昨日均整術で訪れたSさんのスタジオに2日連続で日参。今日は土曜出勤の代休を頂いて、インテンシヴコース5日目に参加することに。
昨夜は帰宅後、夫が用意してくれた夕食を有難く頂き、今日提出する課題を書いては消し、書いては消し、清書したりコピーしたり・・・。
一方、先輩に逢いに出かけた息子は、日付が変わらないうちに帰ってくると言っていたのは空耳か。鍵を持って行ってくれなかったので、こちらは鍵を開けて寝るわけにもいかない。1時には帰れると思う、と連絡があった後はそれっきり梨のつぶての鉄砲玉。なんとなくその時間までは頑張ったが、均整術で身体が解れ過ぎていたのか眠くて眠くてあえなくダウン。
今朝、夫に顛末の概略を聴き、起きてきた息子に詳細を問うたところ、とんでもないことになっていた。いつも利用する私鉄の終電に間に合わず、JR の最終に乗って一番近い駅からタクシーで帰るつもりだったが、結局乗り過ごし、終点駅で起こされたとのこと。当然酔いつぶれて気分は悪く、タクシーに乗り込む前に吐いて、タクシーに乗って途中で停まってもらってまた吐いて・・・。帰宅は2時半を回ったとのこと。気の毒だったのは息子ご帰還まで眠れなかった夫。眠りについたのは3時過ぎだったとのこと。嗚呼3時間睡眠で出勤とは。
昨日母からもらったお小遣いの半分以上がタクシー代に消えたという。それにしても今日の午後、大事な用があるために帰省したというのに、この失態は一体どういうことか、夫と私に代わる代わる絞られた息子である。
夫を送り出した後、息子を起こすまでは今日提出の課題のシークエンスを実際に練習。前回から3週間しかなかったし、その間に息子が帰ってくるわ、体調は悪いわ、土曜出勤はあるわ、均整術はあるわ・・・、で時間を取って落ち着いて課題に取り組むことが出来なかった。まあ言い訳に違いないのだけれど。
とにかくなんとか体裁を整えて、さぼっていた掃除も終えて、遅い朝食を摂った息子より若干早めに家を出てスタジオに向かった。
今日も寒い。1月の気温だという。ロングのダウンコートを着込んでも当然の感じ。ランチを済ませ、開始15分ほど前にスタジオに到着すると、既に複数のマットが敷かれていた。
今日は前回のチームごとにまとまって、自分でマットを準備するとのこと。他の3チームは既に2,3人ずつ揃っていたが、私たちのチームは私が一番乗りだったので、空いた所に場所を取る。お1人欠席とのことで、定刻には4チーム20名が揃った。
今日は出席を取ることもチャンティングもなく、レポート提出の後、チームごとに各自が提出したシークエンスをチーム全員で確認していく作業からスタート。実際に動いてみると、足りない部分やこうした方がやりやすいという部分がここかしこに出てくる。実際にインストラクターをされているAさんからは沢山の提案があり、とても勉強になる。皆で確認を終えたら今度は実際にその動きをやってみましょう、とのこと。自分が前回プレゼントされたお題のアーサナに至る部分の動きは、メンバーに指示を出す先生役を担当する。
前回作った動きの流れを検証しながら、皆で色々な気づきをシェアしあって取り入れていく。こうした寒い季節には指や足首の地味な動きがとても大切になる、と回ってこられたM先生からコメントがある。最後に行うシャヴァーサナが心地よくなるためには、末端の凝りがあるとよろしくないのである。
実際に一通り5人でそれぞれの動きを行うと40分近くかかった。ここでいったん休憩し、後半はM先生からのコメントとまとめ。40分も行うというとちょっと肉付けすれば立派な1つのレッスンである。
ティーチングを経験してみて改めて思うことは、クラスを受けるのと自分でやるのとは全然違うということ。言葉のチョイスも難しい。ただアーサナの名称を言うのではNGで、動作を説明する必要がある。ヨガ仲間同士の練習では“○○アーサナ”は共通語だが、初めての人、分からない人にも正しいポーズを知ってもらうことが目標だ。角度がちょっと違うだけでも身体に響く部分が異なるので、どんな言葉で導くかはインストラクターとして一生磨きがいのあるものであるという。もちろん丁寧に説明するからといってずっと喋っていればいいわけでもない。時には体言止めで短くコメントするなど、自分なりに吟味しがいのあるのが、ガイドの言葉選び、醍醐味であるという。
ただ、いくらこちらが考えても主役はあくまでも生徒さんである、これが大切だ。自分が気持ちよくレッスンを運ぶこと―自分のためのレッスンーが目的になってはいけない。誘導の上手く行うためには、ポーズを客観的に見るという作業がとても役に立つ。こうして客観的に考えることが出来るようになると、即効で上達するという。言葉を使ってフォルムを伝えるのは難しい。特に目に見えないことー重心の移動などーについては体感できることだが、どれだけ相手を尊重して伝えることが出来るのか。使う言葉にも注意が必要だ。否定的な言葉、出来ないとか無理とかダメとかかはなるべく使わない。その輪が広がっていくとクラスの雰囲気は、自然とクリアな気持ち、リフレッシュに繋がっていくという。
各チームのシークエンスについては、とてもハードルが高いと考えていたが、皆出来ていてびっくりした、というお褒めの言葉があった。レポートを見ても、完成度が高いものが多く、こうしたものを書き表してシェアするにはセンスが必要だが、向いている人が多いのでは、というコメントも頂いた。今回の課題をクリアすることによって、身体のどの部分をどのように動かすと、どんな変化を得られるかを実感し、他の人の身体の動かし方に刺激を受けることになった筈で、「なるほど」と思うのは貴重な時間だろうとのこと。こうしたパターンにはこれ、という正解はないからこそ、自分の練習から紡ぎだしたものが財産であるとのコメントには素直に納得させられた。実際に体験してみて時間はいかようにも(長短)出来ることもよく分かった。
その後、質問タイム。現役のインストラクターさんが一人の顧客との関係に悩んでおられることには身につまされた。不特定多数の人に教えるという立場になると、実に色々な人に出会うが、相手を選べないということを強く自覚する必要がある。人目に付く仕事であるということはそういうことなのだ、とM先生のコメント。
残すところあと1回だが、何かリクエストがあればということで、あちこちから手が挙がる。今回のコースの卒業の条件は、個々のレベルによって異なるが、このコースはセルフプラクティスが出来るようになってほしいという思いで始められたとのこと。“自分”で練習し、さらに先生に教えてもらえばなお良い。自分で練習が出来るためには自分というものが判っていないと始まらない。ただハードなポーズの連続を行うことが目的という人とは違い、自分で練習が出来る、自己探求のために行う練習システムを理解して行う仲間が欲しかった、同じ志を持つ仲間ならば集った方が良いと思って始められたという。ハタヨガをしなければヨガに触れられないというわけではないので、そのエッセンスが伝われば良いとのこと。
ひとしきり質問が出尽くした後、突然新チームの発表があった。今日のチームはこれで解散だそう。ちょっとびっくりする。このまま今日修正したレッスンを次回皆の前でお披露目するのでは、と考えていたメンバーが多かったので。自分のアーサナはそのまま持続するが、全く新しいメンバーと集うことになった。見事なまでに私以外はずっとハタヨガを集中的に練習して難易度の高いチャレンジポーズが課題になっている方ばかり。もういきなり顔面蒼白、帰りたくなってしまった。
Tさん、Aさん、Cさんと私の4人だが、シルシアーサナ(ヘッドスタンド)からピンチャ(肘のバランス)やバックベンド(後屈ブリッジ)など、私なんぞは一度たりとも挑戦すらしたことのない(サンスクリット語の名称さえ知らない)ものばかり。M先生に助けを求めた所、全然別の流れで対極のような練習しているの人とエネルギー交換をしてみたいと思ってのことなので、○○さんはどっしりタダアーサナをしてくれていれば良い、と言って頂く。
次回までの宿題は4人で30分のレッスンを作ること。他人のお題のアーサナには手を出さず、自分の持ち分のアーサナをいかにしたらうまく出来るか、今日まで熟考したアイディアを活かした一連の動きを8分程度で作ってくるということになった。それを合算して4人のシークエンスにすればよいそうだ。ひとまず順番だけ決定して解散。
またハードルが上った感じ。気づけばまたしてもあっという間の3時間だった。次回もまた3週間後。どんどん寒くなるし、治療もどうなるかわからない。けれど、とにもかくにも私に出来ることを精一杯。基本姿勢であるタダーサナは何より大切な要。どんと構えていればきっとうまくいく、そう信じて次回最終日までを過ごしたい。M先生には週末のお試しクラスのこともお話して喜んで頂き、いつものようにHさんと駅までご一緒した。
帰宅すると、用事を無事済ませた息子が一足先に帰宅していた。若いのだろう。もう二日酔いの陰りもなかった。寝不足でヨレヨレの夫が帰宅し、3人で鍋を囲んだ。
明日は息子もまた関西に戻る。私も仕事再開の火曜日である。
昨夜は帰宅後、夫が用意してくれた夕食を有難く頂き、今日提出する課題を書いては消し、書いては消し、清書したりコピーしたり・・・。
一方、先輩に逢いに出かけた息子は、日付が変わらないうちに帰ってくると言っていたのは空耳か。鍵を持って行ってくれなかったので、こちらは鍵を開けて寝るわけにもいかない。1時には帰れると思う、と連絡があった後はそれっきり梨のつぶての鉄砲玉。なんとなくその時間までは頑張ったが、均整術で身体が解れ過ぎていたのか眠くて眠くてあえなくダウン。
今朝、夫に顛末の概略を聴き、起きてきた息子に詳細を問うたところ、とんでもないことになっていた。いつも利用する私鉄の終電に間に合わず、JR の最終に乗って一番近い駅からタクシーで帰るつもりだったが、結局乗り過ごし、終点駅で起こされたとのこと。当然酔いつぶれて気分は悪く、タクシーに乗り込む前に吐いて、タクシーに乗って途中で停まってもらってまた吐いて・・・。帰宅は2時半を回ったとのこと。気の毒だったのは息子ご帰還まで眠れなかった夫。眠りについたのは3時過ぎだったとのこと。嗚呼3時間睡眠で出勤とは。
昨日母からもらったお小遣いの半分以上がタクシー代に消えたという。それにしても今日の午後、大事な用があるために帰省したというのに、この失態は一体どういうことか、夫と私に代わる代わる絞られた息子である。
夫を送り出した後、息子を起こすまでは今日提出の課題のシークエンスを実際に練習。前回から3週間しかなかったし、その間に息子が帰ってくるわ、体調は悪いわ、土曜出勤はあるわ、均整術はあるわ・・・、で時間を取って落ち着いて課題に取り組むことが出来なかった。まあ言い訳に違いないのだけれど。
とにかくなんとか体裁を整えて、さぼっていた掃除も終えて、遅い朝食を摂った息子より若干早めに家を出てスタジオに向かった。
今日も寒い。1月の気温だという。ロングのダウンコートを着込んでも当然の感じ。ランチを済ませ、開始15分ほど前にスタジオに到着すると、既に複数のマットが敷かれていた。
今日は前回のチームごとにまとまって、自分でマットを準備するとのこと。他の3チームは既に2,3人ずつ揃っていたが、私たちのチームは私が一番乗りだったので、空いた所に場所を取る。お1人欠席とのことで、定刻には4チーム20名が揃った。
今日は出席を取ることもチャンティングもなく、レポート提出の後、チームごとに各自が提出したシークエンスをチーム全員で確認していく作業からスタート。実際に動いてみると、足りない部分やこうした方がやりやすいという部分がここかしこに出てくる。実際にインストラクターをされているAさんからは沢山の提案があり、とても勉強になる。皆で確認を終えたら今度は実際にその動きをやってみましょう、とのこと。自分が前回プレゼントされたお題のアーサナに至る部分の動きは、メンバーに指示を出す先生役を担当する。
前回作った動きの流れを検証しながら、皆で色々な気づきをシェアしあって取り入れていく。こうした寒い季節には指や足首の地味な動きがとても大切になる、と回ってこられたM先生からコメントがある。最後に行うシャヴァーサナが心地よくなるためには、末端の凝りがあるとよろしくないのである。
実際に一通り5人でそれぞれの動きを行うと40分近くかかった。ここでいったん休憩し、後半はM先生からのコメントとまとめ。40分も行うというとちょっと肉付けすれば立派な1つのレッスンである。
ティーチングを経験してみて改めて思うことは、クラスを受けるのと自分でやるのとは全然違うということ。言葉のチョイスも難しい。ただアーサナの名称を言うのではNGで、動作を説明する必要がある。ヨガ仲間同士の練習では“○○アーサナ”は共通語だが、初めての人、分からない人にも正しいポーズを知ってもらうことが目標だ。角度がちょっと違うだけでも身体に響く部分が異なるので、どんな言葉で導くかはインストラクターとして一生磨きがいのあるものであるという。もちろん丁寧に説明するからといってずっと喋っていればいいわけでもない。時には体言止めで短くコメントするなど、自分なりに吟味しがいのあるのが、ガイドの言葉選び、醍醐味であるという。
ただ、いくらこちらが考えても主役はあくまでも生徒さんである、これが大切だ。自分が気持ちよくレッスンを運ぶこと―自分のためのレッスンーが目的になってはいけない。誘導の上手く行うためには、ポーズを客観的に見るという作業がとても役に立つ。こうして客観的に考えることが出来るようになると、即効で上達するという。言葉を使ってフォルムを伝えるのは難しい。特に目に見えないことー重心の移動などーについては体感できることだが、どれだけ相手を尊重して伝えることが出来るのか。使う言葉にも注意が必要だ。否定的な言葉、出来ないとか無理とかダメとかかはなるべく使わない。その輪が広がっていくとクラスの雰囲気は、自然とクリアな気持ち、リフレッシュに繋がっていくという。
各チームのシークエンスについては、とてもハードルが高いと考えていたが、皆出来ていてびっくりした、というお褒めの言葉があった。レポートを見ても、完成度が高いものが多く、こうしたものを書き表してシェアするにはセンスが必要だが、向いている人が多いのでは、というコメントも頂いた。今回の課題をクリアすることによって、身体のどの部分をどのように動かすと、どんな変化を得られるかを実感し、他の人の身体の動かし方に刺激を受けることになった筈で、「なるほど」と思うのは貴重な時間だろうとのこと。こうしたパターンにはこれ、という正解はないからこそ、自分の練習から紡ぎだしたものが財産であるとのコメントには素直に納得させられた。実際に体験してみて時間はいかようにも(長短)出来ることもよく分かった。
その後、質問タイム。現役のインストラクターさんが一人の顧客との関係に悩んでおられることには身につまされた。不特定多数の人に教えるという立場になると、実に色々な人に出会うが、相手を選べないということを強く自覚する必要がある。人目に付く仕事であるということはそういうことなのだ、とM先生のコメント。
残すところあと1回だが、何かリクエストがあればということで、あちこちから手が挙がる。今回のコースの卒業の条件は、個々のレベルによって異なるが、このコースはセルフプラクティスが出来るようになってほしいという思いで始められたとのこと。“自分”で練習し、さらに先生に教えてもらえばなお良い。自分で練習が出来るためには自分というものが判っていないと始まらない。ただハードなポーズの連続を行うことが目的という人とは違い、自分で練習が出来る、自己探求のために行う練習システムを理解して行う仲間が欲しかった、同じ志を持つ仲間ならば集った方が良いと思って始められたという。ハタヨガをしなければヨガに触れられないというわけではないので、そのエッセンスが伝われば良いとのこと。
ひとしきり質問が出尽くした後、突然新チームの発表があった。今日のチームはこれで解散だそう。ちょっとびっくりする。このまま今日修正したレッスンを次回皆の前でお披露目するのでは、と考えていたメンバーが多かったので。自分のアーサナはそのまま持続するが、全く新しいメンバーと集うことになった。見事なまでに私以外はずっとハタヨガを集中的に練習して難易度の高いチャレンジポーズが課題になっている方ばかり。もういきなり顔面蒼白、帰りたくなってしまった。
Tさん、Aさん、Cさんと私の4人だが、シルシアーサナ(ヘッドスタンド)からピンチャ(肘のバランス)やバックベンド(後屈ブリッジ)など、私なんぞは一度たりとも挑戦すらしたことのない(サンスクリット語の名称さえ知らない)ものばかり。M先生に助けを求めた所、全然別の流れで対極のような練習しているの人とエネルギー交換をしてみたいと思ってのことなので、○○さんはどっしりタダアーサナをしてくれていれば良い、と言って頂く。
次回までの宿題は4人で30分のレッスンを作ること。他人のお題のアーサナには手を出さず、自分の持ち分のアーサナをいかにしたらうまく出来るか、今日まで熟考したアイディアを活かした一連の動きを8分程度で作ってくるということになった。それを合算して4人のシークエンスにすればよいそうだ。ひとまず順番だけ決定して解散。
またハードルが上った感じ。気づけばまたしてもあっという間の3時間だった。次回もまた3週間後。どんどん寒くなるし、治療もどうなるかわからない。けれど、とにもかくにも私に出来ることを精一杯。基本姿勢であるタダーサナは何より大切な要。どんと構えていればきっとうまくいく、そう信じて次回最終日までを過ごしたい。M先生には週末のお試しクラスのこともお話して喜んで頂き、いつものようにHさんと駅までご一緒した。
帰宅すると、用事を無事済ませた息子が一足先に帰宅していた。若いのだろう。もう二日酔いの陰りもなかった。寝不足でヨレヨレの夫が帰宅し、3人で鍋を囲んだ。
明日は息子もまた関西に戻る。私も仕事再開の火曜日である。