いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

マルクス像の裏で咆哮

2010年05月13日 20時10分24秒 | 欧州紀行、事情



モスクワの週刊タブロイド紙の一面(2010/4/30-5/4号)
「Teatralnaya Ploschadのカール・マルクス像で抗議する左翼.5/1のメーデーには様々な右翼、左翼のデモが予想される.」
現物→Protests – and a fun day out 現在リンク切れ


■先日はレーニンはイコン化するのか? と書いたが、この前の4/22はレーニン生誕140年だったらしい。
↓レーニン像の前でレーニンポーズをするwiki : フラッシュモブ(Flash mob)
sannkaku

▼戦勝65周年(参考拙記事)の映像(リハーサル?).
26秒あたりで出てくるのがレーニン廟.今は映像にあるように、やぐら・足場が組んであった(下画像).

Victory Day Parade Rehearsal In Moscow Red Square




―ブルガリアのディミトロフ(戦後スターリンの下でブルガリア共産政権を樹立した。一九三五年、コミンテルン書記長)のミイラは焼かれて墓に埋葬されたが(九〇年七月)、レーニンのミイラについてはこれを焼き墓に移すレーニン神格化否定行為はまだ行われていない。また、人民代議員大会の議場には、レーニンの像が高々とかかげられている。要するに、ソ連とはいまなお、レーニンが「神」として支配している疑似宗教国家である。そして、ソ連のこの疑似宗教国家性の打破を阻んでいる最大の障害がゴルバチョフなのである。―

  中川八洋、『大侵略 -二〇一〇年、ソ連(ロシア)はユーラシアを制覇する-』

   
買いかぶり      真打ち


レーニンはイコン化するのか?

2010年05月11日 20時36分46秒 | 欧州紀行、事情

2010年5月、ロシアのあるさびれた工場(こうば)の物置に掲られたレーニン画像.

レーニン像(3次元)が撤去されているらしいことは、ソ連崩壊以後よく報道で見聞する気がする。でも、ロシアではレーニン像(3次元)は結構残っているらしい。
ただし、サンクトペテルブルクのレーニン像、爆発で破損

でも、心配するな、レーニン。ロシアには3次元像で生き残れなくとも、イコン@2次元の世界を尊ぶ伝統がある。

ローマン・カトリックとロシア正教の違いは3次元の像の有無。ギリシア正教にはキリスト3次元像はない。かわりにあるのが2次元。イコン。あなたのコンピューター上のアイコンの語源。

↓ロシア正教会のイコン像。観光客は200ルーブリで写真撮り放題なんだなぁ、これが。お布施集めに必死な、ロシア正教会。罰があたるべさ。


●おいらが、日本ずんのいいところだなぁ~と思うのは、結局今に至るまで、われらがぬっぽんずんがアカ耶蘇に支配されなかったこと。ロシア人と大違い。

おいらは、アカと耶蘇の両方とも大っ嫌い。それこそが愚ブログの本義である。

▼それにしても日本で耶蘇がはやらなかったのはなぜなんだろう?東アジアの文明的背景が原因ということは言えないだろう。なぜなら、韓国ではキリスト教徒が多い。東アジアの文明的背景との関係でいえば、むしろ儒教的精神とキリスト教徒との相似性が強く、儒教⇒キリスト教転移がおこりやすいのかもしれない。つまり、東アジアの文明的背景といっても、そもそも日本では東アジアの文明の中核の儒教が浸透していなかったともいえる。

そういえば近代日本で耶蘇になった者の少なからずが没落武士。日本人のなかでも東アジアの文明の中核の儒教に触れていたのが遠因なんだろうか?


ポスターは多種類あるから、どれも見逃さないように!

2010年05月09日 15時02分25秒 | 欧州紀行、事情

今日、5/9、ロシア(旧ソ連)、対独戦勝記念日。65 執念 周年。

中国・胡錦濤国家主席も出席! 対ファシズム闘争勝利認識を中露共有!

■モスクワは戦勝65周年を祝うポスターが中心街のいたるところに貼られていた。鎌にハンマーの赤旗も翩翻。戦勝したのは赤軍なので。

プーチン氏は「われわれ両国は、大戦での(ドイツの)ファシズムと日本の軍国主義に対する勝利に大きく貢献した」とし、胡主席が9日の対ドイツ戦勝記念日行事に出席すること自体が、中ロの緊密な関係の証しだと謝意を表した。
プーチン首相が胡国家主席と会談 両国関係強化で一致*1

(ポスターはクリックで拡大)
         

      

  

モスクワは、サンクトペテルブルグより派手に、赤旗がかなり"復活"していた。これが戦勝記念日の"お祭り"のせいなのかは不明。ロシア人ガイドに事情を尋ねると、ドイツを破ったのはやはりソ連共産党・赤軍なので、その業績は認めざるを得ないとのこと。

でも、タブロイド紙によると、ドイツを破った時の頭目だったはずのスターリンの復活は封印されているらしい。事実、スターリンの肖像画像は1枚も街頭で見なかった。つまりは、スターリンはいまだにロシアではタブーなのだ。

一方、今日ロシアの戦勝式典に参加した胡錦濤国家主席の国では、スターリンの肖像画は本屋に普通に飾ってある⇒愚記事:中国25 大連の書店



*1
プーチン首相が胡国家主席と会談 両国関係強化で一致

 【モスクワ共同】ロシアのプーチン首相は8日、訪ロした中国の胡錦濤国家主席とモスクワ郊外の公邸で会談し、第2次大戦での中国とソ連の同盟関係に言及。双方は、今後も両国関係の強化を図ることで一致した。

 プーチン氏は「われわれ両国は、大戦での(ドイツの)ファシズムと日本の軍国主義に対する勝利に大きく貢献した」とし、胡主席が9日の対ドイツ戦勝記念日行事に出席すること自体が、中ロの緊密な関係の証しだと謝意を表した。

 胡主席は「近年、ソ連の戦勝への貢献を抹消しようとする試みが行われているが、中国の歴史的評価はロシアと一致している」と応じた。

 胡主席は9日、モスクワの「赤の広場」で行われる戦勝記念日の軍事パレードに出席する


梅の木 2010 ; その15

2010年05月08日 11時15分11秒 | 筑波山麓


実ができる気配もないし、葉の元気もありません。


【いか@ 筑波山麓 『看猫録』】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。
過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2010.05.07(金) 601 PV 155 IP - 位 / 1406275ブログ
2010.05.06(木) 859 PV 137 IP - 位 / 1405811ブログ
2010.05.05(水) 773 PV 126 IP - 位 / 1405359ブログ
2010.05.04(火) 1000 PV 112 IP - 位 / 1404727ブログ
2010.05.03(月) 1006 PV 130 IP - 位 / 1404250ブログ
2010.05.02(日) 619 PV 103 IP - 位 / 1403842ブログ
2010.05.01(土) 620 PV 94 IP - 位 / 1403426ブログ
過去3週間の閲覧数・訪問者数とランキング(週別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2010.04.25 ~ 2010.05.01 4969 PV 882 IP - 位 / 1403426ブログ
2010.04.18 ~ 2010.04.24 5871 PV 1154 IP 8762 位 / 1400413ブログ
2010.04.11 ~ 2010.04.17 5628 PV 1308 IP 7912 位 / 1396955ブログ

民魚

2010年05月06日 20時03分08秒 | 欧州紀行、事情

ロシアの雑貨屋で売っていた魚。目がない。

の字源;目玉に針をつきさしたようすをかいた字。
盲目にした奴隷のこと。


主主義万歳!

▼白クマを捕えるプーチン;


モスクワで拾ったタブロイド紙の一面写真。白クマを捕えるプーチン。
大統領のメドベージェフの名の意味は「クマ」にほかならない。
Google; プーチン メドベージェフ 確執


猫たちが食い尽された街へ;サンクトペテルブルグ参拝

2010年05月04日 12時54分34秒 | 欧州紀行、事情



ロシアに行った。サンクトペテルブルグとモスクワ。パックツアー。費用は20万円ちょっと。生まれて 大人になって二度目の海外観光旅行。

猫たちが食い尽された街、サンクトペテルブルグ


     ―サンクトペテルブルグ猫と目があった瞬間―

▽1945年春、サンクトぺテルブルグ、当時の名はレニングラードには一匹の猫もいなかった。すべて食い尽されたからだ。ドイツ軍に包囲されたレニングラードの住民は1941年9 月8日 - 1944年1 月18日の間約900日籠城した。その間に公称67万人、実際には100万人が死亡。大半の死因は餓死(wiki:レニングラード包囲戦)。人の屍を食べたくらいであるから、犬、猫はまっさきに食べられた。恐ろしい話である。廣島や東京のように核攻撃や無差別空爆で一日で十万人以上が死ぬよりある意味恐ろしいと言えるかもしれない。なぜなら、みんな腹をすかしながらゆっくりと死んで行くからである。死は無差別にやって来たわけでなない。みんながただ黙って死んでいったのであればまだ"まし"かもしれない。なぜなら、現実の飢餓地獄では生きてる人間を殺して食ったやつもいたらしいから。

▼サンクトペテルブルグで泊ったホテルは郊外。周りには集合住宅。ちなみにサンクトぺテリブルグ、そしてモスクワの市街には一戸建ての家はない。朝散歩がてらに猫の探索。正確にいうと猫を探すために散歩。いた(上画像)。ロシアンブルーの野良とかがいればおもしろかったのだが、当然いなかった。この白黒ねこの先祖は戦後どこからかきたのだ。田舎ねこの血統に違いない。

←クリックで拡大

エルミタージュ参拝
←クリックで拡大

▽「900日のレニングラード攻防戦」の間、ダヴィンチからピカソに至るエルミタージュの貴重作品群はウラル山脈のシヴェルドロフスクに疎開した。シヴェルドロフスクはソ連時代の呼称で、今は帝政時代の名、エカテリンブルクが復名。ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ二世がボルシェビキに殺害された街。

包囲の前にウラル山脈のシヴェルドロフスクに逃れ、再び猫たちが食い尽された街の展示に復帰したのは、ティントレット(wiki)の『洗礼者ヨハネの誕生, The Birth of St. John the Baptist 』の中の猫。イタリア生まれ。"シベリア送り"から生還。

←クリックで拡大
―『洗礼者ヨハネの誕生, The Birth of St. John the Baptist 』、エルミタージュ美術館展示―

―上記『洗礼者ヨハネの誕生, The Birth of St. John the Baptist 』の部分図―

そして、ドストエフスキー

▽『洗礼者ヨハネの誕生』の猫も"シベリア送り"からの生還したが、ドストエフスキーもそうだ。サンクトぺテルブルグはドストエフスキーの街。愚ブログもこの世に『地下生活者の手記』がなければありえなかったであろう。なぜなら、おいらは病んだ人間であり、意地の悪い人間で、およそ人好きのしない男だからである。肝臓だって悪いに違いない。この前の健康診断でも、ガンマ― GNPだか何だかだって高い値だった。まちがいない。

ドストエフスキーの"ツッコミ"について言及するまえに、まずはピョートル大帝とエカテリーナ2世の"大ボケ"をおさらいしよう。サンクトペテルブルグは300年前にロシア皇帝ピョートルがゼロから作った人工都市である。ヨーロッパのハードコピーである。技術者、設計者をヨーロッパで集めロシアに連れ帰り年建設を行う。ロシア人は土方仕事の消耗品。ピョートルのお手本。

これは400年前に同じくゼロから江戸を作った徳川家康と似ているかもしれない。しかし、自分で考えて江戸を作った家康と既存の高度な文明を人ごとパクッてきたピョートルとでは自発性、内発性が違う。

その50年後ピョートル大帝を舅とするドイツ人女性エカテリーナ2世は欧化政策を邁進させ現在に続くエルミタージュの美術品コレクションを始める。かわいそうにエカテリーナ2世。ロシアには皇帝お抱えの絵師がいなかったのだろうか?

こうして、サンクトペテルブルグには今に残るヨーロッパ正統派の建築物が整然とならび、そのひとつの王宮、冬宮の宮殿がエルミタージュ美術館。

とまれ、ピョートル大帝とエカテリーナ2世(大帝)はいわゆる啓蒙専制君主ってやつだ。

啓蒙専制君主ほどうさんくさいものはない。その矛盾は複数ある。ひとつは啓蒙という良い?目的のためには専制という手段を選ばないことをとがめられないこと。エカテリーナ2世は夫のピョートル3世を追放し、愛人とのクーデターで皇帝となった。追放された夫は"都合よく"すぐ"病死"したと発表された。目的のためには手段を選ばずという陰謀・権力政治の真髄を地で行っている。この体質はヴォルシェビキや最近のプーチンに至るまで変わらないなぁ~というのがおいらの偏見的印象。

さらにはいくら皇帝がヨーロッパ風の建物を作ったり、美術品、<>を集めても、大半のロシア人は農奴である。あるいは都市に流れ着いた"虐げられた人々"である。

ドストエフスキーは『地下生活者の手記』で水晶宮についてつっこみを入れる。この水晶宮とは例の水晶宮とドストエフスキーに呼ばれた、同時代の革命的民主主義の思想家チェルヌイシャフスキーの小説『何をなすべきか?』に出てくる未来の社会主義社会のことらしい。

でも、今回おいらが気付いたことは、ドストエフスキーが生きていた時代(1821-1881)にはすでにサンクトぺテルブルグは水晶宮都市であったのだ。ただ、ドストエフスキーたち貧民はサンクトぺテルブルグの非水晶宮地域で、水晶宮群を見ながら生活していたのだ。

ドストエフスキーは将来に起こるべきとされる民主主義へも嫌味を吐くが、その理性や進歩への懐疑となった根拠は、ピョートル、エカテリーナ2世以来の"近代ロシア"の成り立ちの一切がペテンであると感づいたからでなはいなかと、おいらは今回のピーテル訪問で思いついた。

←クリックで拡大
― ロシア史上初めての共和国を象徴する旗と共産党旗とドストエフスキー ―
ドストセンセのお墓にて(アレクサンドル・ネフスキー修道院)

現行ロシア共和国制は過去を全否定するわけでないらしいこと、すなわち共産党の存続を認めていることを見ると、すこしは"大人"になったのかなぁと思う。

でも、プーチンの魂の故郷は共産党なのかもしれない。大侵略―2010年、ソ連(ロシア)はユーラシアを制覇することができるかな?


前菜

2010年05月03日 20時19分18秒 | 欧州紀行、事情


4/15の愚ブログ記事。より;
▼全然関係ない備忘録;

Харуки Мураками

↑な~んだ? ↓おこたい; ろすけも大好き!
 

▼ガイドさんは「村上春樹はロシアでも大人気、だから、本は売り切れ」って言ってたけど、あったよ。305ルーブリ。

ロシア語なぞわからないので、おいらは表紙の絵からの判断で「羊をめぐる冒険」のつもりで記念品として買った。なぁ~んと、今気付いたのだけれども、よく見ると、ABCD,ABCD,ABCD,(文字は仮)とある。



なんだ!「ダンス、ダンス、ダンス、」なのではないだろうか。それにしても、この宇宙服・ヘルメットみたい形相の羊が露助サマたちの村上作品中の"羊"に対するイメージなのだ。




2010.05.02(日) 619 PV 103 IP
2010.05.01(土) 620 PV 94 IP
2010.04.30(金) 576 PV 129 IP
2010.04.29(木) 560 PV 111 IP
2010.04.28(水) 613 PV 124 IP
2010.04.27(火) 978 PV 156 IP
2010.04.26(月) 587 PV 137 IP
2010.04.25(日) 1035 PV 131 IP
2010.04.24(土) 1093 PV 153 IP
2010.04.23(金) 1073 PV 147 IP
2010.04.22(木) 811 PV 177 IP
2010.04.21(水) 592 PV 173 IP
2010.04.20(火) 876 PV 175 IP