四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

浄福寺城(東京都八王子市)

2018年08月02日 | 100名城以外の城館跡


城 名:浄福寺城(じょうふくじじょう)
別 名:新城、案下城、松竹城、千手山城・(由井城)
形 態:山城
時 期:至徳元年(1384)か
築城主:大石信重
城 主:大石氏・北条氏
廃 城:天正18年(1590)
遺 構:土塁・堀・堀切・竪堀
指 定:市指定史跡(昭和47年〔1972〕1月27日指定)
現 状:山林
所在地:東京都八王子市下恩方町

浄福寺城という城名は山麓に建つ浄福寺から名を取って便宜上そう呼ばれているに過ぎないようです。そもそも浄福寺自体が
元は城福寺と称していたものを江戸後期に浄福寺にしたもののようです。別称もいくつかあるようですが、これらも地名等か
ら呼ばれるもので、当時どのような呼ばれ方をしていたかは不明です。この浄福寺城に限らず他の城館についても大方が同様
でしょう。

都道521号線陣馬街道沿いに「真言宗智派 千手山浄福寺」と刻まれた大きな寺号標が建っています。同所が浄福寺で背後の
山が浄福寺城跡です。車の場合は、参拝者用の駐車場が整備されていますのでお借りして止めさせていただけばよいでしょう。
お参りも忘れずに。




石垣際に建っている説明版  右側の石段を上がって行くと浄福寺境内




「浄福寺城跡(新城)」説明版
不明な点が多い城のようです




こちらは縄張り図入りの「浄福寺城跡」説明板

この八王子市教育委員会の説明板の説明では、
”築城については不明な点が多く、『武蔵名勝図会』によると関東管領上杉氏の武蔵守護代であった大石氏といわれています。”
と大石誰かは触れていませんが、浄福寺のHPでは
”『武蔵名勝図会』によれば、浄福寺城は16世紀ごろにこの地を治めていた大石憲重が築いたとされます。大石氏、は関東管
領であった上杉氏の武蔵守護代でした。”
と、大石憲重が築いたとされるとしています。あくまで「される」ですが。
更に、
”近年の研究では、大石氏に養子に入った北条氏照の初期の城とも、・・・”
とは「由井城」を指しているようです。
いずれにしろ築城者・城歴等不明な点が多いというのも頷けます。




縄張り図をアップにしてみました。
いくつもの尾根が延びていますが、これらの場所すべてに曲輪や土塁等が設けられていたようです。
この城跡のある山の名と浄福寺の山号は「千手山」ですが、このようにいくつもの指(手)が伸びていることから千手山と名
付けられたのでしょうか、それとも、浄福寺の千手観音に由来するのでしょうか?




「東京都指定有形文化財 浄福寺観音堂内厨子」説明板




浄福寺境内を囲む石垣 近世のものでしょうが雰囲気があります




本堂




山号寺号「千手山 浄福寺」と揮毫された扁額




鐘楼




お約束の六地蔵尊




竹林のアジサイが綺麗だったものですから




同上




登城口の目標となる白山大権現を墓地の中に見つけました




白山大権現前から九十九折りの山道をトレッキングポール を突きながら登ります
山道脇に西国三十三霊場を表す石仏が並んでいます




この写真よりもう少し先までいったものの引き返してきました。せめて観音堂までは行きたかったのですが、時間も時間でし
たし、時季も変なものが出没してくる時季に入っていましたし、無理は禁物と勇気をもって引き返したと言うと格好はいいの
ですが・・・

今夏はもう無理でしょうから改めて機会を作ってもう少し上まで再挑戦をと考えてはいます。

散策日:平成30年(2018)6月14日(木)

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