いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

常見陽平、ルサンチマン、アイヌ-ポーランドコネクション・深月ユリア

2011年02月15日 19時39分31秒 | 札幌
まったく、とりとめのない、ネット漂流の一日を。

常見陽平、ルサンチマン


12日土曜日、就活ライブチャンネルを見た。城繁幸や常見陽平といった就活屋さんと田原総一郎、朝日新聞の一色清なる人との"トークライブ"。常見陽平さんもブログをもっていて当日のことを書いている⇒試みの水平線;田原総一郎という怪物 そして、90年代のプロレスを思い出す

その就活ライブチャンネルでの常見陽平さんの発言で面白かったのが、自分は就活屋さんを「ルサンチマン」でやっていると公言したこと。自分の生業の動機をルサンチマンであると明言したを初めてみたので、感動した。

その感動ゆえ、この記事を書いた。

この常見陽平さん、札幌出身で、"晴れて"、""内地""の大学に進学。でも就活で夜中に銀行から電話がかかってくる状況だったと(どういう状況だかよくわからないんだけど)。だから、ルサンチマンを抱くことになったと主張していた(これまたなんでルサンチマンを抱くことになったかよくわからないけど、とにかくルサンチマン!という熱い思いはわかった)。1997(?)年就職。リクルートに。就職した年に"我ら"が拓銀が潰れた。

ちなみに、道産子の76.397%(いか@さまデータリサーチ調べ)は、拓銀がつぶれたという一報を聞いたとき、どこで何をしていて、どう思ったか今日でも覚えている。

そんな、常見陽平さんは狸小路を語る数少ないブロガーである。

稚内行きのバスまで時間があったので、お散歩。札幌時代、死ぬほど通った狸小路を妻と一緒に歩く。だいぶテナントが変わったりしたけど、この通りは大好きだ。まぁ、大好きだった茶屋碁盤店(という名のおもちゃ屋 店の前でファミコンで遊べるので人気だったのだ)、YES(そうご電器のお店、オーディオやパソコンがいっぱい並んでいて、好きだった)がもうなかったのは切なかったけど。(たまには健全な暴飲暴食をしてみようか

狸小路ってこういうところである。愚記事より;
札幌 狸小路
狸小路七丁目 古本屋

ルサンチマン、アイヌ-ポーランドコネクション

ルサンチマンという語でネット漂流をしていたら、たどり着いた。おもわせぶりな自己紹介画像。


★深月ユリア日記★ ルサンチマン

この記事はどうやら目白のガッコ?の話らすい;
余談だかあたしは受験地獄くぐり抜けて中高一貫の挨拶は「ごきげんよう」というお嬢様学校に入ったがウラ表のあまりの違いが腹立たしく入学後一週間で高校受験を決めた。(私立の入学金が二度払いになり親には申し訳ない(>_<)(>_

そんな深月ユリア嬢は、「母がポーランド人で父がアイヌ人のハーフの雑種です(笑)」とのこと。

そういえば、ポーランド人―アイヌ人コネクションってあったなぁと、がきんちょの頃の記憶がよみがえった。
1970年代後半-1980年代初期、ある録音媒体が"発見"された。それはロウ。レコードがあるかないかの時代、ロウで音を録音した。19世紀末-20世紀初頭にあるポーランド人が北海道に来た。そのポーランド人文化人類学者がアイヌ人の声だの歌だのを録音した。ロウで。それがニュースになったのをガキンチョのおいらは覚えていた。

急に思い出した。ググッた。「ポーランド人 アイヌ ロウ」。わかった。そのポーランド人は、ブロニスワフ・ピウスツキ、なのだ(wiki)。

1887年、アレクサンドル3世暗殺計画(この時処刑された首謀者の中にはウラジミール・レーニンの兄アレクサンドル・ウリヤーノフがいた)に連座して懲役15年の判決を受け、樺太へ流刑となる。

わぉ、アナーキストじゃん! それで、"文化人類学者"。シベリア止まりだったドストエフスキーを超越し、東へ! まさに、東を征せよ(ウラジオストック)!というロシアの本義に則った「ロシア人」(ホントはロシア支配下のポーランド人)。樺太まで来ちゃった。アナーキストでもこれなんだがら、東を征せよ(ウラジオストック)露助ども!そして、アイヌに出逢う。

1896年5月14日、アレクサンドル3世の死後に行われた大赦により、懲役刑が15年から10年に減刑される。この年になるとアイヌとも接触するようになり、資料収集を行う。12月6日にはアレクサンドロフスキー岬で開館された博物館に資料を提供。翌1897年に刑期満了。

略歴に述べたように、ピウスツキは流刑された10数年の間に樺太アイヌ、ギリャーク、オロッコなどの写真・音声資料を多量に残した。特に蝋管は200から 300本残したといわれているが、その多くは現在では行方不明である(ロシアなどで見つかる可能性はある)。現存する蝋管は、現在では最古の樺太アイヌの音声資料として重要である。


と、おいらのネット漂流の一晩は更けていくのであった。以上、すべて実話。

ありがとう!常見陽平、ありがとう!ルサンチマン、ありがとう!深月ユリア












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