四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

比企遠宗館跡伝承地 三門館跡(埼玉県滑川町)

2021年12月21日 | 100名城以外の城館跡


写真中央の丘陵が『三門館跡』(みかどやかたあと)と言われる場所です。泉福寺から撮影

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に合わせて、比企地域9市町村(東松山市、滑川町、嵐山町、
小川町、川島町、鳩山町、吉見町、ときがわ町、東秩父村)では、この放映を契機として地域の活性化に
つなげようと、『大河ドラマ「鎌倉殿の13人」比企市町村推進協議会』を立ち上げ、さまざまな取り組み
をしています。
12月に入ってから、関係場所等に【比企一族と武蔵武士 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ゆかりの地】の幟
旗が立ったり、ポスターが貼られたりしています。
また、リーフレット「鎌倉殿を支えた 武士の故郷 比企の史跡マップ」も配布されています。
リーフレットにはアクセスMAP、比企地域の源氏・比企一族関連史跡の写真と説明文が各町村一か所(東
松山市のみ二か所)掲載されています。


 ① 小川町 仙覚律師遺跡(県指定・旧跡) ② 嵐山町 菅谷館跡  
 ③ 吉見町 岩殿山安楽寺(吉見観音)   ④ ときがわ町 慈光寺          
 ⑤ 鳩山町 笛吹峠(鎌倉街道上道)    ⑥ 川島町 金剛寺            
 ⑦ 東秩父村 浄蓮寺           ⑧ 滑川町 三門館跡           
 ⑨ 東松山市 扇谷山宗悟寺・巖殿山正法寺         

今回は、このうちの 《⑧滑川町 三門館跡》を訪ねてみました。  
リーフレットにある説明は次の通りです。

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和泉にある泉福寺より東へ200mに位置しており、源頼朝の父で義朝などに仕えた比企遠宗、比企尼の館
ではないかとする言い伝えがあります。また、『吾妻鑑(建久四年二月十日の条)』に頼朝が伊豆に流さ
れた際に、困窮した部下を毛呂太郎季綱が助けたことから、その恩に報いるためこの館の周辺とされる泉、
勝田の地を与えたともされており、毛呂氏の所領とする説もあります。現在は、館を囲っていた空堀(水
のない堀)と土塁の一部が残っています。

豆知識:頼朝の乳母である比企尼は、この地から20年間に渡り、伊豆に配流中の頼朝に米などを送り続けました。 
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幟が立っているここからも館跡に行けます。
過去2度ほど館跡の散策をしていますが、今回はここまで・・・
『三門館』 ← 過去記事




丘陵の東側の谷津入り口前の道端に新しく設置された『三門館跡」説明板
12月に設置されたばかりで、今までこうした説明板はありませんでしたが、「鎌倉殿の13人」に合
わせて設置したようです。道路向かいにも数本の幟が立っています。

※自身の認識する範囲では、この「三門館跡」が比企氏の(伝承地としているものの)館跡という
のは近年言われ始めたもので、それ以前は比企氏の「ひ」の字もなかったように思います。




【比企遠宗館跡伝承地 三門館跡】とあり、内容は上記説明文とほぼ同じで、館跡の形状が詳しく
書かれています。
館跡の範囲については専門家の間でも見解が違っています。




説明板にある「館跡の堀」の写真

散策日:令和3年(2021)12月15日(水)

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