四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

五十子城(埼玉県本庄市)

2020年03月14日 | 100名城以外の城館跡


名 称:五十子城(いかっこじょう)
別 名:五十子陣・五十子の陣
形 態:平城(陣城)
時 期:15世紀中頃・長禄元年(1457)頃
築城主:上杉房顕
城 主:山内上杉氏
遺 構:-
遺 跡:東五十子城跡遺跡(埋蔵文化財包蔵地)
現 状:商業施設
所在地:埼玉県本庄市東五十子(旧本庄市)

五十子城(五十子陣)は、15世紀中頃に関東管領である上杉房顕が、古河公方である足利成氏との
対決に際し、武蔵国児玉郡五十子(現在の本庄市東五十子・西五十子)に築いた平城(陣)です。
本庄台地北縁部にあり、眼下の低地は利根川低地となる。台地西縁には女堀川が流れ、南縁には小
山川が流れ、3方を深さ3~5mの谷に守られた天然の要害で、文明9年(1477)年に長尾景春に攻
め落とされ、陣が解体するまで山内上杉家の拠点として活動し続けた。城郭は国道17号等の開発に
より破壊され、今は原型を止めていません。   




本郭跡の一部とされる場所に建つ「てんぐ茶屋」




てんぐ茶屋敷地内の片隅に鎮座する「稲荷神社」 
元々は五十子城の土塁の上にあったものが、現在の場所に移されたようです。




やはり本郭跡の一部で、てんぐ茶屋の東隣にある元ビジネスホテルの跡  城山館 ⇒ 二番館




【ほんじょうかるた】石碑 
 く 桑茂る 五十子合戦 古戦場




建物裏にある遊園地跡の微高地




元ビジネスホテルの東端 本郭跡の土塁跡か? 堀はかつての堀か?




本郭跡の北側を流れる「女堀川」 この橋の名は「城山橋」




「女堀川」

散策日:令和元年(2019)12月6日(金)

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