四季・めぐりめぐりて

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梅岩寺(東京都東村山市)

2020年07月22日 | 神社仏閣


寺 号:梅岩寺 (ばいがんじ)
山 号:芳林山
院 号:-
本 尊:聖観音菩薩坐像
宗 派:曹洞宗
創 建:応永5年(1397)
中 興:慶安4年(1651)開山 阿山呑碩和尚
所在地:東京都東村山市久米川町5丁目24-6
備 考: 境外仏堂 阿弥陀堂(所在地:久米川町5-6)

梅岩寺の創建年代は不確かですが、真言宗白華山観音寺として応永5年(1397)創建と伝えられ、
戦国時代の兵乱で焼失しています。
その後曹洞宗に改め、芳林山梅岩寺と改号。明治時代前後に、大宙山瀧谷寺を合併しています。
当寺にあった正観音像(火災で焼失)は慈覚大師の作で足利尊氏開運の霊佛であったと伝えられ、
また、徳川家より寺領10石を受領していることから、寺紋には足利家の丸に二引紋、徳川家の葵紋
を用いています。
梅岩寺は狭山三十三観音霊場の9番で、境内には10番の瀧谷寺(石碑のみ)があります。

【元弘の乱】や【武蔵野合戦】に於ける合戦場・陣所等について調べていた際、ある古いブログに
  「梅岩寺 応永5(1397)年創建。もとは観音寺といった。武蔵野合戦では足利尊氏が
   宿陣したといい、後に梅岩寺と改称した」
という一文を見つけました。
武蔵野合戦があったのは正平7年/文和元年(1352)のことです。梅岩寺の前身である観音寺が創建
されたと伝えられるは応永5年(1397)とのことですから、この時はまだ観音寺はなかったことに
なります。
ということは後に宿陣した場所に観音寺が創建され、足利尊氏の霊佛を祀ったのかと勝手に考えて
みました。
武蔵野合戦の合戦場となった金井原(小金井市)、人見原(府中市)、入間原(狭山市)、小手指
原(所沢市)などは、この梅岩寺のある近辺ですし、ここ久米川の地は入間川と多摩川の中間の軍
事的な拠点として重視されていましたから、尊氏がここに宿陣したという可能性は考えられます。
上記一文は何を根拠にしているかは不明ですが、梅岩寺へ行けば、これに関する何かが書かれた説
明板等があるかも知れないと希望を抱いて行ったものの残念ながらそうした類いのものは見当たり
ませんでした。
ここに宿陣したかどうかの真偽はとにかく、足利尊氏と関係あるお寺であることは間違いなかった
ようです。




梅岩寺山門 
山門右前に「曹洞宗 梅岩寺」と刻まれた寺号標




山門に架かる山号「芳林山」を揮毫した扁額




山門から本堂方向を


 

山門を入ってすぐの左手にある天然記念物のケヤキ

東京都指定天然記念物
  梅 岩 寺 の ケ ヤ キ
                         所在地 東村山市久米川町5
                         指 定 昭和37年3月21日
 曹洞宗梅岩寺境内の南、塀の内側に列植されているケヤキの大木のうち、表門の脇にある一際
大きい木が都の天然記念物に指定されているケヤキです。高さ27.0m、幹回り7.3mあり、都内で
も有数の巨木です。
 幹は地上約3mのあたりから数本の大枝に分かれ、分岐部にはシュロなどの寄生植物が生息し、
古木に趣を加えています。
『新編武蔵風土記稿巻之一二一』、久米川村梅岩寺の条には「門、芳林山ノ三字ヲ扁ス、周囲二
丈許ノ古槻、或ハ一丈二尺許ノ椵樹、門ニ入テ左右ニアリ」と記されています。当時から有名な
巨木であったことが窺われます。
 平成23年3月 建設
                                東京都教育委員会




東村山市指定・有形民俗文化財
 新・四 国 石 仏
                         所在 東村山市久米川町5丁目
                         指定 昭和55年3月
 江戸期――特に中ごろから霊場巡り、巡礼が庶民の間に盛行し、近くは坂東・秩父に、遠くは
四国八十八ヶ所詣でなど、いわゆるお遍路が行われました。
 四国への霊場巡りは現代とちがって数ヶ月もかかり、経済的にも身体的にもそれはたいへんな
ことで、だれでもが実行できるものではありませんでした。そこで地元に八十八ヶ所の石仏を造
立し、四国まで行かなくとも、同じ功徳が多くの人に得られるようにしました。
 これを新・四国石仏といいますが、この石仏は文政7年(1824)に久米川村の榎本権兵衛らが
建立し奉納したものであり、現今、完全に八十八体として残されているものはこの近郷になく、
信仰史のうえからも価値があります。
                                東村山市教育委員会




参道の両脇に並ぶ八十八ヶ所の石仏




参道の右側に並ぶ石仏



参道左側にある『六地蔵尊』




参道右側に六地蔵尊と相対してある 狭山三十三観音霊場第10番『龍谷寺』 
曹洞宗 本尊:千手観音  お堂はなく山道脇に建つこの石碑のみ 御朱印は梅岩寺で受けられる


 

手水舎の後ろにある天然記念物のカヤ

東村山市指定 天然記念物
 梅 岩 寺 の カ ヤ
                         所在 東村山市久米川町5丁目
                         指定 昭和44年3月1日
 梅岩寺のカヤは都内でも有数のカヤの大木で、目通り幹囲約5メートル、高さ約30メートル。
樹令はおおむね600年です。。
 新編武蔵風土記稿久米川村梅岩寺の条に「周囲二丈許の古槻、或は一丈二尺許の椵樹、門に入
て左右にある」とありますが、槻はケヤキ(東京都指定天然記念物)であり、椵はこのカヤを指
すと思われます。
 カヤは一位科に属し、常緑樹で枝も多く、うっそうとしています。 
                                東村山市教育委員会




梅岩寺本堂




本殿向拝部 
大棟の紋は「葵紋」 唐破風鬼には「丸に二引紋」 唐破風拝飾には「葵紋」 軒先瓦には
「丸に二引紋」 と言った具合に他の建造物を含め各所に「葵紋」、「丸に二引紋」が用いられ
ています。




本堂(左)と客殿(右)




『鐘楼』
階段両横にある石燈籠は東京・芝の増上寺(徳川将軍家菩提寺)にあった将軍への献上のもの。
西武鉄道が増上寺の土地の一部を買い取り、そこにあった燈籠や門などを狭山湖の近くに移してお
きましたが、元は将軍の霊廟に献上された石灯篭を各地のお寺さんに寄進したもので、この梅岩寺
には4基ありました。




『十三仏』

参詣日:平成30年(2018)8月30日(木)

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