は1冊読んだ。
 よしもとばななさんの「もりだくさんすぎ yoshimoto banana.com2010」(新潮文庫)。
 昨年2010年の日記を文庫化したもの。裏表紙には「いい仕事をしよう。大好きな人たちが幸せである姿に力をもらいながら。旅をした。辛い治療にも通った。楽しいことと同じくらい、悲しい知らせも次々とどいた、盛りだくさん過ぎな一年。」とあったが、「結局年を取るということは、自分がどういうことを考えて生きてきたかということと、たったひとりで、向き合うということなんだな。」や「人間は弱いから誰にでもこういう気がある(本当は殆ど何もできないのに、万能なもう一人の自分を虚像として作り上げ、そっちに魂をどんどんあげてしまって本体はどんどん自信をなくしていく)けど、本当に何かができるときって、もう地べたからというか、あ、これができた、よかった、これだけでもできた、よし、っていうふうに自信がついていく。病気をして寝込んだことがある人には良くわかるはず。あれが、自信。床の雑巾がけに実に似ているもの。何もないのに何かあるふうに生きていると、いつも夏休みの宿題やってない人みたいな気分で、つらいだろうな、自分は地べた派で行こうとしみじみ思う。」等々あちこちで頷き、癒された。
 生きていくってやっぱり大好きな人たちが幸せである姿に力をもらうことなのだと思う。

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