四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

長浜氏館(埼玉県上里町)

2020年04月03日 | 100名城以外の城館跡


名 称:長浜氏館(ながはましやかた)
別 名:浮浜城
形 態:館
時 期:平安末期
築城主:長浜三郎信光
城 主:長浜氏・笠原掃部
遺 構:土塁・空堀
指 定:-
現 状:住宅地
所在地:埼玉県児玉郡上里町長浜字城

上里町にある長浜氏館(別称:浮浜城)跡を訪ねてみました。概要については、現地に建立されて
いる長浜氏館跡碑の碑陰碑文を載せておきましたので省略します。
暫らく前までは、土塁・空堀が良好な形で遺っていたようですが、現在は、宅地造成等の影響で僅
かに遺るのみです。




長浜氏館跡の集落入口に建立されている『長浜氏館跡』碑
折角の立派な石碑なのですが、陰刻部分が白く塗られていないので、文字が読めず、石碑と気付か
ずに素通りしてしまいました。
碑の横にコンクリートで固定して置かれたポストは何か違和感を感じますが、かつては史蹟ガイド
が入っていたそうです。私がのぞいた時は埃だけ。




【長浜氏館跡碑】 碑陰碑文
  長 浜 氏 居 館 之 由 来
この地、大字長浜字城は、鎌倉時代より武威を振るった丹党の名族、長浜氏が居住した館跡と伝え
られ、浮浜城とも呼ばれています。長浜氏は新里恒房の子三郎信光を祖とし、長浜の地名をもって
家号としました。太平記によれば一族の長浜六郎左衛門光経(顕寛)は、南朝の忠臣新田義貞に仕
え、最高軍事指揮官である侍所としての重責を担い鎌倉攻略をはじめ全国各地を転戦し、建武4年
(1337)新田義顕と共に越前金ヶ崎城で討死しました。
  平成10年12月




興国寺から石碑のあるあたりまでが館跡のようで集落となっていますが、その周囲は田畑です。
まさにこの一角が浮き上がっており、浮浜城を偲ばせます。




集落の裏手に回ってみました。往時の姿は留めてはいないようですが、土塁と堀跡が遺っています。



大分低くはなっているようですが、折の部分にも土塁と堀跡が。




周囲と比べても集落のある所は一段高くなっています。左に見える赤い屋根の堂宇が興国寺。

散策日:令和元年(2019)12月6日(金)

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